祭司と踊り子

カメラ...「自然体」(=より自然に近き者、即自態、談笑)を客体=被写体として俯瞰し視界の外から収めるもの。その主体はその中に写ることがなく、身体を持たない。

それは、談笑にアンガジュマンしている者たちに、アンガジュマンしないという仕方で最低限のアンガジュマンを試みる者である。ところで談笑が喫緊のものとなるのはハレの日なのであるが、カメラを持ち出すことは即ち、その場を「ハレ」として、その大義名分を仲介することでこのアンガジュマンを可能にするのである。

ーー恐らく歴史にも二種類あるのだ。一方でそれは言葉の歴史、肖像画の歴史であり、男の物語である。他方でそれは絵画の歴史、叙情詩の歴史であり、女の歴史である。前者の歴史にはそれを下支えする女の姿が欠けており、後者の歴史にはそれを写しとる男の姿が欠けている。

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