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16階で降りる彼

名前も知らない彼らは、私も知らないうちに、私の人生に紛れ込んでいた。

私も誰かの人生にちゃっかり足跡を残していたりするのだろうか。

そんな日常のお話。



靴を履き、鏡の中の私の姿を確認する。

よし、いってきます。


朝、毎日同じ時間に家を出る。

まだ開いていないお花屋さんの前ですれ違う、ビートルズのようなヘアスタイルの大学生。今日も眠たそうなお顔にギターを背負ってる。

角を曲がると、いたいた。バス停の椅子に座り、通り過ぎてゆく車をうとうとと眺めているおじいさん。足元にはお利口そうな犬が地面にお腹をぺったりとつけて寝ている。

駅が見えてきたところで、すたすたと早足で私を抜いていく、上質そうなスーツのおじ様。お顔を拝見したことはない。

駅に着き、改札を抜けホームへと降りると、自動販売機の横に置かれているベンチの端にちょこんと腰掛ける女子高生。今日も英単語帳を真剣に眺めている。

電車に乗ると、ドアの出入口にはオレンジリュックのお兄さん。この前までヘッドフォンをつけていたけど、新しくイヤフォンを買ったのかな。

ガタガタ揺られること15分。

電車を降り、駅のコンビニでいつものミネラルウォーターとガム、ポケットサイズのチョコレートを購入。留学生のお姉さんが、今日も慣れた手つきで商品を袋に入れてゆく。

改札口を出て少し歩くと、会社のエントランスに到着。

エレベーターを呼ぼうとボタンに歩み寄ると、後ろからバタバタと足音がし、先を越された。

「おはようございます。」

朝から爽やかに、にこりと微笑む、16階で降りる彼。そういえば、最近見なかったな。

「おはようございます。」

エレベーターの前で挨拶をするだけの仲。

「…なんだか、久しぶりにお会いした気がします。」

彼も同じことを考えていた。

「本当ですね。」


ちょうどエレベーターが到着。私は二つのボタンを押し、ドアを閉じた。

「…あ、16階。ありがとうございます。」

はにかんでそういう彼。

私は無意識のうちに16階のボタンも押していた。彼が何階で降りるのか、密かに知り得ていたことを知らせてしまい、私ははっとして顔を火照らせた。

「あ、いえ。勝手に押してしまって、ごめんなさい…」

バッグの取手を握る手に力を入れ俯いた。


「いえ、むしろ嬉しいです。ありがとうございます。」

驚いて彼に目を向けると、彼も顔をじんわり赤く染めていた。

私はぽかんとしていたが、その状況がなんだか面白くなり、くすりと笑うと、続けて彼がこう言った。

「あの、お名前、教えていただけませんか?」




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