女が男物着て何が悪い

ふと2021年を思い返したとき,一度もスカートを履かない一年だった。毎日自分らしい自分で居続けた私だったが,一度もスカートの日がなかったというのが過去にもなく,私を取り巻くジェンダーの圧から解放が進んだ1年になったのではないかとハッとした。せっかくなので,私の好きな格好について自ら解剖するように掘り下げてみる(ただの自分語り長文)。

『私』というスタイル

身長168cm,20代前半,女性。基本毎日すっぴん(スキンケアは手抜きなし),色白マット肌(荒れやすい),直毛ワンレンロングヘア(清潔感しっかり),骨格ウェーブ,パーソナルカラー夏。常に左耳に3つ,右耳に1つ小さな14Gピアスと細くて短いシルバーのネックレスを2連付けっ放し。日常的には脚全体を覆ったスキニーデニムとスニーカーと黒ウレタンマスクが定番。トップスはちょっと緩いサイズのシンプルなデザインのメンズものが好き(身長が高いのでサイズを買いやすいのも◎)。色は全身で3色以内,大半は黒,白,紺。2~3着の夏はシャツかTシャツ,冬はフーディーをひたすらローテで着まわしがち。髪型は高い位置でぴっちりとお団子かハイポニー多め。基本的に活動しやすい感じが気に入って高校卒業後ずっとこんな感じ。
まあ,問題とされるのは私が男物ばかり着るという点だ。

私の内面

ここで私の内面についても触れておこうと思う。まず,女らしい女がとても苦手。女特有のの甲高い笑い声や群れる性質,息を吸うようにひそひそと陰口を共有する性質が幼少期からずっと嫌い(いじめのトラウマとも強く関連)。男性的な面が多く,男性の中に混じるのに抵抗がなく親しみやすいともよく言われる。自分のことは女性でも男性でもなくニュートラルな人間として扱われたいし,私自身も他人を性別で区別するのは好きでない。一方で恋愛対象は男性のみだが,日常に恋愛的な出会いを求めることは絶対にない。また,性的な目で見られることに激しい嫌悪感を抱いてしまう。いつもの優しかった男性の顔が一瞬にして目が変わる瞬間とでも言うのだろうか,あれが特に物凄く気持ち悪い。

ジェンダーの圧

ここで元彼と家族によく言われてめちゃくちゃイライラした発言をいくつか紹介したい。
『年頃の女の子なのに女の子らしい恰好をしないなんて勿体ない』
『女なのに男みたいな恰好するな,女なのに男になろうとするな』
『(呆れた顔でため息をつきながら)似合ってない』
『化粧しろ』
『女は女らしく』
『(一緒に,隣にいて)恥ずかしい』
……とまぁ,テンプレなこのような癇に障る発言を,枚挙に暇がないほど頂戴している。ずっと不評である。なんなら元彼にはずっと私の格好のせいで不機嫌になられたことも度々あり,今思い返しても本当にダルい。

『普通の女の子』のコスプレ

私の場合,そもそもの素材が女らしいものだったせいもある。腰が細く,骨格が華奢でなで肩,筋肉が付きにくく体毛の薄い色白の柔らかい肌で,唇はぽってりしている。自分が客観的に見ても女らしい女の体をしていることはよく分かっている。フェミニンな洋服の似合う体も,メイク映えする顔も長い髪も私は持ち併せている。
勧められて過去に幾度かその期待された女の子らしい恰好を装ってみた。普通の女の子のコスプレと思ったら非日常な体験に思えて挑戦できた。
けれどそれは思い返してみても良い思い出とは思えない。
デコルテの下を覗き込む視線,生足を舐め回すような視線,数えきれない不意のナンパ,本当にどれもトラウマになるほど怖かったのだ。明らかによそよそしくなってこちらを見ようとせず,ときどき鼻の下を伸ばしたような当時の彼氏の挙動と表情も分かりやすく気持ち悪かった。いつも軽い冗談を言い合うような関係性の男友達も言葉数が減ってなんだかよそよそしい。後から誰々が私の脚やら胸やら見ていたとかいう話を小耳に挟んだ。注目浴びたがりのうるさい女の子が私が目立つことに拗ねていたらしい。恰好が変わっても中身はいつも通りの私でしかないのに,誰もいつも通りに接してくれないことが心から寂しく悲しかった。少なくとも親しい人間は私の中身を見てくれていると一人で勝手に期待していたみたいで思い違いに恥ずかしくなった。知らない男性から声を掛けられるのも足元を見られている(ナメられている)ようで不快だったし,何よりも足がすくんで恐怖心が大きかった。結局,普通の女の子のコスプレをしてみただけなのにこんなにも男性から不快な対応を受けるとは思っていなかった。それとも普通の女の子はこんなハードモードな日常を通常運転で送っているというのか。少なくとも私はこのハードモードに身を投じ続けることはできないと思った。

的外れな『女性性の解放』

私は決して女性らしいもの全てが嫌いなミソジニストではない。自分自身の女性性を完全に否定したり憎むことは有り得ない。可愛いものや綺麗なものは好きだし,女性性の象徴のような自分の長い髪は愛着で切る気にはならないし,ただあくまで女性的な面も男性的な面もどちらも併せ持つだけだ。ところが『本当は女らしくなりたいという願望を秘めている,もう自分自身を偽り続けないでいいんだよ』と勝手に勘違いな同情を差し向けてくる人種もいるということを言及する必要がある。全く的外れで迷惑な勘違いである。女なら誰しも化粧とスカートとヒールの靴が大好きだと思わないで欲しい。別に女らしくあろうとする女の子を否定するつもりもないし,人それぞれ目指したい方向性があって当然だ。どうせ私は自分の気分と意思で好きな時に好きにそれを装うから,自分で選択するから。余計なお世話は要らない。

自分らしい自分


LGBTQやジェンダー論が数多く議論されている昨今だからこそ,自分自身のファッションについて考えることが多くなったと思う。令和という時代はこれまでになく性別の壁が取り払われつつある。男性で可愛い女の子になりたい願望は支持を集めるのに,なぜ私が多少男っぽくありたいという欲求が周囲から否定されなければならないのだろうと憤慨して思わずこれほど自分語りしてしまった。まあこんな感じで正直一種の社会的抑圧を受け続けているが,自分のスタイルを変えるほどの説得力は周囲にないので気にせず生きていくつもりだ。

好きな自分でいる。シンプルに絶対そっちの方が心地いい。


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