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オープンチャット1日目記録(4/3)

【オープンチャット企画について】自粛自粛の世の中で、不要不急の話が聞きたいと思って、友人に愛についてトークさせたところ、結構面白かったので、誰でもリアルタイムで閲覧できるようにLINEで公開することにしました!

以下のURLより参加できます。
https://line.me/ti/g2/jZfV377lwdofLjA43_DRcQ?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

参加者は閲覧のみをお願いしてますが、ノートにご意見ご感想など呟くことができます。

トークでは、田村優依(ガチ文系)・萩谷至史(ガチ理系)、そして私りりせ(どちらでもない)が参加しております。オープンチャットのタイトルは<愛>。ゆるりと始まった企画はどこへ向かうのでしょうか。

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1日目スタート

りりせ:ここの3人グループラインやったらきっと楽しいので作ってみた

りりせ:何を話すのか知らんけど笑

萩谷:いつも2人は何話してる?

りりせ:愛について

萩谷:なるほど、話終わるまでに少なくとも2000年はかかりそうなやつだ笑

りりせ:2000年生きよう

萩谷:愛に生かされる

田村:私はゴリゴリのクソ人文系なんでアレですけれど、萩谷さん理系なんで聞きたいのですが、愛って何かしらで証明できるもんなんですか、、、てか、そういうような学術分野なんてあります???なんていうか、私、理系の学術とクソ人文系をくっつけること可能だと思うんですよね……

田村:なんかね、このニュースを聞いてすごくワクワクしちゃって https://mainichi.jp/articles/20200403/k00/00m/040/093000c

萩谷:これワクワクしますよね。いまちょうど、次の作品のためと自分の興味で数学について調べてたりするんですけど、数学者って世界をつくってる感じがしてすごい。

萩谷:「愛」を証明するには、やっぱり定義からしなきゃいけなくて、多分そこは人文も自然科学も同じかもですね、、、!

田村:なんか、私の勝手なイメージだと数学者ってこの世界を全て数字で説明する(=人文だと言葉)人たちだと思ってたんですけど、世界をつくってる感じってどういう感じでしょ、、気になる。ぎゃーーー沼ですね、、、そもそも定義ができん……

萩谷:数学って言語の一つのだと思っていて、例えば
「1つのものと1つのものが目の前にあったら、そこには2つのものがある」
と「1+1=2」
と「There is a thing and there is a thing. This means there are two things」
は、同じことが違った言葉で説明されているだけなんです。
群論って数学の分野があるんですが、そこでは+とか×とか自然数すらない原初の世界があって、それから、+とか自然数とかを定義していくんです。なんか、子供が言語を獲得して世界を発見していくプロセスに似てるなと。その、世界のパースペクティブを作り出すって意味で、つくるって言葉を使った気がします。

萩谷:愛をホルモンの放出量とかで定義できたら生物学的に定量できるんですけどね笑 今、気になったんでちょろっと検索してみたら、ホルモンとか神経系で愛について書いてる論文ありました! https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4911849/

田村:あーーなるほどなるほど、人文学でいう「世界」を「分節」するみたいなことですね・・・!

萩谷:「世界」を「文節」にするってどういう事ですか?気になります!

田村:「世界」にあるもの、例えば蝶が飛んでいるとして、その蝶を知らない人々は動いているから「生き物」であると考える→では「生き物」だけれども「動物」でといっても「節足動物」に属するものだと考える→「節足動物」の中でもおそらく「昆虫」、、みたいな感じで、いわゆる言葉による「名づけ」をすることが人文学な気がしていまして、「名づけ」というのは言い換えれば「定義」であるので…

田村:うちの学校の研究科なんかのテーマは「世界を分析せよ、そして世界を記述せよ」なんですが、
この「世界」は元々カオスだから、それを何かの基準によって規律を与え秩序を与える、つまりそれが「定義」であり、けれども名付ける人によって使う言葉は違う→その人独自の「名づけ」が蓄積していくわけで、そうすることによって秩序立てられたその人自身の「世界」が生まれてゆく。

萩谷:なるほど、そう考えると、言葉ってすごく重要ですね。世の中の事物に対して輪郭をつけていく感じ。田村さんは田村さんで世界の分節化の方法=名付け方を持っているということですよね。そこを「分節する」って言葉を使うのが面白いです。

田村:そして、この「世界」における全てを言葉で説明しようとしたのが本来三島由紀夫だったのだと私は思っております…… 

補足:田村は現在上映中の映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観に行った話を、萩谷と初めて会った日(3/20)にしています。三島由紀夫が言葉で闘おうとして、最終的に自死に至った記録のドキュメンタリー映画です。映画情報・予告編はこちら→https://gaga.ne.jp/mishimatodai/

だから、みんな使う言葉が違くて、なかなか意思疎通が難しいのだと…そもそも名付けを全然しない人もいますしね…

萩谷:そこに三島由紀夫が繋がってくるんですね、、、!そこの挫折が、先日おっしゃってた楯の会なんかに繋がってくる感じですか?言葉の違いって、厄介ですよね。同じ日本語使ってても、コンテクストで意味が違うから。そもそも、それが言葉の存在意義なのかもしれないですけど。

田村:というか、三島自身おそらくその辺の現実の行動と言葉がガッチリ繋がっていないような気が私もしていて、、行動で「革命」しようとしていたのに、最後演説で「言葉」で説得しようともしてる、「言葉」の力を信じているんですよね

萩谷:最近「サド」と「マゾ」について論じた本を読んだんですけど、その本だと、性的な意味を含む全体について

サド:単一の理想に向かっていくこと
マゾ:個別の現実に対応していくこと

って言ってて、僕はそれを読んだ時に、作品のことを考えてる自分はサド的で、稽古場とかにいるときはマゾ的だなって思ったんです。だから、自分はサドとマゾを行ったり来たりしてるなと。
今話してて、三島は楯の会でマゾに振り切ろうとしたけど、最後までサド性=単一の理想というものを脱出できなかったのかな、なんて思いました。

田村:三島は『サド侯爵夫人』とか書いてますし、意識してたとこはあるのかも。

萩谷:確かに『サド公爵夫人』のこと、今言われて気づきました笑

田村:私的に、「言葉」だけで闘っているのが蓮實重彦先生だと思ってるんですけど、、蓮實重彦の「表層批評宣言」で、言葉というのはどうしても「制度」=システムに縛られてしまうから、言葉を限りなく出し尽くして言葉自身にその限界を吐き出させることで「制度」を壊すと言ってまして

萩谷:言葉自身にその限界を吐き出させることで「制度」を壊す、、、それ、いいですね。言葉って、制度に縛られるし、時に制度そのものになったりしうるから。
演劇でポストドラマ演劇が好きなんですけど、その理由が、テキストの言葉と俳優の言葉(と、この場合は肉体を含みますが)によって既存の制度を壊すことができるからなんです。だから、その考え面白いと思います!

田村:あ、おそらくその演劇の考え方と、同じようなことなのだと思います。
既存の制度を限界まで酷使して制度自体に「この制度は限界だ」と告白させる、それを目指してるのだと思います。

萩谷:気になったので、さっき本買いました。演劇にも日常の思考にも凄く役立つ気がして!

田村:さすがです!!ただ、実際に本文で上記のようなことをやろうとしてるので、1文が10行くらいあるヤバい本になってます。

萩谷:そういうヤバさ好きです笑 言葉で説明するだけじゃなくて実際に試行するって、徹底してて、感覚的にもなにか理解できるものがありそう。

田村:ぜひ……!!!!

萩谷:読んだら一つ深いところでシステムについてここで話せる、と、信じてます。


次回に続く…

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