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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~

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#この街がすき

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第13回 愛され食堂を後にして

(つづき)一方の春雨鍋はというと、牛肉、白菜、長葱、えのき、木耳(きくらげ)と具だくさんで、これまた体にやさしい一品である。苦手な香菜は取り除かせてもらったが、水餃子諸共(もろとも)、これもちょいちょい醤油を付けて美味しくいただいた(欲を言わば、ポン酢でも食べてみたかった)。栄養バランスが良くて、お手ごろサイズ。こんな素朴な鍋料理が、中国一人旅にはちょうどいい。砂鍋(シャーグオ)の美味しい店に出会うと、旅行中の食事がぐっと楽しくなる。以前、ずっと内陸の甘粛(かんしゅく)省天水

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第16回 過激にアバンギャルドな!? 常州仏閣図鑑

(49)近年中国では、うなる人民元を投じて、お釈迦さまも達磨大師もビックリの宗教建築が全国各地に出没している。雨後の笋(たけのこ)のごとく、覇を競うがごとく。そう、試みに無錫霊山大仏、宝鶏法門寺、南京牛首山と検索してみてほしい。出てきた画像のその破格のスケールと奇抜な外観に、我邦の善男善女ことごとく喫驚するだろう。山を削り、地を開き、金ピカ御殿を建ててしまう。どうしたらこのような資金が調達できるのか不思議でならない。最初はぼくも、本当にこの世の景観かと目を疑ったものである。二

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第23回 続・B級旅行者のたくらみ

(70)ここまでくると話は早い。ぼくはさっそく適当な中国地図をプリントアウトして、上海・常州・荊州・武漢の四都市をプロット。蛍光ペンでコースをなぞり、配色をほどこした。眺めれば眺めるほど、良きアイデアに思えてきた。あとはエクセルで作った旅程シート(中身はブランク)に、移動・観光・宿泊・食事などのイベントをフリーハンドで書き込んでいき、ときに所要時間や訪問順を調整しながら、旅の大まかな流れを作っていった。参考にしたのは、日本と中国の観光案内書や古本、口コミサイト、ブログ、動画サ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第26回 グッバイ 常州!

(83)明けて土曜日の早朝である。常州駅の待合室は一つ。片隅にこぎれいなパン屋が営業中で、ぼくはそこでウインナーロールをもとめて食べた。レジ隣のショーケースには、美味しそうなジェラートも売られていた。朗姆(ラム)、抹茶、草苺(ストロベリー)、巧克力(チョコレート)、紅豆栗子(あずきマロン)、芒果(マンゴー)と6種類、カラフルな光彩を放っている。一カップ32元と値は張る。品名には英字名が添えられていて、抹茶冰淇淋(アイス)には、Green tea ではなく、Matcha ice

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第28回 週末の三国名城クエスト

(07)新北門から城内に入り、そのまま城壁沿いを西へ走る。緑濃き素朴な景観と城壁の組み合わせに、なんとなくアスレチック要素多めの、ワイルドな印象を受ける。そういえば中国の街には珍しく、到着からここまでの周辺環境にものものしい政治的アイコン(党や市政府のスローガンなど)をあまり見かけない。だから、この初見の地方都市にいっそう腕白な性質を感じてしまうのかもしれない。クルマは三国公園なる庭園にさしかかり、そのまま園内の池のふちを走る。しっとりと落ち着いた、古都らしい眺めである。

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第43回 荊州の古塔と天女1号

(52)つづいて長江沿いの公園、万寿園に到着。お目当ては二つある。全国重点文物保護単位に指定される明代の塔、そして長江である。喜び勇んでクルマを降りてみると、そこに麗しき女神が舞い降りた。からころも、否(いな)しろたへの。いや相応(ふさわ)しい言葉が出てこない。なにしろ湖北省の旅先である。伝説の巫山(ふざん)の神女ではないかと目を疑った。漢服というのか唐服というのか、ともかく白地の時代劇風衣装に身を包んだその黒髪の女子は、幅広のゆったりとした袖(そで)や裾(すそ)をなびかせな

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第46回 鉄女寺の参拝者たち

(59)昼の栄養補給を済ませ、三たびタクシーを拾う。荊州には地下鉄が存在せず、また今回の我が旅程には「ゆとり」がない。せわしないがタクシーばかり利用する。昨日の民主街(ミンジュージエ)と賓興街(ピンシンジエ)につづき、これより城内の三義街(サンイージエ)に潜入する。例によって、あらかじめ中華地図アプリや谷歌地球(グーグルアース)をたよりに、散策に適した古い街並みを探し当てていたのである。クルマは昨日訪れた荊州博物館付近で停車。運賃は10元だった。荊州中路(ジンジョウジョンルー

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第48回 陋巷と云うなかれ ─観音庵巷にて─

(64)日は天高くから光を注ぎ、裏道の南半分を陰、同じく北を陽となしていた。当然どこを歩いても、家々の洗濯物が北側いっぱいにひるがえっている。三義街を東に折れたその一帯は観音庵巷(グワンインアンシアン)という。リヤカー、オート三輪、バイク、自転車、植木、ひなたぼっこ用の椅子、パラボラアンテナ、モップ等々。他にも名状しがたい、さまざまな生活用品が道端に置かれていた。どのお宅も、玄関前が内庭のごとき構えである。また小さなブランコ風の遊具があったり、お風呂用おもちゃのヒヨコが洗濯物

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第50回 得勝街の廃屋とみんなのうた

(70)ひとしきりコミック由来の妄想を繰り広げたのち、ぼくはBS旅番組に出てくる役者のように、城壁の上で一応物思いにふける旅人のふりをしてから、おもむろに地上へ戻った。そして二重構造の城門を過ぎ、目の前の新橋で堀を渡り、それから城外の得勝街(ドーションジエ)を北に向かった。谷歌地球(グーグルアース)で確認したところ、大北門の外にも民居の集合地帯が見えたので、ちょっとそれを覗いてみようというわけである。城内と比べると、視界を遮(さえぎ)るものが少なくて見晴らしが良い。城壁を隔て

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第53回 わが武漢日記のプロローグ

(01)車内で確認した最高速度は、時速195公里(キロ)。当代のキント雲ともいうべき夢の超特急は、西方の客をのせて江漢平原をひた走った。うねうねと蛇行して流れる漢水(長江の支流)をいくたびか越える。ぼくは少し眠った。 (02)武漢は湖北省の省都である。長江と漢水の恵みに育まれた中国有数の大都市で、人口は一千百万人を超える。都市のあらましや歴史については、維基百科(ウィキペディア)または百度百科(バイドゥーバイコー)を参照していただくとしよう。夏季の高温多湿はつとに有名で、重

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第55回 税関博物館で考えたこと

(11)ホテルで背包(バックパック)を下ろしたのが、午後6時15分。周辺地理を確認してから外に出ると、あたりはもう暗くなっていた。徒歩5分で、ふたたび江漢関大楼(ジアンハングワンダーロウ)を訪れる。じつは、この歴史的建築はいま旧税関博物館となって租界時代の文物を常時展示している。口コミ評価が高く、入場無料。しかも夜20時まで開館というからありがたい(ただし2020年以降は17時閉館)。せっかく漢口に泊まるのだから、まずは租界の歴史をお勉強しましょう、ということで、薄暗い横っ手

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第58回 武昌へGO! 長江の渡しは24円

(22)明けていよいよ旅の四日目。早朝から動きまわるつもりが、8時15分出発と出遅れた。日の出から日没まで、明るい時間を有効に使わなければ。というわけで、さっそく朝の武漢を歩いてみよう。 (23)はじめに長江をフェリーで渡る。これは漢口と武昌とをむすぶ、市民の通勤の足である。運賃は1.5元(約24円=当時)。朝6時30分から夜20時まで、日に41本の便がある。ちなみに江漢路(ジアンハンルー)そばのホテルを選んだのも、このフェリー乗り場に近いことが決め手である。沿江大道(イエ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第59回 恋とコーンとほっとステーション

(26)遡航(そこう)15分ほどで、対岸の武昌・中華路碼頭に接岸。船を下りると、黄鶴楼(こうかくろう)に向かって東へ歩く。通りの名を中華路(ジョンホワルー)という。そしておよそ100米(メートル)進んだ地点で、われらが羅森(ローソン)を発見。おっとイートイン席がある、ならば朝食を摂ろうと迷わず入店。レジ横のホットスナックが充実しており、さっそく良い感じである。焼き鳥にチキンカツ、熱狗棒(ホットドッグ)、魷魚(いか)の串焼きのほか、陝西風ハンバーガーとして知られる肉夾饃(ロウジ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第70回 武漢の人気書店で考えたこと

(59)最後にもう一軒。それは、口コミで高評価を得る話題の本屋で、今回の旅で初めて訪れた武漢だが、本好きとしては「ぜひ遊びに行きたい」と狙いを定めてやって来た。 (60)名を「物外(ウーワイ)書店」という。物外とは、俗世間の外という意味だそうだ。1936年落成、旧大孚銀行の洋館である。書店開業は2015年、以前は武漢市図書館の施設として利用されていた)。中山大道(ジョンシャンダーダオ)と南京路(ナンジンルー)の交差点に面し、ライトアップされたその偉容は、夜の闇に圧倒的存在感