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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第28回 週末の三国名城クエスト

(07)新北門から城内に入り、そのまま城壁沿いを西へ走る。緑濃き素朴な景観と城壁の組み合わせに、なんとなくアスレチック要素多めの、ワイルドな印象を受ける。そういえば中国の街には珍しく、到着からここまでの周辺環境にものものしい政治的アイコン(党や市政府のスローガンなど)をあまり見かけない。だから、この初見の地方都市にいっそう腕白な性質を感じてしまうのかもしれない。クルマは三国公園なる庭園にさしかかり、そのまま園内の池のふちを走る。しっとりと落ち着いた、古都らしい眺めである。

(08)荊州という城市(まち)について、簡単に説明しておこう。湖北省荊州市、かつて魅惑の長江文明が栄えたこの地には、戦国時代に楚国が建てられて以降、交通の要害としてたびたび争奪戦の舞台となった。ちなみに日清戦争後に開市・開港された沙市は、現・荊州市内にある(1895年の下関条約による。だが結局、夏期の増水時にそなえて大規模な護岸工事が必要とされたため、日本はこの地に領事館や数社の企業事務所を置いただけだったという)。前世紀の戦時下にも、日本陸軍はここ荊州の港湾を占領した(当地を唄った「沙市夜曲」という歌も残る)。現在は人口647万人の都市である。荊州といって特筆すべきは、三国志の英雄、関羽の築いた城が、再建をくり返して今なお、城壁と城門を残していることである。日本人のあいだで荊州の名を比較的有名にしているのも、とりもなおさず、ほぼ三国志の影響といってよいだろう。約10米(メートル)の厚みをもつ城壁が、9公里(キロ)余りにわたって旧街区を取り囲んでいる。常州と同じく、国家歴史文化名城の一つであるが(対象区域は荊州市荊州区)、指定は当制度が施行された1982年ということで、つまり真っ先に「殿堂入り」を認められた、天下の名城なのである。歴史的・記念的価値の上で、つい最近追加された常州よりも格上というわけだ。さあ、奇書『三国志』を知る読者もそうでない方も、ぜひご一緒にいまどきの荊州城をグイグイ探訪していただきたいと思う。

(09)クルマに揺られること約15分で、西門前に到着した。あたりは何ともいえずのどかで、周囲の時間進行とまったく同期していないような雰囲気がある。門はさすがに立派だ。荊州城西門、正式には安瀾門という。現地の説明書きによれば、清の乾隆年間、1788年に長江の堤が決壊、門が崩壊したのちに再建されたものだという。城壁の高さは高さ9米ほど。規格化された石を精緻(せいち)に積み上げた、動かしようのない建造物に見えるが、こんな堅牢なものさえ長江の水は押し流してしまうのか。にわかに信じがたいことである。現在、城門付近には信号機が取り付けられ、歩行者やクルマが順番に往来していく。公交車(バス)が城門の内側ギリギリを攻めてやってくるかと思えば、三輪オートみたいな旧式のクルマが商売道具をいっぱいに載せて、バタバタと音をたてて通過していく。門の内側は歩道と車道の区別がないので、歩行者はちょっと危なっかしい思いで通行することになる。

下車地点。左に西門がそびえる。
ひなびた雰囲気は残しつつ、しっかり環境整備された門周辺。
さあ、ここから2日間の荊州クエスト。プレイ開始!

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