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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第58回 武昌へGO! 長江の渡しは24円

(22)明けていよいよ旅の四日目。早朝から動きまわるつもりが、8時15分出発と出遅れた。日の出から日没まで、明るい時間を有効に使わなければ。というわけで、さっそく朝の武漢を歩いてみよう。

(23)はじめに長江をフェリーで渡る。これは漢口と武昌とをむすぶ、市民の通勤の足である。運賃は1.5元(約24円=当時)。朝6時30分から夜20時まで、日に41本の便がある。ちなみに江漢路(ジアンハンルー)そばのホテルを選んだのも、このフェリー乗り場に近いことが決め手である。沿江大道(イエンジアンダーダオ)を100米(メートル)ほど進むと、とある沿道の建物からラフな格好をした人たちがバイクや自転車で続々と飛び出してきた。咥(くわ)えタバコのおっさんも、愛車にまたがり登場だ。そう、此処(ここ)が埠頭である。しばし下船集団をやり過ごしてから、ぼくもその建物をくぐり、船着き場へと向かう。水面がキラキラと光る雄大な長江と、向こう岸の高層ビル群のシルエットが前方にあらわれた。これは朝から気分が上がる。堤防の長い長い下り坂を真っすぐ進み、いよいよ乗船。フェリーは一階がバイク車両、そして二階が客席という区分で、やはり混雑しているのは一階である。商用のどでかい荷を積載する人も多い。中には建築資材であろう鉄パイプ、長さ3米強のスゴいやつを数十本、バイクにくくりつけた猛者もいる。おっかないなあ。さっそく階段を上って避難する(二階はガラガラだ)。船はまもなく出航した。デッキに出ると、中年の男たちが数人、先客として其処(そこ)にいた。長江は、幅約1公里(キロ)。対岸の目的地、中華路碼頭(ジョンホワルーマートウ)は乗船地点より2.5公里ほど上流なので、フェリーは遡航して進む。後方には白波。空は抜けるように青く、長江はとことん濁っている。微細な泥を多量に含んだ、喩(たと)えようのない色味である。これが波の加減のせいか時おり空色をほのかに滲(にじ)ませて、さらにえげつなく見えたりする。嗚呼(ああ)、これが武漢をつらぬく長江か。これが古来より武漢人が眺めてきた、母なる長江なのか。リアルな光景はグロテスクだが、旅先でもたげる感慨はひとしおである。男たちは電話をしたりデッキの手すりにもたれたり、腕組みしながら東西のビル群を見つめていたりする。乗船した江漢路が遠ざかっていく。そのうちに、昨夕車内から目撃した晴川橋が右手にあらわれた。それから、付近の小高い山の上には漢陽のテレビ塔、そして船の進行方向には、彼(か)の名高き武漢長江大橋が見える。この橋は、東の武昌側は蛇山(ださん)、西の漢陽側は亀山(きざん)という両座の丘陵地にひょいと架けられている。1957年に旧ソ連の協力で完成した二層の桁橋で、全長1670米(水上部分は1156米)。車やバイクが上層を通行し、鉄道が下層を走る。自転車やバイクをよけながら、歩いて渡ることもできるという。それと此処(ここ)からはやや遠いが、橋の先に見える漢陽の長江沿岸にも、やはり高層ビルがニョキニョキと林立している。やはり大都会である。

(24)漢口、武昌、そして漢陽。これを合わせて武漢三鎮と呼ぶ(鎮とは町の意)。長江と漢水によって分かたれた三地区は、まるで生来の好敵手であるかのように激しい拡張合戦をくりひろげている。武漢は膨張している。昨晩は博物館の展示でそのことを歴史的に確認したわけだが、ぼくはこの時、船上の大パノラマからもそう感じ取った。何でも見てやろうとは思っていたが、今回はあまり散策エリアを広げることなく、気になる場所を絞って歩いたほうが良さそうだ。そして、今回の旅では予定していた漢陽散歩をパスすることにした。

  武昌 朝(あした)に望めば厳(おごそ)かに
  日は出(い)ず 正に東湖の上
  超黄濁(こうだく) 長江は浄(きよ)からず
  㠝岏(さんがん)として 大厦(たいか)重なる
  *原詩「望秦川」 秦川朝望迥 日出正東峰 遠近山河浄 逶迤城闕重

元ネタは盛唐の李頎(りき、690─751)の詩で、『唐詩選』『三体詩』所収。

(25)さて、誠に余談であるが、新型コロナによる武漢封鎖時(2020年)に大々的に報じられた火神山医院、すなわち市政府の号令で急遽建設されたあの専門病院の地は、その漢陽の郊外にある(現在地からは20公里=キロメートルの隔たりがある)。ついでにマニアックなスポットを紹介すると、その病院から数百米の距離にあるのが、『列子』や『呂氏春秋』に登場する鐘子期(しょうしき)の墓である。春秋時代の故事だが、晋の大夫で琴の名人、伯牙(はくが)という男がいた。彼が弾く琴の音(ね)を聴き、ただちにその真意を当てて意気投合したのが、楚の鐘子期その人である。鐘子期が亡くなると、伯牙は理解者を失ったと嘆き、そのあと琴を弾くことがなかったという。これがすなわち「断琴の交わり」と「知音」(=親友)の語源である。覚えておいでの方も多いだろうが、2008年の映画「赤壁(レッドクリフ)」で、金城武扮する諸葛亮と、梁朝偉(トニー・レオン)扮する周喩、この主役級の二人が突如古琴のセッションを始め、合戦前の心中を明かし合うなんて場面があった。よくよく漫画的で突飛なあのシーンも、きっと伯牙と鐘子期の逸話を踏まえた演出なのだろう。さて、現在の武漢市蔡甸区五賢路に、その鐘子期の墓はある。地下鉄4号線の駅から2.4公里という立地だから、最寄り駅というにはやや遠い気もするが、この駅名も故事から採ったものとみえる。その名も知音(ジーイン)駅という。こんなにも渋くて味わい深い、超古典的なネーミングが他にあるだろうか。

改札後、乗船地点まで長い坂を下る。
下から見上げるとこんな感じ。
船内1階はバイク客がほぼ占拠する。
2階客席。ほとんど1人客。居眠りしたりスマホをいじったり…
デッキから武昌方面を望む。
下船地点付近から武漢長江大橋と漢陽・亀山の電視塔。今日も快晴。
中華路碼頭に到着。No lying down, No Fishing, No swimming の注意書きも。
切符売り場。夜は観光船も出航する。

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