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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第59回 恋とコーンとほっとステーション

(26)遡航(そこう)15分ほどで、対岸の武昌・中華路碼頭に接岸。船を下りると、黄鶴楼(こうかくろう)に向かって東へ歩く。通りの名を中華路(ジョンホワルー)という。そしておよそ100米(メートル)進んだ地点で、われらが羅森(ローソン)を発見。おっとイートイン席がある、ならば朝食を摂ろうと迷わず入店。レジ横のホットスナックが充実しており、さっそく良い感じである。焼き鳥にチキンカツ、熱狗棒(ホットドッグ)、魷魚(いか)の串焼きのほか、陝西風ハンバーガーとして知られる肉夾饃(ロウジアモー)もある。これは煮込んだ豚や羊をパンの一種に挟んで食べる、西北のソウルフードである。国際色豊かに見える半面、すっかり現地化が進んでいるなとも気づかされる。さらに隣の中華まん什器に目を向けると、なんと15種類以上のラインナップ。ケース内の饅頭(マントウ)類は色とりどりで、洋菓子のマカロンを想起させるほど(ただ少量多品種のため、仕込み作業が大変そうだ)。ぼくはさっそくこれを試したくなり、鮮肉大包(シエンロウダーバオ)、蝦仁包(シアレンバオ)、香菇蔬菜包(シアングーシューツァイバオ)の3種を1個ずつ買う。合計9.8元(約156円=当時)。さっそく着席して食べてみる。まずは蝦仁包だが、湯葉にくるまれたエビが、なぜか豚肉という最強助っ人とともに放り込まれている。両種の肉汁が贅沢に溶けあう画期的な味である。これは美味い。さすが4.8元(約76円)もするだけのことはある。次なる香菇蔬菜包は、賽(さい)の目になった椎茸と菜が入ったシンプルなもので、中身は白い皮生地をもほんのり染める緑一色(リューイーソー)である。主食の地位にありながら、あえて脇役を買って出る、いぶし銀な奴といったところか。パンチの利いた定番の中華まんを好む日本人には物足りないかもしれないが、中国人には確実にウケそうな一品だ。最後に食した鮮肉大包は、豚肉にタケノコを加えて濃いめに味付けしたもので、ごくオーソドックスな肉まん。もちろん満足度は高い。やはり日系便利店(コンビニ)の安定感は捨てたものじゃない。陳列棚を見渡したところ欠品も少ないようだし、卓子(テーブル)は清潔である。武漢羅森、なかなかいいね。そう独りご機嫌でいると、そこへおとなしめな若者が一人、手ぶらで店に入ってきた。レジの前で、ぼそぼそ声で店員と話している。彼は何か言いつけられて、ぼくのそばに座り、渡された書式に何やら記入し始めた。そのうち、経理(マネージャー)らしき女性もやって来て、そのまま向かい合って着席した。そう、イートイン席でスタッフ候補者の面接が始まったのだ。まず、男の子がおずおずと希望時間帯を申告した。それならと、一日百何十元で(これが果たして何元だったか、ここはぼくのメモが抜けている)、月で幾ら幾ら稼げるから、それでいいわね? と女性が早口でどんどん話を進めていく。おとなしい彼は、ほぼ頷(うなづ)くのみだ。相席のぼくは鮮肉大包をモグモグやりながら、彼の顔をのぞいてみた。歳は二十歳手前か。朴訥(ぼくとつ)とした、真面目そうな横顔だった。どこかの誰かさんみたいに、ゲームに熱中して仕事をサボるようには見えなかった(第5回「アプリ駆動! 常州散策スタート」参照)。さあ、そのうちにぼくも中華まん3個を平らげ、出発の準備が整った。どうかな、この子で決まりかな。頑張ってどんどん稼ごうぜ。そう心のなかでエールを送り、ふたたび中華路に出た。

(27)続けて歩道を進んでいくと、妙齢の女子が一人、トウモロコシにかぶりつきながら向こうから歩いてきた。小ぎれいな格好をした、ロングヘアの美人である。彼女は真顔で獲物をアグアグしながら、天下の往来を闊歩(かっぽ)している。街中のドッキリ企画ではないが、軽く衝撃的な図にビビりながら思う。ちょっとワイルドすぎやしませんか、お嬢さん。そこはせめて食パンにしませふ。よもや、トウモロコシ片手に「行ってきまーす」と家を飛び出してきたのではあるまい。出勤途中で買い求めたのだろう。しかし、縁日でもビーチでもない。そう繁華でもないが、此処(ここ)はれっきとした大都会の一角だ(埠頭付近だから東京なら新橋・浜松町といったあたりか)。たとえば、食パンを口にしたまま少女が通学路を駆け出し、運命の男の子とぶつかったあげく恋に落ちるというのが、わが国の少女漫画のよくある形らしいが、もしかしたら中国・武漢でこれに代わる恋の小道具は、他ならぬ玉米(ユーミー=トウモロコシ)なのかもしれない。まあそんな連想はともかく、二十一世紀になっても中国各地で遭遇する、かようにシュールな小景には、なにかこう旅人の心をして鳥山明の「ドクタースランプ的」異世界へと誘(いざな)う、一種の魔力が潜んでいるように思う(誤解を恐れずにいうと100%純粋にギャグっぽいのだ)。もとより中国を旅すると、思わず絶句したりツッコみたくなる出来事・光景にたびたび出会うのだけど、実際にはその時の気分や都合、あるいは自分の経験値(慣れや飽き)とマイブームに応じて、ぼくは時々刻々と日中間ギャップを受け流したり、嬉々として拾い上げたりしながら先を急ぐわけである。その点で、いまスタイリッシュな武漢美女(メイニュー)の朝の立ち食い姿が、思いのほかイレギュラーで激烈な印象をぼくに与えたのである(まあ、閉鎖的な住宅地ならば椀を掻き込みながら出歩く人を当たり前のように見かけるのだが)。しかし、このような情景にウケていながら自分で梯子(はしご)を外すようであるが、帰国後にその日の写真をふりかえったぼくは、なんと先の羅森の中華まん什器でトウモロコシが販売されていたのに気がついた(下の画像をご覧ください)。ということは、あそこでは初めから食べ歩きが想定された快餐(クワイツァン=ファストフード)だったのだ。迂闊(うかつ)にも、店内では完全に見落としていた。しかも、これは現地化に邁進(まいしん)する日系企業の推奨商品である。アレレッとなったのは言うまでもない。トウモロコシ女子に遭遇したときの驚愕と、その後の思索・妄想は100パーセント本物である(よって隠しも撤回もしない)。ところが新情報によって、どうもそれが特殊な状況ではなく、ありふれた日常風景なのかもしれないとなると、笑いの質が変わってくる。仮に、ぼくが複数人で武漢を旅していたら、このトウモロコシ現場をおおいに笑って、身内で語り継いだり土産話に仕立てたりしただろう。今でもその平和な街路における珍景を思い出すと、彼女の真顔と行動とのギャップに笑いがこみ上げてくる。しかし、現在のぼくの関心は、そんな笑いの先の共感可能性のほうにある。そう、もし今度中国の羅森に入ったら、である。ぼくは迷わず、トウモロコシを一切れ買って、道端でアグアグやってみたいと思っている。もちろん中華路の彼女のように、何食わぬ真顔で。

「中百」とは地元大手の中百超市。エリアライセンス契約で省内各地へ店舗展開。
味もさることながら売上順も気になる。特にピザまんとカレーまん…
(左)セール中のおでん鍋に、(右)上から蝦仁包、香菇蔬菜包、鮮肉大包。

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