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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第50回 得勝街の廃屋とみんなのうた

(70)ひとしきりコミック由来の妄想を繰り広げたのち、ぼくはBS旅番組に出てくる役者のように、城壁の上で一応物思いにふける旅人のふりをしてから、おもむろに地上へ戻った。そして二重構造の城門を過ぎ、目の前の新橋で堀を渡り、それから城外の得勝街(ドーションジエ)を北に向かった。谷歌地球(グーグルアース)で確認したところ、大北門の外にも民居の集合地帯が見えたので、ちょっとそれを覗いてみようというわけである。城内と比べると、視界を遮(さえぎ)るものが少なくて見晴らしが良い。城壁を隔てた城内の北隅だってそれはまあ鄙(ひな)びたものであったが、それに輪をかけてというか、こちらはむしろ「田舎」の表情をしている。素朴な切妻のレンガ家屋が主体である。中には、安徽省黄山あたりの特色ある古民居みたいに、立派なうだつが上がる白壁の住居も見られる。横からのシルエットは凸の形で、このうえに黒い瓦を載せている。ご存じのように、うだつは防火壁の役割と経済力誇示のために発達した。こちらも、かつて財をなした古い商家だったのだろうか。ただ、そんな好奇心を抱きながら歩き出してすぐに、人通りの閑(かん)なることに気づく。毛沢東の台詞じゃないが、一体どうしたことか。まるで過疎の村みたいだ。理由はすぐに判明した。まだ完全封鎖には至っていないが、すでにこの地区は立ち退きが進行していたのである。レンタサイクルにまたがるアクティブなおばちゃんが、サァーッと横を通り過ぎていった。人影はそれだけである。真っすぐ一分ほど行くと、左手に小高い空き地があり、半壊した家が一軒、ぽつんと残されていた。其処(そこ)は草原(くさはら)で、ずっと奥まで見通すことができた。家の向こうは、ただ青空が広がっているだけ。ぼくは立ち止った。広範に散乱した瓦礫(がれき)と、それを覆う緑色のネットの存在と相まって、その家は草上の現代アートみたいな存在感を放っていた。

(71)その民家のワイルドな実況に、なにか離れがたいものを感じたぼくは、建材飛散防止のネットを乗り越えて、そこに近づいていった(よい子はマネしないでね、と一応書いておく)。そして、一切の家財道具が取り除かれて、窓も扉も外され、床部分は土とガレキが混ざり合い、内部がスッカラカンになっているその家を、内から外から丹念に眺めた。半壊というよりも、七分壊といったほうが正しい。どうしてこんな状態で家が残っているのか不思議だが、考えても答えは出ないし、尋ねる相手がいるわけでもなし。大きさは7米(メートル)四方ほどで、中央は吹き抜けの居間、左右と奥が寝室や炊事場、左右の屋根裏が物置といったところだろう。柱と梁(はり)と屋根と壁。家の外枠だけが、非常に心細い状態で互いを支え合っている。この頼りない構造物を注意深く点検しながら、ぼくはかつて実在した家主の気分で独り悄然としてみたり、逆にかつて大家族が身を寄せ合って暮らしていた様子を想像してみたりした。吹き抜けの屋根には、丸瓦がところどころ欠けている部分があり、当然そこからは温かい日の光が差し込んでいた。屋根はあるけど、もはや無いようなものだ。朗(ほが)らかな秋の風も吹き込んでくる。ぼくは、昔NHK「みんなのうた」で聴いた「へんな家!」という童謡を思い出して、暫時チビだったころの自分と再会した。おそらく同世代のごく一部の読者にしか伝わらないことだろうが、それは子供だけに見えるという、屋根のないフシギな家が登場する歌で、ぼくにとって長いあいだ思い出の海にただよう一曲であった(あとでネット上の情報をたどると、この曲はボサノヴァの名曲「イパネマの娘」や「おいしい水」などで有名な詩人、ヴィニシウス・ヂ・モライスの作品で、80年代の子供たちが聴いていた日本語歌詞も原曲とほぼ同じだそうだ)。とまあ、そんなファンタジーに浸ること数分。どこかで脱線復旧としたいところだが、たまに車両が通りすぎていくだけで、そんな回想を止めるきっかけがない。あたりはしんとしていた。

(72)まあ、再開発もやむをえまい。古都荊州の城は、誰もが認める貴重な遺物であり、一線級の観光資源である。けれども、城外の道路や街区がこのように前時代的では、この街のポテンシャルに見合った都市化の進展や産業振興は見込めない。北部一帯を徹底的に開発しようというのも自然な流れだろう。昭和のプロレスラーの言葉じゃないが、時は来た、それだけだ。この街もまた、変革期にさしかかっている。これから生まれてくる荊州っ子、または移り住んでくる外地の者は、一体どのような街のすがたを目にするのだろう。ぼくは、時間の止まった空き地から遥か遠方の大型クレーンへと視線を移し、当地の壮大な開発計画に思いを馳せながら、ふたたび一本道を北へ歩き出した。

こちらが大北門(拱極門)の甕城。朝夕には物売りが出るのだろうか…
後ろには、先ほど見学した(第49回)朝宗楼の堂々たる姿。
もう一度確認しておくと、左上の赤印が現在地。さらに北上を続ける。
橋上から堀を眺める。東方も高い建物は見られない。
得勝橋のたもとに立派な伝統民居、但し無人。左奥にクレーンが見える。
城外の得勝街から大北門(拱極門)と朝宗楼を振り返る(逆光)。
生活者のほぼ消えた街を車両だけが行き交う。
当の廃屋。今ごろ(2022年)は完全に解体されていることだろう。

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