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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第16回 過激にアバンギャルドな!? 常州仏閣図鑑

(49)近年中国では、うなる人民元を投じて、お釈迦さまも達磨大師もビックリの宗教建築が全国各地に出没している。雨後の笋(たけのこ)のごとく、覇を競うがごとく。そう、試みに無錫霊山大仏、宝鶏法門寺、南京牛首山と検索してみてほしい。出てきた画像のその破格のスケールと奇抜な外観に、我邦の善男善女ことごとく喫驚するだろう。山を削り、地を開き、金ピカ御殿を建ててしまう。どうしたらこのような資金が調達できるのか不思議でならない。最初はぼくも、本当にこの世の景観かと目を疑ったものである。二十一世紀の中国ではごく普通に、ぼくらの常識を超えたものによく出会う。我々日本人のユルい理解や共感にはとても収まりきらない、中国的特色をもった社会と風景。それは、真新しい高層ビルヂングや、資本主義に突き進む人民の皆さんの姿ばかりに留まらない。寺廟もまた時代の半歩先をめざして、とんでもない方向に疾走しているのだ。

(50)ところで、宝塔そばの一角に、大きなカラーパネルがずらりと設置されている。気になったので覗いてみると、これは近年、他の寺廟が潤沢な資金でいかに整備・再建されたかを示す、青空プレゼンコーナーであった。みな圧倒される豪華さである。まず武進大林禅寺の七層の楼閣に驚いていたら、上には上がいた。淹城寶林寺の観音閣は巨大化した蜂の巣みたいなビックリ造形だし、慈山寺の伽藍は外観・内観ともすべて東南アジア風で、方丈の屋根にはそれぞれ金の小塔が屹立する。泰(タイ)式だと説明してあるが、本当にその宗派なのだろうか。また三聖禅寺は、地平線が望めるのどかな環境なのに、その敷地だけ大小殿宇(でんう)が密集して、いかついかぎりである。まるで武闘派豪族の砦(とりで)みたいだ。そして、この寺の境内には、共産党の精神を学習する陳列室まで内蔵されている。むむむ、外側も内側もまったく理解不能だ。しかも、これらは同系宗派の他省の例だろうと思っていたら、どれも常州市内の寺だという。パネルの片隅には小さく「常州佛教撮影図片展」と題してあった。これらのトンデモ物件は、江南の一都市の事例にすぎなかったのだ。はて、一体どこからお金が降ってくるのだろう。一枚一枚写真を見るだけでも胸やけがする。併し、これもリアルな時勢には違いあるまい。どえらいものである。ぼくは、以前観た「空山霊雨」(1979年)という香港映画を思い出した。ある政府高官と江南の富豪が、山奥の名刹の有力な檀家として登場し、寺の後継者問題と秘蔵の経典争いにからんで工作・対決するという筋書きである。彼らは表向き友好的だが、ともに忍びの者を雇い、裏で派手にやり合う。明朝時代を舞台にした、ツッコミどころ満載のアクションものだ。しかし、いまこのようにして中国仏教界のマネーの力を見せつけられると、あの作品を荒唐無稽な物語だと決めつけていた気持ちが、すっと失せていく。嗚呼(ああ)、阿弥陀佛(オーミートゥオフォー)! 余談だが、いま作者の手元に、1980年代中国の新聞・雑誌向け投書記事を集めた辻康吾『中華曼荼羅―「10憶人の近代化」特急』なる本がある。ここに、いみじくもに江蘇省武進県(現・常州市の一部)の自宅建設エピソードが紹介されている。曰く「建設費半分、飲み食い半分」と。すなわち、農村で家を建てたら、材料費や工賃に1,600元(当時のレート換算で約32万円)、職人の飲食費や酒タバコに1,600元を要した、これでは「家は建てられるが食わせ切れない」というのである。四十年前の話とはいえ、そんな土地柄であり、お国柄である。ぼくは153米の塔にお辞儀をして、そっと踵(きびす)を返した。さて、広大な境内をもつ天寧寺であるが、隣接する紅梅公園もまた、広さ37ヘクタールで名勝旧跡の多い公園である。文筆塔という有名な塔が建っているのだが、このときは残念ながら見落としてしまった。なんと、天寧寺よりもさらに古い五世紀、南北朝時代創建の(今は無き)太平寺に建てられた塔で、塔じたいは清の光緒年間に再建されたという。滞在時間は約40分。ぼくは天寧寺を退出した。ふたたび拝もう。阿弥陀佛(オーミートゥオフォー)!

大林禅寺「2017年、寺の档案(アーカイブ)室が江蘇省から五つ星指定」
慈山寺のパネル。このような様式に対応できる建築業者もスゴい!
三聖禅寺。千手観音に祈り、全人代精神を学び・・・詰め込みぎみな施設である。
建国70周年ということもあり、境内には共産党関係のパネルも目立つ。
見学を終えて振り返ると「新時代を後押しし、共に築こう中国の夢」のスローガン。

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