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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~

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#武漢

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第53回 わが武漢日記のプロローグ

(01)車内で確認した最高速度は、時速195公里(キロ)。当代のキント雲ともいうべき夢の超特急は、西方の客をのせて江漢平原をひた走った。うねうねと蛇行して流れる漢水(長江の支流)をいくたびか越える。ぼくは少し眠った。 (02)武漢は湖北省の省都である。長江と漢水の恵みに育まれた中国有数の大都市で、人口は一千百万人を超える。都市のあらましや歴史については、維基百科(ウィキペディア)または百度百科(バイドゥーバイコー)を参照していただくとしよう。夏季の高温多湿はつとに有名で、重

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第54回 Retroticが止まらない!? 漢口風景

(07)今日のホテルは、錦江之星旅館(ジンジアンジーシンホテル)・武漢江灘歩行街店。このあたりは漢口地区の古い繁華街で、戦前はイギリス・ロシア・フランス・ドイツ・日本と五カ国の租界が開かれた場所である。当時の洋風高層建築が今でも数多く保存され、ザ・近代史の舞台といった雰囲気が色濃く感じられる。そう、上海随一の夜景スポット、外灘(バンド)周辺のようなエリアである。日本のテレビに取り上げられないのが不思議なくらい素敵な場所だ。まあ、彼らが大勢のクルーを擁して訪中するとなると、やっ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第55回 税関博物館で考えたこと

(11)ホテルで背包(バックパック)を下ろしたのが、午後6時15分。周辺地理を確認してから外に出ると、あたりはもう暗くなっていた。徒歩5分で、ふたたび江漢関大楼(ジアンハングワンダーロウ)を訪れる。じつは、この歴史的建築はいま旧税関博物館となって租界時代の文物を常時展示している。口コミ評価が高く、入場無料。しかも夜20時まで開館というからありがたい(ただし2020年以降は17時閉館)。せっかく漢口に泊まるのだから、まずは租界の歴史をお勉強しましょう、ということで、薄暗い横っ手

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第56回 夜の江漢路Walkers

(15)ぼくは煌(きら)びやかな江漢路(ジアンハンルー)歩行街に舞い戻った。長江沿いの沿江大道(イエンジアンダーダオ)から中山大道(ジョンシャンダーダオ)に至る、長さ700米(メートル)ほどの歩行者天国である(なお地図アプリによると、2020年以降の一時期、この通りも工事で通行止めとなっていたのだが、2022年12月現在は全面開放されている)。ホテル入住(チェックイン)前はそのさわりだけを観察、これより徘徊を再開する。道幅は15米強で、まるで真昼のように明るい。歩行者はという

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第57回 漢口の水塔夜景と屋台村

(18)中山大道(ジョンシャンダーダオ)と江漢路(ジアンハンルー)の交差点付近には、漢口水塔とよばれる貴重な近代建築が残っている。1980年代初頭まで漢口の中心街に水を供給していたという、街のシンボルの一つである。清のラストエンペラーの時代、宣統元年(1909)竣工のレンガ積みの建物で、八角六層の高さ41米(メートル)。大正の震災で崩壊した浅草十二階こと凌雲閣(1890年、高さ52米)と同系統の形状であるが、こちらは触れると切れそうなほど角が張り、頑健で骨っぽい外観である。各

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第58回 武昌へGO! 長江の渡しは24円

(22)明けていよいよ旅の四日目。早朝から動きまわるつもりが、8時15分出発と出遅れた。日の出から日没まで、明るい時間を有効に使わなければ。というわけで、さっそく朝の武漢を歩いてみよう。 (23)はじめに長江をフェリーで渡る。これは漢口と武昌とをむすぶ、市民の通勤の足である。運賃は1.5元(約24円=当時)。朝6時30分から夜20時まで、日に41本の便がある。ちなみに江漢路(ジアンハンルー)そばのホテルを選んだのも、このフェリー乗り場に近いことが決め手である。沿江大道(イエ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第59回 恋とコーンとほっとステーション

(26)遡航(そこう)15分ほどで、対岸の武昌・中華路碼頭に接岸。船を下りると、黄鶴楼(こうかくろう)に向かって東へ歩く。通りの名を中華路(ジョンホワルー)という。そしておよそ100米(メートル)進んだ地点で、われらが羅森(ローソン)を発見。おっとイートイン席がある、ならば朝食を摂ろうと迷わず入店。レジ横のホットスナックが充実しており、さっそく良い感じである。焼き鳥にチキンカツ、熱狗棒(ホットドッグ)、魷魚(いか)の串焼きのほか、陝西風ハンバーガーとして知られる肉夾饃(ロウジ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第60回 廉政文化公園の朝

(28)路上にはもう一人豪傑がいた。彼はまだ幼少の身で、身長や容貌から察するにおそらく三歳未満と思われる。頭は丸坊主で、開襠褲(カイダンクー=排泄用に股の部分がぱっくり開いているズボン)を穿(は)いている。旅行中ひさびさに、この開襠褲の幼児に出会った。歩道の後ろを行くぼくの目には、当然彼のお尻がチラチラ見える。そして、この子は歩いているのではない。三輪のキックボードに両の足をのせ、両手はしっかりとハンドルをつかんで、お婆さんに引いてもらっている。カッコいい愛車だね、でも君には

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第61回 甲殻類を食べて黄鶴楼へ行こう!

(30)次にゆくは戸部巷(フーブーシアン)。此処(ここ)は老朽化した横町を明清風の建物に造り変えた、現代の食べ歩きゾーンである。真っ赤に茹(ゆ)でられた名物の小龍蝦(シアオロンシア=ザリガニ)をはじめ、おぼろ豆腐風の豆腐脳(ドウフナオ、豆腐花ともいう)、田螺(たにし)料理、定番の臭豆腐(チョウドウフ)の店、それからジューススタンドといった小店がずらりと並ぶ。みやげ用の菓子折なんかも売られている。観光スポットらしい、ある種のあざとさは感じるものの、このご時世、遊び慣れた中国人の

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第62回 武昌のトラベルビューローから

(35)地上に天下り、解放路(ジエファンルー)。すぐ右折して民主路(ミンジュールー)を500米(メートル)。ふたたび左折し、衣料品店の多い胭脂路(インジールー)を行く。赤い石畳の歩道と豊かな街路樹が特徴的な、どこかモダンな感じのする道である。店舗の並び、一階部分がくぼんで屋根付きアーケードになっている。こんな南国風建物、すなわち騎楼(チーロウ)が連なる景観にも、なんとなく穏やかな気風を感じる。胭脂とは物凄い字面だが、これは口紅の意味。1979年に中島みゆき(中国語では美雪と表

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第63回 武昌の台所をガン見して歩く

(38)ええ、実況中継にまかせて説明を省いてきたが、次なる目的地は県華林(シエンホワリン)という、旧武昌城内に残る民国建築の集合地である。昔ながらの区画や街路を歩きながら洋館めぐりが楽しめるということで、外国勢力の租借地とはまた違った趣が味わえようと旅程に組み込んだのである。それと、出発前に谷歌地球(グーグルアース)で「予習」したところ、ぼくは黄鶴楼と県華林の中間に、再開発の遅れた庶民的住宅地を発見していた。ほほう、いまどき珍しいじゃないかと期待大でマークしていたのだが、これ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第64回 超甘美! ライチドリンク吸飲記

(41)いま県華林(シエンホワリン)は、キレイな石畳の両側に改装された洋館が整然と並んでいる。一部はまだ改造中で、背の高いクレーンとたくさんの作業員を動員して大工事がおこなわれていた。すでに改装相成った灰色やレンガ色の各建屋には、ギャラリー、洋食屋、カフェ、どら焼き屋、中華スイーツ店、土産物屋といった店が開業。こんな観光客向けの商売、はたして交通の便が良いとはいえないのに成り立つのかな。あっ、そうか。今度此処(ここ)にも地下鉄が通るんだっけ。曖昧な記憶をたどるも答えを得ず、青

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第67回 湖北のセレブと小豆豆 ─漢街前編─

(50)楚河漢街は、中華民国時代の洋館をイメージして出来た人気商業区で、東西1.5公里(キロ)におよぶ一本道。通りを挟んだ東隣には、荊州でも訪れたショッピングモール、万達(ワンダー)広場の漢街店が建つのだが、この楚河漢街も同じく万達集団が五百億元を投じて開発した(なお武漢では万達広場が他にもう2店舗営業している)。百度百科(バイドゥーバイコー)によると、わずか8ヵ月の工期で2011年9月に開業したという。さて足を踏み入れてみると、建物外観は一様に西洋風であるのに、敷地内にはな

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第68回 小川料理とは何ぞや!? ─漢街後編─

(52)引きつづき楚河漢街をゆく。途中で陸橋の下をくぐるが、そんな暗がりにも車両販売のアイスクリーム屋やドリンクスタンドが出ており、商売の途切れる間がない。すると、おととい西瓜汁(スイカジュース)を求めた辛迪果飲(シンディーグオイン)が此処(ここ)にも出店しているのを発見。いいね、予想外の再会だ。もちろん嬉々として突撃する。今日は鮮やかなポップに惹かれて、桃や芒果(マンゴー)など水果(フルーツ)入りの花茶(ジャスティンティー)と迷ったあげく、石榴汁(ザクロジュース)30元に決