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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第54回 Retroticが止まらない!? 漢口風景
(07)今日のホテルは、錦江之星旅館(ジンジアンジーシンホテル)・武漢江灘歩行街店。このあたりは漢口地区の古い繁華街で、戦前はイギリス・ロシア・フランス・ドイツ・日本と五カ国の租界が開かれた場所である。当時の洋風高層建築が今でも数多く保存され、ザ・近代史の舞台といった雰囲気が色濃く感じられる。そう、上海随一の夜景スポット、外灘(バンド)周辺のようなエリアである。日本のテレビに取り上げられないのが不思議なくらい素敵な場所だ。まあ、彼らが大勢のクルーを擁して訪中するとなると、やっぱり北京の天安門、故宮、万里の長城、また上海なら外灘、豫園(ユーユエン)、浦東(プードン)のテレビ塔あたりの撮影で十分ということになり、そうだ武漢へ行こう、なんて発想は生まれないのかもしれない。
(08)クルマを降りたのは長江沿いの沿江大道(イエンジアンダーダオ)で、ちょうど江漢関大楼(ジアンハングワンダーロウ)という租界建築を仰ぎ見る地点。川岸は船着き場となっていて、その堂々たる建物も元は税関であった。広い歩道には、武漢市民があふれている。とくに二〇歳くらいの若者が目立つ。そして、自撮りする者多数。やはり此処(ここ)でも、時代劇風の古装を着込んだ少女が幾人か闊歩している。あたりはソーセージやおでんを売る露店、はたまた西瓜(スイカ)を割って食わせる者が出ていたりと、まるで自然発生したお祭り(フェス)のような雰囲気である。一方で歴史的建造物の背後には、そんな良い感じの風情と溶け合うでもなく、複数の超高層ビルが重なり建ち、なんともぐちゃぐちゃな奇観を生み出している。しかも、そのうち何棟かはまさに建設中で、遠方からカーン、カーンと建設資材のふれあう音がしきりに聞こえてくる。繰り返ししつこいようだが、上海で喩(たと)えるならば、未来的浦東と歴史的外灘、両地区の混在である。
(09)もうすぐ日が暮れる。そこでホテルに入る前に、しばしその雑踏にまぎれることにした。江漢関大楼の前は、結婚写真の撮影者でごった返していた。さすが中国といった感じで、みなさん派手めの衣装をお召しである。女性のほうは露出度が高く、いろいろとギリギリで、中には下着以外全身透けているドレスもあるが、だあれも気に留めていない。租界建築の名所ということもあって、演出アイテムは「レトロ」がお約束のようである。カップルのかたわらに花束とシャンパンボトルを載せたアンティーク・ワゴンが用意されたり、男性がモカ色のスーツ姿で英字新聞を広げれば、寄り添う女性が純白のカクテルハットをかぶって決めポーズをとる、といった具合である。みんな役に入り込んでしまっている。いうなれば、ジブリ映画「紅の豚」のマダム・ジーナ、あるいは上野耕路と戸川純が大正ロマンや昭和初期の装いに扮した音楽ユニット、ゲルニカなんかのイメージである。それぞれのカップルには1、2名のスタッフが付いていて、みな黒の半纏(はんてん)みたいなユニフォームを着ている。背中には「薇拉撮影(ウェイラーショーイン)」の文字。このあたりの記念写真を手広く引き受けているのだろう。端(はた)で見ているぶんには面白いが、こういうのはライバル会社との縄張り争いとかがややこしそうである。へんに邪魔をしないよう通り過ぎる。
(10)それから長江に背を向け、ぼくは江漢路の歩行者天国を歩くことにした。租界時代の個性的な西洋建築に、便利店(コンビニ)やスポーツ用品店、ドラッグストアなどが、ごく見慣れた店構えで入居・営業している。時代を超越したあらゆるモードがギュッと集合し、いわば渾然(こんぜん)一体となって、魅惑のホコ天を形成していた。日曜の夕暮れどき。すれ違う人々の表情はどれも明るく、余裕を感じさせる。なるほど、最初の江漢関大楼の地点からずっと、広場的賑わいが続いていることに気づかされる。実際、道の中央にも植え込みがあって、通行人が立ち止まって写真を撮ったり談笑できたりと、滞留ポイントのある歩行者天国なのだ。こうして宿周辺の雰囲気をつかむと、ぼくは熱気あふれる商業路を逸(そ)れて、裏通りものぞいてみた。レンガ造りの集合住宅地の路地に「江漢村」と書かれた石門があって、それがじつに格好良いので、つい惹かれてぶらりと中へ入っていった。役所や金融機関の建物ではなく、元は外国人居留民のアパートといったところだろう。道幅は三米(メートル)ちょっと。建物は三階建てまでに揃えられているのだが、もはや日は射さず薄暗い。途中、ぽつんぽつんと街路樹が植わり、景観的に良いアクセントになっている。どこも玄関前が三、四段ほどの階段になっていて、なんだか隠れ家っぽい匂いがぷんぷんする。こういう場所を改装すれば、おしゃれな店ができそうだなあ。そう思って進んでいくと、ほらやっぱり。センスの良い珈琲店が何店か営業していて、オオッと興奮させられる。戸口や窓からのぞく店内空間は、いずれもシックな調度品の数々と、自然光が生み出す「光と影」の対称が印象的な、じつにヨーロピアンな風合いだ。到着早々、ぼくはレトロチックな漢口の街並みの虜(とりこ)になった。江漢村(ジアンハンツン)は、湖の名を冠した二条の道路(すなわち鄱陽街と洞庭街)に挟まれた、約150米の路地およびその一帯だった。それを抜けると、最後の宿である錦江之星旅館に到着。とりあえず部屋で一服、温かい緑茶を飲む。フゥー。
新たに宿す 漢口の狭巷
時に徘徊す 漢口の大路
江城は往古に非ずといえども
喧噪 少年少女を酔わす
*原詩「孟城坳」 結廬古城下 時登古城上 古城非疇昔 今人自来往
もとは『唐詩選』にみえる裴迪(はいてき、生没年不詳)の詩。さらに、彼とともに別荘・網川荘(もうせんそう)を結んだ王維の詩句から「新たに家す」を借り、また「揚州の夢」の故事で有名な、晩唐の杜牧の詩から「喧闐は年少を酔わしめ」をそれぞれ採って改めた。
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