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コペンハーゲンで見つけた"おいしい革命”

パンはただの「美味しいもの」でしかなかった。
そう、私は長いことそう思っていた。

けれどコペンハーゲンの「Lille Bakery」で働き始めた時、その考えはじわりと変わり始めた。
Lilleのパンは、焼き上がりの香ばしさや、口に運んだ瞬間のバターの香りだけが特別なのではない。もっと根本的なところで、日々の「食べる」という行為に新しい感覚が生まれてくる場所なのだ。

Lille Bakeryはコペンハーゲンのセンター街から離れた、小さなパン屋。デンマークの小麦を100%使用し、地元の小さな農家から旬の野菜や果物を仕入れる。そのすべてが、店の奥に広がるキッチンで、愛情と共にパンや料理へと姿を変える。毎日、パンに使う穀物や野菜は少しずつ変わるが、それはその日どきの天候や、農家さんたちから届けられる「その時期に一番おいしいもの」に耳を傾けているからだ。予定されたレシピなどではない。
「あるものを、最善の形で使う」――そのシンプルさが、実に贅沢なのだ。

店内
本日のランチ

料理はすべて、まるで大事な友人に作るかのように、丁寧に、愛情を込めてつくられる。Lilleは、パン屋というよりは、地域の食堂であり、コミュニティそのものだ。
毎日行列ができ、机や椅子もそれぞれ違っていて、どこか不完全さを感じる。それでも、人が集まり、みんなが笑顔で帰っていく。

ここでは、私が学生時代に学んだスローフードの価値観が自然と息づいている。
カルロ・ペトリーニが言った「農を語らずして、食を語ることはできない」という言葉が胸に響く。
Lilleのパンは、ただのパンではない。穀物が育つ土壌や、農家さんの手仕事、風、太陽、雨のすべてが一つになってパンとして形を成している。

そんな場所で働いていると、「食べる」という行為がただの消費行動ではなく、「共に生きる」ための営みであることに気づかされる。私たちは単なる消費者ではなく、「共生産者」でなければならない。畑で汗を流す農家さんたちとつながり、その仕事の背景にあるストーリーや、どのように育ったかを知ること。それを食卓に並べることで、私たち自身が未来を創り出しているのだ。


私は、コペンハーゲンから少し離れた農家に足を運ぶことがある。土に触れ、天候と野菜の会話に耳を傾け、収穫のリズムを感じる。そこには鶏や馬、アヒルもいて、生き物と一緒に暮らしが循環していることを学ぶ。

ズッキーニ
産みたて卵


ファーマーズマーケットにもできるだけ毎週通い、手伝いながら「食べる」ことの意味を学び続けている。その経験が私に新しい視点を与えてくれる。

ファーマーズマーケット

Lilleに来ると、なぜか日常がほんの少し変わる。列に並びながら感じる空気、焼きたてのパンの香り、手間暇かけて作られたランチプレートが運ばれてくるまでの時間の過ごし方。
一見、効率的ではないかもしれない。でも、このゆっくりとしたリズムの中に、「食べることを愉しむ」という忘れかけていた感覚が蘇る瞬間がある。


Lilleで働くたびに、食べること、味わうこと、そしてつくることの喜びを再確認する(私はベーカーやシェフではないのでお皿に盛り付けるだけだが)。
「ファストフード」な価値観である

「便利さ」
「いつでも同じできれいなもの」
「あるのが当たり前」
「安さが最優先」
「量が多いほど良い」
「速さが正義」

とは真逆の、「スローで豊かな食」の世界。これは、ただのパン屋ではない。
Lilleは扉だ――私たちが日常に取り入れることができる「おいしい革命」への入り口。 

これはスタッフルームの入り口


ここに来るお客様が、その日少しでも「食べること」を見つめ直し、味わい、考え、何かを感じ取って帰ってくれている。Lilleで生まれる一瞬一瞬が、未来の食文化を紡いでいく物語となっていくような気がしている。

お店を包む穏やかな空気、手間を惜しまない料理、そしてLilleのスタッフたちの温かな笑顔。
ここに流れる時間は、まるで日だまりの中にいるような温かさで、一つひとつが大切な記憶となって心に刻まれていく。








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