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雑感記録(35)

【「何もしない」という努力】


昨日から先日購入してきた本と、以前購入してきた本をちょこちょこ読み始めました。愉しすぎてもう止まらなかった…。

以前購入した本はこれら上記の記録にある本たちのことです。今日は寺田虎彦と谷川俊太郎、そして吉増剛造の作品を読みました。他には保坂和志の『朝露通信』と佐々木敦の『小説家の饒舌』等を途中までではあるものの読みました。

しかし、本を乱読するって結構面白いんですよね。何というか、僕は1冊の本のみを集中して1日中読むってことが実は結構苦手なんですね。それこそ諸力が色んな方向に向かってますから、それに素直に従って読んでいるのかなあとも思いますが、そんな大層なもんでもなく、ただの飽き性なのかもしれないなとも考えてみたりもしています。

凄く面白い作品に出合った時とかはまた別なんですが、僕の場合なんでしょうね…。鷺沢萠とかはあっという間に1日で集中して読めましたかね…。あとは中野重治全集の1巻とかも面白くて1日夢中になって読んだことはありますね…。それ以外ってあんまりないのかもしれないな。


僕はこれはこれでいいのかななんて思っていて、むしろ僕は乱読を進めたいぐらいなのですが…。こういった乱読することで様々なことに出会えるんですよね。以前の記録にも書きましたが、いつか「これはあの時の!」というように関係ないことが実は繋がっていることが分かる瞬間を体験するためにはある意味で同時に多くの作品に触れ続けていることが必須な訳です。(いや、待てよ…必須ではないのかな…)

さらにここでもっと重要なのが、「待つ」という姿勢だと思うのです。受動性?って言ったらいいのかな?うん、表現が中々難しいのだけれども、要は受け身でいることだと思うんです。

実は、この記録で大学の友人と話していた時にも、少しテーマ的にはずれてしまうのかもしれないのだけれど、働くことについて考えている時に「努力する」って何だろうっていう話をしたんですよね。

今回はその時に話した内容と、読んだ本から少し考えてみたこと…というかあったことを記録してみようと思います。


〈「何もしない」という努力〉


(ⅰ)対話

大学の友人と仕事についてどう考えるかという話をしました。僕は金融機関で働いているのですが、全く以て仕事内容などには興味がなく、勉強しても別に面白いとか思ったことないんですね。そもそも文学畑の人間ですから、門外漢な訳です。今まで言葉を扱ってきた人間が、今度は数字を相手にする訳ですからそれなりに苦労しています。

そこで僕は友人に「仕事の勉強しても全く興味が湧かないし、どれだけ努力しても全く面白く感じられないんだよな」という話をしたんですね。そしたら友人も「俺もそう」と、そして「仕事は如何に自分を殺して早く終わらせるかってのが大事で…」という話になったんですね。

そして、「ここで正義とか悪とかという話を持ち出すのは変かもしれないけど、仕事は早く終わらせる、いかに効率よくさっさと終わらせられるかということが求められていて、正義なんだよな。」と話をしたんですね。何というか、僕はこれ聴いたときに自分がいかにガキ臭い思考をしてるのか痛感させられたんですよね。

さらにここで「人間の慣れって怖くてさ、今俺らって『完全週休2日制』でさ、土日が休みでしょ。でも例えば『完全週休2日制』じゃない世界線、例えば『週6日勤務、週休1日』の世界があるとするでしょ。そうすると最初俺らは「絶対に無理だろ」って思うかもしれないけれども、その世界線に元々存在したらそれって別に何でもなく過ごせちゃうと思うんだよね。それでさ例えばこれが『週1日勤務、週休6日』とかになったらどうなるんだろう。仕事なんて殆どしなくてよくなってハッピーかもしんないけれど、それってどうなの?」という話題になったんですね。友人はそこで誰かの話を引用してたんですが、誰だったかな…。それが結構なるほどなと思ったんですよね。聞いた話を頑張って思い起こしながら記録してみようと思います。

努力するってことは世間一般では凄いことのように言われて、継続することは実際に難しいことだと言われていますが、本当にそうなのか。努力することは何か目標でも仕事でも、何かに対して常に動き回ることが重要になってきますよね。努力するということは常に身体機能のあらゆる箇所を常に動かす。

マグロじゃないけど、人間も動き続ける方が楽だと思うんですよね。やることが常にあればそれに向かって身体機能を働かせて黙々とやればいいのだから、別に困ることはない。つまり、努力することほど楽なことはない。というより仕事や目標に対する努力などは努力ではない。

では、何が努力することなのかというと「何もしないこと」であるというふうに言うんですね。仕事とか目標とかすることが何もない状態にいる時、ただ何もせず部屋に1人じっとしていることが出来るでしょうか。例えば、本当に何もやることがなく、何もない部屋に1人残された時、我々はその場にとどまり「何もしない」ことは出来るのでしょうか?

自分の仕事が休みである時のことを考えるとよく痛感されます。部屋に居てもやれYouTubeやらNetflixやら読書やら色々な身体機能を働かしたくなってしまうものです。そこで「何もするな」と言われるとかなり精神的に辛いところがあります。インドア好きな僕であっても発狂することは間違いないでしょう。

つまり、ここで言いたいのは仕事やら何やらでする努力というものは努力というには難しい。本当に努力するということは何かに対してアクションをすることではなくて、それらに対して「何もしない」ことが最上の努力なのではないでしょうか?

友人との対話に沿わせるなら、「自分が興味ないことでも、面白くないことでも仕事で身体機能を動かしている方が実は楽なんじゃないのか?」ということになるんでしょうかね?ここはもう少し吟味する必要がありますね。


(ⅱ)吉増剛造『詩とは何か』より

吉増剛造の『詩とは何か』を読んでいる時に凄くいいことが書いてあったんですよね。少し引用したいと思います。

それと、わたくしが詩人に、といいますか、いえもっと広く、芸術家一般にもっとも必要とされると思っているのが、……これを「能力」と単純に呼んでよいものかどうか、逡巡するのですが、……むしろ「反」能力のようなものかな……イギリスのロマン派の詩人のキーツが言う「ネガティヴ・ケイパビリティ negative capability」なんですね。「消極的な才能」という意味ですが、と言うよりはむしろ、「待っていて、何か柔らかいものをつかまえる能力」、というようなものとしてわたくしは理解をしております。(中略)普通は能動性のほうが本質的とされてるけれども、そうじゃない。受動性は、芸術や詩的な部分の根源の一つです。

吉増剛造『詩とは何か』(講談社現代新書2021年)P.195~196

この最終箇所ですね、ここが僕には響きました。「受動性は、芸術や詩的な部分の根源の一つです」というのは分かるような気がします。さらにもう少し引用させてください。

わたくしは、他者から用意されたものといいますか、他者との偶然というか、何か、コピー、写しのようなものでしょうか、そんなものを活かしているところがあるのですね。積極的に自分の筋道を立ててやるのではなくて、常に偶然の機会みたいなものによって生きようとしていて、その諸力の本体が見えたときは、そっちにもう一目散に突っ走っていく。だから基本はやっぱり受け身から始まっているのです。
ネガティヴ・ケイパビリティはとても大事なことで、マイナスの力を常に待っている。そうすると、それがほんの少し赤らんできてプラスになるとき、それが道元がいうように、当観(まさにみるべし)となるのです。

吉増剛造『詩とは何か』(講談社現代新書2021年)P.198

少し本筋から話がずれてしまうのですが、仕事や目標に向かって努力することは能動的に僕らが進んでやっていることです。誰かに「これをやってくれ」と言われてやっていることでも、結局それをやると判断し行動しているのは自分自身ですから能動的であると僕は考えます。

しかし、こういった芸術一般に於いては受動性が重要になってくる訳で、「偶然の機会みたいなもの」を待ち、それをうまく捉えることが重要になってくるのです。これって僕からすると相当な努力だと思うんです。その偶然を捉えること程難しいことはないですよね。

よくチャンスをつかむことは難しいと言われますし、努力すればそのチャンスを掴む機会が多くなるとも言われます。ただ、そのチャンスを掴めるかどうかが重要になってくるわけで、その機会があったとしてもその「偶然の機会」を認識し掴めなければ意味はないと思うのです。そのチャンスを掴む努力が必要になってくる。

つまり、ここで言いたいことは「何もしない」で「待つ」という努力が実は1番重要だったりするのではないかな?ということです。


(ⅲ)最後に

ここまで雑駁と記録してきた訳ですが、ここまで言いたいことは端的に言えばこうです。

「何もしない」で「待つ」ということが実は1番困難な努力であり、我々が何かに対して、これは何でも結構です。好きなことだったり仕事だったり、自分の掲げた目標だったり…。そういったことに対する能動的な働きかけは、それも努力ではあるけれども努力という概念のほんの数パーセントしか占めていないのではないのだろうか?ということです。

僕も好きなことに対して探求することを努力とは1ミリも感じたことはなくて、もう当たり前になっちゃってるんですよ。だから、僕が好きなことに対してしていることは努力ではなく…なんだろうな…もはや習慣なんだと思います。

皆さんも色々とお仕事をされていく中で、自分が努力したけど結果が出なかったとか、努力して興味を持とうと頑張ったけど無理だったっていうことがあるかもしれません。僕も現にそう感じています。そしたら今度は「何もしない」で「待つ」という方向へ少しだけでも努力してみるのもいいかもしれません。そうしたらきっとチャンスの数が少なくても、それを捉え確実にものに出来るようになるかもしれませんから。

明日からお仕事頑張っていきましょう。

よしなに。



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