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雑感記録(131)

【会いたい人】


引越しの準備をしながら併せて部屋掃除もしている。僕の部屋はあまり大きくはないので掃除が大変ということはない。引き出しを次々に開けていき、必要なもの、不要なものと振り分けていく。必要なものは段ボールに入れ、不要なものは分別し廃棄するように袋に突っ込んでいく。そうした作業を午前中一杯を使って行なった。

そう言えばベッド下の収納も整理しなければいけないな…ともぐり込み収納ケースを出して行く。ベッド下にあったのは基本的に僕が大学時代に使用していた種々雑多なものがあった。大学時代に使用していた授業ノート、製本された卒論、学位記、大学時代のレポート、就活で利用するために余計に取っておいた成績証明書と卒業見込証明書……色々なものが詰め込まれていた。

他にも、小中高の通信簿やら英検の合格通知書、大学時代に必死に集めたメタルのCDなどもあった。あまりの懐かしさに掃除そっちのけで色々と眺めてしまった。とりわけ大学時代のノートは本当に思い入れがあるので、じっくりと読み込んでしまった。これは東京に持って行こうと決めた。成績証明書なども見てみたのだが、比較的僕は真面目な学生だったらしい。卒業に必要な単位よりほんの少し多く取っており、評価も大体AかA+。個人的に博物館実習がA+なのには驚いた。


そんな中、大学時代に使用していた図書館から貰った本を入れる袋が見つかった。何だろうと思い袋を見ているとそこには幼少期からの貰った手紙と年賀状が纏めて入っていた。これには僕も驚いて、これまた懐かしさのあまり読み込んでしまった。

懐かしさも感じることは勿論のこと、年賀状の多さに少し嬉しさを覚えた。年賀状やらそういったものは、ある意味で社交辞令的に出している場合が殆どである。ところが、僕の場合は幸運なことに皆色々と文章を書いてくれている。それを改めて読んで嬉しくなる。それと「こういう風に見られてたんだな…」と恥ずかしくもなる。

その中で1枚の年賀状に眼が止まる。年賀状というと大抵ソフトで印刷するので綺麗な絵柄であったり、可愛いものであったりと種々雑多にある訳だ。他の年賀状はそういったものが多かったのだが、これはどっかから画像を引張ってきて貼り付けたな…と言うのがあからさまなものであった。一体だれがくれたんだろうとと差出人を見て何だか得も言われぬ感情に襲われる。

僕はその年賀状をじっと眺めていた。そこに書かれている文字、言葉全てが僕の記憶を呼び起こす。


高校生の頃、僕は勉強しかしていない所謂ガリ勉野郎だった。僕の通っていた高校は自宅から歩いて3分ばかしの所にある。家に居てもやることがないので放課後毎日教室に残っていた。かと言って放課後ダラダラ教室に居ても、皆部活で居ない。やることは勉強一択しかない。それで3年間ずっと放課後は学校で勉強してきた。今思えばあの時間が今の僕を形成している訳で、あの時間は僕にとって掛け替えのない時間だった。詳しくは過去の記録参照されたし。

それで、放課後は残って勉強している訳だが、部活を諸事情で休んでいる人であったり、僕と同様に部活に所属していない人も居る訳だ。そういった人たちとの交流も愉しみつつ、勉強していた。その中の1人に居たのが例の年賀状を送ってくれた彼女だ。

最初の話し始めたキッカケは何だったか忘れてしまった。放課後僕は勉強していて、何か共通の話題があった訳でもなかった。僕は大体用事がない限りはずっと教室に居たので恐らく「なんなんだあいつは?毎日あそこに居るけど…」みたいな感じに思われていたのだろう。しかし、どう話を始めたかは忘れてしまった。気が付いたら話していた。

彼女とは放課後よく話をしていた。彼女はバスケ部だったけれども、放課後教室に居ることが多かったように思う。僕には彼女が部活に参加しようが参加しまいが関係のないことで、僕が色々と口出しする必要も皆目ない。だから正直別にそこに居ても居なくても僕には変わらない日常な訳だ。放課後の教室は何でも受け入れる空間だった。その人が何であろうが関係ない。

そうやって放課後過ごしていく中で、彼女とは色々な話をした。確か話の中心は大体音楽の話だった気がする。高校生当時の僕はメタルにご執心な時期だったので、洋楽がメインであった。僕は聞いた音楽の話を彼女にした。彼女も僕に好きな音楽について色々と話をしてくれた。僕の音楽遍歴については過去の記録を参照されたし。

そんな中で彼女が「アジカン、オススメだから聞いてみて」と言った。アジカンを知らなかった僕は「何それ、ツナカンのアジ版?」と大真面目に答えた。肩を叩かれたあの光景はよく覚えている。後日、彼女がCDを持って来てくれて自身のパソコンに取り込み、自身のウォークマンに取り込み聞く。

非常に烏滸がましいことこのうえないが、彼女と僕は結構感覚が似ていると思った。アジカンも聞いて僕はハマった。彼女がオススメする曲は悉くハマり、色々と聞き漁るようになった。そして彼女も僕のオススメした曲を聞いてくれて何だか僕は居心地が良かった。何だろう、あの受け入れて貰えている感覚と言うのは何年経っても嬉しいものだ。


彼女とは放課後の時間を結構一緒に過ごした。音楽の話は勿論のこと、学校のことや勉強のことや色んな事を話した。僕は自身のロッカーにお菓子を常に置いていたので、お菓子をつまみながら勉強したり談笑したり…。充実した時間を過ごせていたと思う。

そんなある時、高校2年の頃だったか。「学校の行事が終ったら遊びに行こう」と誘われた。僕は「いいよ!行こう行こう!」と何だか乗り気だった。学校では常に顔を合わせているものの、プライベートでは会うことは無い。だからどんな感じなのかを見てみたいという好奇心があったし、純粋に一緒に出掛けたいということもあったのだろうと思う。

その日は一緒にラーメンを食べに行った。僕が好きなラーメン屋。高校生だから交通手段は自転車。2人で暑い中、自転車を漕ぎながら店に向かい、熱いラーメンを啜る。今思うと何でラーメン屋にしたんだと思うが、当時の僕にはそれが精一杯だったのだろうとも思う。

ラーメンを食べた後、マックに行き茶をしばく。マックは学生の味方だ。いつ行っても美味しいものが安い値段で口に出来る。それに何時間いたところで別に怒られる訳ではない。そこで何を話したかは一向に思い出せないのだが、これだけは覚えている。

そして、どういう経緯でそうなったか未だに覚えていないのだが、僕の自宅に彼女を招き入れた。特段僕の家で何をする訳でもなかった。僕はあまりにも眠くて彼女を放置して眠ってしまったことだけは覚えている。そして彼女がその時に僕が読んでいた『古事記』を読んでいたこともよく覚えている。これも今思うと馬鹿なことしてるな自分とぶん殴ってやりたくなる。

僕が目覚めたのは18:00頃だったように思う。しまった、寝すぎた!と思い見上げると彼女はまだ『古事記』を読んでいた。「ごめん、寝ちゃってた」と言ったら「これ読んでたから大丈夫だよ。よく寝た?」と聞かれた。僕はぶっきらぼうに「うん」と答えた。「そろそろ帰る?」と僕は言い、彼女を外まで送っていく。


玄関先で「おうちまで送っていくよ」と言ったら「ここでいいよ」と言われた。そして彼女に告白される。僕は混乱する。今目の前で起きていることは現実か?という訳の分からない状況だった。しかし、そうして伝えてくれるのは嬉しいという喜びだけが僕の心を満たす。

彼女との思い出は沢山ある。一緒に過ごした放課後の時間は愉しかったし、この時間が続けばいいなとさえ思っていた。しかし、仮に僕がここでOKしてあの時間、つまり放課後のあの独自の時間は無くなってしまうのではないかという恐怖がよぎる。それに僕は彼女のことを良き友人、良き理解者として考えていて正直そういう眼で見ることが何だかいけないような気がしてしまった。つまりは「友人として好きだけど…」と言ったところだ。

しかし、今までそんな経験したことないガリ勉野郎がそれを上手に伝えられる訳もない。彼女の気持ちを考える余裕が無かった。結局僕はそれを素直に伝えられないまま「……気持ちは嬉しいけど、勉強が…云々」とクソみたいな言い訳をして断ってしまった。今考えると勉強を理由に断るって最低な人間だなと思う。

彼女は「バイバイ」と言い僕の目の前から颯爽と去っていく。そしてこの日を境にして卒業するまで彼女とは一言も交わすことは無かった。


この間、僕がコロナに罹っている時、高校のクラス会が開かれていたらしい。まあ、コロナに罹ろうが罹るまいが行くつもりはなかった。参加者を聞いた時に「別に行かなくてもいいかな」と思ったが、その時に「珍しく彼女も顔出すかもしれない」と聞いた。僕は「会いたい」と思った。

でも、会ったところで何を話せばいいんだろうとも思う。あの時のことを謝るのは何だか違う気がするし、かと言っていきなり「元気?今何してる?」って聞くのも僕のキャラではない。最初の一言を何て言うだろうとずっと想像していた。

でも、僕にはずっと彼女と話せずに卒業してしまったことが悔しくて仕方がない。自分が招いた事態ではあるのだけれども、それでも僕はただ彼女とあの放課後の時間にもっと話して居たかった。僕の我儘だけれども、でも僕はずっとそれを望んでいた。

高校時代の唯一の心残りだ。

会いたい。ただ会って僕は話がしたい。それもきっと叶わないけれども。
只の独りよがりの叶わない願いだ。

よしなに。


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