陰キャASDが、現代日本社会生きづらい理由

現代日本は、コミニケーション至上主義だからではないからではないかと思う。

社会で求められる人材は、
色んな人に愛想良くしリアクションとり、色んなジャンルの雑談をそつなくこなし、共感する…場の空気読み…そして、馴染み周囲と同調していく…そして、明るく元気に振る舞う…

また、状況により八方美人に振る舞い社交辞令も発する事が必要になってくる。

これらは、陰キャASDにとってハードモードではないだろうか?

しかし当事者が、どんなに苦しみを訴えた所で、積極的に話すように明るく振る舞うように言われる…

おまけに処理速度が低いとまともな雑談が出来ない…

二次障害で、対人恐怖を併発したら益々ハードだ…

道理で、平均寿命が18も早いわけである。

世の中は、陽キャが正義なのである。

周りはコミュニケーション取れる人ばかり、

かといって脳の気質が違うから、明るく振る舞うと脳が悲鳴を上げてしまう。

どう頑張っても、日本社会の求めるコミュニケーション至上主義に順応できない。

雑談を推奨している人も、少なくはない。モチベーションが、上がりやる気としきの向上に繋がるだろう。

だが、どうしても陰キャASDはソレがつらいのだ。好きな話しか共感できないし、馴れ合いも苦手だ。自分の興味関心のある専門的な話しか話すことができない。しかし、それだと許されない。他人が興味持ってくれそうな話題を提供しなくてはならない。そして、他人の話をじっくり聞いて適切な感想を話さなくてはならならない。

当事者としては、好きでこんな少数派のコスパの悪い脳に生まれてきたわけではない。
ガチでハードモードであるからどうにかならないのかと思い悩むばかりである。 
少数派故の過剰適応、感覚過敏辛い。
多様性、共存社会は、まだまだ遠いと感じる。


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