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真夜中のnote。


閲覧ありがとうございます。
早いというか、うっかりしたもので、noteを始めて、半年になりました。継続記念のバッジをもらうと、それが、バーチャルなものでも、自分が一つ所に居続けているという、心の中の記念碑になります。


わたしにとっての「note」という場所は、仲間作りのためではなく、承認のためではなく、ましてやビジネス目的ではサラサラ無く、「自分の好きなことを好きな表現で」、好きなときに、自分が見直して、「あの日」を思い出す場所です。


それこそ、何年も経ってから、「あー、あの時は、あんなことを考えた。あの劇を観た。映画を観た。本を読んだ」と、思い出す記念公園だと思います。自分の中の公園ですが、その場所が、いつも、
昼間は、ブンブンとドローンを飛ばしていたり、年中、大声で選挙演説をしていたり、討論会をしていたり、夜中は、東京リベンジャーズが集会しているような環境ならば、半年を待たずにアバヨとしていたでしょう。


同じ時期、同じ場所に居合わせる皆さまの作り出す環境が、「それぞれが、すべきことをして、あまり、干渉はしないが、無関心ではないんだよ」的な空気で、ありがたいのだと思います。


続けられるのは、「他人じゃなくて、自分が楽しいか」が基準だと思います。だから、「こう書いたら皆さまはどう思うか」じゃなくて、「こう書いた方が自分に正直だ」と、判断して書いていくことだとわたしに限っては思います。


わたしが徘徊する公園では、いつも、笑けたり、勉強になったり、おったまげな詩を見つけて感動したり、素敵な小説を読んで、しみじみしたり、色使いが「すごいとしか言えない」イラストを発見したり、料理がうまいnoterさんに嫉妬したりと、書ききれない発見があります。


しかし、昼間があれば、夜があるように、「悲しい色」のnoteに出会ったりもします。


真夜中にふと、目が冴えて、この場所をのぞいた
とき。


のび太がいる。

0点を取ったり、いじめられたり、理不尽な扱いをうけたのび太たちの投稿を見つけたりします。


「街のどこかにさびしがりやが1人

今にも泣きそうにギターを弾いている」


真夜中のギターの一節ですが、非常に昔ならば、公園とかで真夜中にギターも弾けたかもですが、今なら通報されるかもしれません。
だから、バーチャルな場所に、思いの限りやネガティブな発言を書いて、心の安寧を図りたいのかもしれません。

夜中の悲しみのnoteを見つけるたびに、思うのですが、この方々には、夜は、夜ではなく、「闇」なんだろう。朝が来るための中間点ではなく、ただ、
静寂な「闇」


星も月もない。

書いている内容は、装飾も比喩も、とっぱらった、ただ、ただの、自分の気持ちのみ。
結びに希望があるわけではなく、「わからない」
「不安だ」、「絶望しかない」


わたしは、そういうnoteを読ませてもらっても「スキ」は、付けないようにしています。
人によっては、反応があったら、びっくりして、嬉しく思うより、恥ずかしいに近い恐怖を感じて、もう書くのを止める方がおられるから。

せっかくの場所だから、誰に遠慮する必要もなく、自分の気持ちを淘汰するべく、なんでも書いて欲しいなと思いますから。

一番、多いなと思うのは、やはり、職場、学校などの人間関係。わたしも、覚えがあるから、めちゃくちゃ良くわかります。世界から、自分だけがはじき出されたような疎外感を覚えます。
職場で、いじめにあったり、パワハラをされたら、
適当に我慢して、我慢できなくなったら、スタコラ逃げた方がいいと思う。弱いんじゃなくて、賢い選択だと思う。ムリして、列に戻る必要はなく、

「自分は群れるアジじゃなくて、チョウチンアンコウなんだ」

と、自分を認める方向で考えた方が、視野が広がるかもしれません。

わたしも、小学生のとき、無視された覚えがありますが、無視する人間は、自分の機嫌を他人にとってもらおうとする、浅い人間です。だから、そういう人とは距離を置くのが正解だと思います。
みやぞんも、そう言うでしょう。たぶん。


闇の深さ、不安さを知っている人の方が、
光のありがたさ、便利さをとても、理解できると
思います。いつか、発想の転換がうまくいきますようにと、真夜中の悲しいnoteを発見したときは、願わずにはいられません。


こんな感じで。


わたしの、note公園。
今日も、キョロキョロしながら、徘徊しようと
思います(^-^)


note界の皆さまとわたしが、今日、1日、穏やか平和に過ごせますように。



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