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自分の周波数が狂うとき。



閲覧ありがとうございますm(_ _)m

今日は、内容が、、ネガティブであります。
自分を振り返ったnoteでありますから、寄っ掛かった内容です。抵抗のある方は、ポチッと閉じてください。すみません。


うちの会社は、昼休み、デスクでランチを食べても良いし、お外でも良く、社内の食堂でも構いません。わたしは、気分転換に、だいたいデスクを離れますが、時々、お弁当を作った日は、デスクで食べたりします。


私の斜めうしろくらいから違うチームになるのですが、そこの課員の女性が(私とはお喋りするくらい)、この頃、昼休みは自分のデスクでお弁当を広げるのですが、、、その中身が

最初は、ごはんにおかずにと普通にランチボックスだったのが、おにぎりだけになり、その次は、リンゴとバナナという、ゴリラか象のおやつみたいなメニューになり、次は、サラダのみというバッタが手を叩いて喜びそうなメニューになっていました。


「ダイエットしてるのですか?」
気になったわたしは、聞いてみると、

「うん。洋服が、、9号から11号になっちゃって」

と、弱々しく微笑む女性を見ながら、わたしは、過去からの自分が呼ぶ声が聞こえた気がします。


わたしは、大学に入った当初、受験や、身辺がいろいろ変わったことにより、自然と体重が落ち、高校生の時より、すっきりしたスタイルになっていました。高校のときは、体重を気にするより、美味しいもの食べたり運動したり勉強したりが忙しく、注意もしませんでした。


「あらっ!RIAちゃん!痩せたぁ!スレンダーになつたねぇ」、「前は、頬っぺたがプックリだったけど、今はスッキリだ!うらやましい~」


などと、今までには、かけられたことのない賞賛を浴び、ドーパミンが出て、「自分が肯定された」と海馬が記憶したのだと思います。

大学に入って、オシャレや、化粧、遊びが仲間入りし、また、可愛い華奢なワンピを着ることができた時の幸福感を感じた時は、年相応だったのだと思います。

絶頂期なのに、もう、天辺に立っているのに、まだまだ上を目指すのは、己を知らなかったからでしょう。客観的に自分を見つめることが、如何にだいじかを知らないと、「そこが変だよ」とは解らないものです。整形依存性の方のニュースなどを読むと気持ちはわからないでもないなと思います。


わたしは、摂食障害への道をたどることになりました。体重が増えるのが異常に怖い。100gの幅で、一喜一憂する。努力して、修行のように、食べないようにしていて、
次の日、体重計に乗っても、減ってなかったら非常に無力感、脱力感を感じ、朝からもう疲れてる。
機械が壊れているのではないかと疑う。
壊れているのは、自分の方なのに。


食べるのは怖いが、1日中、考えるのは、食べ物のことばかり。友達が食べている様子をじっと見てしまう。


楽しく食べていたのが

食べ物の前に来たら、スイッチが入り、ついつい、
ストップ機能が働かず、食べ過ぎてしまう。



こんな感じ。

わたしは、嘔吐することこそ、しませんでした。(吐くというのが頭にありませんでした。思い付いたら恐ろしいことでした。)
食べ過ぎた時は、
「なんと、弱い自分か」、「情けない」
と、自己嫌悪が止まりませんでした。


私の様子の異変を感じたのは、姉で、
「教科書見るより、体重計を見てる時間のが長いよ!あんた、ちょっと、違うよ!」

と、言われ、専門医にかかり、なんとか、体重と気持ちと食べ物との折り合いをつけ、二度と、あんな気持ちにはなることは無く、今に至ります。


わたしは、「心」をなめていました。
人間の心は、非常にもろいです。メンタルが鋼で、出来ている。というのを聞きますが、柔らかい心を自分で作った硬い殻で、守っているだけです。

誰でもが、誰かに気を遣いながら、生活しています。「病んだ」と、よく言われる言葉がありますが、「病んだ」のではなく、「疲労」がたまって、
「こころ」が、修復したいと、物申しているだけだと思います。
「こころ」の、自分なりのチャンネルを合わせるのは、時間が、かかります。
そして、、山があったり、谷になったり、野原になったりと、一生、お付き合い、見つめ合っていかねばならない、調整が難しい箇所が「こころ」です。


わたしは、昔、自分に起こったことは、黒歴史だとか、忘れたい時期だとかは、全然思いません。
お金では、買うことはできなかった、究極の体験だった。自分の中に潜んでいたものが、露呈した貴重な時間だったと思います。


ひとり、ひとりの「トリガー」は、どこにあるかは、わかりません。多分、本人にもわからない。
いつもは、自制されている方々が多いから。


一番、しては、ならないことは、「ムリを少しは、しても良いけど、ずっと続けてしまうこと。」

「君がいないと、仕事がまわらないよ」とか言われてムリはしがちですが、

仕事などでは、代わりはいますよね。
アメリカ大統領だって、歌舞伎の主役だって、
大御所のドクターだって、

非常のときは、代わる存在がいます。

代わりがいないのは、自分自身だけ。自分を生きることができるのは、自分だけなんで、

明日の体重より、今日の活力をだいじにして欲しいなとサラダの彼女を見ながら思いました。


来るかわからない明日を思うより、今日を丁寧に生きる方が、
前向きだと、過去からの自分がいつも、叫んでいるような気がします。


長文、読んでいただき、ありがとうございます。



今はこんなこともしたりして(嘘)



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