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OD日記パート2-起立性調節障害&低血圧

Intro:初めに

どうもim(アイム)です。

これは私が起立性調節障害を発症してからの物語です。今回はOD日記パート2、高校生編です。

高校生編

病気を発症してからというものの、学校に行ける機会はほとんどなくなった。

まずベッドから起き上がれない、そもそも意識すらないのである。

簡単に経緯を説明すると、病気を発症してから後の一か月はほとんど学校を休み、その後、朝は遅刻しながらも学校に登校する状態が一か月ほど続いた。

その後は学校に行けるようにはなったものの、それからも授業はほとんど意識なく、机に突っ伏す形だった。端から見たら、授業中に爆睡かましている猛者なわけで、事情を知らない教師とは度々トラブルがあった。

しかし問題は教師に生徒の情報共有ができていなかったことだと思う。

「本当しっかり仕事してほしいよな…」と思っていた時期もあったが、現代の教師という仕事は、ある意味ブラックに近いものがあるのでそんなに強要できないなとも思う。

特に日本の学校では、障害や病気を持つ子達への対応マニュアルや取り組みが整っていないのである。例えば、該当生徒への聞き込みの後に、どのような対応を望むか、試験や授業で特別な処置が必要かという事を確認するべきなのである。その後に生徒がとる授業を担当する教師等に共有を行う。

これらのプロセスが致命的に欠けているのである。

私がなぜこの情報共有の重要性を訴えているか。
それは授業態度や成績評価に深く関わってくるからである。

例えば、私の場合午前はほとんど意識がないので、机に突っ伏したままなのだが、それは授業態度で行ったら最低評価であり、たとえ期末テストで100点(実際にとった)をとったとしても、最終成績が5段階評価中4になったりするのである。

ならば自身でいえばいいじゃないか。
そう思いましたね?そこの貴方。

「そこは個人に任せている」。
これは当時の担任に言われた事なのだが、いまでも深く覚えている。本当その通りなのだが、私はいつのまにか病気について話すことがトラウマになっていた。

あまりに苦しい症状や周りからの批判により、病気に対して打ち明けられなくなっていた。話し出すと声が詰まって涙が止まらなくなるのである。

このような背景があり、更にはパート1でも述べたような、親を含め教師にも信頼されなかったり、病気を認められなかった経験が多かったので、自身でとっている授業全ての教師に自分の病気について話すことは、ほぼ不可能だった。

結局担任は、他の教師から私の事について聞かれた場合は答えるようにしていると言っていたので、その後は学校のサポートはあまり期待せず、授業中に指摘される場合等は、個人的に教科担当の教師に話していた。

さて、そうなると心配になるのが進学の問題だと思う。

現在私は、文系の学部に進学している。

元々ガチガチの理系選択だったが、高校一年生で発症してからというもの、自身に必要な勉強量に対し、体が追い付かなくなっていた。物化数学選択だった私は、当時医師になって国境なき医師団に参加することを目指していた。

しかし、中間を控えた月、ほぼ寝たきりで学校に行けていなかった為、自分を追い込みすぎて一週間徹夜をやらかし、中間テストを受けている途中で倒れた。正確には動けなくなった。

何度も解いた数学の問題が、解き方は分かるはずなのに意味が全く分からなかった。そして鉛筆をもった腕のまま体が硬直した。声が出ず、喋る事も出来なかった。

そしてそのまま車いすに乗せられ、保健室に移動させられた。正直あれは結構恥ずかしかった。
又、自分の体のはずなのに一ミリも体が動かない恐怖と、試験が解けなかった悔しさなのか涙が止まらなかった。おそらく軽くパニックを起こしていたのだろう。

そこからはなんとなく想像できる通り、私は理系での進学をあきらめた。医師の夢も一旦、横にアーカイブした。

そこからは自身の夢を再考した。自分は何をしたいのか、なんで医師になりたいと思ったのか、だれを救いたいのか。

そして結論として導かれたのは、私は「人を救う仕事がしたい」という事。そしてその場しのぎの処置ではなく、長期的な解決をしたいという事だった。

そこから私は専攻を文系に移転し、国際系の大学を志望し始めた。(現在は国際関係学を専攻している。)

元々語学関連が得意だったのもあって、文系や美術関連の比較的成績の取りやすい授業で成績を徐々に上げ、プラス語学の資格で、指定校推薦を得た。
最終的な成績は3.6くらいだったと思う。

この部分を細かく記載したのは、私と同じような状況にいる高校生が多いと思うからだ。戦術と運で結構どうにかなるものだという事を言いたい。
努力もある程度は必要だけれど、成績や学業においては少し休んでも、自分の得意分野を強みと言えるレベルにまで引き上げれば、大学も意外といける。

追い込まれているときは視野が狭くなりがちだから、抜け道を探してみよう。

私の場合は学校の成績は保ちつつ、大学受験に使える語学資格を取りまくった事が本当に大きかったと思う。学校の中だけで全てが決まるわけじゃない。外にも目を向けることが必要な時もある。

進学した私が言うのもあれだが、必ずしも高校を卒業してすぐに大学にはいらなければいけないわけでもない。ハンデがあるってわかってる分、自分のペースでゆっくり行こう。

まとめ

これにて高校生編は終了です。
OD日記パート2いかがでしたでしょうか?

「次回大学生編、筆者はハッピーライフを送れるのか否か」

お楽しみに!

ではでは皆さんおやすみなさい。

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