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【京都からだ研究室】後期第2回ワークショップ(12月4日)参加レポート

(100円設定ですが全文無料でお読みいただけます)
後藤サヤカさんが主宰する、"身体を学び、身体に学ぶ"、身体探究のコミュニティ、京都からだ研究室

松田恵美子さん(身体感覚教育研究者)をゲスト講師としてお招きして開講される後期の第2回ワークショップに参加してきました。

事前学習動画

前回と同様に、受講生にはfacebook上に設けられた専用のメンバーページを通じて事前学習のための動画資料が配信され、各自それを視聴しながら学習・実践した上で、当日の講座に臨みます。

前回の復習:気のつながりで起き上がるワーク

動画の前半は、前回第1回に取り組んだ「仰臥位(仰向け姿勢)から気の流れに乗って起き上がってくるワーク」のフォローアップでした。

(前回第1回の概要は、下記リンク先のnote記事からご覧いただけます)

かかとを突き出すと腰や背中までつながってくる。
稽古のコツは"タイミング“?!

なるべく足の指先には力が入らないようにして、
かかとが身体から遠ざかるように突き出すと、足首から腰・背中にかけてつながってくる感覚がある。
足の甲だけを丸めるようにして足を倒すと、お腹(肚)につながってくる感じがしてくる。
つながりの感覚の流れに乗るようにして、タイミングよく起き上がってくる。

このワークは、今回第2回WSの序盤にも改めて復習として実修しました。
上手にできた時には、体表面はやわらかく休んで、身体の内側が動いて働いて、うまくいくと上体が跳ね上がるようにして起きてくることができます。
また逆に、うまくない時には腹直筋や首などの力づくで起き上がってくることになり、身体にかなりの負担となります。

私にとっては、背中側あるいはお腹側のつながりの感じを"知覚してから“動く傾向があったようで、その分タイミングが微妙に遅れて力で上がってくることがあり、感覚の流れに乗るコツがつかめるまでもう少し稽古が必要かなと感じました。

季節に既に応じていた身体

恵美子先生には、一年の季節が移ろうに従って変わっていく身体の自然の移ろいに添うような身体感覚を養う簡単なボディワークや暮らしかたを提案している、『身体感覚を磨く12カ月』(ちくま文庫)というご著書があります。

寒さのあまり身はすくみ、身体も縮こまりがちですが、外側はギュッと固まっていても、身体の中はスムーズな流れを維持したいものです。
すぐに肩が凝ったり、ギックリ腰になったり……、といったトラブルを避けるために、この時期は、意識しておなかを使うことをおすすめします。

『身体感覚を磨く12カ月』(松田恵美子(著)、ちくま文庫)「霜月」の項183ページ

前回第1回(10月30日)に試した際には、①かかとを突き出して腰・背中へつながる感覚に乗って起き上がってくる方がやり易かったのですが、第2回の12月4日という日に同じワークを試すと、今度はどちらかというと②お腹側のつながりでもって起きてくる方がやり易く感じました。

この間、季節は旧暦(陰暦)でいう神無月から霜月へと移ろっていて、それに伴って、日常的な表層の、ある種粗い感覚ではとらえられないところで、知覚の先を行くように、身体の自然はもう既に霜月の身体へと移ろっていたことが感じられて、とても驚いたのでした。

第2回への予習(足首のワーク)

事前学習動画の後半では、今回第2回でのメインテーマ「足首で締める冬の身体」への導入として、足首を回すワークを実修しました。

手の指を足の指の間に深く差し込んで足首を回す

足首や足の裏には、肝臓や腎臓などの内臓のはたらきによって様々に表情や動き方が変わってくるそうです。
特に右の足首は肝機能との関係が深く、身体の感覚が繊細で、ここで学んでいるような身体感覚の知識があるような人などは、「ここを回しておくとたくさん飲んでも悪酔いしない」といって、飲み会の前などに右の足首をグルグルたくさん回していた人もいたそうです。
そういえば私も、これまでにも少し疲れてきたと感じた時には、思わず知らず足首を回していたように思います。そうすると、どこがというわけでもないのですが身体がスッと楽になる感じがしていたものです。

第2回WS当日

そして12月4日には、美しい赤レンガ校舎にイチョウ並木の黄葉が映えている同志社大学のキャンパスに程近いとあるお寺に、12名の研究室メンバーが集まって第2回WSが行われました。
当日のワークショップは、前回にも増して内容豊富で情報量も多いものでした。そのすべてをご紹介しようとすると、このレポートも際限なく長くなってしまいますので(ここまででも十分長いのですが…)、その中のいくつかのワークの模様と、各ワークで印象に残ったこと、それらを受けた私の感想などを交えて書いていこうと思います。

京都はどこへ行ってどう切り取っても絵になる風景だらけです

足首から腎を締める冬の身体

事前学習動画の中で、第2回に向けて主に提示されたテーマは足首でしたが、「実はここには"隠しテーマ“があります」ということで恵美子先生が当日示されたのは「腎臓を締める」でした。

冬が深まっていくこれからの季節には、腎臓の働きが弱まりやすくなって、排尿が近くなったり、足にむくみが出たりしやすくなります。
腎臓そのものもむくんで、ふくらんで重たくなってくるそうで、左右の腎臓でよりむくんでいる側と同側の足に何らかの表情になって表れるそうです。
腎臓がむくんでくると、背中がその重みで下がってきて姿勢も崩れてくる。

足の裏や足首へのアプローチ、また、足首と連動している手首や手の指先への働きかけなどを通じて、引き締まった腎臓になるようにもっていこう…というのが、この講座全体を通じての恵美子先生からのテーマ提示の一つでした。

私は、坐禅を日常の習慣にするようになって5年ほどになりますが、坐るようになる前は、特に秋から冬にかけての季節には足にじんましんが出やすかったり、足首が太くむくんでくることがありました。
ところが毎日坐るようになってからはじんましんもほとんど出なくなり、足首もシュッとしてきたように思います。
また、特に最近は、自宅で靴下を脱いで何気なく自分の足を眺めてみると、「僕の足の指ってこんなに長かったかしら?」と自分でも驚いてしまうくらいに、足の指が以前よりも何となく長くなったようにも感じられます。

これは私の足。おサルさんみたいな「手みたいな足」に憧れます

このような身体の変化に気づいていた頃なので、足首や足の裏に焦点を当てるワークをとても興味深く体験しました。

オノマトペの効用(足裏踏みのワーク)

足の指や足裏の様子を丁寧に観察してチェックしたあとは、2人ひと組になって互いの足の裏を踏みあうワークを行ないました。

足の前部で踏んで凝りを見つけたら、反転してかかとで踏んでいきます

まず足の裏を全体的に平らになるように踏んでいくと、足の中に筋張ったところや固まりがあるような感覚が見つかる場合があります。今度はその筋張りや凝りにフォーカスを当てて踏みほぐしていきます。
この時に、踏む重さをキューッとだんだん重くしていって急に重さをポッと抜く「キューッ、ポッ!」という感じと、キューッと踏んでいって抜く時にはホワッと柔らかく抜く「キューッ、ホワッ」という感じを、踏んでもらっているパートナーとコミュニケーションを図りながら使い分けて行ないました。
実際に声に出して「キューッ、ポッ!」「キューッ、ホワッ」と言いながら踏むと、無言で踏むよりも感覚が身につきやすいとのこと。感覚を感覚としてだけでなく、時には音や言葉も巧みに活用しながら教えてくださる恵美子先生のご指導でした。

指先の先の指(指抜きのワーク)

自分の手の指、またはパートナーの指を一本ずつ手で握り、握られた指を引き抜こうとします。親指・人差し指に特に力を入れたり、薬指・小指に力を入れて握ると、なぜか引き抜きにくい。
そこで、握る手の5本の指に均等に、満遍なく力が配分されるように握ったのち、薬指・小指に意識だけを向けると、握られた指が抜ける。

手(指)をひとまとまりで使う

私の感じでは、ここでのコツは、手で触れるとそこにあって目に見えている物体としての指の長さを物理的に伸ばすというより、いま目に見えている指の先の空間にまで指が伸びているようにして指を抜いていくと、手や指がのびのび使えるようになってくる気がします。

私たちは、ともすると物質としての身体にとても執着しているのかもしれません。そのことで自由に動けるはずの身体が使えなくなっている、可能性が狭められている…。
このワークで経験したように、身体の周囲の空間にまで身体は広がっている、あるいは身体の中の空間にある、私たちがまだ知らない身体の層(レイヤー)に、身体感覚を伴って気づくことができれば、身体はもっと自由に楽に使えるようになるのかもしれませんね。

この指抜きのワークを施した側の手と、何もしていない側の手で、肋骨の下あたりにある腎臓に背中越しに触れてもらうと、何もしていない側の手は「手を感じる」。ワークをした側の手は、背中から体の中へ手が浸透してくる、身体の中に手が埋まってくるような感じがありました。

まずは自分が癒えていること

ここで恵美子先生は、

「患者さん(クライアントさん)の身体に手で触れて施術を行う方は、まずご自分の手が通りよくめぐりよく癒えていなければ、患者さんの身体を癒すことはできないと思います」

と仰いました。

初期仏教の経典に起源をもち、テーラワーダ仏教圏で実践されている瞑想技法で「慈悲の瞑想」があります。

この瞑想ではまず最初に「私が幸せでありますように」と、自分自身の身心の安寧・抜苦与楽を祈ります。
私がこのことを初めて知った時には「利己的なのでは?」と思ったものでしたが、この指抜きワークでの体験は「なぜ慈悲の瞑想では最初に自分の身心の安寧を祈るのか?」の根拠を、体感をもって知ることができたように感じています。

沈みに乗って坐る(膝を抜く技法から正座へ)

立位で膝が曲がって腰を落とす姿勢になる時、「膝を曲げる」意識で行なうと、腿の前側の筋肉を使ってスクワットや空気椅子の姿勢になってしまい、筋力で姿勢を維持している分、肩や頭にまで気が上がって、私の感覚では後頭部から頭のてっぺんに「ギューッ」とした感覚が上がってくる感じがします。

恵美子先生はここでもオノマトペを上手に使って、子どものいたずらの「膝カックン」をされた時の状態を自分で再現するようにして、膝の裏側から"カクッ“と抜きます。
「カックン、カクッ」ではまだ固い感じがするので、今度は身体全体からも息が抜けるように「あふっ」と膝を抜く。
ここでも、実際に声に出して「膝カックン」「あふっ」と言いながら行なうと、”頭で考えて身体を操作する”という意識が多少なりとも薄まって、「身体そのものが率先してやってくれる」という感じになってきます。

膝を抜くオノマトペは「あふっ」

私は、中国発祥の武術「韓氏意拳かんしいけん」を学習・稽古しています。そのもっとも基礎となるお稽古が、立つ稽古「站樁たんとう」です。
自宅などで站樁の練習をしていても、同じ膝が軽く曲がって腰が落ちている形でも、脚に力が入ったスクワットでない、膝が抜けて、それに伴って肚に集まってくる感覚が生じる立ち方がなかなかつかめずにいますが、この「あふっ」と抜く感じはすごくよいヒントになると感じました。

「あふっ」で膝が抜ける感じ、膝の中に空間があるような感じが出てきたら、それとともに身体が下に沈む流れが出てきます。その流れを失わないようにゆっくり身体を沈めて(鎮めて)、跪坐の姿勢から正座になると、普段しているような正座よりもずっと深く身体が沈んでいる感じがしました。これは、私は習ったことがありませんが「小笠原流礼法」でお稽古するような正座のお作法に似ていると思います。

この日参加していた人で、足に問題があって最近は長時間の正座はキツいと訴えていた方も、この一連の坐法のワークを実践すると「最近こんなに楽に正座で坐っていられたことがなかった」という感想を述べられていました。

講座全体を通じての感想

講座がすべて終了したあとに、有志で残って感想をシェアしあう時間が持たれました。そこで恵美子先生が「皆さんよくついてきてくれました」と仰られたように、今回は情報量が非常に多く、また内容的にも、例えば武術を永く稽古していらっしゃる方や、徒手技法による施術をされている方が学習するような、専門的なところにまで踏み込んでいるような講座で、前回第1回にも増して「気の身体」の奥深さを体感させていただいた、非常にコアでディープな学びとなりました。

それはとりもなおさず、この場に集まった研究室メンバーが身体感覚を素直に受け取って、なおかつそれをメンバーそれぞれらしく、言語を用いて、あるいは態度として表現していける豊かな感性と、前向きに好奇心をもって学んでいける姿勢をそなえていることに対して、「ここまでの内容なら出しても受け取ってもらえるはずだ」と、恵美子先生が私たちを心から信頼して、この学びの場そのものを愉しんでくださったからこそと思いました。

わかるはかわる

私はというと、第2回が始まってすぐに「きょうは前回よりもさらにすごいことになる!」ことが何となく感じられました。
けれどその一方で「恵美子先生がきょう提示してくれる深くて精妙な身体感覚の世界を感受できるのだろうか?ちゃんと"分かった!"と思えるように知覚できるのだろうか?」という思いもありました。

しかし、様々なワークを体験してみるとそれは杞憂でした。

あるひとつのワークがねらいとするところを、恵美子先生は敢えてすぐに直接には言わずに、先生が丁寧に順序立てて組み立てた構成に従ってワークを実修してみると、「あっ、これ全然違う!」という明瞭な感覚の違いを感じることができました。
先生が講座中に「"わかる(分かる)“というのは"かわる(変わる)“こと」というようなことも仰ってくださいましたが、メンバーの立ち居振舞いや表情、声までもが、どんどん変わっていくのを見ました。

流れや場の共振・感応

分子生物学者の福岡伸一さんの有名な「動的平衡論」では……全部を説明するには私には難しすぎるので、間を端折っていうと、私たちの身体というか存在は流れそのものであり、流れが淀んだところに生命が現象するある種の「場」であるといいます。

サヤカさん、赤野公昭さん日野唯香さんたち運営メンバーのご尽力で準備してくれた「場」。

そこに集まった、恵美子先生という「場」。
私たち参加者それぞれという「場」。

場と場と場が共鳴・感応しあうことで、身体感覚に関する知識がなくても、お稽古の経験がそれほどにはない人でも、こんなにも身体の深くて淡い(間(あわい))ところの感覚を、ありありと感じることができました。

私はこれで当研究室の初めてのシーズンを全期間通して参加させていただきました。恵美子先生による後期だけでなく、前期、中期でも、一年通じてほんとうに「場」に恵まれたワークショップになったのだなと感じました。
(一年通しての感想・レポートや、運営メンバーの皆さんがこの研究室について書いてくださったnote記事は、下記リンク先のマガジンにまとめられていますので、ご一読ください)

3人の運営さんたち、そして、一年通して、また各期それぞれでご一緒してくださった参加者の皆さんとの貴重なご縁には、感謝の気持ちをいくら述べても足りません。ほんとうにありがとうございました。

自分の感覚を信頼して

ここまで、長いレポートをお読みいただいて、ありがとうございます。

今このnote記事を作っている頃には、当日のWSの模様をZOOM参加者にライブ配信していた映像をサヤカさんが編集してくださった録画が、参加者限定で観られるようになっていて、内容豊富なWSでどんなワークをどのように実践してみたのかを後日振り返ることができて、とても便利になっています。

押し合う力を抜く時に広がってくる感覚に注目する…抜きの技法への導入

ところが、この記事のようなアウトプットをしようとすると、情報を知る・再確認する点では非常に便利なのですが、"感覚の鮮度“としては、自分で体感して身体に残ったもののほうがイキイキとしています。
このWSでの出来事を忠実に再現できるようなnoteになるようにと思って作成するのですが、すべての情報を盛り込めないかもしれないけれど、自分の身体に刻まれた経験から出てくる言葉から記述していくほうが、まず自分にとっても理解が深まるだろうし、読んでくださる方にとっても、私のnoteを通じて情報を知ること以上にイキイキした場の雰囲気が感じられるのを気に入っていただけているのではないかと思っています。

シーズン通してほんとうに盛り沢山な内容だったので、今すぐ思い出せるものもあれば、まだ消化しきれていないものもありますが、4月から12月までの京都からだ研究室での体験が、日常的な表層の意識よりもずっと深いところにすべて刻まれていて、折々で必要なことが必要なだけ浮かび上がってきてくれるだろうことを信頼して、そこに委ねて任せていけるようになるのだと思っています。

研究室第2シーズンも構想中?!

この「京都からだ研究室」は、来年2022年も今回同様に前期・中期・後期の3学期制で行う意向をサヤカさんはお持ちのようです。
当研究室に関するこれまでの一連のnote記事をお読みになって、もしこの活動に興味を持っていただいた方は、サヤカさんが運営する「合同会社メイジュ」のWebサイトや、

またもしfacebookでサヤカさんとつながりがある方は、facebookでのサヤカさんからの情報発信に、どうぞご注目しておいてください。

来年はどんな先生が教えに来ていただけるのか、どんな学びの場が展開されるのか……冬から春へと移ろってゆく季節の流れと共に移ろう身体の自然の精妙な身体感覚を育てながら、今から愉しみにしています。

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