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私の便利帳

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私が影響を受けた、クリエイターさんのノートを、集めたマガジンです。どれも大切なのでまとめておきたくて作成しました。
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2023年3月の記事一覧

『人生はゲームなのだろうか?』読んだよ

平尾昌宏『人生はゲームなのだろうか?』読みました。 最近読んだ『日本語からの哲学』がとても面白かったので、同著者の他の書籍も読みたくなったのです。「人生はゲームなのだろうか」という本書のテーマが興味深そうだったのでチョイス。 やー、期待に違わず大変面白い本でした。 人生を評して「神ゲー」だとか、「クソゲー」だとか、「無理ゲー」だとか、ゲームに例える言説はちょくちょく見かけますよね。あまり意識はしてないけれど、江草自身ももしかすると時々ゲームに例えてる可能性はありそうです

無職になってゲームの楽しさを思い出した話

絵な子です。 近況報告も含めて簡単な記事です。 最近の近況 近況報告おわり。 私は昨年の4月に無職になって、間もなく1年になってしまうところです。就活は結構真面目にしていますが、受かってはいません。 がーっはっは(笑いごとではない)。 上京するつもりだったんですが、結局うまく行かずに就職がつながりませんでした。 それで、当り前なのですが、無職は時間があります。 働きたいなあと思ったり、うまく行かないなあと思ったり色々考えますが、とにかく時間があるんです。 私はパー

「ときどき嫌になってしまうけども、人生は続いていく」

今日は愚痴でございます。 私の友人(まあかつてのといった方がいいでしょうか?今は細々と続いていますが)はほとんどがかなり社会的に・経済的に成功している人たちになります。 それも結構えげつない成功を収めている人たちが多いです。 名前を言えばわかってしまうような方もおり、かつて色々と話を聞いていた時は面白いこともたくさん聞けました。 私は成功組ではありません。 しかし、彼ら友人たちをみていて思うことがあります。 それは ・20年以上もビジネスの世界でとにかく健康を崩さ

「争い事や攻撃が嫌い」

私はかなりの平和主義者だと思う。 争うこととか、攻撃がとても嫌いで、穏やかで平穏な中の繊細なコミュニケーションでやりとりできたらどれだけいいかと思う。 でも人間間で、その度合いってだいぶ異なっていて、かなりいい加減だったり、適当であったり、攻撃と思わずに攻撃をしている人であったり、色々なケースがある。 大人になってしまうと、まあそういった人たちとも無理に交流しないといけないこともあって大変だけども、むしろ大人になったから、心の蓋を閉じたまま接することができることもある。

ちょっと変わったお弁当屋さん「キッチン突き当たり」のキャラクター"ツッキー"のデザイン。

奈良県生駒市のとある路地の突き当たりにある、ちょっと変わったお弁当屋さん「キッチン突き当たり」。ここには、日々みんなのお弁当や給食をつくっているキッチンの他に、誰でも使えるキッチンや広場があります。 そこには、動けないし話せないけど、静かにみんなを見守る、突き当たりのまもりがみ「ツッキー」がいるらしい。 なぜ、キッチン突き当たりのロゴは、ロゴタイポではなく読みにくいキャラクターなのか。なぜ、ツッキーはまもりがみなのか。今回はそのお話を少しさせてください。 ちょっと変わった

大人が言う「プリキュアになりたい」ってこういう意味ですけど。

大人の、無職の、 私みたいな人がいう 「将来はプリキュアになりたい。」 実はどんな意味が込められているのか、 皆さんに特別にお教えします。 まずは最初に、簡単に皆さんが想像できるプリキュアになりたいの意味について考えてみましょうか。 まず、子供が言う場合。 これは単なる夢です。 かわいいです。 仮面ライダーになりたいという子もいるし、 野球選手になりたい子もいるでしょう。 消防車になりたいなんて子もいます、 食パンになりたい子だっているし、 ピンク色になりたいと聞いたこと

「養老孟司さんについて」

我が国を代表する今の時代のインテリジェンスといえば、その一人に養老孟司さんが上がってくるかと思う。 私はこの人はとても好きだ。 どうして好きになったかというと、著書を読んでというのもあるけども、YouTubeで語っている内容にすごく惹きつけられたというのがある。 たとえば、東大に勤務されていた時に、養老さんは少し早めに退官をされたわけだけども、その時に空をみてこんちくしょうと思ったという話。あの話は好きだ。なぜこんちくしょうと思ったかというと、東大の職務から解き放たれた時

「理想的な人生」

自分の理想的な人生を考えてみた。 私にとって理想的な人生とは 何かを伝えることができる人生である。 もし健康的であったなら、大学の先生とか物書きでそれを題材に講演会を行えるような人生が理想的だった。 しかし、今そう言った方々と接する仕事をする中で思ったことがある。 それは常に人の目に触れて、大勢の前で話す人はエネルギーがいるということだ。 当たり前だけれども、当時はそれに気づかなかった。 1回ならいいけども、それが何回も、そして職業によっては毎日話す。 こうなる

哲学講座②ハイデッガーの芸術論

 私は放送大学で渡邊二郎教授の「芸術の哲学」を受講していた。  前回に引き続き、通信指導のレポートを掲載したい。 【設問】  芸術は真実の作品化であり、その明るい輝きが美なのであるというハイデッガーの芸術論の意義は、どこにあるのでしょうか。 【回答】  ハイデッガーによれば、芸術とは存在者の真実の作品化であり、存在の真理の作品化が芸術である。近代主観主義的美学が芸術の本質を主観的心的条件に求めたのに対し、ハイデッガーは存在の真理の作品化とその輝きに充ちた出現のうちに芸術の

かつて居場所がなかったオタクのみなさんへ

私は元オタクです。いえ、今も比較的ライトになったとはいえオタクと言えると思います。オタクと言えば、かつてはマンガやゲームが好きで秋葉原に縁のある人たちが有名でした。 そして学生時代に仲間と思いっきり愛を語っているとクラスメイトにしらっとした目で見られたりして、なんとなく肩身の狭い思いをしていました。そんな過去については前にも書いたことがあります。 今となってはネットやメディアなどの情報によって、私たちのようなマンガやゲームの好きなオタクだけでなく、女性ならジャニーズ、男性

【おねロリキャバクラ】だけが真の「幸せ」を与えてくれる。この救済は誰にも奪わせない

【おねロリキャバクラ】を知っているか、知っているだろうな。知らぬのであれば知るべきである。つい先日単行本も出た、きらら漫画期待の新星なのだからな。 私はきらら本誌は追っていない、単行本で追う派だ。なので単行本の発売を今か今かと待ち望んでいた。しかしその存在は公式ツイッターで目にすることで知っていた。 初めて見た日はついにこの日がきたかと思ったばかりだ。【ゆるキャン】を皮切りに爆発した所謂「おっさんの趣味を美少女」にやらせる系作品、その極地にある。 即ちそれはキャバクラ、ある

幸福について/変えられることを知る、変えるために行動する

◆幸福について ということについて書いてほしいと、 友人からのリクエストがありました。 ものすごく端的に言ってしまえば、 ニーバーの祈りが神に通じていれば わたしたちは幸せだったでしょう。 ただ残念なことに、 わたしたちは お互いに有能感を搾取し合う間柄。 他人に受け入れる冷静さを 変えれるよう思える知恵を、 与えることは好みません。 他人が優れていたら、 食糧や生殖の機会を 全て奪われてしまいます。 なので、できる限り 足を引っ張っておきたい。 分けてくれる味

「機能性見せびらかし消費」「コスパ見せびらかし消費」(再考)

かつて、片手間でこの2つの概念を紹介した。これはネモ・ノーベル経済学賞を受賞した重要な概念でありながら、あまり体型的にまとめてなかったので、改めて書いておこうと思う。 前提として 「見せびらかし消費」はダサい。空疎なブランドに踊らされるのはバカな成金や田舎のヤンキーだけである。これはほとんど社会の共通認識であると言っていい(全身GUCCIで固めることがクールであると信じて疑わない中年男性もいるにはいるが、彼は少数派だろう)。 だからと言って、ブランドを完全に敵視するのも

【哲学】いらん仕事が多すぎる

いる仕事 ・教育 ・医療&福祉 つまり 必要最低限の生活ですね。 衣食住があればとりあえずOKで 衣:体を清潔に保つこと 食:空腹を満たして栄養を摂取すること 住:安全な場所で生活すること ・若者には「教育」 ・年寄りには「福祉」 ・全員には「医療」 これにプラスアルファで ・情報が手に入ること つまり 衣食住が満ち足りていて 正確な情報が瞬時に手に入ること これが生活の最低ラインなのですよ。 これを満たしていたら それ以上はおまけに過ぎない。 (おまけ)