梅香

自分の生活は自分でデザインするをモットーに、何をしたいか、何をすれば楽しいか、いつも自…

梅香

自分の生活は自分でデザインするをモットーに、何をしたいか、何をすれば楽しいか、いつも自分を大切に、家族との関係も大切に、そして私のまわりにいてくれるみんなのことも大切にできる生活をしていきたいと考えています。

マガジン

  • プレゼンテーション「3年後の私」

    再就職のために職業訓練を受けました。そこでプレゼンテーションの講義があり、仕上げとして訓練生の一人ひとりがプレゼンを行いました。与えられたテーマは「3年後の私」。今から何年も前のものですが、ここに紹介したいと思います。

  • 入院生活とラジエーションハウス

    私の入院生活中に始まったドラマ「ラジエーションハウス」。それは私の子宮頸がんがわかって、放射線治療をすることになったタイミングでした。退屈な入院生活を送りながら、このドラマを楽しみにしていた頃のお話です。

最近の記事

神田淡路町・須田町界隈

いつ書こうかと思いながら、毎日「虎に翼」を見ている。 私が東京に来て初めて勤めたのが、神田淡路町だった。 ドラマによく登場する「竹もと」のモデルは、 淡路町から通りをはさんだ須田町にある「竹むら」だと言われている。 私もよく行っていたので、どうしてもタイムスリップしてしまう。 揚げまんじゅうが有名な老舗甘味処竹むらは、 昭和5(1930)年の開業。 竹むらのはす向かいには、あんこう鍋の老舗「いせ源」。 なんと、いせ源は天保元(1831)年の創業だという。 そして、そのすぐ近

    • 忘れたことなんか思い出さない

      9月、うかうかしていたら、もう半月すぎようとしている。 「暑い、暑い」とうなだれているだけで時間がすぎる。 私は10月に検定試験を受ける。 その勉強をしなければならないが、図書館、カフェ、レストランなどで 集中して取り組めるのはせいぜい2時間。 どうしても集中が切れてしまう。 正直にいうと、集中が切れてしまうと、 そこへ戻るのがとてもむずかしい。 休憩や息抜きという言葉があるけれど、 私にとっては、すでに次のステージに変わってしまうからだ。 最近はその展開が早い。早いとい

      • どうやったら「優しい時代」にできるか

        近くに行きつけの呑屋がある。 常連たちが通う店で、いろいろな人に出会える。 なんの話からそこへたどり着いたのかすっかり忘れてしまったが、 北海道の植松努という人のことを聞いた。 うちに帰ると、その人のスピーチの動画がLINEに入っていた。 とても心に残るすてきなスピーチだった。 その動画は9年も前のものだったが、すごいインパクトがあった。 夢のこと。出会いのこと。やってみること。 足りないから助け合うこと。夢をかなえるためのアイデアを考えること。 みんなぶっつけ本番の人生な

        • むかしむかしのその昔⑲永遠を誓わない、だらしのない愛

          8月になって「虎に翼」を見ていたら、 ”永遠を誓わない、だらしのない愛” というフレーズに出会った。 「あ、私たちと同じだ(笑)」、とすぐに思った。 36年前、私はNYのブルックリンの教会で結婚式をした。 私たちはNYに住んでいたわけではなく、 私が休暇をとって遊びに行ったついでに式をあげた。 ブルックリンに住んでいる友人に頼んで、 式をあげられる教会を紹介してもらい、 事前に打ち合わせなどをして式に臨んだ。 出席者は結婚する2人を含めて11人。 それでも、荘厳なパイ

        神田淡路町・須田町界隈

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        • プレゼンテーション「3年後の私」
          4本
        • 入院生活とラジエーションハウス
          4本

        記事

          熱中症と酔っ払い

          この記事を予告してから、ずいぶん時間が過ぎてしまった。 私のつれあいはいつも最終電車で帰って来る。 7月のある日、最終電車の到着時刻よりも早い時間に、 最寄り駅から連絡がきた。 「動けない」 駅で電車を降りてすぐにふらついて座り込んでしまったそうだ。 ホームにへたり込んでいるから、迎えにこい、とのこと。 私は飲み物と、冷却ジェル枕、保冷剤、濡らしたタオルなどを持ち、 駅にいるであろう彼のもとへと急いだ。 どこにいるのかよくわらかず、うろうろしていると 「反対側だ」と電話

          熱中症と酔っ払い

          それぞれの生活パターン

          私は結婚願望はなかったのに、あるとき結婚した。 相手も結婚願望がなかった。 だから、ふたりは結婚しないと思っていた。 私が結婚したと幼馴染に連絡すると 「あんたが結婚するとは思ってなかった。ビックリ!」と 大げさに驚かれた。 でも、私たちはそれぞれの生活パターンでずっと生活している。 それぞれが好きなことをして、あれこれ干渉しない。 だから、続いているのかなあと思う。 お互い、好きなことを好きなようにしているから、 別に「分かれる」必要もないからだ。 ただ、それぞれの生活

          それぞれの生活パターン

          生活の軌道修正

          久しぶりの投稿。まずは、言い訳から(笑)。 新しい仕事が決まって、少しずつ生活の軌道修正を行っていた。 私のつれあいは夜の仕事なので、いつも帰りが遅い。 私ももともと徹夜仕事をするような生活パターンだったので、 どうしても夜型の生活となる。 しかし、最近の私は夜中に目覚めたり、 早朝に起き出すことが増えていた。 さて、新しい仕事は専門学校での日本語指導である。 午後のクラスと、午前8:30からのクラスもある。 これがこの仕事の一番大変なところ。 毎日朝から働いているみなさん

          生活の軌道修正

          6月 新しいステージへ

          3月末で5年半勤めた会社を退職したので、 またもや新しい日常生活のデザインをしなければならなくなった。 この5年の間にはコロナ禍があり、 個人ではどうにもならない制約を数多く経験した。 おかげで私のものの見方/見え方が変化したと感じている。 前前職のときに初めて派遣社員となって働いた。 それまでは雇用について考えることもなく、 正規雇用と非正規雇用の違いもあまり気にせず、 「食べていければいい」、そう思って気楽に働いてきた。 それは私が若かった時代は好景気で、 食うに困るこ

          6月 新しいステージへ

          高尾山に登ろう‼

          12年ぶりに高尾山に行った。 国際交流協会イベントグループが主催した「高尾山に登ろう‼」。 集まったのは14人で、半数は外国籍の人たちだった。 国籍、文化、年齢、職業、性別、生活習慣、趣味、嗜好、考え方…… 多種多様の、ほとんど知らない同士だったけれど、 一緒に坂道を登り、森林浴を浴び、広がる風景を眺め、 日本語、英語、ヒンディー語、中国語など、 言葉も話題もあちらこちらに飛び交い、 わいわいがやがや、汗をかきかき山を登った。 年齢や体力も違うので、もちろん歩くペースもちが

          高尾山に登ろう‼

          慶應義塾大学 笠井叡の舞踏公演

          5月15日、慶應義塾大学日吉キャンパスへ笠井叡の舞踏公演を見に行った 新入生歓迎行事だったんだけど、半数以上が高齢者だった(と思われる) 笠井叡氏は見事なパフォーマンスをされた とても80歳を超えていらっしゃるとは思えないほどの美しい身のこなし 豊かな感性、心の叫び、平和への願い、それを分かち合うエネルギー 心が洗われ、幸せな心持ちになれた でも、世界で戦争が続いている それを見ないふりしていていいはずがない みな、自分のことで精いっぱい でも、心を向ける機会があるのなら

          慶應義塾大学 笠井叡の舞踏公演

          気持ちを伝えるハラスメント

          ドラマを見ていたら 「一生友だち」と約束する場面があった。 あなたが大好き!という気持ちを最大限にした形なのかな? 同じことが結婚式なんじゃないかと私は思ってしまう。 アメリカでは結婚を契約と考え、 契約不履行になるとさっさと契約破棄=離婚する。 大好き!という気持ちはもうそこにはないんだから。 友だちと喧嘩して疎遠になる。 あとになって考えると、喧嘩の種がわからなかったりする。 家族であっても喧嘩をすると絶縁する場合がある。 親友や家族だからこそ大喧嘩になる。 言いたいこ

          気持ちを伝えるハラスメント

          むかしむかしのその昔⑱初めてのベートーヴェン

          私はnoteでいつくかのシリーズに分けて文章を書いています。 だけど、最近はそんなシリーズのことをすっかり忘れていました。 さて、「むかしむかしのその昔」、私が小学校に入学した頃のことです。 1年生になった私は、クラスのみんなと校内の見学をしました。 一番の衝撃は、階段を昇って入った図書室でした。 本棚にはたくさんの本が背表紙を見せてぎっしり並んでいました。 また、表紙が見えるように並べる棚には絵本がありました。 そこに『お月さまをたべたはなし』というタイトルがあったのを

          むかしむかしのその昔⑱初めてのベートーヴェン

          続 小さな同窓会2024.3.15

          高校のバレー部の仲間に会うために故郷に帰った。 カリフォルニアから一時帰国する T に合わせての日程。 当初、私は県外で数に入っていなかったのだけど、 開催を知らせてくれたキャプテンに、 なんとか日程があえば参加するとだけ伝えてあった。 3月15日当日。 昔、通い慣れていた駅はすっかり変貌していた。 でも、迎えてくれた仲間の笑顔はいつもどおり。 近況報告を兼ねて、孫の人数を教え合う。 Y は3人、T は0、R は1人、K は5人、そして私は0。 Y の弾丸スピーチは健在。結

          続 小さな同窓会2024.3.15

          小さな同窓会の知らせ

          3月に入った。小さな同窓会の知らせがきた。 みんなに会うのは久々だ。 高校に入学したばかりの頃、部活帰りに並んで撮った写真がある。 まだあどけない表情がほほえましい。 夏の大会の会場で、ユニフォーム姿で撮った写真もみんな笑顔。 そこに写っている4人に会える。 入学当初の新入部員は十数人はいたと思うけれど、 夏が近づいた頃には数人に減っていた。 私と同じ中学でチームメイトだった友だちは、 練習が楽しくない、コーチが嫌いだといってやめていった。 その後主将になるRUMI にも中

          小さな同窓会の知らせ

          文芸部の思い出ーふれる体験ー

          note の記事を楽しみにしている人が何人かいる。 今日は ”純ちゃん” の記事を読んで、私も高校のときのことを思い出した。 私はバレーボール部に所属していたけれど、 文化祭のときに文芸部の活動を知り、 いつのまにか部室に遊びにいくようになった。 翌年の文化祭には私の作品が展示されるようになり、 文芸部の文集にまで掲載してもらえるようになった。 私の家庭の問題やボーイフレンドとの関係もガタガタし、 いろんな言い訳をならべて、私はバレーボール部をやめてしまった。 それなのに、

          文芸部の思い出ーふれる体験ー

          「決心」自分自身を応援する

          長く生きているけれど、いくつかの場面だけ鮮明に思い出される。 カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞し、 「記憶」について語るのを何かの番組で見た。 「記憶とはなんだろう」というテーマだった。 本当に、不思議なものだ。 すっかり忘れてしまっているものが、あるときふっと現れる。 それは古いものではなくて、いま・ここによみがえる。 なつかしい友だちに会うと、 忘れてしまった自分自身との出会いを感じることがある。 「あのとき、あんた○○って言ったんだよ」 「そんなのおぼえてない(

          「決心」自分自身を応援する