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文芸部の思い出ーふれる体験ー

note の記事を楽しみにしている人が何人かいる。
今日は ”純ちゃん” の記事を読んで、私も高校のときのことを思い出した。
私はバレーボール部に所属していたけれど、
文化祭のときに文芸部の活動を知り、
いつのまにか部室に遊びにいくようになった。
翌年の文化祭には私の作品が展示されるようになり、
文芸部の文集にまで掲載してもらえるようになった。
私の家庭の問題やボーイフレンドとの関係もガタガタし、
いろんな言い訳をならべて、私はバレーボール部をやめてしまった。

それなのに、幽霊部員だったはずの文芸部に私は通うようになっていた。
はじめにいろいろ教えてくれた先輩たちが卒業し、
幽霊部員の私が "先輩" と呼ばれるようになっていた。
高校卒業後も後輩たちとのつきあいがつづき、
上京したときに私の部屋に泊まる子さえいた。

文芸部というのは一緒に行動するわけではない。
ただ、その人の作品を読むだけで、
いろいろなことを感じることができる。
あまり口をきくことがない相手でも、
その人の心をのぞき見しているような気分になったりする。
だから、つきあいなどない男子部員たちとも
会話をしなくても気心が知れているような、
そしてこちらもすべて見透かされているような心持ちだった。

互いの作品を読み合って合評会もやっていた。
けっこう辛辣な意見を言われたりしながらも、
やわらかな世界、目に見えない世界の奥へ奥へと迷い込むような
そんな感覚を味わうことができた。
まだ若く、自分の感情をどうすることもできないときに
しっかりとその感覚にふれる体験ができたことは
いまの私にとっても大切なものになっている。

いまも「ことば」がわからないまま、さまよっている。
ことばも、ことばではない世界も、
わたしも、わたしではないものも、
ただ味わうということを "知る" ことができたのは
ほんとうによかった。
だれかを "知る" こともできて、
ほんとうによかった。

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