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うつくしい写真を撮る人

目は口ほどに物を言う。目に映るものが脳を経由して画像になったものが他人に共有されると、その感性を受取ることができます。
それは写真です。

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』
という本を読みました。

先にお断りしておきますと、ただずっとしゃべり散らかします。書評だなんて、とんでもないことでございます。日本語も漢字も勉強中です。不適切な表現と誤った距離感が点在いたします。通りすがりのあなたに、ただ推しの話をずっとしてくるヤツとしてお付き合いいただけますと喜びます、わたしが。

さて、
『カメラは、撮る人を写しているんだ。』
という本を読みました。(2回目)

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』 ダイヤモンド社

どうも、こゆきです。私は女性で、母親と会社員をやっています。

カメラは苦手です。カメラの事を「あの機械」と呼んでしまうほど疎いです。仕事上、物撮りをできるようになってみようかしらと頑張って操作方法習得を試みた時期もありましたが、無理でした。

子どもが生まれた時には、一眼レフを手に意気込みを見せましたが、幼い子どもとたくさんの荷物を抱えて、さらに高価なカメラを持ち歩くのが困難でした。子どものイベント時に鼻息荒く撮影に挑戦するも、カメラ操作がままならないため、子どもは目で追いかけ記憶することに集中しました。

カメラは、とてもむつかしい。カメラの教本を数冊読んだことがありますが、理科の教科書にしか思えず何一つ理解できなかった、福岡大学人文学部出身です。
私はカメラが苦手です。おそらく、カメラも私の事が苦手だと思います。

カメラマンという存在にも良い印象はありません。10年以上前、商品カタログ撮影が必要な仕事をしていた時のこと。カメラマンから「良いモデルと圧倒的絶景があれば、完璧な写真は撮れるよ。それをそっちが用意できるかどうかじゃない?」と言われたことがあります。

その時の撮影ではカメラマンの到着時間が一番遅く、最終日のスタジオ撮影ではシャッターを押すためだけに現れ、レントゲン写真を撮る歯医者だと認識しました。彼は、いの一番に打ち上げの店を確認し、私が予約した店の値踏みをします。さらに飲み会の場では、お膳立てする後輩やアシスタントたちに「良い機材とスタジオを持ったら、あとは仕組みでマネタイズしていった方がいいんだよ。」というカメラマン道を語っておりました。私はその後、彼と会話をすることはありませんでした。
カメラマンは苦手だと思いました。カメラマンも私の事が苦手だと思います。

以上で自己紹介を終わります。

そんな私はある時、1冊の本と出会いました。

『ロバート・ツルッパゲとの対話』 センジュ出版

『ロバート・ツルッパゲとの対話』という本です。

哲学を、文学を超えたアートに仕立てちゃう表現に引き込まれて、ずっと笑っていました。「著者さんってドライな天才じゃーん!ハハハ~!ヤバい、ウケる!!」くらいな楽しい気持ちで読み進めます。
知性溢れる写真家がいらっしゃるとは、大発見でした。

しかし3分の1くらい読んだところで。具体的にはソクラテス章の手前で。
一旦、本を置きました。

『ロバート・ツルッパゲとの対話』の著者、ワタナベアニさんをスマホで検索しました。ホームページを拝見し、広告優秀賞受賞の実績を知り、これが本当のポートレート写真なのか!!と、興味と理解を深めました。

また『ロバート・ツルッパゲとの対話』を読み進めます。
そして読み進めるほど確信してしまうのです。

「哲学者が写真家で、写真家が哲学者って、ヤバくない?この思想家に世界が支配されるじゃん。」と。思想家が写真家ゆえ、アーティスト。この認識で、ワタナベアニさんに対する印象が強く残りました。

『ロバート・ツルッパゲとの対話』を読み終わり、更にワタナベアニさんの検索を進めました。そしてある動画にたどり着きます。

ワタナベアニさんが、カジサックさんのYouTubeチャンネルでニューボーンフォトを撮影していらっしゃいました。

シンプルに、ワタナベアニさんの実在を確認しました。
「あぁ動いている、実在している、現代に生きている。」と思いました。

そして見ながら、見終わって、思いました。

「なるほど、やっぱりね。」

その頃、ワタナベアニさんのInstagramも見て、とてつもない衝撃を受けます。

Ani Watanabe (@watanabeani) Instagram

「なにこれ。うつくしい。ずっと、全部、うつくしいんだけど。」
と思いました。

その写真に映っている物や場所の美しさだけではありません。素敵な人や景色の場合は、更に研ぎ澄まされた先のうつくしさが映っているのです。

誰が見てもうつくしいかどうかは、わかりません。
なぜなら、圧倒的に本質を捉えた状態が映っているからです。
研ぎ澄まされた感覚の先に、こころが動く準備がある人間にしかわからないからです。

私がInstagramでコレクションしている一部を置いておきます。

Ani Watanabe (@watanabeani) Instagram
Ani Watanabe (@watanabeani) Instagram

ここで、私はワタナベアニさんをアーティストだと改めて認識します。

その前提でここからさらに話を進めます。

彼のInstagramを見る時は、写真だけを見ています。

Ani Watanabe (@watanabeani) Instagram

うつくしい写真に、ただうっとりするだけです。彼の書くウィットに富んだ文章も好きですが、キャプションはX(https://x.com/watanabeani)で読みます。

私はInstagramが始まったころ、ただ毎日ぼんやり見ていました。Instagramで個人の近況報告を知ることにも違和感はありませんでした。こんなところに行きました、これを食べました、記念日ですというvlog。アカウント運用はツール活用法ですから、特化した発信も面白いものです。料理系、美容健康系、インテリアや購入品紹介などのお役立ち情報も助かります。

しかしただ面白くないと感じていました。企業アカウントなら目的が明確ですが、個人で何かを発信したい感覚も全く湧き出てこなかったのです。たまに、なんとなく映えっぽい場所や食べ物、購入品、子どもの記念日をアップしていました。すると同じような写真を撮っている人からのいいねが集まりました。

未だにInstagramでいいね数が多い写真を見ても、どのような技術が使われているかわかりませんし、国内外の旅行経験も少ないので、写真に映っている場所の希少性もわかりません。ただ、Instagramでインプレッション・いいねが集まる写真への理解は「Instagram商法に沿えているか」というところで落ち着いています。映え、モテ、エモ、萌えetc..
そこに興味が持てませんでした。

そんな私がワタナベアニさんのInstagramが楽しみで仕方ありません。
それは本当に写真のうつくしさだけでしょうか。

Ani Watanabe (@watanabeani) Instagram

とりあえず私は、ほぼ見る専だったInstagramを再始動しようと、家にあった一眼レフを引っ張り出しました。しかし正解(に見えるような)撮り方を考えて撮るほど、写真を撮るのが面倒だと思うようになりました。そして何より自分が写したと思ったものとは全然違う画像に悲しくなりました。手首も痛いし、やっぱり私はカメラとの相性が良くなさそうでした。

しかし、写真への憧れはあります。写真に対する思考だけでもインプットし続けたいと思い、ワタナベアニさんのnote定期購読を始めました。

他すべてのマガジンの過去ログを一気に読み、思ったのです。

「なるほど、やっぱりね。」(2回目)

さてさて、
『カメラは、撮る人を写しているんだ。』
という本を読みました。(3回目)

たいぶ引っ張ってすみません。ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。さらに大変恐縮ではございますが、ここから尖りを増していきます。広い心で読み進めてください。怒られるのは苦手です。

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』は、広告アートディレクターからカメラマンになったロバートと、インスタグラムの数百いいねに突き動かされてカメラを購入しようと決めたカズトの対話です。

Instagramというメディアが、人から反応が集まりやすい写真を撮る文化を作ったと思いました。楽しかった時間やうれしかった事、好きな人の写真より、メディア用のバエ写真ばかりがフォルダに増え、いいねがたくさん集まっている写真と同じ場所に行って、同じものを食べ、同じ画角で撮影する。さらに人とは違うオリジナリティは高性能のカメラ自慢で乗り切ろうとする。世が踊らされています。その世界を楽しむ人も多いので否定はしませんが、その世界に私の興味はありませんでした。

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』では、カズトがインスタグラムでいいねを集めて、初めてカメラを買いに行くところから始まります。

「はいはい、カズトさんわかりますよ。その鼻息荒い感じ、そういう人いるわぁ。」と私自身の投影から始まります。ある喫茶店でロバートと話をするわけですが、私もその場にスーッと入り込み、聞き耳をたてている感覚で読み進めます。

そして気づくのです。「あれ?これって私が、ロバートさんに教えてもらってたことじゃない?」と。面識はありませんけど。遠隔的に感覚的に『ロバート・ツルッパゲとの対話』を読んだ日から、写真家ワタナベアニさんの思考を追いつづけた今までを振り返っている気持ちになりました。いつの間にか感覚的にはロバートさんの隣に座って話を聞きます。

そこからは、完全にカズトさんに対してマウント姿勢で読み進めます。「そういうことじゃないんだよ、カズトくん。」の立ち位置です。「カズトくんより私の方が先にロバートさんに教えてもらってたし。」という、超上からであり、嫉妬心をバキバキに発揮していました。

しかし思う存分楽しませていただきましたから、お二人のコーヒー代は私がお支払いしました。

そしてこの本を閉じたときに私が思ったことは、

「なるほど、やっぱりね。」(3回目)

ずっとそうなんじゃないかと思っていました。

ロバートは、ずっと愛を届けているんじゃないかと。
だから彼の写真は、うつくしい。
彼の写真に映っているのは愛じゃないかと、実はずっと思っていたんです。
だって、思想家アーティストだから。

愛ある写真は、人のこころをやさしくするんです。
私はずっと彼の写真を見つづけて、やさしい気持ちをもらっているのです。
彼の哲学が映り込んだ写真に、自分が存在したい世界を見ているのです。

自分の中に哲学を持つことは、自分が存在したい世界を創ることで、その世界をずっと見たいんだと思います。つまり彼は国を創っているのです。

いい写真とはなんぞや、ということは私にはわかりません。カメラを使う能力もありません。しかし、文章でこころが動く感覚で、写真を見て同じ感覚になることができます。目に映る世界とことばの哲学が写真の中にうつりこむ愛を見つけた時、やさしい気持ちになることができます。
見ることができてよかったな、そう思うのです。

あなたの写真の中に、愛はありますか?
自分の中の愛を見つけてみませんか?
『カメラは、撮る人を写しているんだ。』の中心で、愛を叫んでいたように思います。

カメラという手段は、ガジェット感とかっこよさとラグジュアリーまで兼ね備えています。それをファッションにするのか、カメラで撮ることを通じて自分の中の好きに気づき、その先の愛に気づくことができるのか。
それはこの本を理解できるかどうかに等しいのです。

愛に気づける人にしか、いい写真は撮れないでしょ。

知らんけど。

Ani Watanabe (@watanabeani) Instagram

ここまで読んでくださってありがとうございました。長く、うっとおしく、キモかったでしょうに。
あなたに読んでもらえて、私はすごくうれしかったです。

最後に言いたいことをまとめます。

カメラ男子!文学女子!そうでない人~!みんなにワタナベアニさんの世界を楽しんでもらえますと、とても喜びます、わたしが。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました!


喜びます、ありがとうございます。