Life is Art

最高の自分であることに振り切れ! 本気のチャレンジのみに価値がある。 本気のチャレンジ…

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最高の自分であることに振り切れ! 本気のチャレンジのみに価値がある。 本気のチャレンジをしていますか? 本気でチャレンジしたくなるコンテンツを皆さんにお届けしていきます。

最近の記事

充実感の追求

ああ、おもしろい。そうだ。やっと気づいてきた。 そうだ、きっとそうだ。 僕は充足感を求めている。 充足感の追求。 成功がしたいわけではない。 成功を目指して努力を重ねればいずれ充足感を得るというものではない。 充足感の追求が、成功につながっている。 そういうのが人生だ。 不満もあるだろう、言いたいこともあるだろう。 だが、これらをじっと堪えていくのが男の修行。 愚痴を言えば充足感はない。 今の自分を否定しているからだ。 個性を活かして充実感を得る。 では個性とは?

    • 見つめるたびに増す苦痛

      ただし自分の心の声を拾うのは苦痛が伴う。 見て見ぬふりをする方がいかに楽なことか。 本当は何も考えず世間の流れに身を任せる方が生きやすい。 自己を貫くことがどれだけ生きづらいことかわかっている。 それでもその苦痛を突き抜けた先に歓喜はある。 その間きは束の間かもしれない。 しかも、これだと思って進んだ先に暗闇が待っているかもしれない。 絶望し立ち直れない過ちだったと思うかもしれない。 それでも、心の声に耳を傾けずにはいられない。 いかに今が快適だろうと、本当に生きた心

      • 社会奉仕

        社会奉仕なのかもしれないと思う。 人間は自分のために生きるのが自然だと思っていたが。 もしかしたら、そう考えるのが自然なのかもしれない。 社会奉仕。 世のため人のため。 これまでそれは偽善だと思って嫌厭していた。 しかし冷静に考えると、その気持ちがある。 全人類のために何かしたい。 これが社会奉仕なのか。 何か意味があるのか。 でもここにヒントがありそうだ。

        • 自然

          真実に近づいているのか。 それとも果たしてそのようなものに近づくなどできないのか。 それとも、そもそもそのようなことを考えるのが非生産的でどうしようもないのか。 ただ、今この生を全うすればいいのではないか。 なぜそこに解を求める。 なぜそこに何かを求める。 そこには何もないのではないか。 この生を何の制限もなく目一杯楽しめばいいのではないか。 どうなのだ。 しかし、この生に従っているが故にこのような考えが浮かぶ。 何のために生きているのか。 真実はどこにあるのか。

        充実感の追求

          完全体

          シンプルになる。 それが完全体だ。 そうなる。 そうなっていく。 そうしていけば自分に近づける。 自分に近づくことができればそれでいい。 究極は体がなくなっていい。 そのほうがいい。 できれば存在だけになりたい。 そうすれば煩わしいことはなくなる。 実務もなくなる。 自分が臨むことは思考の連続。 考える。 そういうと昔からだった。 この感覚。 何かを考えている。 実務はなんか嫌だ。 私は考える。 生産性とか、そんなのはない。 ただ自分と向き合う。

          暗い部屋で一人

          幸福とは何か。 一人で考えてみる。 何となく、人と接することで感じられるものかもしれないと思う。 一人でずっといても感じることができない気がする。 森で仙人のような生活がしたいとは思わない。 ひっそりと人里離れて過ごすのは違う気がする。 そうではなく人との関わりで幸福かが決まる。 逆に言えば、人との関わりで不幸にもなる。 一人でいれば幸福でも不幸でもない。 どちらでもない。 だから不幸な目に遭ったならば、一人を選ぶ場合もある。 ゼロでいいって。 マイナスよりはゼロ

          暗い部屋で一人

          理念は人よりも長生きする

          具象ではない。 抽象でいいのだ。 捉え方でいい。 愛する人がいて、それは存在でいい。 形があろうがなかろうが。 それは存在でいい。 自分の頭の中にイメージがありさえすればそれでいい。 愛されている、という感覚だけがあればいい。 実際に行動や実態がなくとも。 我々人間はそういうことを感じることができる。 想像することができる。 そんな生き物だ。 だから「実際の何か」がなくともそのイメージだけで生きることができる。 同じ景色も、心の状態によって変わる。 心の持ちよう

          理念は人よりも長生きする

          心のありよう

          いや、そう思う時もあるがそう思わない時もある。 世の中はどうでもいいと思う時もある。 「誰かのため」などという正義感ぶったものではなく 自分の幸福を求める先に誰かの幸福になればそれはそれでいい。 あくまで自己の最大化がテーマ。 自分の価値を世の中に提供するという人生。 人類の、生物の成り立ちとして何を求めているのか。 それは最終的に幸福を目指している。 幸福とは一過性のものではない。 それは渇望を産む。 さらに、さらに、となる。 そうではなく永続的な心の安定。 幸

          心のありよう

          私はノミになる

          死んでしまえばいつだって休息できる。 死ぬ時にやらなかったことを後悔するだろう。 そうはならない。 ノミは自分の200倍もジャンプできる。 でも瓶に蓋をするとその蓋がなくなってもそこまでしか跳べなくなる。 でもまた跳べるようになる方法が一つだけある。 それは、跳べるノミの側にいさせること。 そうすると再び蓋の高さよりも高くジャンプするようになる。 私はそんな存在を目指しているのだろうか。

          私はノミになる

          どう生きる

          何でもいい。 燃やすのだ。 心の中に湧く感情を。 黒い感情でも、何でもいい。 燃えれば何でもいい。 燃えればエネルギーになる。 エネルギーが出れば行動できる。 この世は行動あるのみ。 考えていることだけではダメ。 まさに無意味。 なぜ生まれてきた? 何を成そうとする? 成す必要はない。 生まれてきた意味もない。 でも生まれてきてしまったんだ。 ならば。 ならば、どう生きる。

          どう生きる

          無意味

          絶望。 だから何でもできる。 何か人生に意味があると信じ込んで、何かを期待して時間を過ごしている人にとっては次元の違う話だ。 したいことをさっさとやれ。理由などいらない。 周りから見られているなど最もらしい言い訳をするな。 それは幻想だ。 いい人を演じるな。 誰からも好かれるな。 純粋でいい。曲げる必要もない。 楽しくない時は楽しくない。 感性に従え。 一人になりたいときは一人に。 誰かといたい時は誰かと。 そうやって意味のない感性に従え。 最終的に辿り着く場所があ

          本能の奥

          自分がしたいこと、否。 自分の体の奥底が望む行動を起こすこと。 日々の喧騒や集団の中では、どうしても表面的な感情で動いてしまう。 そうではなく、自分自身の声に耳を傾けること。 時には表面的な活動の最中に、感情の起伏が起こり真の自分の声が聞こえるかもしれない。 また、幼き日の無邪気な行動を振り返ってヒントを得るかもしれない。 自分自身の心の声というのは歳月とともに聞こえなくなる。 いかに純粋な気持ちでいることができるか。 無邪気なままで生き続けることができるか。 そうし

          序章

          真理を追求した者、ここに眠る。3025年8月21日。 人はなぜ生まれ、なぜ生きているのか。 そのことについて考察する。 1000年後にも残るような、そんな真理を追求したい。 私が考える真理というものが世の中にも当てはまることを証明していきたい。 「私が考える真理とは何か」を明確にする。 人間は社会的集団であるために、団体行動をとる。 しかし、その流れに従ってもいいが、それぞれ個性を生まれ持っている。 これはどうしてそうなったか説明はできないものだが、人によって異なる

          自由からの考察

          サードプレイス、アトリエ。 ここがあるのが自分にとって最高の幸せ。 本当にしたいことだけに集中できる。 でもふと迷う時がある。 一人になって何の制約もない。 何をする。 自由がある。 だからこの自由をしっかり時間を注ぎ込みたい。 何に? その何にをはっきりさせたい。 一つのゴールに向かって届けたい。 睡眠と休養、栄養も必ず摂取。 何のために? 完璧な体調のために。 完璧な体調にして何をする? ゴールに向かう。 僕のゴールは目標に向かって常に進むこと。 その目標

          自由からの考察

          道 自然

          道に従うこと。 道というのは、自然な様。 無理しないこと。 目的を果たす。 それ以外はしない。 目的を果たすだけ。 自慢もしない。 道を進むものは目的を果たす。 余計なものはいらない。 余計な頑張りは道を外す。 私利私欲ではない。 自分が思ったこと。 過ぎたるは及ばざるがごとし。 完璧にしすぎるのではない。 承認欲求に塗れるのではない。 ダメだ。 そうなってしまっては。 自己肯定感を高くもて。 自己有用感とか、自己効力感を求めるのではない。 そうなってしま

          宇宙と交信する

          感謝の手紙を書くところから始まる。 そこから1日がスタートした日。 この感謝の手紙というのは偽善者的に見えるかもしれないが、自分のためにしている部分が多くある。 というかそれしかない。 申し訳ないが。 自分の気持ちを良くするためにしている。 ということがかっているので、偽善ではない。 最初から悪だとわかっているから。 自己の幸福を最大化して、それを他者に溢れた幸福の分配を行うということをしたい。だから自分を一番いい状態にしておく。 いい状態というのは宇宙とつながった

          宇宙と交信する