熱源

 移動は苦手だが、読書ができるので好きだ。

 「東京行きのお客様、搭乗を開始いたします」

 列に並び、機内に移動する。窓際の席。


―20年前

 「将来は、木こり?」

 「はい。」

 「なんで?」

 「なんとなくっす。」

 「大学は?まあまだ時間もあるし、もっと真剣に考えてみなさい。」

真剣に考えて出した答えだった。世の中からできるだけ離れ、自分だけの時間を過ごしたいと思っていた。人付き合いは苦手だったが、まあまあうまくはできていた。しかし、疲れる。

 高校を卒業したらどうするか。三者面談で聞かれたので、面談シートに書いていたことを伝えたまでだ。絶対に木こりはいい。森の中、一日中1人で木を切って、腹が減ったら弁当を食べて、お茶を飲んで、少し昼寝して、木を切って。こんな自由で、世の中から離れることができる職業は他にはない。半分冗談で、半分本気だ。

 三者面談が終わり、部室に向かう。扉を開けると、すでに数名が着替えていた。ヨシオカ、コウキ、ショウタ、フジオだ。

ヨシオカが、

「走っとこうぜ。」

と言いながら練習内容にランメニューを提案した。

コウキが、

「えーきついやん。」

ショウタが、

「うるせーやん。やけんお前はうまくならんった。」

フジオが、ランパスから始めることに決裁した。

僕は別に意見も言わず着替えをし、4人が着替え終わって出て行くと、遅れてグラウンドへ向かった。

 小学校3年生から地域のラグビークラブでラグビーを始めた。そのまま地元の高校のラグビー部に入部した。高校生活、ラグビーはほどほど充実したもので、県でベスト8で人数も45人ほどいた。ほとんどラグビー部とだけ過ごした高校生活の日々だった。

秋。高校生活最後の大会を迎える。地区予選を勝ち抜き、県大会に出場。抽選の結果、全国大会常連の王者との対戦になった。抽選結果を伝えに帰って来られた監督は笑いながら涙目だった。

 大会前日、ショウタが涙目だった。いよいよ終わるのか。高校ラグビーが。

 0対133。静かな戦場に立っていた。誰も、何も言えなかった。これが現実。

 何になろうか。

部活動を引退したら、することがなくなった。僕は、何か一つのことに時間をかけて取り組むのが好きなのだと思っていた。消防士もいいな。でも部活の練習をしていたら、採用試験の申し込みを忘れていて提出できていなかった。まあ、それぐらいの思いだったということだ。やはり木こりだな。

保育園に通っていた時からいつも感じていた。自分は人とは何か違う、と。何が違うのかは、上手く言葉では説明できない。

小学校で学年に1人はいたであろう、年中半袖半ズボンの男。僕もソレだった。理由は上手く説明できない。みんなが、寒くなったら長袖を着るという当たり前の行為に違和感を持った、という言葉が一番近いのかもしれないが、それも違うような気もする。

中学生になると教室にいるだけで違和感を覚えるようになった。だから自分の感情を無にするようにした。別にいじめられていたわけでもない。ただ、昼になってチャイムが鳴ると、みんなが当たり前のように弁当を食べるという行為に違和感を持った。高校生になると少しずつみんなに合わせる術や、自分を変化させることができるようになってきた。

何になろうか。

世の中で生きるには息苦しい。やはり木こりか。でも正直なところ、この世の中でやり残したこともあるような気もする。世の中からフェードアウトするのは、寂しいと感じている自分もいる。では何がしたいのか。それはわからない。わからないが、「一つのことに時間をかけて取り組みたい欲」がある。

ラグビーでの最後の試合。王者の選手の戦慄のまなざしと、鍛え抜かれた肉体、ジャージが脳に焼き付いて剥がれないでいる。これかもしれない。ラグビーの高みに触れた。その時感じた衝撃と無力感。未練。そうだ未練だ。世の中に未練がある。ラグビーに未練がある。高みに触れ、上には上がいるとわかっていながら、見て見ぬ振りをする、この自分自身の可能性に対する罪悪感。もっと鍛えれば、もっと上にいける可能性があるかもしれない自分自身を裏切る罪悪感。自分の可能性に対する未練。自分を最大限発揮しないまま、終わらせる気か。

大学に行き、ラグビーをする。世の中に、もう少し執着しよう。自分という人間に、もう少し執着してみよう。どうせやるなら、中途半端なところでは意味が無い。強い大学を調べて、自分が納得したところにいこう。僕は人よりもこだわりが強い。特に何を重視して大学選びをするという訳ではないが、ジャージの色が何となく気にくわないとか、雰囲気が何となく合わなさそうといった、言葉では表現できないような要素が複雑に絡み合って、あらゆる関門を突破した先に、私のこだわりが待っている。要するに、「なんとなく」だ。いや、なんとなくではない。しかし、なんとなく以外に表現のしようがない。したがって、言葉にするならば、しょうがなく「なんとなく」と表現することになる。 

日本中の主要な大学ラグビー部の試合のビデオをかなりの数集めた。一つ一つ見ていく。

「もう。大学のラグビーの試合ばっかり見て。合格せんとできんっちゃけんね。」

母が言っている。そんなものばかり見てないで勉強しなさいと。勉強が先でしょと。

違うんだよ、お母さん。僕が本当に行きたいと思わないと、どこも行けないし、どこにも行きたくないんだよ。これが一番の近道で、僕の力を最大限に発揮しようと思うと、この順序になるんだよ。勉強が後なんだ。僕の守備範囲の狭いこだわりにヒットさせるのが、どうしても先なんだ。

雨の中の球技場。芝が剥げて土が剥き出しになり、ドロドロの戦いだった。対戦相手はエリート大学。高校時代のスーパースターが集い、茶髪でお洒落なジャージの着こなしで、雨の中でも爽やかな印象。監督が画面に映し出される。強豪チーム特有の、無表情でオーラのある顔。スタンドに座り、傘を差して観戦している。

対して。泥臭い大学。泥で顔まで汚しながら、相手の足首に繰り返し刺さる。倒れては起き、華麗なステップでかわされながらも、次から次へと選手が刺さる。次の瞬間、画面は監督に切り替わった。仁王立ちだった。激しい雨の中、ブレザー姿でグラウンドに立ち、腕を組んでいた。もちろんブレザーはずぶ濡れ、革靴もドロドロだった。こんな世界を待っていた。

その大学は、まるでレーザー光線のように僕を照らした。おそらく、多くの人はこの試合を見ても何も思わない。この瞬間の、この状態の、この雰囲気の中にある、僕という存在だけにぴったりと照準が合った。ここだ。ここに行こう。

次の日、その大学に行くことをショウタに伝えた。ショウタは驚いたように言った。

「日本一練習がきつい大学で有名やぞ。お前大丈夫か?」

知らなかった。ショウタはラグビーに関する知識はピカイチだった。県選抜にも選ばれ、関東の大学でラグビーを続けると、早くから決めていた。ショウタは続けて言った。

「そこで4年間ラグビーしたら、その後の人生、たぶん何も怖いもんなくなるよな。」

受験勉強に入った。試験まで残り2ヶ月。大学を決めることに時間を使った。それは正しかった。モチベーションが、腹の底から無限に湧いてきた。何時間でも勉強できた。自分自身が興味を持って、こだわりに値する対象を見つけたとき、僕はすごい力を発揮するのだと実感した。勉強がゲームのようだった。もっと難しい問題を求めた。

センター試験を受けてみた。自己採点の点数が良く、担任からある提案を受けた。

「この点数なら国立大学を受けてみなさい。」

「その大学で自分は何をすればいいと言うんですか?」

「それは…。まあ、受かりそうだから受けなさい。」

「そうですか。嫌です。」

なぜこんな提案をするのか。行ける場所に行く、のではなくて、行きたい場所に行くのだろう。できそうだからする、のではなくて、したいからするんだろう。

希望の大学と関東の大学に合格した。関東の大学は高校の先輩が在籍しており、誘われるがまま受験したのだ。最新の設備で、科学的なトレーニングやすばらしい環境でラグビーができる。一方希望した大学は日本一きつい練習で、根性練習が多いのだろう。正直、関東の大学の情報は先輩から仕入れることができたが、希望する大学は、設備や雰囲気は皆目見当もつかなかった。

2択を迫られた。一方は綺麗な舗装された道。先の方までしっかりと見渡すことができる。もう一方は、その先に何があるかわからない。怖い。何かが得られるかもしれないし、得られないかもしれない。

僕は、もともと希望していた大学を選んだ。根性練習が自分に合っていそうだし、ビデオで見た衝撃、日本一きついところで自分を試してみたい…。どれもそれっぽい理由を並べてみた。しかし言葉では表現できない気持ちだ。やはり、なんとなく、となってしまう。


高校の監督が大学の監督に連絡をしてくださったので、入学前の3月上旬から練習に参加することができた。入寮日に、寮の場所を確認しながらウロウロしたが、寮が見つからず困った。ぐるぐる回っていたが、その回っていた建物が寮だった。ボロボロで気づかなかったのだ。

寮に入ると部屋を案内された。6畳の和室に2人部屋のようだ。扉に自分の名前があった。部屋に入り、どうしていいかわからず、しばらくぼうっとした。突然扉が開いた。

「布団持ってきたんか?」

「いいえ、持ってきていません。」

そう言うと、先輩らしき人はまたどこかへ行かれた。食事ができるお店を見つけて1人で夕食を食べ、戻ってくると部屋に布団があった。有り難かった。

全体練習が始まった。1年生の新入部員は24人。グラウンドでの体力測定から始まった。

「一般入試で来たのはお前か?」

「はい、そうです。」

数名の先輩から声をかけられた。

「ようわざわざ来たな。」

後で調べてみると、新入部員25人の内、24人はスポーツ推薦などで入部していた。高校時代、各都道府県の代表や年代別日本代表に名を連ねた者もいた。全部員数約100人。野獣の群れの中にカエルが迷い込んだ。

練習は激烈だった。3月は愛媛に合宿に行き、ひたすら走った。走るためだけの合宿だった。ボロ雑巾になった。大阪出身のゴトウは、

「しんちゃん、俺この合宿おわったらもう辞めるし、この練習着あげるわ。」

とジャージなどをくれた。

練習がきつくて泣いている同級生もいた。それほどの激烈さだった。

授業が始まると、日々の生活は激烈さを増した。練習と回復の繰り返しの日々が始まった。朝5時台に柔道場に行き、朝練の準備から始まる。ウエイトトレーニングが1時間半。僕は体重が60㎏もなく、部員全体の中でも最軽量の1人だった。朝練では全員が同じ重量を扱うので、辛かった。ウエイトトレーニングは、何のごまかしも通用しない世界だ。弱さが露呈する。嫌でも自分の弱さと向き合わなければならない。そこから逃げることはできない。何度もタオルで顔を覆いながら涙を流した。

8時に朝練が終わり、食堂で朝食をかき込み、9時の授業に間に合うように出発する。疲労と、布団からの挑戦状をはねのけなければならない。出発できるかどうかは、気力の勝負だ。放課後の練習は16時から20時頃まで行なわれる。授業は4時間目まで受けると、16時半まであるので、4時間目がある日は必死に原付バイクをとばしていく。

雨が降って、グラウンドに水たまりがある場合は13時頃から「水抜き」が始まる。溜まっている水をスポンジで吸って、グラウンドの外に流すのだ。水抜きがある日は7時間ほどグラウンドにいることになる。

練習は途方もない。4時間ほどある。しかもその日に何の練習があるかはわからない。とにかくきついことだけは確かだ。多くの練習は人のベルトコンベアのようで、休みなく走り続ける。その中でボールをパスしたり、ぶつかったりするラグビーの要素が含まれている。また、ボールを落としてしまうなどの軽微なミスをしたら、やり直さなければならない。多くの練習がグループで行なっているので、ミスをした場合、グループのメンバーも連帯責任になるし、ベルトコンベア式なので、再び流れに戻るまで全力で走らなければならない。

このように、文章にすればそれまでなのだが、このきつさはうまく伝えることができない。精神的にも肉体的にもきつい。一回の練習がこれほどまでにきついのに、朝もあるし夕方もある。そしてこれが4年間もある。もう限界だ、という時は川のほとりで、水の流れをぼうっと見つめたこともある。これが日本一の練習か。

4軍までに入れないメンバーは練習中に山に走りに行くというメニューがある。練習の場所がないからだ。僕は大抵そのメンバーの中にいた。グラウンドから山の方へ走りに行き、グラウンドが見える場所まで行くと、つぶやく。

「今日も相変わらずきつそうなメニューやなぁ。」

「そうっすねぇ。」

楽な練習でラッキー、これでいいんだという気持ちと、自分はここにいったい何をしに来たのかという気持ちが葛藤していた。

秋。シーズンに入った。僕は、雑用がよくできるという理由で、1軍のサポートに任命された。試合中に怪我した選手にいち早く駆け寄り、怪我の応急手当などを行なうのだ。同時に3軍のメンバーとして試合に出場した。ただ、試合では足手まといになるばかりで、

「どけ!」

と仲間の先輩から怒鳴られることも多々あった。薄々感じてはいたが、僕以外の選手のレベルは相当高かった。みんな高校時代は名の通った選手達なのだ。やがて現実が訪れる。

入部して1年が終わる頃、主務の先輩に呼ばれた。

「お前、監督からマネージャーになれ、言われてんで。」

「え?自分がですか?」

マネージャーになるということは、選手ではなくなるということだ。そして、その話が僕に来たということは、僕に選手としての素質がないという事実を突きつけられたということ。つまり戦力外通告だ。現実が突きつけられた。今まで目を背けてきた自分。そこまで見られていないと思っていたが、よく見られていた。お見通しだった。屈辱だった。

「何とか選手として残していただけませんでしょうか?」

主務の先輩に、せめてもの反論をした。

「監督に伝えといたるわ。」

数日後、マネージャーの話は別の同期に打診が回され、その同期が引き受けることになった。事実上の戦力外通告を受けたという、この経験が私を変えた。これまで自分を大事に育ててきたが、それではダメだということに気づかされた。捨て身になり、自分の出会ったことのない自分にならなければ、何者にもなれない。

その日から、通常の練習に加え個人練習をするようになった。夕方の練習が終われば、すぐにウエイトルームに行き、トレーニングをした。オフの日も河川敷を走ったり、朝練がない日も朝からウエイトトレーニングをしたりした。自分はどちらかと言えば下手くそだが、一番下手くそではないだろう、と自分の実力を曖昧にして目を背けていた。しかし、一番下手くそだとわかった。100人中100位だ。ずっと認めたくなかったことを、認めた。

大学スポーツは高校部活動に比べてオフが多い。オフは好きだ。なぜなら、周りと差をつめることができるからだ。しかも、一つのことにのめり込む自分の性格に合っている。一つのことに照準を合わせ、計画立てて積み重ねることにモチベーションを感じる。一時の快楽から目を背け、遠い先にある何かを手に入れるために何かを企んで1人で取り組むというのが性に合う。逆に、急なできごとへの対応や自分のペースを乱されることが苦手なのだが。

長いオフの間は、地元に帰り、ジムでウエイトをして外を走り、高校のグラウンドで後輩達と練習をした。這い上がるしかなかった。その状況に心の底からモチベーションを感じた。頑張ってもダメかも知れないという不安と、今ここまで自分を追い込んでいるのは自分しかいないという自信のバランスが心地よかった。

オフ明けは練習再開の3日前に寮に戻ってくる。もちろん誰もいない。なぜ3日前かというと練習再開の2日前と1日前にグラウンドを走るためだ。不安なのだ。ちゃんと走れるのかどうか。みんなはもちろん1日前に戻ってくるが。

2年生になった。尊敬できる部員に恵まれていると感じる。

1学年上のフミさん。各年代の日本代表候補に選ばれる先輩だが、努力の素晴らしさを隣で実感する。毎週火曜の練習メニューは150m走を12本全力で走る。グループはポジションのライバル同士を組み合わせている。全力とはいっても並の人間なら12本分の体力を考えながら走る。しかし、フミさんは違う。この人は2本目くらいから嘔吐している。才能で代表に選ばれているのではなく、このような地道な努力の繰り返しで高いところまでいっているのだと感じる。

同期は、特にタスク、イシクラ、ヤマト、チュン。

タスクは2年からレギュラーとして定着し始めた。僕は、公式戦の時はメディカルというサポートの仕事を任されており、レギュラーの身の回りの世話をしていた。試合前のロッカールーム。タスクは先輩達の中で不安と緊張で貧乏揺すりばかりしていた。司令塔を任されているので、サインプレーを書いた紙を見ながら貧乏揺すりをしている。タスクのような才能ある選手でも不安に押しつぶされそうになるのか。

イシクラは、年齢は一つ上で、浪人して入部してきた。常にポジティブで課題に対して戦いを挑む男だ。自分を持ち、頼れる兄貴的な存在。練習で、相手を軽く捕まえるルールであっても思いっきりタックルをし、先輩達からボコボコにされるということもあった。本人は全く気にしていない。1年からレギュラーを掴んでいた。オフの日などもよく一人でトレーニングをしていて、一緒に階段ダッシュをしたこともある。自分を持っていて尊敬できる。人生の判断に迷う時、イシクラならどうするだろうかと自分自身に問うことがよくある。

ヤマト。高校時代からスーパースターだ。カモシカのようなバネのある走りでトライゲッターだった。高校時代は雲の上の存在で触れることすらできなかった。この男、すごいのは才能ではなかった。努力だった。負けん気が異常だった。自分が何者かに負けるのが許せないというオーラがムンムンしている。練習が終わった後に、近くのジムのプールで泳ぎ、体の調子を整えているという。才能だけ、じゃないんだ。

チュン。韓国出身のセンス抜群の選手だ。体は細身だが、パス、ラン、キックのセンスがずば抜けていた。1年生の最初からすぐにレギュラーだ。持って生まれた「ものの違い」をはっきりと見せつけられた。才能からあふれ出る自信、その自信が彼のプレーをさらに芸術的なものにする。しかし、僕は彼の挫折の瞬間を目の当たりにする。この年の全国大学選手権、関東の大学との試合終了間際だった。負けたら終わりのトーナメント、接戦だった。最後の最後までもつれ、ついに最後にゴールキックのチャンスがきた。外れれば敗退、決まれば同点で抽選に持ち込めるという状況だ。後半から降り出した雪が激しくなり、グラウンドが真っ白になっている。蹴るのはもちろんチュン。僕はメディカルという立場で、怪我人の対応などで臨機応変にグラウンド内に入ることができる。この時もチュンの足が滑らないように、チュンが蹴る周りの雪をかきにいった。もう一人、4年生のキャプテンが来られて、僕はキャプテンと二人で雪をかいた。チュンとは何も喋らず僕は離れた。チュンはゆっくりとボールをセットして、いつものように助走を確認し、蹴った。そして外した。試合終了の笛が鳴り、相手の選手と観客が大喜びしていた。チュンは泣いていた。あのクールなチュンが。キャプテンがチュンに歩み寄り、抱きしめた。チュンはもっと泣いた。4年生はこれで引退。僕は、雪でビショビショになった自分の足元をみた。冷たかった。ふと雪かきのシーンを思い出した。僕は足で雪をかいた。しかし、キャプテンはグラウンドに膝をついて両手で大事そうに雪をかいていた。僕は未熟だ。改めてキャプテンを見る。敗軍の将でありながら毅然と振る舞い、後輩達を励ましている。自分自身の未熟さが悔しかった。チュンはこの試合後から、特別な才能に加え、近寄りがたいほどの努力を始めた。特にキックに関しては、自主練中は言葉をかけることすらできない空気だった。

後輩では特に、ムソウ。体は小さく、僕よりも少し大きいくらい。ポジティブで気持ちの良い人間だ。練習試合で、対戦相手のトンガ人留学生が50mを独走中の時だ。1人目が弾かれ、2人目が弾かれ、もう誰も止められないと思ったその時、真横からロケット弾のような速度でムソウが飛び込んだ。爆発のようだった。二人ははじけ跳んだ。留学生はボールを落として吹っ飛び、ムソウは倒れて立ち上がれずにいた。チームメートに抱えられてグラウンドから出て行くとき、メンバーにも入れず試合を眺めていた僕のそばを通り過ぎた。グラウンドの砂と血と涙でボロボロの姿だった。肩を抱えられながら通り過ぎていく、その姿は最高に格好良かった。この試合で彼はレギュラーを勝ち取った。

それぞれの人間が、全力で自分の目標に向かって努力している。そこにマニュアルはなく、精神と肉体と思考を最大限発揮するシンプルな世界である。

3年生の秋、1軍の補欠に定着していた。ライバル大学との公式戦。試合前のロッカールームに緊張が走っている。フミさんが嘔吐している。タスクが貧乏揺すりをしている。監督がゆらりと無表情でロッカールームに現れた。全員が立ち上がり、円陣を組む。監督が何を発するのかに全神経を集中させた。このライバル校との試合だけは特別だ。この大学を倒すことに人生を賭けてこられた監督の信念は並々ならぬものがある。近くにいるだけで、はっきりとそれはわかる。一言だけ、叫ばれた。

「蹴散らしてこい!」

「おっしゃー!」

勝った。僕はベンチからグラウンドへ駆け出した。やった、勝った。他のメンバーも雪崩を打ってグラウンドに駆け寄る。観客席を見上げると、ジャージをもらえなかったブレザー組のチームメートや応援に来てくださった先輩方が身を乗り出して泣いていた。普段涙を流すようなタイプではないチームメートまでもが。すごい光景だった。ライバル校に勝つということがどういうことかわかったような気がした。

しかし、補欠は精神的にきつかった。何がきついかというと、1軍でも2軍でもないからだ。はっきり2軍なら、2軍同士の試合があり、プレーすることができる。だが、1軍の補欠は、1軍とのメンバー入れ替え要因だ。しかも僕のポジションはチュンとヤマトがいて、交替するとなると戦力ダウンになる。自分でもわかる。

全国大会1回戦、相手は大きかった。会場に到着してロッカールームやグラウンドをウロウロしている姿を見るだけでも体格の大きさが僕たちよりも確実に大きかった。そして当然だがお揃いのウインドブレーカーを着ていた。試合開始前、両チーム選手が並んだ。僕たちはバラバラのウインドブレーカーだった。最新のチーム対旧式のチームといった戦いである。

後半残り20分。負けていた。何とか逆転しなければならないところでエースヤマトが足を引きずっている。もう走れない、入れ替えだ。僕が指名された。監督から何かを言われたが、聞き取れなかった。怯えていた。不安でいっぱいだった。ヤマトと交替しグラウンドに入った。初めて全国と呼ばれる舞台に立った。グラウンドと観客席は思ったより離れていて孤独を感じた。音が全くない世界だった。自分のせいで負けたら嫌だ、相手よ、こっちに走ってくるな。

怯え続けた20分間は終わり、チームは逆転勝利を納めていた。試合が終わって着替えを済ませると、両チームの選手、レフリーが一カ所に集まって食事をする催しがあった。アフターマッチファンクションと呼ばれるものだった。そこは勝ったチームと負けたチームのキャプテンが、相手チームを称えるコメントをしたり、レフリーが試合を振り返って感想を述べたりするという時間だった。相手チームのキャプテンは、

「みなさんのチームは、素晴らしいチームで、我々としては、我々としては…」

といったところから涙を流し、声を詰まらせた。こんな世界があるのだなと思った。この人は、自分をごまかさず、真摯に、本気で人生を賭けて取り組んできたのだと思った。

全国大会2回戦、次の相手チームをミーティングでビデオを見ると、とてもすごいチームだった。試合は一進一退。決め手はチュンのキックだった。キックだけで11点をマーク。最後はキャプテンが逆転トライを決めて試合終了。この瞬間、全国ベスト4と年明けの準決勝が決まった。会場中が湧き、僕を含め補欠メンバーがグラウンドの選手の元に駆けだした。

ふと、タイさんがじっとしていることが気になった。同じ補欠メンバーの先輩だ。ベンチコートのフードを深くかぶったまま、突っ立っている。いつもふざけてばかりの先輩だ。そのタイさんともあろうお方が、この歓喜に乗り遅れるとは何事か。

「タイさん、何してるんすか?行きましょうよ!」

そう言って棒立ちのタイさんの顔をのぞき込む。タイさんの顔は涙と鼻水でグチャグチャだった。嗚咽を押し殺して一歩も動けずにいた。

全国大会準決勝。前日入り。ホテルは1人部屋、贅沢だった。何にもないところから、頑張ればこんなところまで来ることができる。何者でなくても、保証も何もなくても。努力次第で何にでもなれる。

準決勝、当日。ウォームアップをしていると多くの取材陣が僕たちを囲んだ。試合観戦に来た芸能人も見た。ロッカーで着替えを済ませ、それぞれの選手が自分の時間を過ごす。出発の時間になった。ロッカーから出ると準決勝第1試合目を終えたチームの選手達が花道を作っていた。僕たちはその拍手の中を通りグラウンド脇まで進んだ。相手チームの選手と並んだ。映画『グラディエーター』の1シーンのようだ。入場の合図を待つ。

入場。上から歓声と拍手が降ってきた。グラウンドに入り、正面スタンドを見上げた。VIP席のようなガラス張りが見えた。そして、その両隣に金剛力士像と天女の像が見えた。神秘的だった。

レギュラー15人はグラウンド内に入り、僕は補欠やスタッフ用のベンチに座った。試合が始まった。大音量の音楽や、響き渡るマイクパフォーマンス。お祭りのようで、見せ物のようで、本当に剣闘士の戦いのような会場の雰囲気だった。その中で黙々と戦うレギュラーメンバーは本当にすごかった。日本代表クラスが名を連ねる名門大学に対しても、怯むことなく仕掛けていた。

相手チームの方が、能力の高い選手がいて、近代的な練習をしているだろう。しかし、泥臭くて単調な練習の繰り返しでも、信念を持って取り組めば追いつけることをこの時学んだ。味方ながら、グラウンドで戦う仲間に尊敬の念を抱いた。

4年生になった。春、ついにレギュラーになった。春は練習試合が毎週のようにある。ただし、僕には悩ましい問題があった。教育実習で2週間練習を抜けることになるのだ。教職免許は、簡単に取れそうだったので、一応取ってみようと思って、授業を取っていた。

ただし、チームの規律を破ることになる。練習を欠席することになるのだ。練習へ遅刻や欠席をすると、1軍の選手でも4軍くらいまで落ちる。グラウンドに居続ける選手を試合のメンバーに器用するという、監督のぶれない信念がある。この大学の強さの秘訣は、日本一きつい練習と、戒律にも似た厳しい規律にある。

僕は、教育実習で月曜日から金曜日の練習を休んだ。土日の練習は参加し、2週目の月曜日から金曜日を再び休み、土曜日から練習に完全復帰をした。あるまじき長期に渡る休みだ。僕はこれまで、下痢で練習を一度休んだことがある、それも朝練の1回だけだ。それだけに、今回の2週間に渡る練習欠席は絶望だった。やっとレギュラーになったのに。

しかし、おかしなことが起こった。教育実習開けの土曜日の練習で、僕は1軍の補欠に入っていた。翌日曜日にはスタジアムでのラグビー祭というビッグゲームが控えており、大事なメンバー選考だったはずだ。しかし昨日まで2週間も休んでいた人間に、1軍の補欠のポストを与えるなんて、これまでの文化としてあり得ない。周りからの「なんであいつが?」「休んでいたはずだろ?」という視線も痛い。

キャプテンのゴトウに聞いた。

「ごっちゃん、何でジャージもらえたんかな?」

「先生が言うてたで。」

「何て?」

「あいつのことやから、どうせ毎朝1人で走ってるやろ、て。」

これを聞いたとき、人から信頼されるというのはこういうことか、と思った。信頼の大切さを学んだ。

夏。毎年恒例の夏合宿が始まった。強化試合中、僕はいい形でボールをもらって抜け出した。次の瞬間、右後ろからきついタックルを食らった。起き上がって走ろうとしたが、右足首が痛くて走れない。交代することになった。

ただの捻挫だった。しかし大学に入ってから初めての怪我で、初めて見学することになった。これまでの3年半、グラウンドに居続けることで信頼を得てきた僕にとっては、非常事態だった。そして、僕に絶望を与えるもう一つの決定的な要素があった。それは、僕が100%努力型の選手だということだ。

選手の中には大きく分けて、能力型の選手と努力型の選手が存在している。ラグビーのパフォーマンスは能力と努力の積で表現される。能力型の選手は生まれながらにして、体格が大きかったり運動神経が高かったり、センスがよかったりという何かしらの要素を持っている。対して努力型は、持って生まれたものはたいしたものではなく、毎日の積み重ねによって何とか綱渡りをしているというものだ。その継続が途切れると脆い。能力型は浮き沈みがあるものの、一気にパフォーマンスを上げることができるが、努力型には、自分のパフォーマンスを上げる努力の時間が必要。

もちろん、能力型と努力型、白黒はっきり分けられるわけではなく、すべての選手はグレーゾーンの中にいる。どちらの割合が高い選手なのかということだ。トップレベルになる選手は能力も努力もトップレベルにあると言える。往々にして、能力が高すぎる選手は、努力を怠る傾向にあり、僕はその一点に逆転できる可能性を見出し、これまで県代表レベルのチームメートと勝負してきた。僕は限りなく100%に近い努力型だからだ。だから、今回の練習ができない状況は、命取りなのだ。果たして這い上がることができるのか。

秋。シーズンが始まろうとしていた。僕は2軍まで上がってきていた。右足にはテーピングをしており、動きの感覚は9割といったところだ。これまで自分を最大限にフル活用して、なんとか周りと戦えてきた僕にとって、9割で戦うというのは言語道断だった。1軍に勝てるはずがない。僕は覚悟を決めた。それは死ぬ覚悟だ。練習や試合では誰もが怯むところに飛び込もう。どんな大きな相手にも臆することなく、足下にタックルに入ろう。

シーズンに入り、補欠に入ることができた。公式戦。後半残り10分で僕は途中入れ替えで出場させていただいた。覚悟は決まっていた。死のう。

相手のキャプテンがボールを持ち、馬力のある走りで駆け上がってきた。高校時代全国優勝、名のある選手だ。僕は右肩だけでタックルすることに決めていた。左肩には痛みがあり、理性ではどうなってもいいと思っていても、本能が邪魔をして、スピードを落としてしまうからだ。僕は、相手の大腿骨目がけて頭から最高速で突っ込んだ。

仕留めた。僕は跳ね起き、次の選手目がけて続けざまにタックルを決めた。そしてまた跳ね起き次の選手にもタックルを決め、ボールを奪い返そうとした。あともう1人、と思って飛びついたが、反則を取られてしまった。3連続タックル。

出し切った。ほんの数分だったが。自分にはこれしかできなかった。これしかできないプレーを、試合でできた。試合が終わり、グラウンドからロッカールームに引き上げる時、スタンドの最前列で顔を真っ赤にして、必死に叫んでいる中年男性がいた。僕に向かって叫んでいるが、何と言っているのかわからない。見上げながら通過した。近づくとはっきりと聞き取れた。

「ナイスタックル!ナイスタックル!ナイスタックル!ナイスタックル!…。」

その後の公式戦は、何度かレギュラーで出場させていただいた。しかし、シーズン終盤には補欠になり、最後は補欠にも入ることができなくなった。

ある試合で、ゴトウが頭から大量に出血した。ガーゼやテーピングでぐるぐる巻きにして試合に戻ったが。すぐに赤く染まった。その次の試合もその次も変わらず試合に出場し続けた。その度に、頭のテーピングが真っ赤に染まった。避ければいいのに、わざわざ頭のてっぺんから激突を繰り返すのだ。

ゴトウに聞いた。

「ごっちゃん、頭痛くないの?」

「全然痛くないで。」

嘘だ。この男はいつも嘘ばかり言う。傷口を見たことがあるが、何十針も縫っていた。この男には到底及ばないと思った。こうやっていつも飄々と人が真似できないことをする。その姿はみんなに勇気を与え、キャプテンまで務めている。この男には及ばない。

僕たちは、全国大会でベスト4を賭けた試合で敗れ、引退となった。人生のすべてを賭けたラグビーがここで終わる。限界までやった。これ以上の努力はできない。すさまじい4年間で長い合宿が終わったようなものだ。この、日本で一番きつい大学で一番努力したという事実は自分の糧になる。


卒業したらラグビーではなく一般企業に就職をすることにした。チームメートにはトップリーグに行く同期も多かったが、僕に声はかからなかった。当然だ。才能があり、努力もできる選手が上にいける。僕には競技の才能がなかった。しかし、人並み外れた努力する根性と、何かに固執して取り組む執着心を持っていることがわかった。だから、どこか別のステージで勝負できると思っていた。

そこで住宅営業職を選んだ。就職活動は3社エントリーし、練習がない日程を調整しながら活動した。1社は練習試合の日程が重なり、受験を途中で辞めた。残りの2社は柔軟に対応していただいたので、内定をいただき、その内の1社に入社することにした。

一般の会社を選んだ理由はいくつかある。物事の理由というものは紐解けば一つではない。複雑な言葉にならない感情がいくつも交錯して、行動を起こす原動力となる。心の奥底からわき上がる感情に、うまく言葉を当てはめ、論理的に自分の思考を整理しようとする。

今回の場合、心の声を言葉で表すなら、「一回営業をしてみたかった」「たまに自宅にかかってくる営業の電話ってなんなんだろう」「名刺交換の仕方などのビジネスマナーをしっかり学びたい」「売り上げ次第で給料に反映されるから挑戦してみたい」「普通の大人の人が働く仕事ってどんな感じなのか経験してみたい」「大人とのコミュニケーションが苦手なので力をつけたい」「ラグビーで培った自信をラグビー以外の世界で発揮したい」「一般企業で社会を知り、将来教員になろう」「企業で働いたことのない教員にはなりたくない」「自分なら何でもやれるだろう」という気持ちから一般企業への就職を選んだ。

しかし、当たり前だが、毎日スーツの日々が始まった。なぜみんな同じ格好をしなければならないのか。やはりまたここに行き着いてしまった。同じ格好、規則正しく、全体のために、足並みを揃えて。

苦手だった。だから反発をしていた。ワイシャツの一番上のボタンを空けていた。車で通勤するときは裸足で運転して、会社に着いてから革靴を履いた。髪型も営業マンでありながら自分で坊主にしていた。僕は普通じゃない、人と違う。

相手の機嫌を取ったり、愛想笑いしたり、なぜ自分を蔑んでまでそんなことをするのか。僕はそんなことはしない、僕はラグビーで全国大会ベスト4までいったチームにいたのだ。しかもそこで一番努力した自信がある。一般人とは違うんだ。

しかし、気持ちと現実は違った。仕事はなかなか成果が出なかった。というか僕の仕事の仕方が良いやり方なのか、悪いやり方なのかわからない。威勢は張っているものの、何もわからない。誰に聞けばいいのかもわからない。どう聞けばいいのかも。

ある日、上司と同行することになり車内で大学時代の話をした。

「大学時代、全国出て、ベスト4だったんすよね~。」

「へー、それよりコンビニ寄って。」

何となくわかっていたことがはっきりとわかってきた。自分がこれまで世界のすべてだと思って取り組んできたラグビーは、世の中ではほんの、本当に些細な一部だった。

どうやら自分は何も知らない。何もできない。本当に惨めだ。相談しようにも誰にもできない。特に社内では勝手に格好つけた一匹狼みたいになっている。とんだ勘違い野郎だ。

「お前、シャツの一番上のボタンいつも外してるやろ、そういうとこやぞ。」

「会社に来てから靴下履いてるやろ、どういうことや。」

「お前とは仕事したくないと言ってる人いるぞ。」

自分で招いた結果だが、相当辛い。僕は普通の人とは違うと思いながらも、普通と思っている人たちよりも何もできない。惨めだ。自分を変えなければならない。

ある日、上司と行ったうどん屋で、悔しくて、自分を変えたくて泣いた。

「殴ってください。今まですみませんでした。変わりたいです。」

「何言ってんのお前。」

本当に僕は1人で何をしているのだろう。自作自演だ。涙が、うどんの汁の中に落ちた。

普通の新人なら、元気よく溌剌と振る舞うのだろう。自分はどう振る舞えば良いのか。イシクラなら、フミさんならこんな時どうするだろう。勇気を出して、心を入れ替えてきちんとやろう。プライドなんてなかった。それからうまく周りに合わせるように、頑張って馴染むようにした。少しずつ、質問したり、お願いができたりするようになってきた。

 夏になり、新店舗が開店した。日替わりで多くの営業社員が配置され、お客様の対応に追われた。接客は精神力も体力も使う。お客様が少なくなったタイミングで控え室に戻った。5、6名の上司も戻ってきており、待機されていた。そこへ差し入れが届いた。キンキンに冷えた栄養ドリンクだ。やった。喉がカラカラだった。僕は箱を受け取り、机に置くと早速空けて飲んだ。

「お前さ、おかしいんじゃない。こういうのは普通、先輩達に先に配ならいかんやろ。」

その通りだ。今までの人生でいったい何を学んできたのか。自分に甘いし、人との接し方がダメだ。自分だけ助かれば良いと思っている。

そう言えば、大学時代にも同じような気持ちになったことがある。ラグビー部の合宿で寝坊をした時のことだ。集合時間1分前に起きてしまい、慌てて部屋から飛び出してギリギリ間に合うということがあった。しかし、同部屋だった3人は遅刻になった。起こさなかったのだ。あとで3人に謝ったが、

「お前最低やな。」

と言ったチームメートの顔は今でも覚えてるし、自分でも最低だと思った。

こんなこともあった。試合で勝った後に電車で寮に帰るとき、お腹がすいてコンビニでチキンを買った。食べてから電車に乗れば良かったが、何も考えず、電車の中で食べた。その時の周りの乗客の視線、自分自身への嫌悪感は忘れない。

そういうところがある。自分で自分が嫌になる部分だ。自分だけ、という気持ち。意識していないと、傲慢な自分が出てくる。本当はたいしたことないのに。本当の自分のままで生きようとすると、自分を締め付けることになる。本当の自分のままだと、周りに気を使えないし、空気を読めない。だから、いつも社会用の自分を作らなければならない。みんなそうやってオンとオフをうまく切り替えているのだろうか。当たり前のことなのだろう。

そうやってみんな生きているのだ。それが社会だ。僕はだいぶ社会とは意識がかけ離れているようだ。しっかり意識をして行動しないと、言葉や態度で周りを不快にしてしまう。細心の注意を払って人と接するようにしよう。

秋。また問題が浮上した。夏に接客した大量のお客様に、その後のフォローをしていなかったのだ。しなかった理由は自分でもよくわからない。「なぜフォローしなければならないのか」「本当はこんなことしたくない」「面倒くさい」「本当に自分がしたいことではない」「電話して断られたら嫌だな」「そもそもお客様の顔と名前が一致しない」といった感情だろうか。

「なんで今までフォローしなかったんだ。何を考えてるんだ。」

「すみません。」

「明日は会社は休みだけど、俺も出てきて手伝ってやるから。」

有り難い話だった。自分が逆の立場だったら、こんな新人は見放す。だが、

「明日は予定があります。」

「な、何のや?」

「彼女に会いに行く約束をしています。」

上司はあきれ顔になった。

自分でも恐ろしいことを言ってしまったと思った。予定の内容まで正直に言う必要もなかった。取り繕ってうまく言えばよかった。

「お前、状況はわかってるのか。」

「はい。」

そもそも、この仕事って、自分のしたいことじゃないよな。なんで、こんなことしてるんだろ。とは言っても自分で決めてこの仕事を選んだんだよな。この状況も自分で作り上げた。自作自演。しかも色んな人に迷惑をかけている。

「明日仕事をするのか、彼女のとこに行くのか決めろ。彼女のとこにいった場合、このお客様の名簿は他の営業で分け合うことになる。選べ。」

「すみませんが、明日は予定通り行かせていただきます。」

「じゃあ、名簿は放棄するということだな?」

「はい。」

上司は、無言で上司の上司に報告に行った。

一体自分は何をしているのだろう。自分で選んで、ここに来て、自分で選んで発言して、自分で苦しくなっている。一体この先に何があるというのか。

「もう帰れ。名簿を置いて帰れ。」

上司にそう言われて、帰った。上司は全く悪い人ではない。むしろいい人である。自分が訳のわからないことをしているだけだ。しかもたちの悪いことに、自分が変なことをしている自覚がありながらも変なことをしているのだ。

 少しずつ自分のことがわかってきた。あまりにも世間とずれていながら、あまりにも生き抜く術を持っていない。他の人なら、うまく人間関係をつくって楽しく仕事をするのだろう。自分は、うまくは言えないけれど、バッチリ自分の理想にはまらないと、楽しくないというか、嫌悪感をもってしまうのではないか。

社会はおもしろくないし、こわい。仮面をかぶって自分を偽って生きれば周りとうまく合わせながら生きることができるのだろうか。でもそんなことはしたくないし、そもそも自分の能力的にできない。そう、したくないのではなくで、できないのだ。

自分を正当化する材料を頭の中で並べても、それは気休めでしかない。弱い。自分で選んでここにきて、自分で勝手に悩んでいる。どうすれば本当の自分らしく生きることができるのか。真っ暗闇にいる。

トンネルならまだマシだ。まっすぐ歩き続ければ、必ず出口がある。でも今は、宇宙だ。ブラックホール、真っ暗闇だ。どっちの方向に進めば正解なのかもわからない。もがいてもそれは進んでいるのかもわからない。真っ暗闇のブラックホール。しかも、自分でそこに入っていっている。

自分が威勢を張って、何者かになったつもりでいたが、全く、何者でもなかった。全く適応できない、弱虫だった。

冬。もう会社を辞めようと思っている。1年で辞めよう。ショウタに電話してみた。

「俺、1年で会社辞めるけん。」

「マジか?俺もおもしろくねえもんな。毎日なんしよるんやろ。俺も辞めよっかな。」

「まあ、また連絡する」

とは言ったものの、上司には言い出せない。その勇気がない。しかし、もう明らかに自分は間違った職業を選んだと、限りなく思っていた。自分で招いた居づらさを差し引いて考えても、ここに時間を割いて何が得られるのかという思いがあった。これが世の中というものか、ということがわかった。だから本当に自分のしたいことをしなければ、嘘だと思った。ゲームなら何でもいいけど、人生はこだわりたいと思った。だから辞めることを決めた。でも言い出せない。明日言おう、明日言おうと思いながら、言わない方が楽だった。流れに乗っていた方が楽だ。

春。支店長室に呼ばれた。何の話かと思ったら、転勤の話だった。神戸転勤。しかも5人いっぺんに。引っ越し代もアパートの家賃も会社が出すとのこと。上司たちは家族もあったが、淡々としていた。当たり前に受け入れ、家族に連絡を取ったり、住む場所をネットで探したりするなどして、すぐに次の行動に取りかかった。そこに疑問とか反抗という要素は一切なかった。サラリーマンとはこんなものなのか。

ショウタから電話があった。

「おう、辞めたか?」

「うーん、まあそれが…。」

「俺、銀行辞めたぜ。辞表出して来た。」

「え?」

先を越された。というかビビって「辞めます」ということすら言えてない。

「実は、まだ言えてないんよね。」

「マジ?俺もう辞めてしまったぞ。お前が辞めるって言ったけん…まあいいや。」

「すまん。」

そうやって僕は言い出せずにいた。そして神戸に異動した。

神戸では、外国産の車に乗る人が多かった。一般の人でも、社内の人でもだ。お洒落な街で、人々が自分のセンスを競うように生きていた。そんな風に感じてしまった。

僕は自分に言い聞かせた。そうだ、この神戸で心機一転頑張れば、トップセールスマンとかになって、仕事への価値観が変わるかもしれない。それに石の上にも3年というし、まだ辞めるのは早いんじゃないか。と。こう考えれば、上司に辞意を伝えていない自分自身に対する罪悪感が薄れる。思考停止させれば楽。流れに乗っていた方が安泰。でもそれは逃げ。わかってる。わかってるけど動けない。言うのが怖い。

神戸では、ただ日々が過ぎた。これは自分のしたいことなのか。誰かの何かになっているのか。

会社は火曜日と水曜日が休みだ。ふと、学生時代に教育実習でお世話になった、高校を思い出した。せっかく関西に来たのだし、ラグビー部の練習に顔を出してみるか。教育実習中の2週間は、毎日ラグビー部の練習に参加していた。懐かしくなった。

 早速行ってみると、練習しているある一人の男に目がとまった。

もしかして八田か。

しかもグラウンドにボールを叩きつけてチームメートと言い合いをしている。

「お前、何してんねん!もっと走れや!」

「あほか、お前が何してんねん!ちゃんとパスせえや!」

あの八田か。あいつ続けていたのか。

2年前。

当時大学4年生の僕は、高校社会の教員免許を取得するため、高校へ教育実習で2週間行かなければならなかった。教員免許取得のためには必修なのだ。教員免許は念のため、取れるなら取っとこうかなというノリだった。通常の教育実習は母校に行くのだが、僕の場合、たまたまクジか何かが当たったようで、大学の協力校に行くことになった。教職課に「なぜ自分だけ母校じゃないのか、母校に行かせてくれ」とお願いしたが、当然聞き入れてもらえなかった。そのような経緯で京都の高校に行くことになった。

担当した1年生のクラスで僕が初めて自己紹介していたときだ。ひときわ目立つ筋肉質の体つきで、椅子にもたれかかって足をぶらぶらしている。そうか、こいつがこのクラスの番長か。誰が見ても一瞬でわかる男がいた。しかもこいつが、

「腕相撲しよや!」

ホームルーム中にも関わらず、いきなり勝負を挑んできた。周りも番長の空気を読んでおり、はやし立てた。

「おう、やれや!」

「やれや!やれや!」

僕には受けるしか選択肢はなかった。番長の机まで行き、右腕を出した。近くの生徒が審判をする。

「レディー」

軽く握る。デカい。これが高校1年生か。顔つきも成熟している。だが、僕も毎日死ぬような練習をしているのだ。

「ゴー」

一瞬で勝負を決めた。番長は真顔で目線を僕に向けた。

「何かスポーツしてはったんすか?」

この番長、名前を八田光といった。

教育実習生は20名ほどいて、一つの大部屋に入れられていた。僕以外全員がここの高校出身だったので、誰とも話をすることができなかった。が、ふと「ラグビー部の練習に行く」という話声が耳に入った。僕は勇気を振り絞って聞いてみた。

「すみません、この高校ってラグビー部あるんですか?」

「え?」

「すみません、僕、この高校出身じゃなくて。」

「あ、そうなんや、あるで。今日一緒に行く?」

「行きたいです。よろしくお願いします。」

「俺、イマダってゆうねん。よろしく。」

放課後、一緒にグラウンドに行くことになった。グラウンドは学校から離れていて、タクシーで行くということだった。タクシー?京都の高校はすごいな。

グラウンドに着くと、立派なトレーニングルームや部室があった。監督に挨拶してグラウンドに出た。人数も多くて、統率も取れていて強そうだなと思った。2週間毎日行こう。練習に入れてもらおう。

次の日から練習着を持っていき、放課後の練習に参加させてもらうことにした。試合形式の練習で、僕は2軍側に入った。なかなか抜けない、この子ら上手だ。イマダも一緒に2軍に入ってくれた。イマダは東海地区の大学でプレーしているということだった。高校生はなかなか上手で、僕は、僕の感覚を信じて「ここしかない」というところに走り込んだ。すると、ボールを持っていたイマダから「今しかない」というタイミングでパスが飛んできた。

「おお!」

2人で驚いた。お互いがそれぞれ最善と思ったことをやったことが、通じ合った。

「さすがや!」

イマダはとびきりの笑顔になった。たった一つのプレーだけで、それまでの練習や考え方や人間性が通じ合うような、そんな感覚だった。そこに言葉は要らなかった。

次の日の放課後、練習に行こうと思ったら、八田が目に入った。放課後の教室に数名でたむろしている。声をかけてみた。

「部活は?」

「入ってへん。」

 「そうか。」

 「まあ、たまに空手行っているわ。」

 「ふーん、ラグビー部行ってみらん?」

 「ラグビー?知らんな。」

 「行こうぜ。」

 「まあ、行ってもええで。暇やし。」

タクシーに3人で乗り込んでグラウンドに向かった。監督に事情を話して、グラウンドの端で八田とパスの練習をした。パスはさすがに滅茶苦茶だが、動きや身体能力はやはり抜群だった。八田を試合形式の練習に入れてみたくなった。監督にお願いして、練習の最後に少しだけ入れてもらった。勇敢な動きだった。最初でこんな動きはなかなかできない。

練習が終わって聞いてみた。

「どうやった?」

「まあ、まだルールがようわからんな。」

「そうか。」

「でもまあ、おもろいな。」

次の日からも、八田、イマダと一緒に練習に参加し続けた。そのまま2週間の教育実習が終わって、2人とは別れた。

あれから2年、八田がグラウンドに立っていた。

あのまま入部して、3年生の今までちゃんと続けていたのか。イマダもいた。彼は講師として高校に勤務しており、ラグビー部のコーチになっていた。

監督に挨拶して、イマダに挨拶して、就職したこと、神戸勤務になったことを伝えた。練習が終わって八田に声をかけた。

「おう八田。入部して、続けてたんやな。」

「おん。」

「そうか、ラーメンでも食い行こうか。」

「ええで。」

「ここうまいで。」と、八田の家の近くのラーメン屋に行った。2人ともラーメンセットを注文した。八田は先にチャーハンだけを全部食べてからラーメンにかかった。変わってるなコイツ。

ラーメン屋を出て八田を家まで送った。車の中で八田にポロリと弱音を吐いた。

「会社辞めようかと思ってる。でも、どうしようか悩んでる。」

八田は表情ひとつ変えず、

「迷ったら、怖くて勇気のいる方選ぶんちゃうん?」

「え?」

そうだった。2年前の教育実習で、担当したクラスで最後の挨拶をさせていただいた。

「もしこれから先、2つの選択肢があって、どちらかを選ばなければならない場合、楽な方じゃなくて、怖くて勇気がいる方を選んでください。」

覚えていたのか。そうだな。八田の言う通りやな。

八田の家に着いた。

車から降りた八田は振り返って言った。

「ごっそさん。ありがとう。」

「おう、じゃあな。」

「俺、ラグビー部入ってへんかったら、たぶん学校辞めてたわ。」

そう言って家に入っていった。

この言葉を聞いた瞬間、覚悟が決まった。

会社を辞めよう。

高校の体育教師になって、ラグビー部を日本一にしようと思った。そこに僕の居場所があるような気がした。

体育の教員免許がどうやったら取れるのか、調べた。教育委員会に行って、相談させてもらい、もう一度大学に行けば取れることがわかった。教育学部か体育学部がある大学に。

 教育学部、体育学部がある大学に手当たり次第電話してみたが、「卒業生に限る」という返答ばかりだった。なるほど、その大学の卒業生でないと受け入れてもらえないのだ。途方に暮れた。僕の出身大学には体育学部がないのだ。

諦めずに、電話を続けた。すると、ある教育大が科目履修生として受け入れができるとのことだった。早速、手続きに行った。しかし、1年間で受講できる授業数の制限があるとのこと。規定のペースで履修していくと3年くらいかかる。それは長すぎる。

他に受け入れてくれる大学はないのか。電話をかけていくと、別の大学が受け入れてくださると返答をいただいた。ただし、さっきの教育大と条件は同じで、履修の数の制限があった。

そこで考えた。「午前中に教育大、午後にもう一つの大学」といったように、僕が履修しなければならない科目を2つの大学から集約して1年半で免許を取得することは可能ではないかと。答えは可能だった。よし。しかも4月入学と10月入学があり、正に絶妙のタイミングだった。

退職願を提出した。ネットで書き方を勉強して昨夜書いたやつだ。上司に手渡すと、

「わかった。預かる。」

「9月末で辞めさせてください。」

「な、なんでそんな急にや?」

「10月1日から学校に行きます。」

「何のや?」

「教育大です。教員になります。」

「ちょっと待っとけ。」

上司は、上司の上司を呼びに行った。

「今からお前の最悪のシナリオを話すぞ。」

「はい。」

「会社を辞めて大学に行く、教員免許は取れるかも知れん。でも採用試験はそう甘くない。倍率は見たか?」

「はい。」

「なんぼやった?」

「300人受けて4人が受かります。」

上司と、上司の上司は笑った。

「ほらみろ。そんなん無理や。考え直せ。」

「いや、もう決めたんで。」

「でもそれは無理やぞ。ここにおればそこら辺の会社より給料もらえるやろ。」

「はい。」

「じゃあこのままでええやないか。」

「いえ、辞めさせてください。」

「もうわかった。好きにせい。」

9月31日。1年半勤めた会社を辞めた。勤めたというか勝手にゴチャゴチャしただけだ。無駄な時間を過ごしたという意識も多少はある。しかし、それよりも、自分自身のやりたいことや性質について、とことんまで考えることができた。そして、やることが決まった。エネルギーが貯まった。無駄ではなく、貴重な時間だった。

深夜。バリカンで頭を丸めた。この覚悟を一生忘れない。

翌日。坊主頭で大学に登校した。教育学部の授業。年下の学生達は、もちろん教室の後の方に陣取っている。僕は一番前に座った。教員採用試験に合格してやる。

アパートは2つの大学のちょうど真ん中に借りた。どちらにもスムーズに行けるように。そしてちょうど、教育実習でお世話になった高校の近くだった。

大学の授業が終わり、高校のグラウンドに向かった。監督とイマダに挨拶をした。退職し、教員を目指すと。その期間、コーチの勉強をさせてもらえないかと。2人は快諾してくださった。

「これるときは、いつでもおいで。」

僕は毎日行った。土日の練習や試合もすべてだ。いよいよ3年生にとって、最後の大会が近づいて来ていた。そう言えば、この3年生は教育実習に来ていたときに1年生だった。高校3年間でここまで立派になるんだな。練習後、八田をラーメンに誘った。

ラーメンセットを注文し、チャーハンだけを全部食べた。それからラーメンに箸をつける。いつもの八田のやり方だ。変わらない。食べ終わって八田の家まで送る。

「八田、高校卒業したらどうすんの?」

「わからへん。」

「そうか。」

「でもまあ、大学行こかな思てる。」

「ほう、どこのや?」

「あそこ行きたいなぁ。」

 僕と同じ大学を口にした。

「マジ?ラグビーは?」

「そら、続けるで。」

本気で言っているのか。僕の母校だ。しかも、日本一練習がきつい。

ところで、八田は勉強はできるのだろうか。

「八田、学校の評定ってどれくらい?」

「評定って何?」

「12345のやつやん。」

「あーだいたい2かな」

やはり、勉強での一般入試は無理そうだ。大学の監督に言ってスポーツ推薦で取ってもらおう。後日、近況報告も含めて監督を訪ねてみよう。

「先生、ご無沙汰しております。」

「おう、どないした?」

「実は会社を退職しまして、高校の教員になろうと思い、今は教育大などで勉強しています。」

「そうかそうか。」

「それで、ラグビーのコーチングの勉強にと思いまして、高校でお世話になっています。」

「そうか。」

「そこで1人、こちらの大学でラグビーしたいという高校生がおりまして、ご相談させていただきたく、参りました。」

「そうか。でもスポーツ推薦はもう締め切ってるしな。どんな子や?」

「高校からラグビーを始めましたが、運動能力が高くで可能性のある男です。」

「そうか。評定は?」

「オール2くらいです。」

「そらあかんわ。いくらなんでも低すぎるわ。もう一般受験しかないで。お前と一緒の。でもそれも受かるかどうかわからんな、その評定なら。」

「仰るとおりです。お忙しいところ失礼しました。ありがとうございました。」

「またおいでや。」

やはり、一般入試しかないのか。何か他に手はないか。監督が無理なら、正面突破で大学の入試課に行ってみよう。

八田と大学に行くことにした。

「すみません、評定がオール2なんですけど、どうしてもこちらの大学に入りたくて。」

「えいおう入試という入試はご存知ですか?」

「えいおう入試?」

「AO入試です。この入試は学力ではなく、作文と面接で判断します。」

「え?筆記テストはないんですか?」

「ありません。作文と面接だけです。」

2人で顔を見合わせた。

「これや。」

期日が迫っているらしく、書類をもらい、すぐに手続きをした。

それから、練習後に小論文の対策をハンバーガー屋などで行なった。

「俺な、フードバンクしよう思てんねん。」

「フードバンク?何それ。」

「俺、めっちゃ本読むんやけど、最近読んだ本に書いてあって、これやろかな思て。」

「どういうこと?」

「食料が余ってる地域と、不足してる地域があるやんか。それをうまく循環させんねん。小論文にはそういうこと書くわ。」

すごい。というか意外だ。こんなこと考えてるんだ。というかそもそも本を読んでいるということに驚いた。やっぱ変わってるな。

さっさと入試を終わらせ、八田の高校生活最後の大会もあっけなく終わってしまった。次の週に、勝ち進めば自分達が出場するはずだった試合を一緒に見に行った。試合を見ていると隣にいた八田が、話しかけてきた。

「受かったわ。」

「は?どういうこと?」

携帯電話を見せてきた。そこには、八田の母親から写真が送られてきていた。合格証明書だ。はっきりと合格と書かれてあった。

「これ、いつわかった?」

「今や。あ~受かったか~。」

八田は背伸びをした。

淡々と進んでいく。この男の人生、面白い。

八田は大学生に、僕は4月からも2つの大学での勉強と高校でのラグビー指導という生活を続けた。その間、将来のためにと思い、空き時間にトレーニングジムと学習塾でアルバイトをした。トレーニングジムは、筋力トレーニングの知識を学ぶため、学習塾は、今時の高校生を学ぶためだ。

また、通信制の大学にも入学した。高校だけでなく、中学の教員免許も取ろうと思ったからだ。最近の私学は中高の免許がないと採用されないらしい。私学で、どっしり腰を据えて日本一を目指すのもいい。

高校ではイマダと練習を考えて実践した。イマダは、僕の頑固な性格ややりたいことを取り入れてくれ、思い切りやらせてくれる。僕は、どうしても勝たせたかった。自分が覚悟を決めて取り組むこの活動に、ある程度の成果と充実感がほしかった。

世の中の24歳はみんな仕事をしている。安定した職に就き、周りと上手にコミュニケーションを取り、充実している。僕はどうか。僕は仕事を辞め、大学生をしている。しかも勝手に何かを信じ込み、それに時間を目一杯使っている。「自分はできる」という思いをぶらさずに過ごさなければ、気を抜けば一瞬にして自分自身が崩壊する。だから、どうしても勝たせたい。

試合では、水を持ちながらグラウンドのギリギリまで出ていた。メディカルという係だ。その係をしながら選手に指示を出していた。すると、本部の偉い方から、何度も叱られた。

「お前はメディカルか!?コーチか!?」

「メディカルです!」

「じゃあ、黙っとけ!うるさい!」

そんな日が続いて、だんだんとわかってきたことがある。それは、グラウンドの2時間くらいの練習では強くできないということだ。やはり、外部コーチではなく、学校の中に入って、日常生活から関わらないと成果は出にくい。やはり高校ラグビー日本一のために、教員になるのは間違っていない。そんなジレンマを感じた。

「イマちゃん、将来自分のチーム持ったら、練習試合しようや。」

「うん、高みで会おう。」

大学や練習がない日は、1日中教員採用試験の勉強をする。目が開いている間は、ずっとそれだけをした。朝起きて机に向かう。お腹が空いたら朝食を食べ、近くの施設に行く。この施設には勉強机があり、集中できる。昼は牛丼屋で食べ、また施設に戻って勉強する。夜になりお腹が空いたらスーパーで総菜を買って、アパートに戻って食べて勉強する。眠くなったら寝る。

この繰り返しだ。ストップウォッチで集中できている時間を計測する。ぼーっとしている時間はストップウォッチを止める。そうして、1日に何時間何分勉強したかを記録してモチベーションにしていた。昨日の自分に勝つ、と。

アパートの壁には、新聞や雑誌の切り抜きを貼っていた。優勝監督インタビューの切り抜きだ。それを見ることでメラメラと闘志が奮い立つ。

そうやって1年が終わる頃、高校の指導に物足りなさを感じ、大学のレベルの高い環境でコーチングを学びたいと考えた。と、同時に八田の「その後」が見たいという思いもあった。大学の監督に相談した。

「先生、自分は将来高校ラグビーの指導者になりたいと思っています。雑用でもいいので、そばに置いていただき、指導の勉強をさせていただけませんでしょうか?」

「毎月、生活費はどないしてんねん?」

「サラリーマン時代の貯金で何とかしています。」

「毎月なんぼぐらいで生活してるんか聞いてんねん。」

「じゅ、10万くらいでしょうか。」

「わかった。ほな4月からな。」

凄みがある。しかも即決。配慮まで。及ばない。

同時に、問題があった。それは中学校の教員免許を取るために、3週間の教育実習に行かなければならないということだ。しかも、教育実習は母校の大学からでないと申請できないとのこと。早速、大学の教職センターに行った。

「卒業生なのですが、今、科目履修生で体育の免許を取ろうとしています。そこで中学の免許取得のために、体育での教育実習に行きたいのですが。」

「あー、ウチは知っての通り、体育学部がないから無理だよ。」

「え、ではどのような方法がありますか?」

「そうだね、ウチで中学校社会の授業を受けてからなら、中学校社会で教育実習に行くことができるよ。」

「今から中学校社会の授業を受けていくとなると、どれくらい時間がかかりますか?」

「今から2年間授業を受けてもらって、3年目に教育実習だね。」

「それしか方法はないでしょうか?」

「うん、それしか方法はない。」

なんということか。今まで1年半やってきて、さらに3年とは。本当に他に方法はないのか。考え抜いたが、やはりなかった。ただ1つ、可能性があるとするなら…。

偉い人に手紙を書いた。教職センターの室長に。この大学に入学した経緯、過ごした4年間のこと、その後の人生、志を持ったこと、体育の教育実習に行かせてほしいという願い。

そして、それは届いた。許可が下りた。

「今回は特別にいいそうだ。室長に手紙を書いたらしいな。」

「はい、ありがとうございます。」

「ただし、教育実習先の中学校は自分で探すようにとのことだ。」

「わかりました。ありがとうございました。」

実習先は、どこでもいいのなら花園ラグビー場の近くの中学校にしようと思った。心当たりはなかったが、ふと思いついて大学時代の先輩に連絡を取り、つてを辿っていただき、花園ラグビー場に一番近い中学校を紹介していただいた。しかも、その先輩の家から3週間通わせていただいた。有り難かった。

春。大学でのコーチング生活は早朝から始まる。6時前には監督の研究室に行き、ミーティング。8時までトレーニング。その後グラウンド近くに借りたアパートに戻り、勉強。夕方の練習は3時にグラウンドに行き、ミーティングしてからグラウンドに出る。8時くらいに終わってアパートに戻るという生活だ。

監督のそばで、どのようにしてチームを運営していくのか、練習の決め方やメンバーの選考について学ばせていただく。そして、監督が仰る言葉を書き留めた。今後の自分のためになるだろうと。

同じコーチの中にサモア人がいた。元サモア代表で体は小さいがセンスでできているような人物だった。僕は毎日彼と一緒に行動をした。コミュニケーションは英語。適当に話せば何とかなる。

監督は毎月給料をくださった。最初に伝えた10万円ではなく、もう少し多かった。ポケットマネーなのか、何なのか。聞くことはできなかった。そもそも給料をもらおうとは考えてなかったが、監督の心遣いに感謝した。

夏。教員採用試験を受けた。体力テストがあり、色々な競技をした。僕は中でもマット運動が苦手だったが、たまたま目の前にいた受験生の方が、体操専門の方で「ロンダート」という技のコツを教えてくれた。練習時間があったので、いくつかアドバイスをいただき、上手くなった状態でテストを受けることができた。

水泳では、クロールが苦手だったので平泳ぎで挑戦した。クロールの人たちよりは遅かったが、おそらく平泳ぎは1人だけだっただろう。目立った。

柔道の「打ち込み」では、1人だけ背負い投げでやってみた。これも目立った。

「あー君、服の色は白じゃないと受からんらしいよ。来年は白で来た方がいいよ。」

「あ、ありがとうございます。」

同じ受験生に言われた。僕は、全身青で参加していた。まあこれはしょうがない。知らなかった。確かにみんな白だ。

数日後、1次試験の結果が届いて、合格だった。2次試験は大学ラグビー部の夏合宿と日程が重なったので、合宿所から行くことにした。

夏合宿は毎年恒例の長野県。選手時代とは違う指導者部屋に泊まった。1日目は移動だけで就寝したが、早朝に衝撃が走った。ドアがバンッ!と開き、監督が、寝ていた僕らを蹴飛ばした。先輩コーチと僕はすぐに跳ね起きた。

「いつまで寝てんねん!」

「すいません!」

外は大雨だった。選手が起きる前に、今日の練習をどうするか話し合う必要があった。僕らは甘かった。

そんなこともありながら、11泊12日の合宿だった。僕は途中で下山して、教員採用試験の2次試験に向かった。

面接は、かなり待たされた。この順番だと、一番最後だ。3時間くらい待っているだろうか。やっと呼ばれて面接室に入った。

「ごめんねー、待ち長かったやろ?」

「いいえ、とんでもありません。」

「よし、じゃ面接行こうか。」

大学に戻り、通常の練習が始まった。グラウンドでの練習が終わり、マネージャー室のパソコンで合格発表を見せてもらった。

「合格」

そうきたか。今回の人生はそういうことだ。お前はそこに行けと言うことだ。

 監督に報告し、2月末までお世話になることになった。

八田は大学2年生になっていた。僕は、他の選手となるべく分け隔てなく接対応することを心がけた。八田は、僕と同じで、不器用で、一番下のチームからのスタートとなった。しかしながら身体能力が高く、2軍まで上がってくることもある。ただし、やはり不器用。モチベーションを保ち、継続できればいいが、波があるのでずっと気にかけていたい。しかし、伝えられる時間は限られていた。

ある日、八田が変な髪型をしてきた。刈り上げていた。

「服装の乱れは心の乱れにつながる。服装や髪型でするのではなく、ラグビーで自己主張しなければならない。あれを見過ごしていたら何でもアリになってしまう。

こっちからやらせないと4年間何もせずに終ってしまう。彼らは楽な方楽な方へ行こうとする。耳障りの良いことばかり言う人は、お前のことを何も考えていない人や。しっかり叱ってくれる人が本当にお前のことを考えてくれている人や。そういう人を大切にせなあかん。」

「僕が言ってきます。」

「八田、髪型どうした?」

「え、やっぱあかんかな?」

「あかん。」

「あーやっぱそうやんな。坊主?」

「坊主。」

「うわ~。まあえっか。」

この男、つかみどころがない。肝が据わっているというか、何というか。僕と同じようで全然違う。僕はこんなことできないし、しようとも思わない。監督からの信頼を失ったらどうしようとか、みんなからどう見られるだろうという恐怖心でいっぱいになる。その点、この男はすごい。

ある日、監督に呼び出された。

「何で部員に指摘せえへんねん?何でいつも黙ってんねん?」

「え?」

「部員がグラウンドを走らずに歩いていたり、ウエイトトレーニングをサボったりしているの見ても何も言わんやないか。なんでや?」

確かに、僕はそうだ。サボっている部員を見ても強制させようとはしない。サボれば、その分、本人に返ってくるだけだ。そう思ってる。また、誰かから言われてするのは、あまり身にならないと思っている。自分が上手くなりたいと思えば練習するだろうし、自分でそれぐらいは考えるだろう。しかし、浅はかだったことを知る。

「ええか。言わないとそれでいいと思ってしまう。俺の経験からして、『外発的動機づけ』から『内発的動機づけ』に変わる。内発的なやつは3パターンある。強くなりたい、うまくなりたいと思っている者、そのスポーツが好きな者、小さい頃褒められてきた者。お前は小さい頃にいい経験をしてきたから内発的動機づけのグループや。お前はどんな環境にいても自分のやるべきことをやる。しかし、この大学に来る連中は多くがそういう者達じゃない。意識の高い者達は関東の大学など高いレベルのところへ行く。俺は今まで外発的動機づけは内発的動機づけに変わると信じて指導してきた。確かに腐っていた者達もいた。しかし、変わっていった、気付いていった者の方が多い。自分の子どもをうちに預けてくる親が多いのも、そう。目指す目標はチャンピオンシップだが、それまでの過程の方が大事なんや。その過程には血みどろの戦いがあるんや。コーチはもっと戦わないといかんと思う。褒める、認める、指摘する。俺は口数が少ないから、一言褒めるだけで効果は高い。俺はこの年やから言わんでも学生は感じ取る。しかしお前は言わないといけない。俺が今までどういう思いで指導してきたか、いつか言わないといけないと思ったから。まあ、参考にして。」

これが、本当の指導というものか。敵わない。この方には敵わない。すごい。巨大な「知」に遭遇した。

僕は、ここにいる間にしたいことが1つあった。それは、かつて全国優勝を果たした有名な高校を訪ねることだ。高校ラグビー日本一を目指すなら、その原点であるところを見なければならない。何か接点がないか考えた。

そういえば、大学の教職関係の授業でお世話になった教授が、教育委員会にいたと、授業中に話をされていたな。何かつながりがあるかも知れない。そう思って、研究室を探して出して訪ねてみたが、あいにく不在だった。雨がしんしんと降っている。しかもキャンパスの外れの薄暗い場所だ。こんなところ、学生時代に通ったこともない。僕は扉の前で待った。数時間後、ついに来られた。

「あの、すみません。4月から高校の教員になる者ですが、ご相談がありまして。」

「ん?なに?」

「実は先生の授業を受けたことがありまして、その中で…。」

「まあ、ここじゃ濡れるから中に入りなさい。」

研究室に入った。大学教授の研究室は静かな空間で、羨ましいと思った。

「実はF高校に、授業の勉強に行きたいと思いまして。」

「F高校に?なんで?」

「教員採用試験には合格したのですが、高校現場に行ったことがなく、いきなり正職員になるには不安があります。私もラグビー部だったので、できればラグビー部が有名なF高校で、授業と部活動も見学させていただけないかと思いまして。」

「君は、ウチの大学のラグビー部やったんか。そら、よう頑張ったな。」

「ありがとうございます。」

「F高校の監督は俺の教え子や。よっしゃ。連絡したる。」

そういう縁で、F高校に行けるようになった。大学の練習が休みになる毎週月曜日だけ、朝から晩まで高校の教官室にいることになった。

電車を降りて、学校まで歩く。あの伝説的ドラマに出てくる風景だ。そのドラマはF高校に赴任した体育教師が、ラグビー部を6年で日本一に導くという、実話をもとにしたドラマだ。映画化もした。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」

「おう、月曜日の男。」

いつの間にか、そう呼ばれるようになっていた。

体育の授業にも参加させていただき、生徒と一緒にバレーをした。その中で1人、ずば抜けた運動能力をもった人間がいた。ラグビー部に所属していた。バスケットボール、ソフトボール、何でも上手かった。飛び抜けて。ラグビー部の部員達は全体的に運動能力が抜群だったが、この男はレベルが違った。そして、性格が飛び抜けて爽やかだ。こんな高校生が普通にいるんだ。やはり、日本一になった高校はすごい。

「おう、月曜日の男。」

「はい、何でしょうか?」

「せっかくここに来てるんやから、会いたいやろ?」

「どなたにでしょうか?」

「決まってるやん。」

「Y先生ですか?」

「せや。」

Y先生。ラグビー界では知らない人はいない伝説の高校ラグビーの監督である。

「え?いいのでしょうか?」

「待っとけ、連絡してみる。」

後日、いつも声をかけてくださる先生と一緒に、Y先生のマンションに伺った。

「なんや、君は?」

「自分は、4月から高校の教員になる者です。それで今、F高校で授業やラグビーの勉強をさせていただいております。」

「そうか。がんばりや。」

準備は整った。

最後に、大学の監督からお言葉をいただいた。

「うまい者、強い者なんか別のところに行けば上には上がいくらでもおる。しかし、一生懸命やる、ひたむきにやるというのはどこの世界に行っても通用する。」

「はい。」

「指導とは、愛情と、労力・時間を惜しまないことや。愛情というのは優しく接するだけじゃない、そのまま帰って来なくなるかも知れんけど、ときには思いっきり突き放すことも必要や。それと労力・時間は惜しんじゃいかん。忙しいんや。本気で勝とうと思えば思うほど、忙しいんや。そういう仕事や。がんばりや。」

「ありがとうございました。お世話になりました。」


「スーツに糸がついたままですよ。」

「え?ああ、すいません。ありがとうございます。」

新品のスーツだった。後ろの糸を切らなければならなかったのか。恥ずかしい。まあいい。始まるのだ。自分で勝ち取った人生が。

いよいよ高校ラグビーの世界へ。何の保証もないところから、何とかここまで来ることができた。間違っていなかった。努力の方向は正しかった。いよいよ始まる。

そんなまさか。

ラグビー部が、ない。ラグビー部の監督になるためにサラリーマンを辞め、大学生になり、アルバイトをして、高校と大学ラグビーでコーチングを勉強した。採用試験にもきちんと合格した。なのになぜ。

僕は、バスケットボール部の顧問になっていた。バスケットボール?あまりしたことはない。大丈夫だろうか。というか、ラグビー部はないのか。なぜ僕をこの高校にしたのか。何か意図があるのか。県にとっても損失にしか思わない。こうなったらラグビー部を作ろう。それしかない。

調べてみると、近くに小・中学生のラグビースクールが2つあった。そこと提携して何かできないか。僕は、部活動がない土日にラグビースクールの練習を見学した。

学校の中の職員は、ラグビー部創部には反対だった。

「それよりもまず、教員として一人前にならなきゃ。」

「県の職員として採用されているのを忘れてはダメだよ。」

正論だ。ごもっとも。しかし、正論では片付けられないものもあるのではないか。この感情はどう説明するのか。少しおかしいとわかっていても、どうしてもしたい。この感情は説明できない。義務感、使命感、夢、怒り、自己主張、生きている意味。様々な感情が複雑に絡み合いながらも、ただ一点に向かっている。高校ラグビー日本一になる。日本中の皆さんに面白いものを見せる。自信のない者に自信を、勇気のない者に勇気を届ける。

もがいた。もがいても先が見えないが。虚しさを感じながらも、誤魔化して前に進んだ。でも何もできない、単調な日々が続いた。毎日何もしていない。目標や、やりたいことがない生活ほど退屈なものはない。毎日、寝て、起きて、食事して、排泄して、を繰り返すだけだ。果たして生きている意味があるのか。生存のために生きているのなら、意味がないのではないか。この人生で何かをするために、生きるのではないのか。普通の人は何を考えて生きているのか。

みんな平気な顔をしている。日々の作業に、何の疑問も持たずに取り組んでいるように見える。これが当たり前だよ、とささやきかけてくる。こんな世界の何が楽しいのだ。もしかしたら、みんなは実はしたいことをしているのか。いや。そうは見えない。誰もそんな顔はしていない。義務に追われている。ため息をついている。顔が暗い。誰かが作ったフィクションの中で、価値観をコントロールされているロボットみたいだ。これが大人か。

そう言えば、サラリーマンをしていた時も、この感覚に陥った。みんな気ぜわしく何かをしていた。気ぜわしくすれば、自己が満たされるかのように。表情を殺して、綺麗に着飾り、限られたルールの中で、はみ出さずに淡々とこなす。一体何がしたいのか。そうか。お金を稼ぐために仕方なく仕事をしているのか。いや、それでは説明はつかない。1日8時間も費やしているのだ。お金のために嫌なことに時間を捧げるなんて、誰もそんなことはしない。では、みんな何を思って仕事をしているんだ。

人には性格とか価値観があるのかな。僕は、目標があって、好きなことをしないと人生はもったいないと考える。せっかく生まれてきたのだから、好きなことに時間を費やした方がいいと思うんだけど。体裁とか世間体とか、人の目ばかりを気にしても、誰にでも変わらず死は待っている。悲観的にではなく、楽観的に死を考えている。だから生きている間くらいは好きなことしたほうがいいと思うんだけどなあ。みんなは違うのか。それは理想論だというのか。

そんなことばかりを考えている。要は悔しいのだ。覚悟を決めてここまできたのに、辿り着いたところは生ぬるい環境だった。しかも求めていたものは、なかった。そこにあったのは絶望だった。

日常は時間でコントロールされていた。6時半にアパートを出て、6時50分に高校に着く。机を拭いて、コーヒーを入れて、校門へ挨拶運動に行く。そこから17時まで、チャイムにコントロールされ、時間割通りに動く。体育館に行き、バスケットボールを眺める。20時に校門へ挨拶運動に行く。この繰り返しだ。

唯一自分の時間は、20時からの数分だ。僕は、真っ暗なグラウンドを思いっきり走った。生きているという感覚がほしかった。息がゼエゼエなる。この感覚がほしい。僕は生きている。真っ暗なグラウンドにまん丸の時計の明かりがまぶしい。

これを1年間繰り返した。僕の思いは、自分で「信念」と呼べるレベルにまで近づいているような気がしている。叩かれ続けて、頑丈でかつ柔軟なものになっている。それは細い一本の芯になっている。太くない。本当に細い。だから環境に左右されることもない。誰にも見えない。どこにいても、いつでもしっかりと持っている。

2年目に、光が差した。人事異動により、ラグビー強豪校から1人の先生が転入された。僕はすぐに声をかけた。

「実は、ラグビー部を作りたいと思っていまして。」

「俺も、そのつもりばい。」

50代のU先生は、思慮深く、かつ燃えたぎる情熱を内に秘めておられた。数日後に、U先生に呼ばれた。

「ちょっとこれ見てくれんね。」

「これは。」

「校長に持っていこうと思うっちゃけど。」

ラグビー部創部の嘆願書だった。しかも、あらゆる情報が盛り込まれている。創部の目的、同好会から始めること、練習場所、学校にとってのメリット、僕たち新顧問の経歴。すごい。色んなことを経験されて、どうすれば解決できるか判断し、実行ができるのだろう。僕には、こんな術は思いつかなかった。大人の中にも、冷めた感じの人間だけでなく、こうして自分の望みを叶えたいと願っている大人もいるのだろう。

早速2人で校長に持っていった。校長は趣旨を理解された。

「数日、考えさせていただきますので、お時間いただけますか?」

「はい、是非お願いします。」

校長は丁寧だった。僕たちは校長室を出た。

「U先生、ありがとうございました。自分はずっと1人でした。」

「いやあ、あんたがおってくれて俺も助かったばい。1人じゃしきらん。」

数日後、校長に呼ばれ、2人で校長室に入った。部活動はこれ以上増やさない、ラグビー部創部は許可しない、という結論だった。

U先生は、悔しがった。感情を表に出さない人だが、本当にがっかりしていた。僕はどうか。僕はあまり悔しくなかった。それは、薄々わかっていたからだ。ラグビー部創部は大局で見ても、僕個人について見ても、しない方がいい。でも頭ではわかっていても、何もせずにはいられなかった。だから今回、嘆願書まで作成して、一緒に持っていって、悪あがきをしてみた。それで十分、僕の感情は満たされた。

また、校長の対応が素晴らしかった。僕が1年間もがき続けたことを受け止めてくれた、理解していただいた感覚があった。あの物腰の柔らかさと丁寧な対応に。それで十分だった。助けられた。

僕は切り替えた。ここで修行して母校に行こう。そう考えるとやることが見えてきた。

習慣を作ろう。高校から3㎞ほどのところにアパートを借りており、それまでは車で通勤していたが、ランニングに切り替えた。そして、学校に着いたら鉄棒で懸垂をすることにした。雨の日は車でもいい、鉄棒は触るだけでもいいというルールにした。また、朝7時から7時30分までウエイトトレーニングをすることにした。どうしてもきつい時は、柔道場で黙想するだけでも可とした。

母校のラグビー部の監督になる時のために、体づくりを始めた。高校時代の恩師が、レギュラー15人のタックルを受けて試合に送り出してくれた。それをするための体力作りを。

さらに、人間力を高めること。あらゆる本を読み始めた。読んで、心に響いた言葉をノートやパソコンに記録していく。将来、この言葉たちが、僕の人間力を高め、好調の時もそうでないときも、勝利へ導いてくれる。

ラグビーの考え方をまとめる。指導の原則ノートのようなものだ。1冊のファイルにして、指導が始まったときに、今考えたことをスムーズに実践できるようにしよう。おそらく、実際にラグビー部を持てば、毎日が忙しく、考える暇はないだろう。今のうちに客観的に勝つための方法を考えて、理想論でもいいので、記録しておこう。

自分自身のラグビーの技術も上げる。地区で一番強い社会人のクラブチームの練習に、参加することにした。また、国体代表になりたくて、国体監督に連絡を取り、遠征にも参加させてもらった。そこで出会いもあった。

「試合、めちゃめちゃ走ってたよね?」

「ありがとうございます。」

「普段何の仕事してんの?」

「高校の教員をしてます?」

「マジ?」

「ラグビー部はないんですが。」

「そうなんや~、俺こういう仕事してるから、何かあったら連絡して。」

島川と書いてあった。ラグビーの普及活動をしておられるとのこと。

ラグビーの勉強もする。今まで、ラグビーの審判など興味もなかったが、将来顧問になるのであれば必要だし、戦術などを考える場合にも必ず生きてくると思う。そこで、毎週木曜日の夜に実施される、審判の勉強会に参加するようにした。誘ってくれた他校の先生は、毎週僕を車の助手席に乗せてくれて、往復2時間かかるグラウンドまで運んでくださった。

その勉強会ではチェンさんという方に出会った。たまたま隣の席に座り、話しかけられた。本名は佐々木さんというらしい。「中国の俳優ジャッキー・チェンに似ているから、チェンって呼んでください」とのことだ。

別のコーチングの勉強会でも、たまたまチェンさんが隣だった。チェンさんは話しかけやすい雰囲気があり、謙虚な方だった。僕は話しかけてみた。

「偶然ですね。」

「そうですねー。こんな偶然もあるんですねー。」

「チェンさん、自分はまだ自分のラグビーチームを持っていないんですが、もし持ったら、練習を見に来てくださりませんか?」

「もちろんです。是非行かせてください。」

あと2年で、学び尽くそう。普通の人が5年かかるところを、2年で学ぼう。すべては母校のラグビー部を日本一に導くために。この覚悟を忘れないために、手帳に、1日3回「勝」という文字を書き続ける。「今していることは、すべて勝つための行動である」という信念を心に刻み続けるために。

母校に異動したらラグビー部に100%の時間を集中させるために、ラグビー以外の学校の仕事を学んでおこう。部活動指導もそうだ。部費の使い方、合宿の申請の方法などを学ぶ時間にしよう。というか、バスケットボール部を勝利に導く努力をしてみて、部活動指導を学んでみよう。ラグビー以外でも学ぶことがあるかも知れない。それに昨年までは男女両方だったが、今年から女子だけを「自由にしていい」と任せてもらっている。

女子バスケットボール部の練習は、最初はどうしていいかわからなかった。だって、いきなり「監督」なのだ。しかも、部員よりも経験値がない。ルールさえわからない。一番基本的な「トラベリング」くらいはわかると思っていたが、それすらわからなかった。強くしてやろうと思ったが、劣等感ばかりだった。

そこで、バスケットボール指導の本を2冊買った。基礎の基礎から、ノートに書き写して勉強し始めた。そして、それを部員に指導してみる。

「トリプルスレットってゆう言葉があって、『3つの脅威』って意味なんやけど、パスとドリブルと、なんやと思う?」

「シュートです。」

「その通り。え?もしかしてみんな知ってる?」

「ミニバスの一番最初に習いました。」

そんなやり取りを繰り返す。男子バスケットボール部の監督は横目で見て、笑っている。それを続けた。部員はいい子達ばかりで、一生懸命にやってくれた。とにかく体作りに力を入れた。というか僕にはこれしかできなかった。しかし、それが強みになるとも思った。スクワットやだっこ、ジャンプを繰り返した。足が震え、立てなくなる部員や、涙を流す部員もいた。

僕は、「人よりもあと1歩の努力をしよう」と話し続けた。努力は必ず返ってくると。練習の最後に、全員で100回のスクワットをするのだが、部員達は自然と101回するようになっていた。しかも「ひゃくいち!」と叫びながら。僕もすべての練習に参加した。部員よりは下手くそだが、何となくわかってきた。

高校の近くに大きな公園があったので、部員の体力を高めるために活用した。女子がギリギリ達成できそうなペースで、僕が先頭を走り、2列で隊列を組んで走った。みんな必死に食らいついてきた。

狙っていた大会が近づいてきた。僕は「モチベーションビデオ」を作った。練習試合のビデオから彼女たちの良いプレーだけを抜き出して、音楽と共に流す。きつい練習を乗り越えた彼女らに、自信を持って試合に臨ませたいと思って考えたプレゼントだ。

たまたまこの日はテスト期間中で、体育館で練習しているのは僕らだけ。しかも職員旅行で、放課後は学校内に誰もいない。僕は「申し訳ありません。遅れます。」と先輩職員にメールを打ち、練習が終わると、体育館の電気を全部消した。真っ暗な体育館のステージにスクリーンを下ろし、プロジェクターでモチベーションビデオを写し出した。音楽は大音量だ。彼女たちの表情は全くわからないが、エネルギーが大きくなるのを感じた。

大会は負ければ終わりのトーナメント。市内とその周辺の高校が参加する。試合中は監督が「タイムアウト」を宣言しなければならなかったが、よくわからなかったので、キャプテンに「タイムアウトがほしかったらこっち見て言ってほしい」と伝えていた。また、選手交代についてもキャプテンに任せた。

バスケットボールは、ベンチとコートが近いので、監督の指示が選手に通る。他のチームの監督も何やら指示を出している。ならば、僕も声を出そうと、大声で「がんばれ」と言い続けた。

試合は一進一退だった。何とか1回戦を競り勝ち、2回戦へ。2回戦は、もうダメかと思ったが逆転勝利を収めた。試合後に部員を集めてコメントしようとしたが、言葉が出なかった。なぜか涙が出てきた。かろうじて、「ナイスゲームやったな」と言うことができた。部員も泣いていた。こんなこと、ラグビーの試合でも1回もなかったのに。

そのままの勢いで、次の日の3回戦も逆転勝利を収めた。みんな自信に満ちた顔をしている。きつかったトレーニングが身を結ぼうとしている。

準決勝。相手の監督は有名な先生だ。でもどうしても勝ちたい。どうすれば良いのか。試合当日、一番に会場に着き、仲良くなった別の高校の監督に相談してみた。

「次の試合、どうしても勝ちたいんですけど、何かヒントをいただけませんでしょうか。」

「んー。よし、こっちにきて。」

別の部屋に入り、テーブルを挟んでソファーに腰掛けた。

「あの先生は、こういう戦術を使っていて。」

「すいません。もしよかったらこの紙に書いていただけませんか。」

僕はバインダーにはさんでいた紙とボールペンを渡した。

説明はわかりやすかった。小学生でもわかるようにポイントを1つに絞って説明してくれた。有り難い。

「頑張って。」

「ありがとうございました。」

部員を集め、

「次の相手は、こういう戦術だから、ここに注意しよう。そうすれば勝てる。って、さっき他の監督にこっそり教えてもらった。」

みんな笑っていた。

試合は、勝った。試合前に言った注意事項を健気に守った。そして格上の相手に対して、果敢に体をぶつけ、走り回った。決勝では力尽き、この大会は準優勝となった。

自分の試合がない時間帯は、顧問は体育館のステージの上に設置される本部にいる。みんな談笑しているのだが、僕は誰とも話をすることができず、朝から夕方まで過ごしている。いつも惨めだったが、この大会は本部にいるときは少し誇らしかった。

大会後に試合を振り返ろうとビデオを見た。ビデオは怪我をしている部員が撮っていたのだが、ずっと撮っている本人の声が入っていた。

「いけー!」

「がんばれ!がんばれ!」

「ナイスシュート!」

そう言えば大学の監督が仰っていた。唯一、監督のご自宅で見せていただいた昔のビデオを見ながら、

「俺は昔のビデオは見返さんのやけど、この試合だけは特別や。」

それは、ビデオを撮っている4年生が、試合中に、

「いけー!」

「やったー!勝ったでー!」

と叫びながら、興奮のあまり画面がグチャグチャになってしまう試合だった。

それと同じだった。監督の気持ちが少しわかった。

初めてクラスの担任もさせてもらった。教員採用試験に合格すればすぐに「先生」と呼ばれる。僕は呼ばれたくない。偉そうだから。勘違いする。全く偉くない。子どもの方が大人より優れている部分は多いと思う。でも大人は威張る。気持ちいいからだ。でも、その場しのぎの快楽に溺れてどうするのか、と思う。大志はないのかと。でも人それぞれの価値観だから、大きな人生の目標に向かって生きるのが好きな人もいれば、日々いかに快適に過ごすかに神経を使うのが好きな人もいるのだろう。

高校ラグビー日本一のために日々がある。僕はそう考えるのが好きだ。同時に、誰かを救いたいという漠然とした気持ちもある。高校生の頃は、まず「木こり」になろうと思った。世の中で生活するのが息苦しいからだ。だから離れようと思った。この気持ちは今でもあるのだが。その後、どうせ死ぬのなら、この世の中でもっと生きたいと願っている誰かを救って死にたいと考えるようになり、消防士を目指そうとした。でも消防士では、一生で救える人数が少ないと感じた。僕はもっと多くの人を救いたいのだとわかった。音楽番組で「Mr.Children」のライブ映像を見た。これだ、この感覚だ。本気の姿をさらけ出し、一生懸命に歌う姿を見て、声を聴く人が救われる。救われるとも少し違う気もするが。この感覚だ。これがしたい。でも僕の場合歌じゃない。そうか、ラグビーで、ラグビー界だけではなく日本中のニュースになることで、多くの人を救おう。やればできます、やりたいことをしましょう、と。

担任しているクラスで、不登校になった者がいる。ヤマウラ。何度も自宅に通うが、なかなか会ってくれない。庭から名前を呼んだりもした。何度目かでようやく顔を出してくれて話せるようになった。僕は、この自信をなくした顔の人間に、どうにかして自信をつけさせたいと思った。ほら見ろ、僕みたいに人とずれてる人間でも、やればできるんだぞ。君は君のままでいいんだぞ、と。そうか僕は、大人じゃなくて、子どもをどうにかしたいというモチベーションを持っているんだ。

何度も通い、この人間についてわかってきたことがある。どうやら、現実から抜け出したいと思っているようだ。遠くへ行きたい、と。それもヒッチハイクで。それと自転車に興味があるということだった。

「自転車で遠くまで行ってみたら?」

「遠くって?」

「行きたいところない?」

「京都に行ってみたいです。兄が住んでるんで。」

「これがしたい」と、初めてはっきり言った。

「よし、行こう。」

「え、え、でも、どうやって。」

「京都までの知り合いに連絡するから、そこに泊めてもらいながら京都を目指す。どう?」

「おもしろそうです。」

僕は、大学の先輩や会社の同期に連絡を取り、中国、四国、関西とだいたいの宿を確保した。事情を話すと、意外にもみんなこの計画に乗ってくれた。

一応、高校の生徒指導の先生にも話をしとくか。

「先生、不登校の彼なんですけど、しばらく自転車の旅に出ます。」

「え?どこまで?」

「京都です。」

「それは、だめだよ。どこかで事故やトラブルになったらウチの高校の名前が出るから。問題になるからね。」

「そうですよね。わかりました。すみませんでした。」

よし、無視しよう。

数日後、ついに1人で出発した。毎晩電話した。

「おう。今日はどこおる?」

「山口を出発しました。四国の手前まで行こうかと思います。」

「すごいな。いいなあ。」

「昨日は先生の大学時代の先輩の家に泊めてもらったんですけど、めっちゃいい人でした。」

「そうやろ。あの人、いい人やもん。」

「今朝出発する時に、おにぎりまでもらいました。有り難いです。あとで写メ送ります。」

手作りのおにぎりがラップに包まれていた。ラップには「がんばれ!」と書かれていた。

京都では八田の家にも泊まった。

「八田の家、どうやった?」

「八田さん、最初は怖かったんですけど、めっちゃ優しいです。ラーメンご馳走になりました。」

あのラーメン屋だな。またチャーハンだけ先にバーと食べたんだろうな。

八田は大学5年生になっていた。しょうがない。単位が取れなかったらこうなる。

 八田に御礼の電話をした。

「八田、ありがとうな。」

「仲良うなったで。」

「サンキューサンキュー。」

「俺、アメリカ行くわ。」

「え、なんでや?」

「前から行きたかってん。1年くらい向こうにおると思うわ。」

「大学は?」

「休学するわ。」

「今5年生やろ、それもう8年コースやな。」

「せやな。」

こいつ、やはり面白い。

いろんな人間がいる。この職業は一番多くの人間を見ることができるのではないか。しかも深くまで。ある男子バスケットボール部の部員は、毎朝5時半から体育館でシュート練習をしている。また、ある者は毎日遅刻ばかりしてくる。

U先生から話があると、食事に誘われた。

「今日はありがとうね。忙しいのに誘って。」

「とんでもありません。」

「実はさ、高校を辞めようと思って。」

「え?」

「うん。辞めて私立の高校に行く。ここじゃラグビーできんけん。」

衝撃だった。それほどの覚悟をお持ちだったのか。それに引き替え僕は。僕はここで息を潜め、異動を待っている。なんと受け身なのか。

3年待てば、異動が可能になる。その間にすべての準備を完成させる。それは、「本当にしたいことは何か」という心の中を整理することと、その時が来た時に素早く実行できるように、学ぶということだ。

上手く理由付けをしようとすると、言葉を選んでしまう。言葉はこれまでの先人が作ったものなので、過去のものであり、その中から選んで見繕わなければならない。だから、これまで通りのものしかできない。大人になるにつれて、世の中の言葉を使うことができるようになる。その代わり、純粋な気持ちを忘れていく。純粋な気持ちは、言葉にならないほど複雑だが、それを言葉に当てはめようとしていくうちに平凡になっていく。純粋な気持ちが世の中を変えるエネルギーを持っている。それを大事に育てるのだ。世間にさらすことなく、自分の中にだけ大事に取っておき、その時が来た時に発揮するのだ。

そうは言っても、希望のところに異動できる保証はない。というか、その可能性は低い。「自分が思ったところに行けるはずがない」と何人にも言われた。でも、強く思えば実現できると思う。言葉にはできないし、説明もできないので、周りには言えないが、1つのことに焦点を当てることができれば、実現できる。

「ラグビーの指導者としてではなく、県の保健体育の教員として採用されているのだから…」とこれまで多くの方に言われてきた。違う。僕はラグビーの指導をするためにここにいるのだ。そのために何が最高かを考えているのだ。まだまだ足りないが、ラグビーの指導者になるために今ここにいる。その気持ちをしっかり持つべきである。

ひとつひとつ積み重ねて、体と頭に刷り込みながら、過ごす。独りよがりになるところもあるので、常に普遍から離れずに、かつ固執することなく自己を高めていく。そうすれば必ず目標は達成できる。日本のスポーツ界を変える。ラグビー界だけでなく、バスケットボール界を見てきた中で、すべてのスポーツの根源を変えなければならないと感じた。また、この凝り固まった高校の部活動の指導の在り方や、教員の価値観の狭さを変えたい。そのために、地元で日本一を目指す。

つくづく思う。教員は価値観が狭い。これは僕が未熟だからこう感じているのか。この感じた違和感。忘れてはならない。僕もいつか麻痺して、当然にならないように。違和感と自分自身の考えを持ち続けよう。そしてラグビーを通じて日本のスポーツ界だけでなく、日本の学校界も変えよう。

日本中の人たちに、「何かをしたい」という気持ちを大事にすること、その気持ちを粗末にしないことを伝えたい。なかなか何かをしたいと思う気持ちは沸いて来ないのではないか。確かに、たくさんのことがしたいという者も中にはいるだろうが。しかし、ここで言う「何かをしたい」というのは高次なもののことである。そういう気持ちは時にふと表れている。僕たちの暮らす日常や見るもの、環境の中に隠れていて、実はたまにそれに触れることがある。もしかしたらコレ?と思うものもある。しかしながら目をつむることの方が多い。また、蓋をすることが多い。なぜか。「どうせ無理」や「でも」が邪魔をするのだ。左脳が邪魔をするのだ。この邪魔者は、自分自身の心の中にいる。しかも、まわりはやめておけと言う。自分は「みんなと違うから間違っているのでは」と半信半疑になり、蓋をする。思うに、自信が必要なのではないだろうか。どうやれば自信がつくのか。自信は、自分自身で決めたことを達成することでつく。勇気とは、自分らしく生きること、人と違うことをすることだ。

そして、「その時」は現実になった。母校への異動。あとは「前のめり」で死ぬだけだ。


小さな頃から喘息があり、高校生になっても夜中に発作を起こし、親に病院へ送ってもらっていた。大学生になりラグビー部に入部するも、マネージャーにならないかと戦力外通告を受ける。サラリーマンをしたが適応できず、教員を目指した。赴任先にはラグビー部はなかった。そして、今、ここにいる。

ついに「その時」がきた。29歳にして念願のフィールドに立った。ここから始まる。何度夢想しただろう。母校であり、ここのラグビー部を日本一にしたいと思い、高校教師という職業を選んだんだ。

ずっと考えていた。高校ラグビー日本一を達成するためには、どうすればいいのか。まず高校教師にならなければならない。そして、達成できる可能性がある高校はどこか。僕の中では、その高校は2つあった。大学付属高校か母校だ。

大学付属高校は最近創設された学校で、ラグビー部はまだないが、大学の傘下で選手集めや強化が一気にできると思う。母校はOB達の協力の下、強化が進めやすいと思う。それに、「ラグビー部を何とかしたい」というモチベーションを強く抱ける対象である。

その2つの選択肢から、一方を選んだ。何とかしたいというモチベーションがあったし、どん底から頂天まで這い上がるワクワク感があった。多分普通の人では、「そんなの無理」と思うであろう。何せラグビー部の衰退は甚だしかった。

僕も、外からその状況は見ていた。大学在学時は自分の練習のためと思って、帰省時にグランドに顔を出して一緒に練習していたし、前の高校に勤務していた時は、大会の審判として接していた。その中で、年々ラグビー部が酷くなるのを感じた。部員は、先輩がグランドに来ても挨拶せず、練習の途中で帰る者もいる。素直じゃない部員が多い。審判の時、たまたま3年生にとって最後の花園予選を担当したが、簡単なミスであっさり負けた。おい。

「先輩、俺、もう練習見に行きたくないっすよ。あいつらおかしいっすよ。」

「そんなにひどいと?」

「はい、俺もう練習見に行きません。早く何とかしてください。」

「わかった。もう少し待っとって。」

高校時代の後輩がこんな風に言うほど酷くなっているということだ。立て直してやる。そして頂天まで上り詰めて、すごいものを見せてやる。部員にも、日本中にも。

4月1日。職員室で挨拶を終えた後、小会議室でオリエンテーションを受けた、学校独自の決まり事が結構あるので、その説明を聞くためだ。説明をしてくれる人はこう言った。

「この子達、ほんと馬鹿なんで、うふふ。」

なるほど。こういう環境にいるから、自信がなさそうな目の子どもになるのか。どうして良いかわからず、自分の殻に閉じこもる部員達になるのか。こういう大人達の環境にいるから、そうなるのだ。

もう一つ納得したことがある。僕自身が高校在学時から、学校の先生には不信感を持っていた。見下されているようで、生きているのが楽しくなさそうで、しかめっ面で。何が楽しいのか、何で学校の先生なんかしているのか、本当はしたくないんじゃないか。大人って変やな。魅力なんかない。あんな大人にはなりたくない。そう思っていた。それは自分だけが思うことであって、おかしいのかなと思っていた。でも、あの時の感覚は間違ってなかったと感じる。

翌日。ラグビー部に集合をかけ、練習を見学させてもらおうと思った。9時、グラウンドに行くと10人しかいなかった。え?10人しかいないのか。ラグビーの競技人数は15人なのに。

「これで、全部?」

「いや、来てないのがいます。」

なぜかみんなニヤニヤしている。

「何人来てない?」

「1人です。マヒロって言う奴がいるんですけど、多分来ないんじゃないですか。」

多分その1人は、練習をいつもサボっているのだろう。その1人を合わせても、11人。

「公式戦の時は、人数はどうしてた?」

「他の部活から助っ人に来てもらってます。」

なるほど、そういうことか。この10人でどんな練習をするのだろう。

「よし、わかった。今日はとりあえずいつもやってる練習を見させて。」

練習が始まった。型のようなものがだいたい決まっていて、キャプテンが指示を出しながら少人数練習が進められた。別にメニューとしては悪くなかった。

後日、学年会議で、ある課題について、

「あまり与え過ぎず、自分達で考えさせてみたらどうでしょうか。」

と提案してみたが、

「あの子達に、そんな力があると思いますか?」

真顔で言われてしまった。

ここまでだ。ここまでで十分、僕のモチベーションは満タンになった。この学校を何とかしてやる。大人も子どもも、生き生きとした人間に変えてやる。心の底からエネルギーが湧いてきた。

始業式で、全校生徒の前で紹介を受けた後、叫んだ。

「よろしくお願いします!よろしくお願いします!よろしくお願いします!」

何で3回叫んだのかは自分でもわからない。もうここからは本能のまま動こうと覚悟を決めた。

翌日は前の高校での離任式だった。総勢1200人の生徒の前で叫んだ。

「11年後に高校ラグビー日本一になります!以上です!」

学校全体を何とかしようと思い、動こうとした。しかし、腐敗は深刻だった。大人と子どもの信頼関係が全くなかった。お互いにお互いの愚痴ばかりだった。どちらかと言えば、大人の方がプライドが高く難しかった。

ある部活動生からこんな言葉を聞いた。

「先生達が放課後、教材研究などで忙しいのはわかります。でも寂しいです。部活動に来てほしいんです。」

その子はそう言いながら涙を流した。

僕は覚悟を決めた。ラグビー部を独立的な集団にして、一種のテロ集団となり、学校内、日本国内においてクーデターを起こす。新しい生き方を提案する。そのために、ラグビー部を強くする。その一点に集中することで、結果として我々のがむしゃらさを見た周囲が、心を動かしてくれればいいと思った。したがって、人生の時間のすべてを「ラグビー部を日本一にすること」に費やすことに決めた。ラグビー部の活動を通して、人を感動させ、人を笑わせ、人に夢を与える。ラグビー部の改革からスタートした。


8時50分。まだ来ない。9時集合なのに。あっ来た。3人来た。

「おはよう。他のみんなは?」

「わかりません。迷ってるのかもしれません。」

9時になったので、他校さんにお願いしての合同練習が始まった。申し訳なくて、僕も練習に入った。9時半頃からポツポツと部員が来た。

「せっかく誘っていただいたのに、本当に今日は申し訳ありませんでした。」

「いいよ、いいよ。また来てよ。」

よし、わかった。今後は現地集合をやめて、バスでみんなで行くようにしよう。

4月末。公式戦の会場にウチのグラウンドが割り当てられていた。グラウンドのライン引きや他チームの監督さんへのコーヒーの渡し方や、パンフレットを販売するときのお金のもらい方やお釣りの渡し方など、事前に徹底的に指導して臨んだ。しかし、試合の途中たまたま補助をしている部員が目についた。

「ちょっと待て、もしかしてそのスリッパで補助してたのか。」

「え?」

ダメなんですか?という顔をしている。

「公式戦で、選手は必死に戦っている。補助員も靴を履くのがマナーや。」

なるほど、という顔をした。

「わかりました。履き替えてきます。」

練習を無断で休む部員が多い。みんなに話をした。

「それぞれ事情があるやろうけど、練習を休むときは連絡してほしい。全員が参加すると想定してメニューを組んでるから、人数が変わると困る。なので、休む場合は事前に連絡してほしい。」

本来であれば、電話で連絡してくるべきなのだが、LINEでの連絡も認めた。ただし、親ではなく、必ず本人から、と約束をした。そして練習を休んだ次の日には、必ず一番はじめに挨拶に来て、体調等を報告するよう徹底した。

そうやって1ヶ月指導しながら迎えた春の大会だったが、雑なミスで敗北してしまった。その一因は何か。数日間考えて、ふと部室を覗くと、想像以上に汚かった。ここにあると感じた。あの重要なシーンでのあの簡単なミスはここから始まっている。テスト期間中であったが、

「すまん、集まってほしい。」

すぐに選手を集め、部室の中の全ての物を、すべて廃棄した。学校の近くにゴミ処理施設があってよかった。軽トラックで何往復もした。

1年生が部活動を決める日が近づいてきた。僕は、昼休みや休み時間に教室を回って、とにかく体格の良い生徒から手当たり次第に声をかけた。また、男子生徒全員の自宅宛に手紙を出して、ラグビー部の良さを説いた。部員が集まらなければ何も始められない。「とにかく1回は練習を見においで」と言い回った。

部活動決定の日。体育館で、各部活動の顧問が立っており、1年生が必ずどこかの部活動の顧問に入部届を出しにいくというシステムだ。司会者が、

「それでは、1年生の皆さんは、希望する部活動の顧問の先生のところに入部届を持っていってください。」

司会者のアナウンスと同時に、1年生が動いた。さあこい!僕は待った。そしてすぐに終わった。新入部員は2人だった。なぜだ、なぜこうなる。親に勧められたというアツシと、先輩が格好良かったというマサヒロだ。有り難い。有り難いが、少ない。これで部員は13人か。それでも行くしかない。

「すみません。今日練習を見に行ってもよろしいでしょうか?」

「ん?どうした?」

「陸上部に入部届を提出したのですが、先生に1回は練習においでと言われていて行けていませんでしたので。」

「う、うん。いいよ。」

マサキという生徒だった。確かに僕は「1回練習を見おいで」と言った。でも、それは全員に言っている。なんと律儀な人間だろう。

どうせなら、と思って、一番激しい練習をした。マサキはそれを見ていた。

「本日はありがとうございました。」

「ありがとう。じゃ、陸上部頑張って。」

「あの、入部届は撤回できるのでしょうか?」

「なんで?」

「ラグビー部に入りたいと思います。」

「え?そりゃ嬉しいけど、陸上部の顧問の先生にきちんと話をせないかんよ。」

「わかりました。行ってきます。」

後日、マサキが加わり、新入部員は3人となった。その後、2年生の柔道部員全員が入部したり、部活動していなかった一般生徒を引き入れて2年生の人数が増えた。

校則違反を犯して入部した部員もいる。

「どうする?停学になるか、ラグビー部に入るか、どっちか選んでいいよ。」

「ラ、ラグビー部に入ります。」

もちろん僕にそんな権限はないので冗談だが、あの手、この手を使って人数を集めた。

新入部員を迎え、様々な手立てを進めていった。少ない部員ではあったが、ラグビー部内を組織化していった。それぞれの部員に責任を与えるために各委員会を設置したのだ。各部員が何かしらの委員会に所属した。

また、野球部やバスケットボール部、バレー部などの公式戦の前にはラグビー部全員で校歌を歌い、激励した。運動会でも全校生徒の前で歌うこともあった。役割を与えることで、自己存在感を涵養することが狙いだ。

そしてお揃いのTシャツや移動着を準備し、着用することでチームを意識させた。所属の欲求が満たされればさらに高次の欲求が現れてくる。

食事の管理のために始めた「体調管理表」がある。毎朝、各クラスでの朝礼の前に、ラグビー部だけの朝礼を行った。目的は、朝一番に顔を合わせること、試合明けであれば怪我の状況を把握すること、そして、体調管理表の回収である。その日の放課後練習までに目を通し、一言コメントを記入する。些細なことであるが、毎日行うことで生徒の悩みや性格がわかり、重要なコミュニケーションのツールとして活用できる。人間関係の構築にも役立つ。

どこかに所属し、承認されると最も高次な欲求が顔を出す。「こんな人間になりたい」「こんなことをしてみたい」という自己実現欲求である。僕はこの欲求こそ人間に与えられた幸福の源だと考える。

僕の人生の使命は、出会った人々の「自己実現欲求の増大」と「自己実現するための体力作り」にある。選手に自己決定の場を多く設けることを意識させて、自分の欲求に従う癖をつけさせる。非常に小さなことのように見えるが、怠ってはいけないと思う。僕が答えを出したり、強制したりすれば簡単に片付く事柄も、いちいち質問し考えさせてから決定させる。

さらにスモールステップで成功体験を与える。「体重増加計画」に取り組んだ。各部員、100日間で体重を5㎏増加させようというものだ。勝算があった。食べ盛りの高校生だ。意識して食事の量を増やすだけで2.5㎏は増える。さらに残りの2.5㎏は練習後にすぐにご飯を食べさせることで達成を試みた。家庭科室から炊飯器を借りて、保護者からの米の差し入れをいただきながら実施いた。結果、多くの部員が「やればできる」を体験することになった。

また、ラグビーのプレーについても選択肢を広げるために、毎日昼休みに視聴覚室でラグビーの試合のビデオを観た。さらには、バスケットボール部で成功したモチベーションビデオを定期的に作成し、あの手この手で部員の心にアプローチした。

当たり前のことではあるが、体育教官室等に入室する際は名を名乗り用件を述べてから入室する、話し中であれば「お話し中失礼します」、メールでのやりとりであれば、いきなり用件ではなく「お疲れ様です」「こんばんは」を必ず入れてから用件を伝えるなど、自己実現をするために最低限必要な社会性を指導した。

さらに、ブログを開設し、毎日更新するようにした。それだけではなくアクセス数で日本一になるよう指示をした。主にマネージャーが更新していたが、だんだんと工夫をするようになり、見ていただいている方々に失礼にならないように配慮したり、差し入れに対して感謝をしたりできるようになった。

語弊を恐れずに言えば、部員の心を「危険を冒してでも自己実現をしたい」というレベルまで高めることができれば、日常は変わると思った。そして、気持ちだけではなく、筋肉や心肺機能、社会性といった「自己実現するための体力作り」がついていけば、試合に勝ち始めるだろうと考えた。

新しい歴史を創ろう。そう言い続けた。

改革の春を越えて、夏を迎える。夏合宿は、5泊6日に設定した。長く泊まれば泊まるほど良いだろうと思って日数を決めた。しかし、なんと最終日には対戦相手がどこも帰ってしまっていた。そして、ひらめいた。良い坂道がある。坂道ダッシュをして限界まで追い込もう。

1人の部員が僕のところに来た。

「先生、すみません。脳震盪で今日の練習は参加できません。みんなに申し訳ないです。」

 そう言って涙を流した。 キョウヘイ。この夏、卓球部を引退してラグビー部に入部してくれた男だ。人に弱みを見せない硬派な男だが、その男が肩を震わせて泣いた。この男のためにも頑張ろうと思った。キョウヘイ以外にも、夏前に他の部活を引退して入部した3年生が数名おり、部員は20人を超すようになっていた。

「みんな聞いてくれ。他のチームはみんな帰ってしまった。すまん。」

「え?」

「そこで、この坂道をダッシュして合宿を締めくくろうと思う。」

「え?」

「だいたい100mある。今から100本走るぞ。いいか。」

「え?」

もう行くしかなかった。こうなったら僕も一緒に走ろう。

1時間くらいで終わるかな、と思って始めてみたが、想像以上だった。あまりにも設定がきつすぎたのだ。途中で何度も中止しようと思った。10本走っただけで20分経過。きつすぎる。果てしない。これは設定を間違えたな。50本に変更しようかな。部員を見る。

「いくぞー!」

「しゃー!」

「オラー!」

100本行く気だ。途中マサヒロが嘔吐して泣いた。50本を越えた。アツシが倒れる、キミハルが全身痙攣、ダイキが足を痛めて脱落する。人数が減ってきた。70本にしようか。選手を見る。

行く気だ。そして迎えたラスト10本。円陣を組む。

「もう3時間過ぎたぜ。」

「はい!」

「100本なんて果てしないと思ってたなぁ。」

「はい!」

「でも今、その果てしなさの中に俺たちはいる。最初はみんな無理だと思ったよな?」

「はい!」

「でも今まさに実現しようとしている。なぜ。なぜここまで来ることができたと思う?」

「諦めなかったからです!」

マヒロが吠えた。部員の目が赤い。

「よっしゃ!みんな脱げ!」

「え?」

「いくぞー!」

「しゃー!」

Tシャツを脱ぎ捨て、ラストスパートだ。マネージャーも一緒に走った。

途中で倒れていた者達は最後だけでも走ろうと起き上がったが、保護者に止められた。

99本目。ゴールと同時に、僕は全身が痙攣してしまい、草むらに倒れた。その情けない姿を見ながら、一緒に走っていたセイジロウがニヤリと笑った。あと1本だったのに。悔しい。

そんな僕をよそに、全部員が一体となり見事に100本走り抜いた。

クールダウンのためにグラウンドに降りて裸足になり、全員で思い思いにウォーキングをした。途中アリサとすれ違った。女子部員だ。根性がある。最後まで走りきった。

 「アリサ、よう頑張ったな。すごい。」

「ありがとうございます。」

達成感のある笑顔だ。

ハヤトが後ろから近寄ってきた。この男、最近入部した3年生だが、つかみどころがない。僕は「不思議な少年」と呼んでいた。その不思議な少年がウォーキングする僕の横にぴったりくっついてきた。

「どうした?」

「達成した。」

「そうやな。」

「嬉しくて泣きそうだった。」

「泣いたらいいやんか。」

「でもきつすぎて泣けなかった。」

「そうか。」

一体何が言いたいんだ。

「僕も褒めてほしい」

そういうことか。

「ハヤト、お前は最後までよう頑張った!」

そう言うとハヤトは泣きながら遠くへ行ってしまった。不思議な少年め。

夏が終わり、いよいよ本番の秋が近づいてきた。やっとチームになってきた。戦術的なことは何もやっていない。部員はテクニックや近代的な練習がしたいのかもしれないが、それでは小手先。たとえ目の前の試合に勝っても、それは偶然でしかなくなると思う。

湖の表面だけを凍らせるのでは、いつか脆さがばれる。そうじゃなくて、湖の底からしっかりとチームづくりをしていきたい。確かに時間はかかる。なかなか成果はでないかもしれない。周囲の方々にも「もっとこうすれば‥」「こんなことも教えてないのか‥」と思われているとおもう。でも確信があった。確信がなければ、練習時間を割いてまで掃除やゴミ拾いはしない。

この6ヶ月間、とにかく実験と失敗の繰り返しだった。何度も怒られた。他の部活動の生徒を勧誘したり、ラグビー部だけ特別扱いしたり。しかし必要だった。僕は僕である必要があった。なぜなら僕は僕だからだ。

9月。花園予選では1回戦からの出場となった。対戦相手は同レベルの高校だ。どうしても勝たせなければならなかった。これまでのミーティングや様々な体験、これらを自信にする必要があったからだ。試合は一進一退となった。

試合中、キャプテンのソウノスケが倒れた。

「痛がってどうすんや!起きんかい!頑張るのは今やぞ!今しかないぞ!」

「はい!」

ハーフタイム。アツシが腕を押さえていた。

「大丈夫か?」

「はい!」

満身創痍だ。後半も死闘だったが、最後に逆転して勝利を収めた。何度もダメかと思ったが、接戦で勝てるようになっていた。試合の翌日、ソウノスケとアツシの骨折が判明した。痛かったはずだ、ごめん。

2回戦の相手は格上の高校だった。力のある高校で総合力は向こうが一枚上手だ。試合前にはあれこれ分析をし、〝こしゃく〟と思われるような練習をしたり、モチベーションビデオを見せたりした。だが、やはり届かなかった。総合力の差だった。力負け。これで3年生は引退だ。

しかし、最後の試合では、チームが一体となった。トライを取られても保護者から拍手が起こった。一度ではなく何度も。グラウンドに立った選手はそれほど気持ちの入ったプレーをしていた。キャプテンソウノスケが負傷欠場した穴は、キョウヘイがしっかりと体を張って埋めてくれた。その後の反省で「この試合がベストゲームだった」という3年生も多かった。

0対56だとしても。それでも我々は感動を届けた。それは我々がひたむきに、全力で、考え得るすべての努力をおこなったからに他ならない。たとえ無駄だと言われようが、無理だと言われようが、我々は最善を尽くした。そして最善を尽くした者だけが見ることのできる景色を見た。

敗戦後は、もう終わりかと思うと涙が溢れた。選手は挨拶後、保護者に握手をした。母親の多くは笑顔で涙を流された。父親は目を合わせずに涙をこらえた。

歴史を刻む一戦だった。


「お前眉毛剃ってるだろ!?」

「はい、剃りましたよ」

「な、なんだと!?」

「だって先生達は、俺が眉毛を剃ってないのにこれまで剃ったって疑って来たじゃないですか?だから剃ってやりましたよ。」

「何だ!その口のきき方は!」

痛快な男だ。おもしろい。

「ちょっとこっちきて。」

「なんすか。」

「部活は?」

「一応柔道部っすけど、行ってないです。」

「ラグビー部入ってくれん?」

「ラグビーっすか、いや~。」

「名前は?」

「ワタルって言います。」

まゆげ検査で教員に反抗していた。ワクワクした。こんな男を待っていた。その風貌はどう見ても大将の器である。その日からしつこく誘った。すると徐々にグラウンドに顔を出すようになった。

やがて心の整理ができたのだろう、入部届を出して来た。2年生の4月から途中入部し10月には新チームの主将になってもらった。このワタルとともに、柔道部員全員がラグビー部に入部し、柔道部は廃部となった。

新チームになり最初に取り組んだことは、技術の向上よりも人間力の向上だった。デイサービスセンターへのボランティア活動。通学で利用させていただいている駅の清掃。中学生向けの「ラグビー教室」。「寺子屋」に参加し、小学生に勉強のサポートをする。中学生チームを募集して、カップ戦をおこなったりもした。

このような手立ては、一見目的がバラバラのように見えるが、僕の目的ははっきりとしていた。日本一だ。全国大会で優勝することである。遠回りに見えるだろうし、何の関係があるのか、練習した方が早いのではないか、という意見はごもっとも。しかしこれが近道だと思う。すべては必ずつながる。日本一にふさわしい人間でなければ優勝はできないと思う。人間力を上げ、日本一にふさわしい人間になれば、結果が迎えに来てくれる。選手もそうだし、僕も同じように、だ。

思考は現実化する。例えばスクワットの重量であれば、全員が50㎏でトレーニングしている環境なら一人だけ70㎏でトレーニングをするのはとんでもないことだと思うかもしれない。しかし、全員が70㎏でトレーニングしている環境なら、自分も70㎏が挙がるだろうと感じる。要は心のレッテルの問題だ。「自分はこれくらい」というレッテルを貼ってしまえばそこまでだということだ。

人間の可能性は無限である。恥知らず、思い上がりでいい。年末に大阪遠征を企画した。周囲には「これしきのチームが大阪遠征などと…」と思われたに違いない。僕の中にも「場違いではないだろうか」という思いがあったのも事実だ。しかし、思いがあれば道は拓ける。正確に言うと、思いがあればたくさんの方々が導いてくださる。見ず知らずの私とチームを快く受け入れてくださり、宿泊施設を貸してくださった方がおられて成り立った。たくさんの人に支えられている。

冬の新人戦は10対49で負けた。部員が試合後に書いていた反省は僕の心も反映している。

「自分の弱さを知った。自分にもっと勇気があればタックルに入れた。自分がミスした時も励ましてくれた仲間のためにも、これからはがんばりたい。」

敗戦した次の練習日。会議が思ったよりも長引き、練習に参加できなかった。悔しくて情けなくて、部員に申し訳なかった。選手は僕がグラウンドに来るまで指示された練習を繰り返していた。なんと健気なこと。何としてもこの目の前の者たちを勝たせて、良い思いをさせないといけない。1日1日の練習を大切にしないといけない。

マネージャーが来た。

「先生、次の日曜日休みます。」

「おう、どうした?」

「ライブに行くので。」

「ラ、ライブ?練習試合あるんやけど、ライブ行く?」

「もうチケット取っちゃたので。」

そんなもんなのか。僕の感覚がおかしいのか。まあ、世の中では「ブラック部活」とか呼ばれてるからなあ。そこまで拘束するのは間違ってるのかなあ。

数日後、別の部員が来た。

「先生、次の日曜日休みます。」

「おう、どうした?」

「お姉ちゃんの引っ越しの手伝いに行くので。」

「え?練習試合あるんやけど、それ絶対行かないかん?」

「親に聞いてみます。」

立て続けに、これか。僕が間違っているのか。いや、でも僕の気持ちだけはみんなに伝えよう。練習に来てほしい。練習試合に来てほしい。

「ちょっと聞いてほしい。みんなに与えられた時間は、各自思うように使ったらいいと思うが、ラグビー部に入ったからには、この3年間はラグビーに人生を賭けてほしい。オレは日本一を目指したい。」

考えてみると自分にも悪い部分が大いにある。自分自身の思いをきちんと伝えてなかった。

春休みになり、4泊5日の合宿を実施した。

毎朝8時からの試合。ハードスケジュールが続く。合宿4目。朝、マヒロの顔色が何となく良くなかった。寝不足かなあ。声をかけようとしたが、まあ大丈夫だろう。さあ試合だ。

みんな疲労が溜まっているな。それでも何とか体を動かしていく。マヒロがボールを持った。いつものようにライン際を駆け上がる。しかし、タックルで倒された。なかなか起きない。近寄る。苦痛の表情だ。いかん。

病院から電話をもらった。診断結果は前十字靱帯断裂だった。手術が必要とのこと。今が3月。3年生最後の全国大会予選は9月だ。復帰の期間を考えると、ギリギリか、間に合わない。

翌朝、合宿最終日。マヒロが松葉杖をついて、お母さんとグラウンドに現れた。

「マヒロ、すまんかった。」

「いえ、自分がしたことですから。」

「これからどうする?」

「全国大会予選に向けてリハビリして、必ず復帰します。」

すまんかった。あの時、一言でも声をかけてやればよかった。お母さんにも申し訳なかった。

合宿最後の試合は県ベスト4のチームだった。雲の上の存在のチームである。メンバーはレギュラー陣を少し外し、1.5軍という様相だ。ウチのメンバーを見る。みんな満身創痍だ。マヒロが見ている。ここで怯むわけにはいかない。

試合開始。今までの疲れが嘘のようにタックルに入り続けた。相手が巧みなプレーを見せるが、こちらは捨て身のタックルで応戦し続ける。1年生マサキがボールを持って相手を交わし、抜け出した。マサキ、いけー!しかし、相手の俊足に追いつかれ、思い切りタックルをくらう。

「ピピー!」

審判が笛を鳴らして試合を中断させる。どうした?みんながマサキに集まっている。僕も走った。

「マサキ!マサキ!」

マサキは気絶していた。脳震盪だ。地面に頭を強くぶつけたのだ。

「マサキ!マサキ!」

僕は叫び続けた。マサキの目はうつろだ。まずい。頼む。帰って来い。

「マサキ!」

マサキの目に光が戻ってきた。よかった。体に力が入り、起き上がろうとした。

「まだ動くな。動かん方がいい。」

「試合は?試合はどうなってますか?」

「気にせんでいい。」

「嫌です!行かせてください!」

「マサキ、ダメや。じっとしとけ。」

「行かせてください!自分は大丈夫です!行かせてください!」

マサキは号泣した。悔しそうだった。担架でグラウンドの外に運ばれて行った。

その一部始終を見ていた部員たちの表情が大人になった。覚悟が決まったようだ。マサキやマヒロのために戦う。試合再開後の戦いは激しさを増した。

そして相手陣になだれ込み、トライを1本獲った。その後も防戦一方だったが、試合終了までタックルし続け、ついに勝った。部員は試合終了のホイッスルと同時に、真っ青な空に向かって力一杯雄叫びを上げた。

試合後、部員を集め、試合と合宿の総括を話そうとした。

「ナイスゲームや。」

最初にそれを言うと、涙が出てきて、目を閉じて歯を食いしばるしかできなかった。

部員もみんな泣いていた。マサキは号泣している。マヒロも泣いている。

「ストレッチして、着替えて、掃除しよう。」

かろうじて指示を出し、部員の輪から離れた。保護者も涙を流れている。ふと、ある人物が目に入った。チェンさんだ。

「チェンさん、来てくださってたんですか?」

チェンさんは、号泣されていた。見ず知らずの、ただの練習試合に、だ。

「なにか、なにか是非お手伝い、させてください。」

チェンさんは涙を拭きながら、そう言ってくださった。

4月。新入部員勧誘の時期が再び来た。昨年の二の舞にならないように、僕はぐっと我慢して表に出ず、部員達に勧誘を任せた。僕は廊下の影からコッソリ見るだけにした。これは成功し、13人が入部してくれた。昨年は初めて監督になり、一生懸命勧誘した。それがアダとなったのだ。みんな引いていった。その反省を生かし、今年の勧誘方法は、なるべく僕が出て行かずに、部員に任せた。それが良かったのかも知れない。今年も3人だったら廃部だった。よかった。

新しい校長が来られた。最初の飲み会で、校長と話す機会がありラグビーの話になった。校長は僕に、

「まあ、県で優勝するのは無理やろうばってん、頑張って。」

と言われた。

僕は、「ああ、この校長ではダメだ」と思った。校長には頼らないようにしよう。

翌日、校長室に呼び出された。しまった。おそらく、昨日のことだろう。表情に出ていたに違いない。失礼なことをしてしまった。

「失礼します。」

「おう。あんた、本気で日本一目指しよるごたるね。」

「はい、目指しています。」

「昨日はごめんね、あげなこと言って。」

「え?」

「俺にできることは、何かないやろうか?」

「え?ありがとうございます。そうですね。学区を拡大していただければ、県内全域から多くの中学生が獲得できます。」

「そうか。」

「それと、無理だとは思いますが、隣県からの受験も可能にしていただくと、有望な選手の獲得ができます。」

「わかった。できる限りやってみよう。」

夏。昨年のように合宿に行こうとしたが、4月に起きた地震の影響で、県外への遠征は不安要素が多かった。そのため、校内合宿に切り替えた。

どうせなら、ウチと同じように遠方へ合宿に行くことを渋っている高校に声をかけて集まってもらおうか。おそらく多くの高校が迷っているはずだ。そう思って声をかけてみると、15校が集まった。しかも、拡大して鹿児島や愛媛の高校も参加を表明してくださっている。

この数は、グラウンド1面じゃ試合が全然できない。よし、2面作ろう。サッカー部と野球部に相談して、合宿期間中はグラウンドを使わせていただけるようにした。そして、ラグビーのゴールポストを立てようと、スコップで地面を掘ってみた。

やってみると10㎝も掘ることができない。2mくらい掘りたいのに。知り合いに電話して、ショベルカーを持ってきてもらった。その様子をたまたま見ていた保護者やOB達が集まって来られた。彼らは、それぞれの分野の職人だった。測量の道具や木材などを持ってきてくださり、立派な第2グラウンドのゴールポストができた。ありがたい。これで試合がたくさんできる。

 各校が集まり、総勢約300人の高校生が汗を流した。各校の部屋は、校舎内の各教室を人数によって割り当てた。この合宿には八田が来ている。

数日前。

「夏合宿とかないん?」

「あるよ。校内合宿や。」

「いつから?」

「お盆あたり。」

「行くわ。」

そう言って、僕の周りを自由にウロチョロしている。本当によくわからない男だ。

「アメリカは?」

「行ってきたで。」

「大学は?」

「8年生や。」

理解に苦しむ。僕にはできない。

「これからどうするつもりなんや?」

「パイロットなろかな思てる。」

途方もない。

八田にはコインランドリーに行ってもらうなど、何でも屋さんになってもらった。案外、高校生とも楽しそうに話している。意外だ。

怒濤の夏合宿は終わった。各高校が帰ったあとは、大掃除が待っている。最後の力を振り絞って各教室の片付けに部員と行く。

「うわあ!」

「ねえ、これすごいよ!」

「すげえ!」

各教室には、各高校ごとに僕たちに対する感謝のメッセージが書かれていた。

「ありがとう!」

「ここ最高!」

「ご飯おいしかった!」

「朝練きつかった!」

「朝早すぎ!」

合宿が終わって、ルナがやってきた。

「地震で被害を受けた人達に、私たちラグビー部でできることはないでしょうか?」

「そうやなあ、なんかしたいなあ。」

「募金とか、したいです。」

「なるほど、やってみようか。」

ルナの提案で、土日の練習後に、近くのスーパーで募金活動を行うようになった。みるみるうちに貯まっていき、数えてみると10万円を超えていた。よし、これを現地に送ろう。そう思って、連絡してみると、「よかったら、そのお金でバスを借りて高校生ボランティアに来てください」とのことだった。よし、ならば行こう。

行ってみると、地震の被害は甚大だった。途中の道路が隆起していたり、山肌が削られていたりする。ボランティアセンターに着くと、打ち合わせを行い、部員をそれぞれの仕事に振り分けて作業を開始した。

あるグループは、保育園の畑にひまわりの種1万個を植えて、ひまわりの迷路を作るという作業。またあるグループは壊れたテントを治していく作業。1日働き終えて、部員と話していると、1年生マツオがびっくりした顔で何やら話している。

「マツオどうした?」

「仮設住宅の方々に、元気になってもらうためにお花を配るグループでした。」

「それで?」

「お花を渡したら、おばあちゃんが…。」

「どうした?」

「泣き出したんです。」

そのおばあちゃんはいろんな感情がこみ上げてきたのではないか。言葉では言い表せない、感謝でもなく辛さでもなく、なんとも言えない感情が。僕もその話を聞いてなんとも言えなくなった。

でも、間違いなく感情が動いた。僕たちのチームの理念「日本中に感動、笑、夢を届ける」はこうやって現実化していくということか。帰りのコンビニで「好きな物買ってきていいよ」というと、みんな嬉しそうにコンビニに走った。でも買っていたのは、ほんの少しずつだった。

スタッフミーティングの日。スタッフにはOBも数名入ってもらっている。その中にはショウタもいる。話の途中、

「これでマジで日本一になったらスゲーよな。」

とショウタが言った。

そのとおりだ。すごいことだ。一歩一歩計画を立て、話し合いと実践を重ねながら積み重ねていくものが目標に辿り着くなら、しかもこんなところから頂点に辿り着くなら、それはすごいことだ。

そういえば13年前、同じラグビー部だったショウタが同じようなことを言っていた。

「お前、あの大学で4年間ラグビーやったらその先の人生何も怖いものなくなるよな。」

今、その通りになっている。次もその通りになる。

秋。さあ、帰ろうと思ったら、教官室のドアが、コンコンとなった。

「はい。」

「ラグビー部2年のマサヒロです。」

「入っていいよ、どうした?」

目が真っ赤だった。

「3年生との最後の公式戦に絶対出たいです。どうすれば自分は試合に出ることができますか?」

これを言いに来た時点で、レギュラーはこの男に決まった。技能が同じなら気持ちの強い方だ。少しずつチームが固まってきた。

公式戦2週間前。

「先生、今日ちょっと練習休ませてもらってもいいですか?」

「どうした?」

キャプテンのワタルだった。

「いや、その、たいしたことないんですけど、ちょっと足が痛くて。」

「わかった。診てもらっておいで。」

ワタル。入部してから初めて練習を休むんじゃないか。2年生で入部して1年半。休むことなくグラウンドに立ち続けた。

「ワタルが病院に行くなんてよっぽどっすよ」

ワタルと幼なじみの同級生が言った。

病院から帰ってきて練習に参加した。

「大丈夫か」と聞くと「大丈夫です」と答える。本当に大丈夫だと思ってしまったが、しまった、この男はこういう男だった。

整骨院を経営する後輩から連絡が来た。

「疲労骨折です。」

やはり。すぐにトレーナーに連絡した。すると

「自分たちに任せてください。」

なんと心強いことか。もうワタル一人の体ではない。ここまで酷使してしまって申し訳なかった。ワタルに頼りっぱなしだった。良い思いをさせてやりたい。

「練習見に行っていいですか?」

ヤマウラからだった。懐かしい。どうしんたんやろ。

「おう、おいでよ。」

公式戦3日前。練習見学に来た。

「昨日、通信制の高校を卒業しました。」

「おお、すげえ。」

この報告のためにわざわざ来てくれたのだ。しかも自転車で。これから医者になるのだとか。

副キャプテンのダイキが「大事な試合になると緊張する」ということだったので、公式戦前日に心理士の方に来ていただき、ダイキと話をしていただいた。

「ダイキ、どうでしたか?」

「ダイキ君は試合が近づくにつれてハイな状態になる傾向があります。」

「どうすれば良い状態で試合に臨ませることができるでしょうか?」

「試合前に、腕と太ももを叩いてあげてください。そうすればリラックスして力を発揮してくれます。」

試合当日。負ければ引退。しかも相手は、9ヶ月前の新人戦で10対49で負けた相手。思い切りぶつかるだけだ。きつい練習や合宿はこの日のためにある。

「ダイキ、頼むぞ。」

「はい!」

腕と太ももを叩いた。

「ワタル、足の痛みはどんな感じ?」

「全然いけます。」

愚問。この男はどれだけ痛くてもこう言うだろう。

19対7。勝った。情けないことだが、試合前も試合中も、僕は何度もダメかと思った。情けない。もうみんな、僕の上を行ってしまった。素晴らしいチームだ。

このチームは僕のチームだと思っていたが、そうではなくなった。ワタルたちのチームになった。やればできるということを、明日証明しようではないか。さあ2回戦だ。

2回戦はウチが会場だった。会場準備も不備なく終わり、試合前のウォーミングアップに入る。ウォームアップの最後に、僕はレギュラー15人のタックルを受けて、試合に送り出すようにしている。気合いを入れるためだ。15人受けるとさすがに息が上がる。ふと視界に1人の男が目に入った。マヒロだ。右膝をテーピングでガチガチに固め、なんとか補欠に入るまでに回復していた。

「俺もしたいなあ。」

マヒロがつぶやくのが聞こえた。

「マヒロ!こい!」

マヒロは驚き、顔色が明るくなった。

「っしゃー!」

チームが1つになった。

多くの観客の声援を受け、戦う。流れがこちらに傾き、点差を広げて勝利が確実なものになりつつある。ワタルは怪我の影響を感じさせない、豪快なトライを決めた。勝負がほぼ決まったところで、ワタルを交替させ休ませた。グラウンドからワタルがベンチに戻ってくる時は、ベンチの後ろの応援者たちからの大きな拍手が響いた。ワタルは恥ずかしそうにペコリと頭を下げた。

その後も何人かメンバーを入れ替え、ついにマヒロが入った。

「マヒロー!」

「マヒロ行け―!」

「マヒロ頼んだぞー!」

6ヶ月のリハビリを経てグラウンドに戻ってきたマヒロは、大応援団の声援を受け、嬉しそうにグラウンドに入っていた。

試合に勝利し、これでベスト24。次は大一番の伝統校との戦い。

次の日、3年生2人が、体調不良で学校を休んだ。補欠に入っていた2人だ。うち1人はマヒロだ。僕は当初から、その週に学校や練習を休んだ者は、週末の試合には出場させない、と伝えている。なぜなら、一生懸命練習しているメンバーが他にいるからだ。

しかし今回は3年生なので配慮も必要かもしれない。次の試合が引退試合になる可能性があるし。ワタルに相談してみようか。

「ワタル、ユウダイとマヒロが休んでるけど、次の試合のメンバーどうしようか?3年生やしなあ…。」

「外しましょう。毎日練習しているヤツらが馬鹿をみます。」

即答だった。この男。負けるなんて1ミリも考えていない。僕はこの男に及ばない。

『私たちは努力してきた。日本一の練習もした。もう残すことはなかった。確かに負けた。それでも最後の最後でトライを獲った。このトライは周りから見れば1本のトライだが、私たちにとっては次に繋がる大きなトライだった。』

サッカー部から入部してくれたダイチが、試合後のノートに書いた言葉だ。試合終了間際のトライは、柔道部から入部してくれたキミハルが決めてくれた。

数年前までラグビーのラの字も知らなかった、もしかしたら一生このスポーツに関わることはなかったかもしれない者たち。つながり合うことがなかったかもしれない者たち。その者たちが今、この場所で命を燃やしてくれた。

7対50。ワタル組解散。ありがとう。


前の職場には週に3日はランニングで通勤した。懸垂と朝7時からのウエイトトレーニングを毎日自分に課した。すべてはラグビー部を顧問した時のために。

早朝から柔道場に行き、黙想したこともあった。自分自身の人生の目的を何度も確認した。夜8時過ぎの真っ暗なグラウンドで一人でラグビーの練習をしたこともあった。ボールはなかったので、投げるふりをした。

すべてはここにいるためである。異常に見えたであろうが、いたって正常だ。目標達成のために、あらゆるしがらみを取っ払い、数パーセントの可能性にかけて足掻く。すべての道はつながっている。今ここにいる。

23歳の時に、会社の倉庫の小さな窓から見た、あの晴れた日曜日の、その窓の向こう側に今いる。

25歳の時に、ボロアパートの部屋の中で眺め続けた机の壁の、その向こう側に今いる。

26歳の時に、監督の言葉を入力し続けた、その向こう側に今いる。

27歳、28歳、29歳の時に、耐え忍び、希望と不安と葛藤し、日本一を掲げて夢想した、その思考の向こう側に、今いる。

何を怯えることがあろうか。今、望んでいた場所にいるのだ。人生の大きな賭けを、今成功させようではないか。計画を立てよ。客観的な視点、他人様からの意見をよく聞くこと。信念を貫け。今までしてきたように、日本一への最短ルートを突き進め。自分がしていることが、私利私欲ではなく、必ず社会のため、多くに人のためになることであるという確信を持てば、何も臆することはない。

さあ、新チームをどうやって強くしていこうか。やはり、勝利に貪欲にさせたい。何か手はないか。あるOBに話を聞いてみた。

「僕らの頃は、練習試合をして、試合後にトライを獲られた本数×グラウンド1周してましたよ。」

なるほど。そんな方法もありかもしれない。そうすれば、試合後に走る本数を増やしたくないので、頑張るかもしれない。それでいこう。

ある強豪校と練習試合を組ませてもらった。案の定、大差で敗れる。試合後、

「わかってるな、さあ走ろう。」

と部員を走らせた。途中で相手校の先生に声をかけられた。

「そんなに走らせたら、ラグビー嫌いになっちゃうよ。」

僕は思った。ラグビーとはそのようなスポーツだったか。そのような甘い、気を使わなければならないスポーツだったのかと。そうではない。勝利のために流す汗と涙に価値を見出すスポーツではないか。おもしろい、楽しいという感覚よりも、全人格、全能力を駆使して、己を最大限まで高め、生を全うするところに喜びを見出すスポーツではないか。

 しかしながら、新人戦5対98の大敗。どこから手をつけるべきか迷っている。自分がやっていること、考えていることは、果たして正しいのか。もしかしたら間違っているのか。

監督の孤独が理解できる。大学の監督のラグビーはしばしば批判の的になる。それは、時にはスタッフから、そして選手からも。しかしどのチームよりも感動を与えるのは、「鍛えている」からだ。そして鍛えるということは孤独であるのだ。迷ったら鍛える。鍛えながら考えよう。

 新人戦の大敗。指導方法に迷いが出てきた。今まで、思い切り突っ走ってきたが、このままで本当にいいのだろうか。勝てるのだろうか。

先人から学ぼうと思った。僕は、全国のラグビー強豪校の監督さんに会いに行くようにした。さらに、甲子園で日本一に輝いた高校野球部の監督さんにもお会いした。23歳で監督就任、10年後の33歳で日本一。まさに生きたモデルだった。

さっそくその高校に電話をし、監督につないでいただいた。監督の電話対応は、今までの僕の人生の中で最高のものだった。何の面識もなく、競技も違う不審者からの電話にも関わらず。素晴らしかった。丁寧ではきはきとした口調。笑顔の表情が想像できる明るい声。電話を切ったあと、思わず「すげぇ」と唸った。

強豪校の監督さんに共通するのは、大きな器だということ。惜しげもなく教えてくださり、歓迎してくださる。そして、ユーモアと自信のバランスが素晴らしいと感じる。人間としてすごい。指導方法がすごいという前に、人間が素晴らしいと感じた。ここにヒントがあるかも知れない。

 1月。全国大会決勝をテレビで見た。日本一。そして今思う。僕たちは今日本一弱い。県で一番弱いと感じていたが、日本一弱いと感じた。僕自身のコーチングとマネジメントの勉強が必要だ。そして、人間力を高めたい。

しかしながら、そう簡単にはいかない。僕が、高校大会の役員で不在の土日には、スタッフに練習を任せていた。

 「練習、どうでしたか?」

 「うーん、もうダラダラし過ぎやね。」

 「すいません、ご迷惑かけて。」 

「やっぱ、お前がおらんとダメやね。」

やはり、僕の不在時には練習はさせられない。悪い癖がついてしまう。どうすればいいのか。

 1年生が苦しんでいる。練習が辛い。時間の拘束が辛い。学校生活、日常生活での縛りが辛い。監督からの理不尽、圧力が辛い。ここで手綱を緩めてはならない。大学時代の監督が仰っておられた言葉が身に染みる。「毎日学生とのケンカや」。引いてはいけない。

 2月。恐れていたことが起きる。1年生で退部したいと申し出てきた者が4名きた。理由は様々だが、僕の指導方針に起因するところがいくつかある。

1つ目は怪我に対しての対応。「痛い痛い言うな」という指導方針だった。少し痛いから練習を休ませたら組織はどうなるんだ、という思いからかなり厳しくしていた。

2つ目は練習日程の過密さである。土日も休みなく、長期休みがあれば合宿を敢行する。この時間的拘束が長い。

3つ目は「本当に僕たちのことを考えているのだろうか」という不信感。目の前の部員を粗末に扱っていなかったかということ。部員のことよりも、部の繁栄のことを考えているのではないかということだ。

次々に事件は起こる。近くのジムにみんなで行くように指示した後、その道中で部員の自転車二人乗りを見つけてしまう。ラグビー部の看板を背負っているのだから、特に学校外の行動では地域の方に見られているから注意しないといけない、と伝えていたが。ダメだ。うまくいかない。

 練習を休む者も増えてきた。「お腹が痛い」「頭が痛い」。よくわかる。そうなってしまったものは仕方がない。しかし、休みすぎだ。でも、これは意識で事前にコントロールできることじゃないか。だって休むのは全員1年生だからだ。

僕がやりたいことは、部員に高校生活で何かを成し遂げさせてやりたい、ということだ。僕の場合はそれをラグビーで強制させているのだ。未熟者には強制が必要だと思う。ラグビーを最上級に考えること。そのために練習は休んではならない。そのために体調管理をする。早く寝る。食事に気を遣う。このサイクルを3年間繰り返して、達成感を得ることができれば、その後の人生は自分なりの人生に結びつく。その場その場の楽な方、楽しい方に流れたとして、この短い人生で一体何を成し遂げようというのか。ましてや高校生活の3年間、逃げてばかりで何を成し遂げることができようか。

 「なんでラグビー部の生徒は、あんなに部活が嫌いなんでしょうね?」

職員室で他の先生が話しているのが聞こえた。悔しい。なんで。

その後も退部希望者は続く。1年生のセイヤが教官室にやってきた。

「ラグビー部を辞めさせてください。」

「理由は?」

「勉強に力を入れたいです。」

「そうか、他には?」

「軽い気持ちで入部して、1年は頑張ってみようって思ってて、ちょうど1年経つんで。」

「他には?」

「それぐらいです。」

「そうか、根性あるから良い選手になると思ってたんやけどなあ。」

「…あ、あと…」

「なんや?」

「自分だけタックルできないのが、ちょっと嫌だなってゆうか、同級生はみんなタックルできるようになってて、試合でも先生から『ナイスタックル』って言われてるし、自分がタックルできなかったせいでトライされて、仲間から『どんまい、次頑張ろう』って言われるのも、何というか…。」

「悔しいんか。」

「そうです。」

「どうなりたい?」

「チームで一番タックルができる選手になりたいです。」

「セイヤがその気になれば、なれるんやぞ。」

セイヤは号泣した。僕はセイヤを抱きしめた。

「よし、今からタックル練習するぞ。」

「はい。」

そのまま2人でグラウンドに行き、僕はセイヤのタックルを受けた。良いタックルじゃないか。

タックル練習が終わり、帰ろうと思って校門を出ると、1年生部員が7、8人残っていた。セイヤを待っていたのだろう。

「ラーメン食べに行くか?」 

え、どうする?という顔を見合わせている。

「全員奢ってやるぞ。」

「行きます!」

これまでの僕にはない行動だ。なぜなら僕は鬼軍曹だからだ。彼らを勝たせなければならない。そのためには、弱みを見せたらいけない。勝つというのはそんな甘いものではない。そして勝つことが、どれだけ彼らを成長させてくれるか。だから僕は彼らを勝たせなければならないと考えていた。

だが、ふと声をかけてしまった。自分でも少し後悔したが、衝動的に言ってしまったものは仕方がない。言葉を覆すほうがかっこ悪いし。

ラーメン屋に入ると、座席を決めるのにソワソワしていた。誰が僕の隣に座るのかを譲り合う。場の空気を和ませるために、好きな女の子の話などを振った。そして、一番聞きたかったことを聞いてみた。

「辞めたいと思っている者。」

その場にいる全員が手を挙げた。正直な奴らだ。

「…もう今日はいい。食え食え。この辛子ニンニク入れたことあるか?」

「いや、ないです。」

「みんな入れろ。」

僕はみんなのラーメンに入れた。そうやって悔しさを誤魔化した。

僕は彼らのことを本当に大事にしてきただろうか。これまでを振り返ると必ずしもそうではなかった。こんなことではダメだ。大事にしよう。育てよう。

帰りの車の中で卒部生タカヒロに電話をした。ラグビー部では上級生が下級生の面倒を見るようなシステム作りのために、「ブラザーシスター制度」を導入していた。気の合う組み合わせで、ラグビー部内で兄弟になるのだ。兄は弟を助け、弟は兄から学ぶというシステムだ。

兄タカヒロに弟セイヤのことを伝えた。

「タカヒロ、久しぶり。」

「あ、ご無沙汰しています。」

「タカヒロ、今日な、セイヤがラグビー部辞めたいって言ってきたんや。」

「え。」

「一応タカヒロにも伝えとこうと思って。どうしたらいいやろ。」

「お願いがあります。強制でも何でもいいので絶対に辞めさせないでください。自分も何度も辞めようとして退部届をもらいに行きました。でも、先生は辞めさせてくれませんでした。今では感謝しています。僕だってタックルができるようになったのは2年生の夏合宿だったじゃないですか。タックルは怖いです。でも必ずできるようになります。ゴールデンウィーク仕事が休みなので、グラウンドに行きます。」

 その後、ワタルから着信があった。

「おう、ワタル、どうした?」

「ちょっと、ご相談がありまして。」

「どした?」

ワタルは、関東の強豪大学からスカウトを受け、今は大学1年生としてラグビー部に所属しているはずである。

「ラグビーはいいんですけど、大学の授業とかに、自分、合わなくて…。」

「まあ、大学の授業ってそんなもんやろ。」

「まあ、そうなんですけど…。」

「ラグビーしに来たって考えればどうや?」

「まあ、ただ、自分、合わないような感じで…。」

「ん、泣いてんのか?」

泣いていた。あの男が。ワタルにしかわからない辛さがあるのだろう。考えて、また電話してくるように言った。おそらく、せっかく自分を推薦してくれたのに、自分が辞めることで高校と大学の関係が悪くなると思って電話してきたのだろう。

 相変わらず、練習試合になかなか勝てない。目を背けたくなる。今が一番しんどい時期なのかもしれない。ならば今こそ、人間力が試される時じゃないか。

部員たちは誰も負けたいと思って試合に臨んでいる者などいない。甘やかそうか、いや突き放そうか。いやいやそんな安っぽい対応ではだめだ。ぶれるな。僕自身も一皮むける必要がある。時間は限られているし、結果も出したい。もがけ。今はもがく時だ。何でもないようにスマートになんかなるな。

そして、いよいよ新入生を迎える4月がやってきた。

新入生は、入学式が終わると、学校行事として宿泊研修がある。この日程が春大会1回戦と重なってしまった。僕は1年生の担当になったので、宿泊研修に参加し、日曜日だけ抜け出して、試合会場に向かった。

新2、3年生は格上の高校と激突した。正直、どうなるかわからない。とにかく、ほぼ全員辞めたいと思っていた部員達は、何とかここまで続けてくれている。

相手は実力のあるチーム。こちらのチーム状況は、退部を考えている2年生もおり、良い状況とは言えない。全員が同じ方向を向いているかと言えばそうではない。しかし僕たちは勝った。粘り勝ちをした。今まで1回も勝てなかったのに。

最後に逆転という試合展開は、する者、見る者、支える者を感動させた。目を赤くした保護者が多かった。よく見ると卒部生の保護者も多数おられた。みんな、この感動を求めて、この時間、この場所に集ったのだ。予定を調整し、わざわざ足を運んだのだ。それに十分に応えた部員の成長、勝利であった。よかった。チェンさんは泣いていた。

試合が終わり、部員にストレッチをさせて、宿泊訓練に戻る途中、チェンさんとラーメン屋に寄った。格別においしかった。達成感があった。少し光が差してきた、そんなことを思った。

その後、ふとSNSを見ると、1年生部員が先ほどの勝利をつぶやいている。1年生の宿泊研修中は携帯電話使用禁止であるのにもかかわらず、だ。宿舎に着くや僕は該当の部員に問うた。

「ケータイ持ってきてるやろ。」

「いえ、持ってきていません。」

ラグビー部1年生22人全員を集めた。全員に問い質すと、その多くが持ってきていた。

「さっき、2,3年生は試合に初めて勝ったんや。逆転して。自分のプライドと命をかけて戦って勝ったんやぞ。見ているひとは泣いてたよ。お前達は、こんな低次元な世界で何をチマチマしとるんや。『学校の校則を守れ』とか安っぽいことを言ってるんじゃない。『オレとオマエ』の話や。オレたちの信頼関係はどうなるんや。」

1年生は、中学からの経験者が大量に入部してくれていた。前校長が、学区拡大を実現してくださったためだ。これまでは学区という決まりがあって、中学生は住んでいる地域の高校に行かなければならなかった。しかし、今回の学区拡大で県内全域と隣県の中学生が、受験可能となり、多くの地域から受験してくれるようになった。おそらく、前校長が教育委員会にお願いしてくれたのだ。

そうなると住む場所が必要になった。僕は温泉旅館の社長にお願いして、数部屋を3年間貸してくださるように頼んだ。快諾していただいた。女将さんをはじめスタッフの方々の温かいサポートには感謝しかない。

学校内での僕は、1年生の担任となり、男子クラスを作らせていただいた。この男子クラスには、特進クラスに入った2人以外のラグビー部員が全員在籍している。僕が思う教育をしようと思ったからだ。グラウンドの練習だけでは勝てない。日常生活からだ。

この1年生にも早く高次元を見せなければならない。彼らの心に火を灯したい。2回戦は格上の高校に負けた。さあ、秋に向けてチーム作りだ。

講師を招いて、体を大きくするためのセミナーを開いた。食事に関することなので、各保護者にも連絡して来ていただく。一通り説明が終わり、質疑応答に入った。僕は質問してみた。

体重増加についてだ。ラグビーの場合、いくら上手くても体格で負ける場合は大いにある。「チームの平均体重が60㎏で日本一を達成した。」ということはほぼ、起こり得ない。特に、フォワードという最前列の8人のポジションの体重増加は重要だ。というか、体重がなければ勝負にもならない。

「フォワードの平均体重を100㎏、バックスの平均体重を80㎏にしたいのですが、どうすればいいでしょうか?」

僕が質問すると、部員や後ろに座っている保護者から笑いが起こった。僕は怒りがこみ上げてきた。

「笑うなよ!オレ達が信じらんで、誰が信じるとや!」

しーんとなった。僕たちの活動を通して、「人から笑われても、自分が本当にしたいことをしよう」というメッセージを伝えたい。そう思ってやってる僕たちが、自分自身を信じなくて誰が信じるのだ。保護者にも叫んでしまった。しまった、と思った。

「今どき、年上の保護者に向かって喝を入れきる先生やら、おらんですよ。しっかりついていきますけん、何かあったら言ってください。」

 保護者会長からだ。よかった。救われた。

夏。連続の合宿を行なう。全国から高校のトップチームが集まる合宿に参加した。僕は主催者に電話をして、無理矢理ねじ込んでいただいた。その合宿を終えると、校内合宿だ。

校内合宿は1週間行なった。台湾の高校チームが参加してくれた。大学時代のチームメートに台湾人留学生がおり、今は台湾の高校チームをコーチしているということだったので、声をかけてみたのだ。

受け入れに関しては、島川さんにマネジメントをお願いした。合宿のパンフレット作りや、台湾の高校チームの合宿前後の行程表作りなどを担っていただいた。3年前に国体選考の遠征で声をかけてくださった方だ。この合宿には2人の部下とともに参加してくださった。

島川さんのお陰で合宿はスムーズに流れ、僕はラグビーの指導に集中することができた。最終日に、台湾チームに思い出をプレゼントしたいと思い、DVDを作るためパソコンに向かっていた。

「何してんの?」

島川さんに声をかけられた。

「DVDを作って台湾チームにプレゼントしたいと思って、今作ろうとしてます。」

「いいねー、それ、俺らで作るよ。任せて。」

デジタル専門のスタッフがおられて、すぐに取りかかってくれた。そして、別れの時に全員で完成したDVDを見る。台湾チームのスタッフたちは涙を流された。

秋。最後の大会が近づいてきた。練習後、教官室にセイヤが入ってきた。

「今いいでしょうか?お話したいしたいことがありまして。」

「いいよ、どうした?」

「最近タックルがちょっとずつ入ることができるようになってきてて、自分でも良い感触を持っています。」

「確かに良くなってきてるよな。練習の前後で隠れて個人練習してるやろ?」

「え?」

「知っとうくさ、隠れてしとるつもりかもしれんけど、多分みんな知ってる。」

「そうなんですか。」

セイヤは照れた。

「それで、お願いがあって。」

「どした?」

「チームで1番のタックラーになるまでAチームには入れないでほしいんです。中途半端になりたくなくて。」

「なるほど。よし、わかった。それと、Bチームのこともよろしく頼む。」

「はい、わかりました。ありがとうございました。」

3月に「タックルが怖い」と泣いていた男。最近は2軍であるBチームのキャプテンを任せられるほど頼もしく成長してきた。チームを盛り上げるために、Bチームを引っ張ってくれている。

秋が深まる。練習中、3年生マサキがタックルを受け、足を痛がった。かなり痛そうだ。すぐに病院に行く。翌日、マサキは松葉杖をついて診断結果の報告に来た。

右足の骨折、翌日手術とのことだ。マサキは号泣した。全治は不明だが、3ヶ月以上だという。もう大会は直前で、復帰には間に合わない。

「今までマサキが経験したことを全て1,2年生にぶつけてくれ。」

マサキがいなくなって、全員を集めた。

「マサキが復帰できる可能性があるのは1月や。勝ち続けよう。その日を迎えるまで。」

勝たせなければならない。陸上部から転部してきたマサキのためにも。自分のためにも。

試合が近いというのに、僕は放課後生徒の居残り担当で教室にいた。ここで50分間。練習の時間が惜しい。窓の外を見ている。すると、3年生のアツシが走ってグラウンドに行く姿が見えた。クラスの終礼が長引いたのだろう。しばらくすると、今度はショウイチが走って行くのが見えた。彼はラグビー部のない高校に通っていて、放課後にウチに練習に来る。3年生だ。時間が惜しいのだろう。

キャプテンマサヒロを教官室に呼んだ。どうしてもしなければならない話がある。実は、マサヒロと同じポジションの1年生が抜群に良い動きをしていて、おそらく最後の公式戦では、その1年生がレギュラーになる。いや、僕がレギュラーにする。そして、マサヒロは補欠になる。

「マサヒロ、秋の公式戦はコウセイでいこうと思ってる。」

「え?」

「コウセイのほうが上や。」

「…。」

「マサヒロには2つの選択肢がある。一個人の選手としてレギュラーを獲るために、自分自身に時間と労力を使うか。キャプテンとしてチームのために時間と労力を使うか。」

すぐには答えは出ない。

「レギュラーを獲るのと、チームが勝つのはどっちが嬉しい?」

「キャプテンとしてチームを勝たせます。」

「そうか。ありがとう。上手くしてあげれんくてすまんかった。」

マサヒロは泣いた。こんなこと別に言わなくても良かったのかもしれない。高校生に残酷な現実を突きつけなくてもよかったのかもしれない。まだ公式戦までは日にちがあるので、頑張ればレギュラーになる可能性だってあるのかもしれない。潰す必要があったのか。

言わなければならなかった。現実はキチンと伝えなければならなかった。ママゴトではないのだ。勝利を目指すとはこういうことだ。勝利を目指す過程に成長がある。成長とは良い思い出を作ることではない。その信念があった。

 公式戦3日前。3人の3年生、マサヒロ、アツシ、マサキ。それにショウイチ。女子プレーヤーのアリサとマネージャーのアユミとイチコ。どうしても勝たせたい僕は、大学時代の同期であるムサシに連絡を取って来てもらった。ムサシはモチベーションアップの仕事をしている。

 校内合宿。夜の教室。電気を消して真っ暗。みんな目を閉じる。音楽とともに、ムサシが語りかける。僕たちそれぞれの頭の中に、この2年半の取り組みが映し出される。部員のすすり泣く声が聞こえる。僕は教室の一番後ろにいて目を閉じていた。涙が流れた。

公式戦前日。ショウイチが教官室に来た。

「どうぞ。」

「失礼します。」

「どうした?」

「明日は自分の学校の文化祭があって、試合に来ることができません。それで、あの、あの、よろしくお願いします。」

 公式戦当日。いつものように寺に寄って学校に向かう。僕は、公式戦の朝は、自宅の近所にある寺に寄ってから試合会場に向かうようにしている。2年前の最初の公式戦の時からずっとだ。童心に帰るためだ。損得ではなく、ただ自分の真の感情を確認するためである。

 ウチが会場だ。学校に着くと、マネージャー陣は既に仕事に取りかかっており、気ぜわしく動いていた。次から次に教官室に確認に来る。

「駐車場のバスの配置はこのように考えていますが、よろしいでしょうか?」とキョウコ。

「パンフレットを販売しますが、お金はどのように集計しましょうか?」とイチコ。

「今日は気温が高いので役員の先生方へのコーヒーはアイスを準備しようと思います。それと、お茶のアイスにしてお弁当のタイミングでお配りしようと思いますが、どうでしょうか?」とアユミ。

「ビデオカメラを事前にチャックしたいのでお借りしてもいいでしょうか?」とナナコ。

窓からグラウンドの準備状況を見ると、ヤヨイとマリエがライン引きをしている。

 ウォームアップ前にトイレに行った。たまたま話し声が聞こえた。

 「来週の試合は絶対勝ちたいよね。」

 「うん、春に負けたからリベンジよね。」

 相手校の保護者だ。今日のウチとの試合は準備運動ぐらいの意識なのだろう。確かに力の差はそれぐらいある。だが、エネルギーをいただいた。この偶然に感謝。

 いつも通りのアップが始まる。激しすぎもせず、だらけすぎもせず。いつもの公式戦前通り、少し早めに切り上げる。気持ちの充実を見て、集合をかけ、タックルを受ける。

ここには日常はない。応援団を見ると様々なしがらみの人たちの顔が見えるが、最低限の挨拶だけにとどめる。ここに権力や地位はない。あるのは勝利だけだ。選手たち、相手、試合の駆け引きがあるだけだ。

  試合開始。相手方の予想に反して、接戦となる。前半終了3対5。

 ハーフタイムではいつも通り、部員達だけで3分間話をする。僕は円陣の外側で聞き耳を立てているだけだ。

3分後、全員を集める。テントの中。小さく固まる。全員の目がこちらを見る。

「前半はどんな感触?」

「いけます。」

2年生マツオが答える。

「ぎりぎりの戦いになったな。我慢比べになったらオレたちはどうなる?」

「勝ちます!」

全員で叫んでいた。

「よっしゃ、行ってこい!」

「はい!」

 後半も五分五分の戦いだったが、試合終了まで残り13分。圧力に負け、ついにトライを奪われる。3対12。1トライでも逆転できない状況だ。ダメか。だが部員達は全くあきらめなかった。

部員達は「モール」を組んだ。モールとは「おしくらまんじゅう」のようなものだ。何人もの選手が一塊になり、少しずつ前進していく戦術だ。安定性があり、どこのチームも習得しようと練習するのだが、熟練するには時間がかかる。そこで僕は、この大会の前にモールだけを練習する校内合宿を組んだ。16時から21時まで延々とモールだけを練習した。部員は意識が飛びそうだったと思う。

「ここは学校ですよ。何を考えてるんですか?」

学校の先生にも言われた。

「申し訳ありません。」

と返答し、構わず練習を続けた。学校が決めた時間を守るとか、常識の中でなどという、安っぽい次元の話ではない。今、取り組まなければ永遠に気づかないまま終わるかもしれない。今、彼らは幸せな人生に移行しようとしている。あの夜、その信念があった。

そして数週間後の今。目の前に現実化しようとしている。モールの中心でアツシが暴れている。負ければ引退。「死に物狂い」とはこのことだろう。トライ。10対12。

しかしまだ点が足りない。残り5分。再びモールを組む。動かない、ダメか。

動き出した!合宿や!思い出せ!いけ!

部員達は一塊となってラインを越えてなだれ込んだ。トライ。15対12。残り1分半。

ここから相手の最後の猛攻が始まる。相手も負ければ引退。激しい突進を繰り返してくる。まずい。

あと5mでトライされる。しまった、反則を取られた。来るぞ、構えろ!最大の集中力だった。相手がボールを落とした。その瞬間、試合終了。部員達は、声の限り叫んだ。

その瞬間、松葉杖のマサキと握手をした。マサキは泣いていた。ベンチにいた補欠の部員も泣いている。

次の日、写真を撮ってくださっている保護者からデータをいただいた。その写真には、試合後に保護者に向かって礼をする部員一同が写っていた。そして、その奥に保護者をはじめとする応援団が。両腕を突き上げてガッツポーズする保護者、拍手している保護者、涙をぬぐっている保護者。その全員が、笑顔だった。

2回戦の前日。1年生ショウタロウの動きと表情がおかしかった。ショウタロウは明日の試合もレギュラーだ。

「調子悪いんか?」

「大丈夫です。」

別の1年生にこっそり聞いた。足首を痛めたらしい。もう一度ショウタロウに聞いた。

「言わないかんことあるやろ。」

ショウタロウは泣き出した。すぐにトレーナーの山田さんに連絡を取り、チェンさんに連れていってもらった。後から追いかけたが、驚くほど治っていた。

山田さんとの出会いは、山田さんからいただいたお電話だった。

「山田と申します。日本一達成のために、是非サポートさせていただけませんでしょうか。」

と、突然お電話をいただいたのだ。整骨院で治療をされており、何人もの部員を治療していただいている。今まで出会った治療家の中で抜群だった。良い治療家を仲間にすることは大事だと改めて思った。それにしてもショウタロウ、良い根性をしている。

2回戦の相手には歯が立たなかった。次元が違った。大雨の中、泥だらけになりながら奮闘し続けたが、2枚も3枚も上だった。大人なチームだった。後半からマサヒロを試合に出した。一生懸命、何かを残そうと走り回っていた。彼らの3年間が終わった。0対58。敗退。


 キャプテンを2人体制にする。共同キャプテンだ。マツオは戦国時代の侍大将のような男で、実践で力を発揮するタイプ。ダイスケは冷静で、部全体のバランスを保つことに長けるタイプ。それぞれの強みを生かし、協力して部を強くしてほしい願いを込めた。

 また、この代のメンバーは、ほんどの者が「辞めたい」と言っていた者達だ。それが、いよいよ最終学年になろうとしている。なので、この学年全員で盛り上げてほしいという願いも込めている。

 学校の中では携帯電話を使ってはいけないルールになっている。1年生ショウタロウが授業中に携帯電話を使っていて他の教員に指導を受けたようだ。

「いつもは電源を切ってて絶対使わないんですけど、なぜか電源が入っていたので切ろうと思って触ったところを見つかりました。」

僕のところに謝りに来たが、明らかに誤魔化していた。バレバレだ。誤魔化していることのうしろめたさがありありと感じられた。誤魔化させてはならない。

「ショウタロウ。そのままの人生を送ってしまうけど、いいとか?。オレとの関係はその誤魔化しのままで一生続くぞ、いいとか?」

「…」

「オレはショウタロウと一生付き合う覚悟をもって腹を割って話をする、やけんショウタロウも腹を割れ!」

ショウタロウは泣いた。

部員は、学校の中で問題を起こしたり、指導を受けたりしたら僕のところに報告しにくるようになっている。これは自然とそうなった。また、他の教員から、「ラグビー部の誰々が授業中うるさいから、ちゃんと指導して。」というご指摘もいただく。

僕はいつも思う。「いい子」というのは、何の問題も起こさず、授業中も先生の話を聞いて、宿題を提出する子のことだろう。これの何がいい子だ。「管理しやすい子」なだけだ。集団を管理しやすいように、教員が作り上げたフィクションが学校の中には多い。ママゴトをしているみたい。

これじゃ勝てない。僕にとって、「勝つ」とは「成長」と同義語だ。勝つから成長するし、成長すると勝手に勝つ。どちらが先でもいい。だから部員を成長させたい。いや、正確に言うと成長してもらわねば、負ける。成長させるには、自己選択の機会を多く設けて、失敗と成功をバランス良く経験させることだ。

僕の超個人的な願望、自己実現は、高校ラグビー日本一だ。その超個人的な目標達成のために高校の教員をして、部員を勝てる集団にする。結果的に、それは部員の幸せにつながる。

でも、別にそこまで考えていたわけではない。僕が、ただ、高校ラグビー日本一になりたいだけだ。それに向かって進む過程で勝手に、「部員の人間的成長が必要」で「彼らのその後の人生に生きる」という付加価値に気づいただけだ。だから、あくまで、僕の超個人的な目標達成のための手段なのだ。

僕は結果を求めるが、部員や保護者は、その過程にも付加価値を感じている。それは僕も納得できる。ラグビーは人生のほんの一部だし、社会に出れば何でも無い。結果が出なくても、勝利に向かって取り組むことで得られる付加価値が、社会に出たときに大いに生きる。しかし、だ。それは、終わってみて振り返って感じればいいことであって、取り組んでいる最中は、結果にこだわらなければならない。いや、結果だけでいい。そうじゃないと格好悪い。

人を騙すより、自分を騙す方が嫌だ。僕は、超個人的な目標である、高校ラグビー日本一になりたい。そのために部員には成長してもらわなければ困る。でも普通の学校教育システムでは成長しない。管理型では、「平均か平均より少し上」の人間しか育たない。

だから、自分だけのクラスを作らせてもらった。日本一になる。高校ラグビー日本一になって、「おい、みんな、これでいいんだ」というメッセージをまき散らす。「常識とか、平均などという、みんなの価値観に合わせなくていい、自分の価値観を持ち、せっかくもらった命を目一杯使おうや」というメッセージを発信したい。

 ここのところ、1人の部員が学校を休んでいた。気になって昼頃に家に言ってみた。暗い顔をしていた。

 「おう、うどん喰いにいかん?」

 「え、うどん、ですか?今から、ですか?」

 「うん、腹減ってさ。」

 「わかりました。」

 うどんを食べながら話を聞くと、本当に些細なことだった。しかし、この部員にとっては、もう学校に行けないというところまで追い詰められていたようだ。泣きながらうどんを食べている。あの日の僕と同じだ。

 「誰にも言わないでください。」

 「もちろん。てか、オレも授業サボって来とるけん、誰にも言わんでね。」

笑っていた。次の日から学校に復帰した。

 12月と1月の体育の授業は持久走になる。僕は全部走る。曜日によっては1日3時間走ることもある。ペースメーカーになるのだ。女子バスケットボール部でしていたように。

もちろん一般生徒もついてくるが、僕の後ろにはラグビー部員がくっついてくる。部活動の一環という位置づけにしている。僕もギリギリの戦いだ。

下宿している温泉旅館で問題があった。ここ1か月、部員が朝食を食べて無いとのことだ。すぐに本人たちに理由を聞いた。

「なんで朝ごはん食べんとや?」

「どうしても朝起きれなくて…。」

「それでいいとか?その体で勝てるとか?」

基本的には、大人より子どもの方が優れていると思っている。特に感性や能力、可能性の点で。ただ、大人と子どもの大きな違いは、志を持っているかだ。この点は、志を持つ大人が勝つ。志が強ければ、思いを行動に移すことができる。子どもたちも思いは持っているものの、そこまで思っていない。だから行動に移せない。レギュラーになれずにもがいている部員も同様。そのために死にもの狂いでやっているのか、レギュラーを獲ることを今の人生の最優先にして日常を生きているのかというと、おそらくそうではない。思ってはいるものの、行動までは及ばない。僕も含めて、平和な世の中に生きてきた者たちは、「絶対に」とか「命がけで」という思いにいたるのは、大きな挫折や死を思う経験をしなければ、研ぎ澄まされないと思う。では自分で解決するのを待つのかというと、それでは3年間が終わってしまう。コーチとしてきっかけ作りをする。環境設定。向こうからは言い出しにくいことも、時間をとったり、雰囲気をつくったりして、心の中のことを自分自身の言葉で出させたい。

冬。新人戦。ついに勝った。これで県ベスト16。日々、取り組んでいる結果が現象として現実化しただけだ。やっていることは劇的には変わっっていない。一歩一歩やっているだけだ。その一場面、グラウンドでの姿だけで評価をされるのかもしれないが、その現象の裏側、積み上げてきたものが重要だ。大事なのは、特別な日ではなく、日々だ。

年末はバスで関西遠征。10時間。どうしてもやりたかった教育実習先の高校との練習試合。その後全国大会観戦という日程だった。1つ1つ実現している。年明けの新人戦。7対41。初めてベスト8のチームと試合をすることができた。

2月。八田から連絡があった。

「次の土日、何してんの?」

「練習してる。」

「行くわ。」

いつもこうだ。急に連絡がきて、急に現れる。大きなトラックで現れた。

「どうした、この車と荷物。」

「これから鹿児島行くねん。」

「なんで?」

「パイロットの学校に入学すんねん。」

「え?すげえ。それで引っ越しか?」

「うん。」

「すげえな。本当にパイロットになるんやな。その学校は誰でも受かるんか?」

「いや、3人やな。」

「3人?その3人に入ったってこと?」

「まあ。」

「いや、すごすぎるやろ。なんか、『宇宙兄弟』みたいやな。」

「あ、俺唯一鹿児島に持って行ってる漫画、『宇宙兄弟』やねん。」

3月は合宿へ。試合後にセイヤがきて、

「ラグビー辞めなくてよかったです。」

急にどうした。タックルがやっと決まり出したからだろうか。

4月。新入部員が14人入ってくれた。男子が8人、女子が6人。もうひとり狙っている生徒がいる。2年生のリンタロウという男だ。陸上特待で他校に行っていたが、転校して来た。実は中学時代から、運動能力が高いことで有名だったので名前は知っていた。ラグビー部への入部は迷っているが、もうどこかに決めなければならない。是非入部してほしい。僕は切り札を出した。

「リンタロウ、部活、どこに入るか決めた?」

「いいえ、まだです。」

「ラグビーはどうなん?」

「んー。野球と陸上もいいなと思ってて…。」

「なるほどなあ。でも、もう決めないかんよな。」

「そうなんですよね…。」

「なんかさ、運命感じることがあるっちゃけどさ。聞きたい?」

「え?運命?何がですか?」

「誕生日、一緒なんよなあ。」

「えー!」

ふと、あるブログを見つけた。ある負けたチームの監督が相手への批判、レフリーへの批判を書き連ねていた。決してこうはなるまい、怒りがこみ上げてきた。春大会前日のミーティング。部屋を真っ暗にした。

「目を閉じてくれ。2つのことを約束してほしい。」

しーんとしている。

「1つ目は、もしオレ達が明日負けても、誰かのせい、環境のせいにしないこと。これは男として恥や。」

「2つ目は、意地でも勝て。」

「しゃー!」

春大会。24対5で勝利。はじめてベスト16を死守する。

次はベスト8をかけた試合。伝統校との対戦だ。大雨の中始まった。伝統校対未知の戦いだ。観客も伝統校関係者が大勢埋め尽くしている。激戦となった。

前半、相手は力でこじ開けようと個人個人で攻撃してくる。それに対し、ウチは2,3人で防いでいる。とにかく我慢比べで、これに雨で拍車がかかり、激しい戦いとなった。

前半が終わって0対0。会場がどよめいているのが伝わってくる。後半に入る。残り15分あたりから、力の差が出始め、敗退した。7対24。

しかし、手応えを感じる試合だった。ただ、会場がどよめいているなどという感覚を感じた自分自身を恥じた。浮き足立っている証拠だ。集中せんかい。

6月。とにかく体作りをしている。朝と夕方に筋力トレーニング。朝、学校に行くと1年生リンヤがドアの前で開くのを待っていた。放課後に会議があって、ウエイトルームに急いで行くと既に終わっていた。汗びっしょりのTシャツ。ああ、追い込んでるんやな。Tシャツと顔色見ただけでわかる。

朝、リンヤが教官室に来た。携帯電話を学校内で使用して指導を受けたとのこと。

「何の為にウチに入部した?」

「ラグビーの為です。」

「普通の子達と同じところに行きたんか?」

「いいえ。」

「周りに合わすなよ。」

こういうと泣いた。

秋。さあ最後の公式戦が近づいてきた。対戦チームが確定した。

木曜で少し早いが、メンバー発表。特に補欠のメンバーを決めるのが辛くなってきた。考え抜いてレギュラー15人と補欠10人を選ぶ。

発表が終わって、柱の陰で誰かが佇んでいた。2年生リクだった。下宿組でジャージを渡せなかったのはリクだけか。あとは同じく2年生のイデにも渡していないし、リュウにも渡していない。チヂヤにも。渡せなかったな。

セイヤがやってきた。

「相手チームを分析したいんですけど、ビデオって貸してもらえますか?」

「え?してくれると?」

「はい。ナオヤとリクと一緒にやろうと思います。」

セイヤは補欠に入っているが、Bチームのキャプテンとして後輩の指導をメインに頑張ってくれている。ラグビーの技能や体の強さは、1学年下の2年生に負ける。2年前は「辞めたい」と言って泣いていた男が、こうなるのか。

無事、公式戦初戦を勝利で終えた。さあ、ベスト8に向けた勝負の1週間。朝練が終わると、セイヤがまたきた。

「ちょっといいですか?」

「どうした?」

「今度自衛隊の試験があって、面接があるんですけど。」

「うん。」

「 『チームワークとは何か』って聞かれるらしくて、先生にとってチームワークって何ですか?」

「んー。役割分担と責任委譲。1つのことを成し遂げるために、それぞれの場所でそれぞれの人が戦うこと。セイヤが相手チームを分析したり、Bチームを引っ張ってくれたりしたように。」

「ありがとうございます。」

「次の相手、強いぞ。」

ショウタから電話があった。身体能力でやられるぞ、と。

試合4日前。部員の練習に対するテンションが低いように感じる。計画にはなかったが、短時間だけ激しくぶつかる練習を入れてみよう。10分だけ。

「先生―!」

「どうした?」

コウセイが倒れていた。呻き声をあげている。かなり痛そうだ。

「コウセイ、どうした?」

「肩が…肩が…」

見ると右肩が脱臼している。スタッフに言ってすぐに車に乗せて、近くの整形外科に行ってもらった。

自分で自分を呪いたかった。コウセイを脱臼させたのは僕だった。一つの望みに賭け、レントゲンを撮らせた。骨に異常はなかった。翌日、コウセイのお父さんがグラウンドに来られた。

「息子さんを怪我させてしまったのは僕です。大変申し訳ありませんでした。」

「息子は次の試合に賭けています。試合の後半年とかリハビリになっても構いません。先生にお任せします。」

その後、山田さんから着信があった。

「あと20分です。あと20分でグラウンドに着きます。」

有り難かった。どうしていいかわからなかったが、様々な人に助けられている。次の試合、感謝を伝えよう。

 ベスト8を賭けた試合。相手は伝統校だ。僕らに失うものはない。タックルあるのみ。前半が終了して0対7。接戦に持ち込んでいる。確実に僕たちの力は強くなっている。さあ、勝負はここからだぞ。

 後半。先に1本トライをとられる。0対14。ここから攻めるしかない。しかし、なかなか攻めることができない。守りの練習しかしてこなかったツケが出ている。しまった。それでも何とか相手の防御をこじ開け、トライを獲る。7対14。

 さあ、ここからの戦い方が大事だ。頼むぞ。

 「もっとこうゆうふうに攻めさせた方がいいんじゃないか?」

 「いや、指示は出さずに考えさせましょう。」

 スタッフから助言をもらったが、僕は黙ることにした。ベンチからワーワー言わない。考えさせる。それが成長につながるからだ。

 しかし、あと1本が取れず、試合終了。7対14。一歩及ばず。

 これで終わりか。辞めたいと言い続けた彼らが、最後まで頑張った。もう苦しむことはない。僕も彼らと戦うことはなくなる。

 集合させた。言葉が出てこなかった。奥歯を噛み締めるので精一杯だった。円陣を解き、ストレッチに入らせた。保護者のところに行くと、キャプテンダイスケの御祖父様に声をかけられた。話の途中から涙を流された。

 ストレッチも終わらせ、解散した後、中学生クラブチームの保護者の方に声をかけられた。

 「こんな試合を、この県の中学生全員に見せたいです。」

 涙を流されていた。

帰りの車の中で、反省をした。内容は保守的だった。確かに今までしてきたことは間違いなかった。ただ、勝たなければならなかった。それほどの必死さが自分になかった。勝たせなければならないという悲壮感がもっと必要だった。

自分が甘い。何を悠長なことを言っていたのか。「考えさせるから」など。事前に全てのことを準備して臨むべきだろう。直前で何を慌てふためいているのか。確かにモチベーションビデオも大事だ。しかしそれはあくまでサービスであって。本業ではない。勝てば良いな、ではなかったのだ。特に僕だ。甘い、甘すぎる。

何を成し遂げようとしているのか。甘かった。「回せ!」と言わなかった。相手の反則ギリギリのプレーにも講義をすべきだったのかもしれない。格好つけた。甘い。甘いよ。もっと、考えろ。

3年生はこれで引退となった。どん底だった。特に2年前の新人戦はどん底。何をどうして良いのかわからなかった。ほとんどが辞めたいと言ってきた。何とか首の皮一枚でつながっていた。

厳しくした。口も聞かなかった。孤独だった。ただ、下級生が入ってくること、しかも経験者が大勢入ってくることが確定してきていたので、筋トレと基礎体力作りは徹底した。これは一朝一夕ではできないものだ。いくら新入生が経験者でも、筋力では上級生が上になるようにした。体ができていればいずれ来るであろう、モチベーションがラグビーに向いてくるときに勝負できる。その体だけは、いくら逃げたくて取り組ませた。いつかスイッチがオンになったときのために。

下級生が入部してきたことで僕も少し緩んだ。担任をしたこともあり今までの接し方ではダメだと気づいた。というより今までの厳格な接し方ではクラス運営は成り立たないし、自分自身も息が詰まると思った。

僕が少し変わってきたことを彼らは気づいていた。結局、最後にレギュラーを獲ったのは3年生9人の中で5人だった。本当は0人だと思っていた。体づくりに一生懸命取り組み、スイッチオンになるタイミングが早かった者がその5人だった。他の4人も最後は相当頑張ったが、スイッチオンが少しばかり遅かったのかもしれない。ここでわかるのは、最初は可能性が見いだせなくても、体作りとスイッチオンのなることで、全員に可能性があるということだ。この高校生活の1000日で何にでもなれるということがわかった。

2年生部員が多く、能力のある部員が多いが、この3年生たちが頑張ったお陰でチームがまとまった。

ビデオを見返していると、観客席に島川さんの姿がチラリと写った。電話する。

「島川さん、来ていただいていたんですか?」

「あ、バレた?」

それにしても、彼らはよく頑張った。全員が高校でラグビーというスポーツに出会って、時間を過ごした。よく考えると不思議な時間だった。


カレー作戦を始めた。毎週木曜日、スタッフにお願いしてカレー作をつくってもらい、放課後に食べる。ご飯は部員それぞれが持ってくるようにした。成功だった。体重が増えてくる。これは良い。

新チームのリーダー決めについて。毎年、部員全員の意見を、個人面談を通して聞きながら、最終的に僕が決めるようにしている。

一人一人と個人面談していると、初めてのパターンが起こった。

「キャプテン、副キャプテンはそれぞれ誰がいいと思う?」

「キャプテンはタクロウがいいと思います。副キャプテンは自分がやりたいです。」

マサヒロが副キャプテンに立候補してきた。このパターンは初めてだった。これから考えたい。

同僚の結婚式があって、出席すると、前の学校の生徒が働いていた。

 「お久しぶりです!」

 「おお、偶然!ここで働いてるんや?」

 「はい、ウエディングプランナーになりました。」

 「あれ?そう言えば『俺はディズニーランドで働く』って言ってなかったっけ?」

 「はい、働きましたよ。でも、働いていて思ったんです。あそこは非日常で…僕がしたかったのは日常を輝かせることだって気づいたんです。それでウエディングプランナーになりました。」

 すげぇ。この男、高校時代ははみ出していた。というのも、前の高校は進学校だった。なので、高校生全員に大学進学を勧めていた。高校生も少しでも良い大学に行くためにみんな頑張っていた。そういう価値観もあるんだなと思っていた。高校生もそれがわかってここを選んでいるのか。

 その中で、一人浮いていた。彼だ。学校行事で「納得いきません」と言っている姿が脳裏に焼き付いている。目立ちたがり屋というか、何というか、ここの学校の生徒の枠の中ではなかった。

 「大学には行かず、ディズニーランドで働きたいって言っているらしい。」

 職員室では笑いの種になっていた。大学に行かないとはどういうことか、と。何を考えているんだ、と。

 でも、この男は貫いたのだ。あれから6年経った今、目の前にいる男は輝いていた。自分が本当にしたいことをやっている。生きているというオーラが出ていた。やったな。

修学旅行の下見で東京へ行くことになった。2年生リョウタロウが進学したい大学が東京にあるので、グラウンドに行ってみた。ラグビー部の監督さんに会えないのはわかっていた。大学ラグビー日本一のチームだ。時間が遅くなり、真っ暗だった。門が閉まっていたので崖をよじ登り、雰囲気を味わった。リョウタロウよ、ここまで頑張れ。

 ウチのラグビー部に入りたいという話が耳に入ってくることがある。思うに、住宅営業時代、数千万円の契約をするときにビビっていた。しかし今度は、人生の3年間を契約するということだ。武者震いがする。

 さあ、新人戦だ。

会場へ向かう。いつものように寺へ。ここの湧き水は「日本名水百選」に選ばれているので、水を汲みに来られる方がいつもおられる。

この日は老夫婦が水を汲みに来ておられたので、車までの水運びを手伝う。

「あ、いいよ、いいよ。」

「いえ、トレーニング中なのでちょうど良いんです。」

運び終わったらおばあちゃんが、

「お父さんが怪我してから、運べんけん助かったばい。」

「お役に立てて良かったです。」

「あ、ちょっと待って、これあげる」

老婦人はゴソゴソとエプロンのポケットを漁り、チョコを出された。

「ポケットにはいつも何かしら入っちょると。」

僕は礼を言い、チョコを自動車の右前に置いた。試合会場につく。一番乗り。試合の準備をする。本部の仕事、記録表書き。ウチのバスが到着。着替えの指示。審判との打ち合わせ。ウォーミングアップ、タックルを受けて送り出す。

大雨で泥だらけの試合。100対0。体育倉庫に隠れて着替える。泥だらけのウインドブレーカーを水で洗う。弁当をほおばる。本部の荷物を自分の車に運び入れる。帰路につく。

勝った。100対0か。右前のチョコを食べた。

今週末、試合会場は公園球技場。あそこで自分を表現できるのだ。あの場所で。10年前の自分が見たら何て言うだろうか。10年前に女子バスケットボール部員を引き連れて走り回ったあの公園。10年か。

試合の2日前。この感覚は、2年前のワタル組の感覚だ。僕のチームじゃない。羽ばたいていった感じ。自分たちで色々話して決めて、意見を出し合っている。リーダー陣と話しても、意見が出て、最後にタクロウがまとめる構図。

リーダーは数名いるが、なぜ彼らをリーダーにしたかというと、彼らに共通するものがあったからだ。それは、個人面談での「リーダーは誰が良いと思う?」という質問に、このリーダー陣それぞれが「自分です。」と答えたのだ。

勝った。54対22。あの公園球技場で。伝統校に勝ち、初めての県ベスト8。ついに壁を破った。部員たちはあのグラウンドで、縦横無尽に動き回った。

試合が終わり、家に帰って夕食を食べた。が、急に夜中に目覚め、12時から2時過ぎまで、次の対戦相手の分析をした。何度も試合を見返して編集し、部員へ何を伝えるかを考えた。

試合の分析は、僕だけでなく、他の3名の外部スタッフにお願いしている。感謝。分析すればするほど、やるべきことが明確になる。明確になれば、安心してそこに力を集中することができる。分析はワクワクする。

月曜日。朝、数名から電話があった。

「熱が出てしまって、今日は学校を休んで病院に行かせてもらいます。」

月曜、火曜で16人の体調不良者が出る。だがみんな、日曜日に照準を合わせて回復させてきているようだ。こういった出来事があればあるほど、血が騒ぐ。僕たちは勝つ。勝つことが僕たちのやることだ

柔道場で何回、何百回黙想しただろうか。あの日の孤独を考えれば、今、一人でウエイトトレーニングをしている「一人」とは訳が違う。あの頃は「独り」だった。今は仲間がいる。その幸せを伝えよう。

周りの協力にも感謝だ。温泉旅館に行くと女将が仰った。

「高校生を受け入れるという話をもらったとき、正直迷ったんよね。思春期の子ども達だから、扱いが難しいし、非行に走ってタバコとかお酒とかしたらどうしようっていう気持ちがあって。でも受け入れて良かった。こんなに良い子で優しい子達ばかりやけん。今体調不良で自宅に帰っとるけんさみしい。」

体調不良者が多く、練習も中止にした。部員からは毎日電話で報告を受けた。

「今日は家の周りを走りました。日曜日は大丈夫です。」

「今日はダッシュをしてみました。日曜日はベストな状態に持っていきます。」

試合前日、久々にグラウンドに集まった。軽く汗を流し、試合の確認をして、ジャージを渡した。失うものは何もない。こんなにワクワクする時間はない。おもしろい。

決戦の日。会場にウチのバスが到着した。部員のロッカーを指示して顔色を見る。全然緊張していない。頼もしい。いけるのではないか。

試合開始。開始早々相手の圧力を受ける。やはりこのレベルまでくると動きが速い。ウチの部員は動きが悪いように感じる。それでもよく戦える状態まで体調を回復させたものだ。相手に自由に動き回られ、トライを獲られる。0対7。

明らかに相手の方が上手だ。その後も防戦一方。2本目を獲られる。0対14。前半はこのまま終わるかに見えたが、終了間際、泥臭いトライを決めた。7対14。

選手達が話をしながらベンチに帰ってくる。最初の3分間はみんなの会話を聞くだけ。それぞれが感じたことを共有し、後半どうするかをポジションごとに意見交換している。

ハーフタイムの最後の1分だけ時間をもらった。

「どう?」

「やっぱベスト4は強いっす。」

「そうやなあ、このまま後半同じように戦っても、多分負けるなあ。」

部員の目が、「うん」とうなずく。

「どうせなら、一か八かの『ポッド』を使ってみらん?。」

部員の目が輝きを増す。

「その代わり、めっちゃトライ獲られるかもしれん。ぼろ負けするか、ギリギリ勝つかのどっちかやな。やるか?」

「よっしゃ!やりましょう!いくぞー!」

この『ポッド』は新人戦の直前に試しにやってみた戦術だ。僕たちが昨年まで使っていたキック中心の堅実な戦術とは対照的な戦術。ノーガードで打ち合うような戦術だ。でも、もうここまで負けが見えてきたのだからチャレンジさせても面白い。ただ、心配な点は部員のスタミナだ。連続的に攻撃をし続けるので、走り続けなければならない。自ら地獄に入っていくようなものだ。さあ、どこまでもつか。我慢比べだ。

冷静沈着な副キャプテンのマサヒロに替えて、無尽蔵のスタミナを持つケントを入れ替えた。ケント頼む。

後半開始早々からラストスパート。とにかく走りまくる。バタバタと、もがく。自滅するプレーもあるが、怯まずに何度も続けた。何度ミスしようとも、走ってボールを繋ぎ続けた。しかし、こちらの思惑通りにはならない。

相手にトライを獲られた。7対19。部員達はそれでもバタバタと走り続ける。そして、もみくちゃになりながら、ついにトライを1本獲る。14対19。

残り10分。リョウタロウの様子がおかしい。

「行ってきます!」

メディカルの和泉がリョウタロウの元へ走る。和泉は高校時代の僕の後輩で、ラグビー部だった。高校の近くに整骨院を開業し、日頃から部員のサポートをしてくれている。頼れる後輩だ。

「どんな?」

「足首を捻ってます!」

まずい。リョウタロウに、いてもらわなければ困る。

「ここからは自分に任せてください。」

山田さんが手をボキボキ鳴らしている。リョウタロウが足を引きずりながらベンチに下がってきた。

「山田さん、リョウタロウ、大丈夫ですか?」

「大丈夫です。すぐ戻れます。なあリョウタロウ?」

「…っつぅ、はい!」

山田さんの治療は格別に痛い。この痛みに耐えることができれば、治る。

「監督さん、どうされますか?選手交代しますか?」

「いえ、もうすぐ戻れますので、このまま14人で試合を進めてください。」

リョウタロウの治療が終わるまで、14人対15人。部員は耐えきれるか。山田さんが必死の形相で治療している。リョウタロウも耐える。

「よし、なんとか行けます。」

「山田さん、ありがとうございます。リョウタロウ、どうや?」

「行けます。山田さん、ありがとうございました。」

リョウタロウは走れるようになって、グラウンドへ戻っていった。そしてチャンスが来た。走り続けて、パスを繋ぎ続けた部員達が、相手陣地まで侵入している。ここからは慎重に、フォワード8人を中心に、ゆっくりと体をぶつけて、じわりじわりと前進を図る。

フォワードのメンバーは体が大きくなっていた。平均体重は96㎏。「平均体重100㎏を目指したい」と言って笑われてから2年が経っていた。あと4㎏及ばないが、信じて取り組めば、達成できるはずだ。

そして、ラインを越えてなだれ込んだ。トライ。19対19。トライ後のゴールキックを成功させ、21対19。逆転。キックはユウマが決めた。彼はファンタジスタで負けず嫌い。練習後に一人でキックの練習をしていた。それは、この時のためだ。

腕時計を確認する。しまった。止めるべき時に止めていなかったので、正確な時間がわからない。どうすればいい。

「ナナコ、残り時間わかるか?」

「はい。あと7分です。」

「7分も!それ正確?」

「はい。審判さんが時計を止めるタイミングで止めたりしてたので。」

さすがや。さすがナナコ。

残り7分もあるのか。ここからが本当の勝負だ。相手はいきり立っている。今までの1.5倍の圧力で突っ込んでくる。こちらも渾身のタックル。プレーが止まる。残り4分。ウチのボールからの再開。

自陣深くまで攻め込まれているので、ここでミスをすると直接失点につながる。ここは一度キックで前進して、安全なエリアで残りの時間を戦うのがセオリーだろう。さあ、蹴るんだ。早く蹴ろ。あれ?

彼らは、蹴らない。どうした?なぜだ?そんな危険なところで残り4分を過ごすつもりか。なぜそんな選択肢を選んだ?誰が決めた?やられる。いくらなんでも4分は持たない。ただでさえ体力はもう残っていないはずだ。叫ぼうか、いや、どうしよう。どうすればいい。

残り3分。まだ耐えている。残り2分。相手の動きがさらに激しくなる。ベンチからでは遠くてよく見えないが、明らかにぶつかり合いが激しさを増した。結局僕は、何もできない。歯を食いしばって眺めているだけだ。

残り1分。静まりかえる。肉弾戦を繰り返している。ナナコが叫ぶ。

「5、4、3、2、1、ノータイムー!」

その声を聞き、ユウマがボールを要求。ケントからユウマにボールが渡り、ユウマがラインの向こうへ蹴り出す。

ピピーッ!

試合終了。ビデオの画面が揺れていた。地響きのような感じ。部員が拳を突き上げ、抱き合っている。整列するために走りながらも、健闘を讃え合っている。達成した顔。

後ろで山田さんが泣いている。笑いながら泣いている。

相手のチームのキャプテンがこちらへ挨拶に来た。

「ありがとうございました。」

「ありがとう。」

握手する。素晴らしく紳士だ。

部員がベンチに戻ってくる。

「さあ、次のチームが入ってくる。ベンチを空けよう。向こうに荷物を持っていってストレッチ。プロテイン。」

「はい!おし、先に移動しよう。」

次のチームの監督さんがベンチに入ってこられた。

「ナイスゲーム。」

「あ、ありがとうございます。」

ベンチを空けて離れたところでストレッチに入る。山田さんは再びリョウタロウの治療に。

ユウマに聞いてみた。

「最後の4分間、なんで蹴らずに攻めたんや?」

「いや、タクロウがそれでいこうっていって、みんなで、そうしようってなりました。」

タクロウが決めたのなら納得だ。

タクロウに聞いてみた。

「最後、蹴ったほうがいいかなって思ったんやけど、あの判断はどうやって決めた?」

「蹴ったら相手にボールが渡って攻撃されるのが怖かったんで、フォワードでじっくり攻めようと、自分が言いました。」

さすがや。さすがキャプテン。

これで、初の県ベスト4。実感はない。僕なんかより、部員のほうがすごかった。最後の4分間の自陣での攻防は無理だと思ったし、前半の2本目のトライを許した場面では負けたと思った。やはりここまでかと。しかしそう思ったのは僕だけだったようだ。山田さんもリョウタロウの足首を治してくれた。全ての力が結集した試合だった。その先に勝利があった。

地元の同窓会の方々がバスで応援に来てくださっていたし、翌日学校に行くと、一般生徒から「おめでとうございます。」と声をかけられる。助けられていると、つくづく思う。

 次の試合のメンバー決め。特に1年生は、レギュラーは無理でも、どうしても25人に選ばれたいと願っている。リュウセイは外れた日は食事ものどに通らないとお母さんが言っていたし、ソウノスケは外れた日から部室を掃除しているのだそうだ。

決勝進出をかけて、王者との戦い。この現実は、10年前の頭の中にあった。準決勝。会場に着くと、いつものようにグラウンドを確かめる。ふと、ご年配のカメラマンに声をかけられる。

「私も50年前の卒業生です。今日はどうか頑張ってください。」

嬉しそうに声をかけられた。涙目だった。

試合は圧倒的にやられた。0対103。迷いがないプレー、絶対的自信。紛れもない王者だった。

翌週の3位決定戦。14対24。負けた。僕の選手起用の未熟さが出た。いつもと違うメンバーに変えた。試合前の時間把握が曖昧で、円陣も組ませてやれずに送り出してしまった。負けるべくして負けた。すまん。

 春。温泉旅館の寮に加えて、もう一つ寮を整備することになった。地域の方々が調整してくださったのだ。ただ、そこで住み込みで食事を作っていただく方がまだ見つかっていない。どなたかいい方はおられないか。たまたま新寮の近くに、いつもいくラーメン屋があったので、食事がてら、おばちゃんに話をしてみた。

 「あそこのスーパー横の建物をラグビー部の寮に改造するんですよ。」

 「へ~、あそこをね~。」

 「はい。それで、まだ住み込みで食事を作っていただける方が決まってなくて…。松原さんどうですか?」

 松原さんの顔が変わった。

 「ちょっと考えさせてもらってもよかですか?」

意外だった。断りやすいようにと思って、冗談っぽくお話したつもりだったが、真剣に考えていただいている。

後日、もう一度ラーメンを食べに行った。すると松原さんから声をかけられた。

「実は、占いをしてくれる人が言いよったんですよ。数年以内に大事なお願い事がくる、と。そして、それを受けなさい、と。」

「え?」

「人生最後のご奉仕と思って、お受けいたします。」

こうして、松原さんはご主人と一緒に4月から新寮で住み込みで食事を作っていただくことになった。感謝ばかりだ。こうして、温泉旅館と新寮の2つ体制ができあがった。ご縁。ありがとうございます。

5月。新1年のヒロユキが学校で指導を受けた。そこでブラザーである2年生リンヤを呼んだ。

「リンヤ、ヒロユキが指導を受けた。」

「はい。」

「今日は放課後2人で掃除しなさい。」

「え?練習は…。」

「練習よりも掃除のほうが大事や。」

リンヤは人目をはばからずに、その場で号泣した。公式戦が近いのでレギュラー争いにからんでいたのだ。

練習が終わって、掃除をしたリンヤと話をした。

「リンヤ、ヒロユキは、もしかしたらこれからも何かやらかすかもしれん。リンヤに迷惑がかかるかもしれん。ブラザー変わるか。」

「いや、決めたことなので最後まで面倒見ます。」

グラウンドに戻ってきたリンヤは、それまで以上に熱心に取り組み、レギュラーの座を掴んだ。ヒロユキも、そんなリンヤの姿を見て、一層努力するようになった。

 春の大会。縦横無尽に暴れ回り、2度目の県ベスト4を決めた。本当に頼もしい。そして準決勝で王者と2度目の対戦。妄想から始まった物語も、現実になることが多くなってきている。

しかし、やはりダメだった。0対113。皆に笑われ、批判や冷やかしを受け、それを受け止めるというよりは、逆にそこに頭から突っ込んでいく感じ。何度でもぶつかっていこう。

さあ、3位決定戦だ。素晴らしいスタジアムで試合ができる。「ただ、今、ここ」に幸せを感じる。試合が終わればまた課題が見え、自己嫌悪と山積みの課題との対峙があるだろう。しかし、そもそもここにいて、目の前に人間がいる、集まってくる、話ができる。ただそれだけで、まずは幸せだ。

夏。うまくいかない。なんとなく勝てるが、手応えがない。勝ちたいチームとの対戦にもボロ負けした。どうしていいかわからない。下降しているのか。どうすればいいのか。もがいている。温泉旅館に行った。女将から刺身と焼き肉をいただいた。新寮に行った。松原さんに

「こんな環境にいることができて、私は本当に幸せです。ありがとうございます。」

と言われた。ああ、この人達を喜ばせたくて勝ちたいのだと改めて思った。

秋。練習が終わって、3年生トモノリが1年生数名に指導していた。指導が終わってから大声で言っていた。

「おい、7時半までに帰れよ、遅れて怒られたらもう俺は教えられんようになるけん。今度から集まれるやつは練習終わって集まってこい、教えてやるけん。」

チームが少しずつ、最後に向かって歩み始めた。

レギュラーの1人が公式戦1回戦の2日前に遅刻してきていた。またある部員は「ラグビーが楽しくない」とメッセージを送ってきた。マネージャーもゴタゴタしている。公式戦2回戦前日、またレギュラー1人が遅刻。ダメだ。本当にダメかもしれない。チームづくりは間違っていたのか。きちんと、耳にたこができても話をしなければならなかったのか。くそお。

最後の公式戦、やはり負けた。負けさせてしまった。14対49。圧倒的な敗北。このメンバーをして。

自分の未熟さよ。負けて涙も流せなかった。新人戦、春大会にベスト4になって調子に乗っていた。あれもこれもと手を出した。色々なスポットコーチに来ていただいた。それにすがりついた。薄々わかっていた。正しいやり方ではないと。彼らはついてきてくれるけど、それは正しいやり方ではないと。自分自身に自信がなかったからすがりついたのだ。卑怯だ。僕がもっと勉強すれば良いのだ。誰かの真似ではなく、自分自身の理論をつくれば良いのだ。負けて気づいた。やっと学んだ。みんな、すまん。

試合から1ヶ月後。県内監督の集まりがあった。集まりの最後あたりで、1ヶ月前に戦って負けたチームの先生に声をかけていただいた。

「この間はありがとう。」

「こちらこそありがとうございました。」

「ひとつ質問していいや?」

「あ、はい。」

「なんでウチが勝ったかわかるや?」

なかなか答えられない。

「試合前のウォームアップを見ていて、今日は勝ったなと思ったんや。」

「…ウチとしては、私が曖昧なまま試合に臨ませたことが問題だったと思います。先生のチームは自分達の『帰る場所』がはっきりしていて、きつい状況になっても信頼できるものがある、また、俺たちはこれだ、といった覚悟の顔つきをしていました。」

「そうか…。なぜウチが勝ったか教えてほしいや?」

「はい。」

「自分で見つけることや。それを考えることに価値があって、それが財産になる。正直お前は驚異や。」

ワタルが家に来た。報告があると。消防に合格したとのことだった。嬉しかった。大学を辞め、2年半さまよい続けた男はついにギリギリで思考を現実化した。

確かに得手不得手はあるだろう。だからこそ人間に魅力があるのだ。産まれてきた時点で愛すべき対象なのだ。今、昼のジョイフルにいる。半月板の手術の検査のためだ。様々な境遇の人たちがいる。一人のビジネスマン。3人組の男性は商談か。老夫婦が昼食を取っている。年配のサラリーマンがパソコンで何やら操作している。女性のママ友。一人じっとしている人。それぞれがそれぞれの人生を歩み、境遇を経ている。産まれてきた時点で愛すべき存在達である。

公式戦が終わって、痛めていた膝を手術することになった。入院生活。様々な方がおられる。ご年配の方が多い。ここにおられる方々は、欲が少なく悟りを開いているようで穏やかに見える。40代の方は少し欲がある感じ。今隣に手術を控える方が入られてきたが、やはり不安そうだ。60歳を超えると穏やかになる。すごいな。

ウエイトルームで自転車をこぎながら窓の外を見た。建物の中に囚われていながら窓の外に思いをはせる、まさに11年前の会社の倉庫のようだった。今日見た窓の外には、ゆったりとした自由が見えた。そして時々戦乱。自分が望んでいる未来は近い。


オフ。代休。朝からソウ(長男)を見送り、ユウ(次男)を保育園に送り、ヨウ(長女)と車で出かける。段ボールを捨てて、図書館に行く。リンカーンの本があった。「奴隷解放宣言にサインする時ほど、自分が正しいことをしていると感じたことはなかった。」とあった。

その後、いずみ整骨院で膝を施術してもらい、その間ヨウは和泉の奥さんに遊んでもらった。その後時計屋に腕時計の電池交換を頼み、待っている間に何か食べようと思った。

「ヨウ、パンとクッキーはどっちがいい?」

「クーキー。」

それならば、とカフェに行くが、選んだ食べ物はパンだった。従業員は忙しそうにしている。他のお客さんが入ってきてお持ち帰り用のケーキを注文した。時計を受け取りに歩いて行くと、ヨウが転んで膝を擦りむいてしまい、大泣きした。時計屋の老夫婦が慌てて出てきてくださり、老婦人は薬を塗り、絆創膏をしてくれた。ジュースとお菓子も持ってきて渡してくれた。旦那さんは腕時計を僕に渡そうとしたが、

「あっ、1時間間違えた。」

と慌てて店の奥に戻った。もう少し待って、できあがった。

「そう言えば数年前に、ラグビー部の指導することになりました、と来たことがあったね。」

そうだった。5年前に確かに来た。もう5年が経ったのだ。色々な話をしていると、ヨウが帰りたいと泣き出した。

「お父さん!」

老婦人が旦那さんを叱りつけた。車に戻ろうとすると、寮生3人が自転車でどこかに行っている。布団の洗濯を取りにコインランドリーに行っているとのことだ。その横をスーツ姿のサラリーマン2人が険しそうな顔で歩いている。3階建ての建物を解体屋が水をかけながら壊している。帰りの車でヨウは寝た。星野源を聴いている。

10年前はサラリーマンだった。毎日が惨めだった。会社を辞め、大学生になった。ふらふらと何かを求めて図書館に行き、「思考は現実化する」を手にとった。そしてまとめた。何かを成し得ようとして、何も成し得ないのではないかと思ったり、何者でもないまま終わるのかとも思ったり、時間はまあまああって、保証はどこにもなくて、自分という個のみが存在した。

どこにも属していない個としての自分。自分だけの世界に入れる時間だった。そこから現実と対峙して現在に至る。現実も夢想もそうかけ離れてはいないことにうすうす気づいてきた。現実と夢想はつながっているのではないかと、今は思う。これが「思考は現実化する」ということなのだろうか。

自己中心的に生きてきた。僕は人と違うと思っていた。他人とわかり合えることは少ないと思っていた。だからこそ、「どうせこの世に生きるのなら、僕にしかできないことをしよう」ともがいてきただけだ。

喘息があり、不登校になり、冬に半袖半ズボンで通うような変な人間。少しでも社会に適応しようと、自分を押し殺して上手く達振る舞おうとする人間。地獄のような猛練習に飛び込み、さらに自分を追い込みまくる人間。自信満々で横着で、実は何もできない人間。すべてを否定され、暗闇の中で光を信じながら歩き続ける人間。臨んでいたフィールドに立つも、周囲を落胆させてしまう人間。すべて、僕だ。

しかし、それでも思考は現実化する。素晴らしい人間でなくても、強い人間でなくても、変な人間だとしても、思考は間違いなく現実化する。

20年をかけて証明してきた。

振り返ると、周囲の人々や地域の人々から助けられた。もしかしたら、そういった人々に、僕なりの価値を提供できているのかもしれない。でもそれは副産物であって、僕は、僕が良くなるためにしているだけだ。

自分より年上の人から道を示していただいたり、感謝をされたり、お叱りを受けたりしながら生きてきた。このようなシーンを多く経験してしまって、謙虚になれない訳がない。

ただ、それでも僕は卑しい。自分だけが良くなろう、抜け出そう、一人勝ちしようという腹黒い部分がある。自分に投資したい、時間とお金を自分のために使いたいという、テイカー的な性格がある。

しかしながら、幸いなことに素晴らしいパートナーと出会うことができた。彼女は、与える人「ギバー」だ。誰かを喜ばせるために、時間と労力の投資を惜しまない。人生はおもしろい。どんな性格で生まれて、どんな経験をして、誰と出会うか。


ラグビー部の指導と地域活性化について東京で発表することになった。とはいうものの、別に地域のために生きてきた訳ではない。なんならラグビー部のために生きてきたわけでもない。すべて自分のために生きてきたのだ。

それは、はっきり言おう。また「空気が読めない」と思われるかもしれないが。


移動は苦手だが、読書ができるので好きだ。

「東京行きのお客様、搭乗を開始いたします」

列に並び、機内に移動する。窓際の席。空が見える。

あの雲の上まで行くのかなあ。やがて空港内をゆったりと動く。エンジン点火。離陸。どんどん上昇する。街が小さく見える。こんなちっぽけなんだな。雲に突入。何も見えない。そして、雲の上へ。光が差し込む。まぶしい。ベルトのランプが消えた。

「本日のご搭乗、誠にありがとうございます。機長の八田光でございます。」

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