自然

真実に近づいているのか。
それとも果たしてそのようなものに近づくなどできないのか。
それとも、そもそもそのようなことを考えるのが非生産的でどうしようもないのか。

ただ、今この生を全うすればいいのではないか。
なぜそこに解を求める。

なぜそこに何かを求める。
そこには何もないのではないか。

この生を何の制限もなく目一杯楽しめばいいのではないか。
どうなのだ。

しかし、この生に従っているが故にこのような考えが浮かぶ。
何のために生きているのか。
真実はどこにあるのか。

そうだ。
この生を全うしようとすれば、この問いは自然に出てくる。

この問いを排除しようとすることそのものが不自然なのだ。
だから私は自然体でいる。

疑問に思ったことをはっきりと疑問に思うことができている。
これでいい、これが自然なのだ。

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