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切なさが時を超えたわけ

どうも。ティートくんです。

前回、時間のはやさの感じ方と心臓の動きの繋がりについて、記事を書いたよ。
https://note.mu/lifebox_jp/n/nef0ff9baa50b

春は、出会いと別れの季節だね。
きっとみんな今は「出会い」の真っ只中にいる人が多いよね。
お別れした人は、いまは元気でやっているかな?…



人間は、「切なさ」を感じる生き物だ。
「切ない」っていうのは、どういうことなのか、少し考えてみよう。

切なさと時間の流れ

ぼくは、切ないという感情は、時間という概念とかなり結びつきが強いと思っているよ。
まあ、ぼくが言うまでもなく、そう思っている人も多いかもしれないけれど…

時間の不可逆性

切なさが生じる背景には、2つの種類の時間の考え方があると思う。

1つは、物質的、物理的な時間の流れだ。
いまぼくたちが感じている時間だね。当然だけど、1秒ごとに時間は前に進んでいるし、段々ぼくたちの次の誕生日は近づいてきて、年は取っていくけれど若返ることはできない。
東京オリンピックだなんてすごく先のことだと思っていたけれど、もう来年なんだねえ…

つまり、時間というのは、不可逆的なもの(さかのぼることが出来ない)ということだ。

可逆的な時間

でも実は、さかのぼることが出来る時間も存在するんだ。
それが、「精神的な時間」だよ。

ぼくたちの体は飛べないし、1個しかないし、不自由だけれど、一方で精神というのは、もっと自由なものなんだ。

例えば、お別れしたあの人との思い出は、いまも感じることが出来る。
あの日行った場所に心の中でもう一度行くことが出来るし、あの日あの瞬間のあの人の顔を、もう1度心の中で見ることもできる。

そう、時間は精神的な意味ではいつでもさかのぼることが出来るんだ。

2つの時間のまさつ

この2つの時間が摩擦を起こすと、ぼくたちは「切ない」と感じるんじゃないかな。

肉体的にはもう一度経験はできないけど、精神的にはいつでもあの時に戻ることが出来て、感覚を味わうことが出来る。

精神の自由さとは裏腹に、肉体の不自由さを感じたときに、人はその不自由さを「切ない」と思う。
ぼくは、そういうことなんじゃないかなと考えているよ。


ぼくは、切ないという感情が好きだ、
きっと、もう戻れない何かに対して、憧れを抱いているような、そんな気がするんだ。憧れって、よくわからないけど何か偉大なものなんだね。

本田翼と結婚したいとか、一億円欲しいとか、そういったものと、もしかしたら似ているのかもしれないね。

最後まで読んでくれて、ありがとう! トゥース!o(`ω´ )o