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インドに行くか、死ぬか | 不確実性の時代を生き抜く

鳴り止まないクラクションと道路を闊歩する牛。大気汚染の影響か、太陽ははっきりと見えず街の輪郭もぼんやりとしている。今は午後1時。

舗装されていない道を、目的地を分かっているのか分かっていないのか要領を得ないドライバーと共に急ぐ。
2時間後、やっと着いたクライアント先での契約交渉。
「この契約条件は飲めない。」と、早速これまでの約束を反故にされる展開。怒号にも似たやり取りの中で、着地点を探る。
クライアントは「Deal Break(破談)だ。」と会議室から立ち去ろうとする。既に会議時間は3時間を超えているが、尚食い下がる。この案件を失注すれば会社は傾く。しかしその弱みは見せられない。声を枯らしながら、相手を説得する。5時間が過ぎて、相手にも疲れが見え始めたところで、今度はこちらから「今日は合意に至らないだろう。」と会議室を去る。

日が落ち、街頭も疎らな暗い帰路の途中、クライアントからの電話。「我々はここまで譲歩する。これでどうだ。」
検討して回答すると電話を切り、心の中で「勝った。」
連日遅くまで残ってくれた、インドの衛星都市出身の新婚の同僚と、ちょっと早いが小さな祝杯を上げる。

契約交渉は得てして厳しいものであるが、インドでは契約交渉の場に意思決定ができるメンバーが集まり、その場で議論を通じて契約内容を詰める。上記は実体験である。契約の条文もその場で加筆・修正されていく。「持ち帰り」は返って相手に考える時間、競合が入り込むスキを作り、有効ではない。

VUCA、不確実性の時代では、AIやロボットに仕事を取られる不安感や、インド・中国等の台頭による自国のプレゼンス低下の脅威に晒される。人口が多い上に、自国内が不確実性や不便に溢れているインドや中国の人たちが強いのは自明だ。続く国もわんさとある。AIやロボットがどう人間の仕事を代替するのかも予測が難しい。その時代を生き抜くためには、「人間らしい」そして「自分ならでは」のクリエティビティやコミュニケーション能力を磨くことが重要だと考えている。冒頭の例を出したのも、VUCA時代のビジネスにおいては海外とのやりとりが更に加速し、かような場面が一般化する中で、ついていけないものは淘汰されると危惧しているからである。

有名なジョークで、「国際会議において有能な議長とはどういう者か。それはインド人を黙らせ、日本人を喋らせる者である」というものがある。改めてコミュニケーションという点では、私たち日本人の真逆を行くインドの人たちから学ぶことはたくさんある。不確実性を生き抜くヒントがあるはずだ。彼らが恐らく私たちと大きく異なる点は以下だと思う。

①圧倒的な自信
②アイデアマン

①圧倒的な自信

清々しいほどに「自分(たち)一番」である。それが溢れて出ているだけに、返って気を遣わなくて良く付き合いやすい。その上に人懐っこい。飛行機で隣になった初対面の人ともあっという間に打ち解ける。私たちは、「雑談力」や「アイスブレーク」だけで一冊の本になるように「頑張らない」と会話を弾ませられないDNAを持っている。彼らにとってはそんなことは些細なことであり、自然と会話を盛り上げられる天性の才能を備えている。正直、ここまでの自信はいらなくて、謙虚に生きたいと思っているが(笑)、疲れ知らずで四六時中楽しそうに話している彼らを見ていると羨ましくてしょうがない。当然、この自信が仇となってビジネスにマイナスに作用することもあるが、プラスの面も大きいと実感している。

②アイデアマン

日常生活は元より、ビジネスにおいても「こうしてみてはどうか?」と突拍子もない提案がたくさん飛び交う。自己反省もあるのだが、そういう提案が来ると、頭の中で反射的に「前例はあるのか?」「他にもっとやり方はあるだろう」と勘ぐってしまうが、常に既存のフレームワークの外を飛び出す発想には感心する。インドには古くから「Jugaad(ジュガード)」と言って、限られた資源の中で工夫をして成果を生み出す思考法があり、それが作用していると言われる。今やPayPayも、そして先日記事にしたOYOもインド発のサービスがベースであり、ジュガードが具体的に頭角を表し始めている。

上記の①②から、彼らは不確実性の時代を生き抜く術を備えていると言える。その上、英語がほぼネイティブであり、国境を簡単に超えることができる。一方、私たちも独特の素晴らしい能力や文化を持っている。例えば、「神は細部に宿る」を体現した丁寧な仕事術やアウトプットはそうマネできない。しかし、それが相対的に見てどう活きて、どう磨くべきかは、グローバル・ビジネスのストリートファイトの中で比べて実践していかないと分からない。

インドの躍進は止まらない。昨日の日経新聞記事の中でも言及されているが納得である。私たちは後塵を拝しつつある。

単なる脅威ではなく、友好のパートナーともなり得る国である。この勢いは絶対見て感じたほうが良い。その上で何を思い、行動するか。ぜひ皆さんインドに行きましょう。

インドとアート思考

ところで、ここ数日「アート思考」についていろいろ考えを巡らせている。アート思考においては主体は自分であり、ある意味自分の人生を生きることである。

この思考法というのは改めて日本人の意識改革のきっかけなのかなと考える。私たちは「空気」を大切にし、他人>自分であり滅私の傾向が強い。一方で、世界を席巻しているのは上述の通り「自分」を全面に押し出した国であり、企業であり、個人である。その点で、インドの起業家はアート思考の実践者ではないかと畏怖の念すら覚える。

私たちは他人の人生を生きている内に自滅する可能性すら秘めているのではないか。改めて、この不確実性の時代を生き抜く主体は「自分」であり、他人が導いてくれるものではないと確固たる思いを抱いている。

ただ我々は人間社会に生きている。他人との関わりなくしては生きられない。コミュニケーションについてインドや海外の方々に学びながら、「自分ならでは」のコミュニケーションを模索し、確立していかねばならない。

VUCA時代 = ひたむきに学習し実践を繰り返す時代

それは結果的に良い人生であったと言えると信じて、
今日も世界と戦う。

いつも読んでいただいて大変ありがとうございます。