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鬼舞辻無惨を倒した後の鬼殺隊は何を目標に残りの人生を生きるのか。ピーク後の人生を淡々と生きる。「ドキュメント72時間」「葬送のフリーレン」「鬼滅の刃」

「去年、夫が亡くなりまして」
 湖を見ながら女性は言った。

 NHK「ドキュメント72時間」での1シーン。
 2023年末、1年間の放送内容のベスト10を発表するという特番が組まれた。
 私は、何かでこれを見かけ、それまで「ドキュメント72時間」という番組の存在を全く知らなかったのだが、録画し、少しずつ観た。

 私同様、この番組のことを知らない方のために簡単に説明する。
 まあ、内容はタイトル通り。
 番組の内容をすごくシンプルに、しかし、しっかりと表しているタイトルだと思う。
 毎回、日本のどこか1か所にカメラを持ち込み、そこに繰り広げられる人間模様を淡々と放送するという番組。
 そこにやって来る、いろんな人に、NHKの番組スタッフがインタビューする。
 取材OKの人が、顔出しでインタビューに応じ、それが全国に流れるわけだ。
 中にはインタビューはOKだけど顔出しはNGという人もいるようで、そういう人は顔にぼかしが入っている。
 このあたりの配慮は、やはり今のものになっている。

 昭和時代のテレビスタッフは、街中の人にインタビューしたり、街中を行く人々を勝手に撮影したりし、それを本人に何も断ることなくに放映していた。
 それで迷惑をこうむった人を私は知っている。
 何かにつけ、昭和は無茶苦茶だったと思う。
 令和だったら大問題だ。
 実際、先日もある放送局の番組で、モザイク処理や音声処理が不完全で個人が特定されてしまい、その方に多大な迷惑をかけたトラブルがあったことが報道されていた。

 「ドキュメント72時間」の舞台になる場所は様々だ。
 湖のほとり、ユースホステル、コンビニ、アパート、ドライブイン、病院の屋上、居酒屋、空港、ファミレス、バスターミナル、農園、洋服店……。
 いろいろな事情を抱えた人たちが、そこを訪れる。
 というか、人はみな誰だって何らかの事情を抱えている。
 私も、これを読んでいるアナタも。

 退職して自分探しをしている。
 引っ越す前までの短い間、できることをやる。
 小さな人間関係の中で、やり甲斐を見つけた。
 20数年ぶりにまたここを訪れた。
 壮絶な家族関係を経て今ここにいる。
 亡くなった家族の葬儀に駆け付ける。
 闘病している。

 どの人も、淡々と自身の人生を語る。
 そこには誇張も気負いも無い。
 大変な人生なんだろうなと思わせる人も少なくない。
 でもみな淡々としている。

 出る人たちは、顔は出るけど名前は出ない。
 会社員とか、運転手とか、大学生とかいった、簡単な肩書と、なぜか年齢が出る。
 まあ、番組スタッフへ自己申告した肩書と年齢だろうから、本当かどうか分からないが、その人のバックボーンを視聴者が何となく知るには、肩書と年齢があったほうがいいのだろう。

 調べてみると「ドキュメント72時間」の放送開始は2013年4月。
 もう11年目が終わるのだ。
 そんな長寿番組なのに、私は全然存在を知らなかった。
 ただ、続いているということは、好評なのだろう。
 確かにファンが居るのだ。
 私もファンになった。
 これから毎回観ようと思う。

 子どもの頃、若い頃は、激しい内容の番組が好きだった。
 ウルトラマンが怪獣をやっつけたり、マジンガーZが機械獣をやっつけたりするようなアレだ。
 プロレスを見るのも好きだったし、「太陽にほえろ!」のようなアクション刑事ドラマも好きだった。
 最近ではマーベルの映画「アベンジャーシリーズ」を観ている。

 だが、激しい内容の作品は、確かに気分がわくわくと高揚するのだが、観ていて疲れるというのもある。
 還暦になったせいもあるのか、もっと穏やかでおもしろい番組を観たいという気持ちが以前よりも出てきたようだ。

 そんな中で出会った「ドキュメント72時間」だった。
 人の人生はおもしろい。
 私は、いろいろな人の自伝を読むのが好きだ。
 「ドキュメント72時間」は、自伝のように1人の人生の長編モノではないが、1人1人の、やはりそれぞれにドラマチックな人生の1場面を垣間見られるという魅力をもっている。

 もう1つ、淡々とした内容で私が最近気に入っている作品のことを書く。
 「葬送のフリーレン」である。
 ここから先は「葬送のフリーレン」のネタバレになるので、読みたくない方はここでやめていただきたい。
 2023年の秋から放送開始されたアニメだ。
 ゲームソフト「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」のような世界を舞台としたファンタジーものだ。
 ただ、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーと違うのは、魔王を倒す物語ではなくて、魔王を倒した後の物語だということだ。

 誰の人生にもピークといえる時期がある。
 魔王を倒すような勇者一行なら、魔王を討伐するまでがいわば人生のピークだろう。
 その後は、ピーク以降の人生を生きることになる。
 引退したプロスポーツ選手のようなものだ。

 ピーク以降の人生を生きるのは難しい場合が少なくない。
 スポーツ選手や芸能人として頂点を極め、その華々しさ、心地よさを1度でも知った人が、そうではない人生をその後、長々と生き続けるのは大変なようだ。

 人生のゴールは、魔王と倒すことでもなければスポーツで優勝することでもドラマの主役になることでもない。
 死だ。
 人は、死というゴールに至るまで生き続けなければならない。

 人生において何らかの目標を設定したとしよう。

 プロ野球選手になる。
 プロサッカー選手になる。
 プロ棋士になる。
 アイドルになる。
 映画主演俳優になる。
 漫画家になる。
 小説家になる。
 弁護士になる。
 医者になる。
 教師になる。
 あの人と両想いになる。
 結婚する。
 親になる。
 家を建てる。
 離婚する。
 裁判で勝つ。
 魔王を倒す。
 etc

 これらの目標を達成した後も、人生は続く。
 死ぬまで続く。
 よく言われることだが結婚はゴールではない。
 結婚に限らず、例に挙げた上記全てはゴールではない。
 達成したとしても人生は続く。
 死ぬまで続く。
 その人生をどう生きていくのか。
 ある意味、ピークを過ぎた、もしかしたらもう余生とさえいえるかもしれない残りの人生をどう輝かせるのか。

 大ヒットした「鬼滅の刃」。
 ラスボスの鬼舞辻無惨を倒した後、鬼殺隊の面々はどんな人生を送ったことだろう。
 鬼殺隊として活躍していた頃が人生のピークだった者もいたかもしれない。
 目標を見失ってその後の人生を迷走し、もはや使うことのなくなった強大な戦闘能力をもてあまし、正直、実は鬼殺隊に居た頃の方が自分は輝いていた――そう思った者もいたことだろう。
 その、もはや使われることのなくなった強大な戦闘能力取得に費やした人生の時間も、今となってはもう帰ってこない。

 「葬送のフリーレン」の主人公フリーレンは、見た目は若い女性の姿をしているが何千年もの寿命をもつ。
 いろいろな人々と出会うが、出会った頃は子どもだった人も、やがて自分より背が伸び、大人になり、年を取り、死んでいく。
 そんな中、自分だけは変わらぬ容姿のまま何千年も生きている。

 フリーレンには、人生を達観しているようなところがある。
 彼女の感覚からすれば、人間はどうせ直ぐ死んでしまう存在だ。
 人も物も、フリーレンから見ればどうせ変化していくものである。
 彼女には、あまり人や物に対するこだわりがない。
 死ぬことも含め、どうせ変化していってしまうものなのだから、こだわったところで仕方ないと考えているのだろう。

 激しい作品にちょっと疲れていた身からすると、この「葬送のフリーレン」の淡々さがとても心地よい。
 「葬送のフリーレン」は人気の作品のようだ。
 物事の移り変わりがますますスピードアップしてきている令和の今の世において、こういう淡々とした作品は、私だけでなく、もしかしたらみんなに求められていたのだろう。

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