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F#1 奴隷を辞めた日

2025年4月30日。

ゴールデンウィークが始まろうとしている。確か、5年前の今ごろは世界中が見えないウィルスと闘っていて、希望を失いかけていた。

そのウィルスは、多くの人々の命を奪い、人々の生活をも一変させてしまった。

あれから5年。もう5年なのか、まだ5年なのか。

あの時を境に、地球は大きく変わった。

世界が変わった、と言わなかったのは、環境含めての変化があったからだ。飛行機の欠航や運休は人々の移動を極端に制限した。そのおかげでそれまでどんなに環境活動家が声をあげても変わることのなかった大気や気候が、うそのように変わっていった。

人の移動の制限は、新しい働き方の背中を押した。今では当たり前になったオンライン授業やオンライン会議は、この時多くの人たちが戸惑いながら行っていた。

しかし、何と言っても変わったのは、『本当の自分』に目覚めた人が多くいた、ということだ。

私は今、鎌倉にある、海の見えるホテルからこれを書いている。すっかり冷めてしまったコーヒーですらドヤ顔だ。なぜなら私も、あの時を境に目覚めたものの一人だからだ。

思考はかなぐり捨てて、心で生きることを決意した。本当の豊かさとは「好きなときに好きなことをできること」だと知ったのもこの時だ。

そうはいっても、私の5年間だって、楽な5年ではなかった。でも、今振り返って、一つだけ言えるのは、「何一つ後悔していない。」ということだ。

当時の私は4人家族。夫・私・子どもが2人。9時〜17時、正社員として会社勤めするワーママだった。

私と夫は当時結婚15年目。離婚を考えるも言い出せない日々が10年以上続いていた。

それまでの私は、今の私からしたら「仮の姿」であり、思考の奴隷でしかなかった。

誰が言い出したのか、『コロナ離婚』だなんていう言葉がはやったな。

私たち夫婦はその前の前からずっと離婚の話をしていたのだけど、子どもたちが休校で一日家にいる中、その話は一旦は中断せざるを得なかった。

それに、みんながこの先どうなるかと言う不安の渦の中にいた時だ。私はともかく、子どもたちのことを考えるとどうしても慎重にならざるを得なかった。

しかし、そんな私をぐいと最終的に動かしたのは、まぎれもない覚醒した本当の自分自身だった。

離婚する1年半ほど前、実は私は魂同士の『再会』とも言える出会いをしてしまった。今の夫がその彼である。

結婚にはこりごりの私が、彼と再婚するようになったのも不思議でしかない。

私たちはビーチへの旅行が大好きだ。

当時はまだ日本とメキシコと離れて暮らしていたので、最初の1年半は会えない日の方が多かったが、魂同士のつながりというのは何をしても離れないのだ。私に不安はなかった。

タイで落ち合った時のことだ。

外国人向けのホテルが立ち並ぶビーチには人はまばらだった。遠くには島が見え、小さなボートが島に向かっていた。

ホテルのバーにはお客さんは私と彼だけ。ホテルスタッフが私たちの飲み物を準備する間、彼は楽しそうにそのスタッフと話をしていた。

私はカウンターが見える席で彼のその姿を見てひたすら幸せを感じていた。待っている間、暇つぶしに、お腹もすいていないのに、メニューをひらひらと見ては彼が戻ってくるのを待っていた。

彼がこちらににこにこして戻ってくる。頭にはサングラスをかけて、クリーム色の半そでポロシャツにハーフパンツのいでたちだ。体の大きな彼が、ビールがこぼれないようにとよちよちと歩く姿にまたきゅんとくる。

ようやくこちらに戻り、ビールをテーブルに置くと、彼は急にひざまずいてプロポーズしてくれた。本当にいきなりだった。

指輪も何もなかったけど、私は十分幸せだった。いつ思いついたのか、細かなことは私にとってはどうでもよかった。

後で訊いたら彼曰く、「なんか今しなきゃいけない気がした」そうだが、本来の自分に戻ると、すべてそんな感じで起こるのだ。

この世(三次元)では、婚姻制度を借りないと多国籍同士の人が一緒にそばに居続ける術がない。だから結婚は結局のところ、必然だったようだ。

そうして夫婦になったらなったで、今度は国際結婚と言う縛りの中、多くの手続きに翻弄された。もう、このまま高次元へ逃げたいと思う時もあったが、それは思考、つまりエゴが戻ってきた時だ。

本当の自分になると、必要なものは必要なタイミングでどんどん入ってくるようになる。それが『一生懸命』とは真逆の、何もしなくてもやってくる『自然の出来事』なのだ。

今日は2025年4月30日。さあ、今年のゴールデンウイークはどう過ごそうか。




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