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F#6 女王様は今日もご機嫌に笑う

2025年5月19日。

昨日の夜から降り続いていた雨がやっと止んだ。
沖縄ではもう梅雨入りしたらしい。

もうそんな時期か。

雨の滴がしたたる窓ガラスはまるで芸術作品のようだ。雲間から差す太陽の光はそれらの滴にキラキラと反射して、家の中を虹色にしようと企んでいる。

私は窓ガラス越しに庭を眺めた。雨上がり独特のしっとりとした空気が流れる。

この水色のソファーは私のお気に入りだ。ベルベットの生地の上を何度も意味もなく手を滑らせる。これに座って眺めるだけで庭が贅沢に変化するのだから不思議だ。庭は庭で、美しいということを自ら心得ているかのように自慢げである。

このソファーは私をも女王様にしてくれる魔法のソファーだ。

わがまま、あるがまま。私のすべてをすっぽりと包んでくれる。ソファーに埋もれながら、私はなんて豊かなんだろうと思った。

今から5年前。世界は未曽有の事態で混乱した。でも私はこれをチャンスと思った。

資本主義が崩壊し、日本でもベーシックインカムが導入されると、動揺する周りをよそに私は笑いが止まらなかった。もう競争しなくていいんだ。そう思った。

当時の私は、お金もないのに仕事を辞めようとしていたし、子どもが2人もいるのに離婚しようとしていた。ふつうならアフターコロナに自らを貶めるようなことはしないだろう。

でも、私にとってはやっぱりチャンスだったのだ。

それらをすべて実行に移したらどうなるのかー
やるかやらないか。それだけだ。さあどうする。

ー私はやる。

まるで実験でもするかのように、私は心に従って生きることを決意した。いや、もしかすると実験と言うよりそれは、社会への挑戦であり、それまでの自分との決別だったのかもしれない。

お金がないのは実は最大のチャンスなのだ。

なぜなら残るものは自分だけ。自分が完全にむき出しになる。そのむき出しになった自分を信じて前に進んでいけるかどうか、それだけだ。

究極、それこそが安定であり、豊かではないか。
私はそう思って、一歩を踏み出すことにした。

「あ・・・。」

庭のアジサイがいつの間にかつぼみをつけていた。

植物は素直だ。太陽の光をいっぱいに浴びて、大地から栄養という愛を吸収する。

アジサイはずっとその場所で、素直に自分を生きている。花を咲かせる時がきたら、ただ「花を咲かせる」という仕事に一生懸命だ。ナメクジがねっとり歩いても、冬の間枯れてしまってもけして文句は言わない。

アジサイはいつも全力でアジサイなのだ。花があってもなくてもアジサイなのだ。

優しく太陽に照らされ風に揺れるその姿を見て、私はあの時の自分を思い出した。あの決断をした自分を誇らしげに思い、女王様の私は静かに微笑む。

必要なことは一つだけ。これからも一つだけ。

『自分を愛し、信じ抜くこと。』

それこそが真の豊かさだ。

アジサイにとって、花を咲かせることは良くも悪くもない。アジサイは綺麗かどうかなんて気にしていないのだ。それを決めているのはアジサイの外側の出来事たちなのだから。

「Morning, babe. What're you looking at? Want some tea?」

アジサイとの対話が終わるころ、彼が起きてきた。せっかくだから今日は彼の作る緑茶から一日を始めよう。

人はみなアジサイと一緒だ。

いろんな色の花があるけれど、例え花が咲かなくとも、冬の間枯れていようとも、アジサイはアジサイだ。私たちもただ生きているだけでもう十分な存在なんだ。

それに気付けた私にはもう、怖いものは何もない。

2025年5月19日。女王様の私は今日もお気に入りのソファーに座り、大好きな人がいれてくれたお茶を飲む。

庭のアジサイの葉が、まるで手を振っているかのように風に揺れていた。


この物語はマガジンで#1から読むことができます。



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