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沖縄のお土産いただきました🍧

こんにちは!!
株式会社リヴェル 採用担当兼エンジニアのチノでございます!
本日もお読みいただきありがとうございます😽

先日投稿した、

を勝手にvol.1とさせていただき、今回をvol.2とさせていただきます!

最近お土産をいただく機会が多く、有り難い限りでございます💓
そして、、、本日も営業メンバーから美味しい美味しいお土産をいただきました😙

表題でお気づきかもしれませんが、、沖縄のアイスといえば!!
なんでしょうか、、、?

弊社の営業兼広報メンバーです🥰

そう!BLUE SEALです🍧!!
美味しいですよね・・!
私は、マンゴー味をいただきました🥭
他にも、黒糖・パイナップル・塩ちんすこうなどなど沖縄らしい味が沢山あって、カラフルで、、
食べるだけではなく選ぶところから楽しいですね✨
出社メンバーで美味しくいただきました!ありがとうございます😊

折角沖縄のお土産をいただいたので、本日は

沖縄のグルメの歴史

について触れてみようと思います!

余談にはなりますが、沖縄では豚肉料理が多いですね!🐖
豚肉料理が多いのも、昔中国と貿易を行っていた背景が大きく関係しています。中国からの使団をおもてなしするために豚肉を取り入れたのと同時に養豚も盛んになったからだそうです。
部位で分けて多くの種類の商品が売られていますが、昔は大晦日などのよき日に、「鳴き声以外は全て食べる」という風習があり発展したのですね。
ソーキそばにもらふてーが乗っていたり、メジャーなものだとミミガーなども沢山売られていますね!

では、本題の歴史に入ります✨

昔、日本が室町時代~明治時代初頭のころ、沖縄県は「琉球王国」という1つの国でした。
この時代には、中国(明)は略奪対策や国内統一のために自由貿易を禁止し、決まった国としか貿易を行わない冊封体制を構築しました。
琉球王国は中国(明)や東南アジアと盛んな貿易を行っており、豊富な海産物や優れた農産物が取り入れられました🤝
また、中国から冊封使(冊封の儀式を行う使団)が王が変わるたびに琉球王国を訪れ、その滞在中はかなりのおもてなしをしていたそうです。
冊封使の口に合う料理を提供するため、琉球料理人が中国に渡って中国料理や菓子を習得したり、日本(薩摩)とも貿易関係を結んだ際には料理人が日本に渡って料理技術を習得していたという背景から、琉球料理が発展しました🧑‍🍳
琉球料理は宮殿行事や接待のために作られたものであり、位の高い方が食べていた宮廷料理だったのですね!🫅
琉球料理が民間の多くの人々が食べることが出来るようになったのは明治時代に「沖縄県」となって以降だそうです。
上流階級の民間に伝わったその後、我々一般庶民へ伝わったとされています。
この時期に本土との文化の融合が進み、本土の食材や料理が導入さた一方で、沖縄の伝統的な食材や調理法も残りました。

第二次世界大戦後、沖縄はアメリカに占領されました。
この時期、アメリカの影響が強まり、新しい食材や調理法が導入され、沖縄の食文化に変化をもたらしました。
1972年にアメリカからの返還が行われ、この時期には、再び本土との文化的な交流が進み、多様な食文化が共存するようになりました。
ハンバーガー店が多かったりするのもこの影響ですね!🍔

長くなりましたが、、、
この様な背景があって、現在の沖縄には、伝統的な沖縄料理と本土からの影響を受けた新しいスタイルの食事が並存しているということですね!

代表的な沖縄料理です🍽️✨

この写真は以前わたしが沖縄(ほぼ石垣島)に行った際に食べたグルメの一部なのですが、
左上からゴーヤチャンプルー@舟倉の里
(👉https://www.funakuranosato.com/
右上がじゅーしー(沖縄の炊き込みご飯的なもの)@舟倉の里
左下が島野菜(これは天ぷらです)@森の賢者
(👉https://tabelog.com/okinawa/A4705/A470501/47000163/
右下がらふてー@森の賢者
です✨

石垣島の予約が取りにくい居酒屋「ひとし 本店」にも機会があれば行ってみたいと思っています✨

皆様も、是非行かれてみてくださいー!

結びになりますが、
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!!😊
また明日も投稿いたしますので、お時間の許す際にお読みいただけると嬉しいです✨励みになります😽

それでは、また明日😸



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