好きを仕事に


役場の人事が発表されたので
私も・・・。

この3月で中城村役場での仕事終わります〜
お世話になったみなさま!ありがとうございました!


看護学校に入学したときも
「私は病棟には行くつもりはありません」
とはじめから、校長先生に伝えていました。

地域のナース。コミュニティーナース。
それが私の夢だし、今現在もやっていることです。

最初は、助産師でそれをやろうと思っていた。
看護学校一年生の時に
ひとりで子育てしながら
半年間、新聞でコラムを担当させていただいていて
その中では
「ピンククラウンに乗って、沖縄県内の学校をまわって
いのちの授業をするんだ!」
って書いていて、
だけど
2年生の時に宮城政也先生と出逢って

「教室で苦しんでいる子は
いのちが大切であることぐらいわかってる。
だから、なお、『いのちの授業』つらいんじゃないか?」
って、ガツンと言われて
その授業の中で
「ストレスコーピング」や「アンガーマネジメント」に
出逢った。


私がやるべきこと、できること、ってなんだろう?

そこでまた、
大きく大きく、私のやりたいことが広がって


昨年の四月から、役場で母子担当になる予定が
思わぬハプニング(良きハプニング)で
地域包括支援センターの看護師になって
毎日毎日、地域の公民館やご自宅をまわって
下は0歳、上は97歳までの地域の方々と関わらせていただいて
本当に本当に良い時間を過ごすことができました。


行政の中も見ることができた。


私の頭の中は
ずーっと昔から「沖縄」のことばかりで
「沖縄」が幸せになるには。を考えてきた。
うちなーんちゅの幸せって何だろう?


「あんたはなんのためにこんなことやってるの?」
母が生きている時に何回か聞かれた。
なんのため?なんのためだったんだろう。
その時は
「しゅんめいのためさ」
と応えていたけど、
本当はお母さんとの時間も大切にするべきだった。
私は、なんにもわかっていなかった。


私は私と関わる人をHAPPYにしたい。
それは本当に半径5km以内でいい。
私は母を幸せにしてあげることができなかった。
息子だって、どうかわからない。
だけど、それが、大切だってことは知ってる。
それを伝えたい。残したい。
だから、写真も撮るし、デザインもするし
買い物をし、料理をつくる生活者でもある。
そして、専門職としての看護師でもある。


この四月からは、それを全部やる。
看護師として働きながら、
福祉の現場をどんどん地域に開いていくし
コミュニティーナースとして
地域のナースとして、動いていく。
そして、家族、特に母と子の絆をカタチに残すために
機材を背負って、車に乗って、沖縄中をまわって
シャッターをきる。


私の周りはステキな人ばっかりで
今度の働く場所はココ↓
http://fukushiworks.okinawa/recruit/fuyounokai/
興味を持たれた方!一緒に働きましょう!

沖縄の福祉・看護の概念を変えるシゴトをしていく。
最高の現場。好きをシゴトに。
みなさん、こんな私を応援してね☆

楓葉の会のみなさま、椛のみなさま、
4月から、よろしくお願いいたします(*^O^*)

いただいたサポートは、とにかく、おいしいの食べます。ありがとうございます🙇‍♀️