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3. 名射手の記憶【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。

【登場人物】

愛神カーマ(悪魔マーラ)
マーラは愛欲の力をもって釈迦族王子(後のブッダ)の解脱を妨げようとした。しかし王子の瞑想に跳ね返され、愛神カーマであった頃の記憶の世界に飛ばされる。シュカと共に東方の地を訪れ、クベーラからある宿命を告げられる。

シュカ:カーマのお供であり乗り物となる鸚鵡(オウム)。緑色の躯体をしており、お喋りが過ぎる。カーマを乗せて軍神インドラの守護する東方の地へと運んだ。

デーヴァ神群:インドの地を守護する神々の総称。最高神であるブラフマー、東方の地を治めているが徐々に力をなくしているインドラ。カーマに宿命を伝えるためにやってきた北方の守護神クベーラ、など。

アスラ神群:太古の時代にデーヴァ神群と覇権を争った神々。永く共生していたが、ターラカというアスラ神が反逆を起こしたことにより二神群は再び争うことになる。

↓前話まではこちらから↓

prologue

1. 鸚鵡の従者

2. 東方の予言

3. 名射手の記憶


「宿命だと? 神々の争いに俺がいったいどう関わると言うんだ?」

カーマは眉をひそめ、その視線をクベーラ神へ向けた。クベーラの言葉は彼にとってあまりに身に覚えのないことだった。記憶の中でカーマはシュカに乗り南アジアを悠々と旅していた。その映像の断片たちは、神々とか反逆とかいうきな臭い言葉とは結びつきようのないものに思われた。

「分かっている。お前の記憶が曖昧なのは仕方ないこと。記憶を失うのは数多の名を持つ神の宿命だ。神でありながら生と死の輪廻に放り込まれた者よ。お前はつい先ほど菩提樹の下で己が何をしようとしたのか、もう忘れてしまったのではないか?」

「…………あっ」

おぼろげな記憶がよみがえる。シュカにこの地へと連れて来られる直前、カーマは釈迦族王子を討とうとしていた。みずから悪魔の姿をして、異形の軍勢を引き連れて。王子を愛欲の渦に落とし修行の邪魔をしようとしたのだ。

何が「神々の争いとは無縁」だ。カーマは奥歯を噛み締めて両の掌を見おろした。そこには引いた弓の感触が微かながら残されていた。

「カーマよ、これを手に取ってみるといい」

掲げたクベーラの手の周囲に光が満ち、その光が収束して弓の形となった。
カーマは差し出された弓に恐る恐る手を伸ばす。そして銅の部分を握った瞬間、手に走る衝撃に己の宿命の一部を悟ったのだった。

「愛神カーマよ、分かるだろう。お前はこの世界随一の弓の名手。たとえ輪廻しようが名が変わろうが、この一点だけは揺らぐことがない。お前は弓の力で世界中を渡り歴史を動かしてきた。かの西洋の主神の一柱を惑わしたこともあったと聞いている」

カーマは再び開いた左の掌を見つめ、それから弓を持ち直す。握りの部分が手によく馴染む。いや、己の手の形に合わせて弓が変化していくような心地さえした。

心の赴くままに弦に手をかける。体が所作をすっかり覚えているようだ。矢をつがえず右手で弦を軽く引き、狙いをインドラの国を囲む雲壁の天井に定めた。

カーマの表情が戸惑いから確信に変わった瞬間、右手が離れ、弦が弾き鳴らされた!
烈しい空圧が生まれ風の矢となり一挙に雲を貫くと、その穴の向こうに一瞬青空が覗いた。

弦の残響が続いている。茫然と立ち尽くすカーマをクベーラは黙って見守っていた。
ふと、疲れて眠っていたシュカがムクっと起き出す。

「なんと懐かしい弦の響き……ご主人が矢を放たれたのですな! 私はこの音をまた聞けてたいへん嬉しゅうございます! 三列風切がまた開きそうです」

相も変わらずおしゃべりな鸚鵡をよそに、カーマはクベーラの方へおもむろに視線を向けた。

「クベーラ神よ、つまり私がこの弓で矢を放ち、アスラ神ターラカを討つ宿命にあるとでもいうのか?」

カーマの視線と言葉を受け流すかのようにクベーラは首を横に振る。そしてわずかに間を置いてから、神妙な面持ちとなって答えた。

「お前が射るべきなのはターラカではない。デーヴァ神群の一柱、カイラーサ山に眠る魔神、シヴァだ」

クベーラの口から告げられた名に、カーマは目を見開き慄いた。


── to be continued──



〔簡単な解説とご注意〕

ヒンドゥー教における愛の神カーマが、仏教の悪魔マーラと同一視されているのは再三書いてきたことですが、ここで少し地域を広げて西洋の神話を見てみましょう。
弓矢を巧みに操り、彼に射られた者が恋に落ちる。この神の設定はまさにギリシャ神話のエロス(クピド、キューピッド)そのものです。

オリュンポス十二神の一柱であるアポロンは、エロスの矢によって惑わされた1人です。
エロスを馬鹿にして怒らせたアポロンは、金の鏃のついた矢を射込まれます。一方で、ダプネという河神の娘には鉛の鏃のついた矢が射られます。金の矢は人を恋の虜にし、鉛の矢は猛烈な人嫌いになる働きがあるのです。
こうしてエロスの矢によって、アポロンはダプネに恋をして追い回し、ダプネはアポロンを嫌って逃げ回る……といった神話が残されています。

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Apollo and Daphne(1908)
John William Waterhouse

恋に落ちたとき、人に強く惹かれる瞬間、矢で射抜かれたような感覚を覚えます。矢で射抜かれた経験などないのに不思議なものです。
このような人間の生理的感覚と、神話の共通性はどうも無関係ではないように僕には思えます。

神話の類似性を語るとき、元々ある地域と民族に神話の鋳型があり、分裂や移動に伴って各地に伝播された、という考え方が主流です。一方で同時発生というトリッキーな説も完全には否定できません。
恋と矢の感覚、それは果たして文化の伝播によって受け継がれてきたものなのか、それとも人間の生理学的機能として元々備わっているものなのか。皆さんはどう思われますか?

『花の矢をくれたひと』の元となっているカーマの神話は、この『アポロンとダプネ』に少し似ています。カーマに与えられた役割とはいったい何なのでしょうか? 次回は(たぶん)それが明かされます。どうぞお楽しみに!


↓参考文献としてこんな魅惑的な本もあります↓


なお本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。


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