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9. 火神到来(ダルマ④)【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。

【前話までのあらすじ】

愛神カーマは、有力なバラモン家系の子息アビルーパとして転生した。アビルーパは重要な祭祀の補助祭官を見事務め上げる。その矢先、意識の奥深くに声が響いてきて、火神アグニが姿を現した。

【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
愛神カーマの化身の1つ。聖地ウッジャイニーに住むバラモン一族の子息。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身。クシャトリヤの家系。ヴェーダ(聖典)を学ぶためにアビルーパの家に出入りし、彼に友情以上の好意を寄せている。

アグニ
アグニ祭壇構築祭のさなかにアビルーパの意識の中に現れたヴェーダの火の神。

INDEX
prologue / 1 / 2 / 3 
4 / 5 / 6 / 7 / 8

9. 火神到来(ダルマ4)


「シヴァを射る者、愛神カーマよ。我は火神アグニなり」
 火炎光背かえんこうはいを持つ神の降臨。アビルーパには前世の愛神カーマとしての記憶が残っていたため、特段おどろきはしなかった。むしろ、シヴァを射ること──クベーラによって媒介された神託──についての手がかりなく生活していた彼にとって、アグニの現前は安堵に他ならなかった。もう少し近付こうと足を踏み出したその時、

「わー、アグニだ。伝承の通りの格好、ホントにいたんだね」
 また別の声がしたと思ったら、突如としてヴァサンタがアビルーパの真横に現れた。《神々はことごとく勝手に俺の意識の中に現れる》アビルーパは苦笑いした。
「どうやってここに?」と問うが、ヴァサンタはアビルーパを一瞥して口元に笑みを浮かべただけで質問に答えず、アグニの方へぐいと近寄っていった。
「あのさ、人間がアグニを信仰するせいで、焼かれた草木や野花は数知れず。山火事も起こったりして困ってるんだけど」ヴェーダの神に遠慮なく苦情を突きつけるヴァサンタ。アビルーパは厚かましい彼を初めて目の当たりにし、普段自分や父の前ではだいぶ猫を被っているのだなと察した。
春の神ヴァサンタよ、今は容赦してはくれぬか。あまり時間がない……」アグニが穏やかな口調で制すると、ヴァサンタはそれ以上は追求しなかった。一言物申したかっただけだったのだろう。

 アグニはアビルーパの方へ向き直り、燃え盛る炎に包まれた手をかざす。するとそこに一本の矢が現れた。アグニの炎が乗り移ったかのような、紅い光を放っている。
「魔神シヴァを射る、それはあまりに恐れ多きこと。もし一撃で仕留めることが叶わなければ、たちまち反撃に遭い、お前は焼き殺されてしまうだろう」
 息を呑むアビルーパ。改めて自身の宿命の重さを痛感させられていた。隣にいるヴァサンタも眉をひそめた。
「これは焦熱しょうねつの矢という。我が火熱の力を込めたもの。しかし……デーヴァ神群は徐々に力を失っており、我とて例外ではない。この矢一本でシヴァを射ることは、おそらく、不可能であろう」アグニは悔しそうに顔をしかめた。見ると火炎光背は燃え盛り、衰えたりを繰り返しており、彼自身が認める心許なさを象徴しているようだった。
「なら……どうすれば……」アビルーパはアグニに問うように自問した。2人は継ぐ言葉を失った。

「一本の矢は折れ易いけど……三本ならまた違うかもしれないね」突如として差し込まれた言葉。隣にいるヴァサンタが腕を組みつつ片手を顎に当てながらそう言ったのだ。《確かに……三本の矢なら》アビルーパの心中に微かな希望の光が灯った。黙り込むアグニを前にして、2人は顔を見合わせて頷いた。
 焦熱の矢が宙に浮いたまま、ゆっくりとアビルーパの手元に近づいてきた。右手で節の部分を握ると、刹那に眩い光を放ち、彼の拳に吸い込まれるように消えていった。

 すると火炎はますます衰え、次第にアグニの姿が薄く透明がかっていった。それは神託の時間の終わりを意味していた。
「お前は……やらなくてはならない。そうでなくてはアスラ神群の……暴挙は止められ……ない……の……だ…………」遠のいていく声。同時に2人を取り巻いていた暗闇の空間が明るくなっていった。

 目を開くと、アビルーパは元の祭場に立ち尽くしていた。ちょうど隣のバラモンが朗誦を終えたところだった。煉瓦の祭壇はすっかり完成し、やや離れて祭祀を見届けていたヴァサンタの姿も同じ場所にあった。アビルーパは右手を握ったり開いたりしてみるが、意識の世界に入り込む前との違いは感じられず、夢を見ていたかのような心地でアグニ祭壇構築祭アグニ・チャヤナは終わりを迎えた。


── to be continued──


【簡単な解説】

(アグニ神、18世紀の細密画。Public domein)

アグニは『リグ・ヴェーダ』の主神のひとりで、インドラに次いで多く讃歌が残されています。天における太陽、空中できらめく電光、地上における祭火など、さまざまな様相を呈する火はすべてアグニの姿とされました。
祭祀においては、その執行者として、また諸神を招集するものとして、人々に現世利益をもたらす神として崇められました。
しかし『リグ・ヴェーダ』から時代が下るにつれて、インドラと同様にその勢力を減じていくことになります。ヒンドゥー教のパンテオンでは一守護神の位置に転落し、仏教では十二天のひとり火天として取り込まれます。密教の護摩法において重要な尊格であるため、擬人化され多くの図像が描かれてきました。

参考・引用文献)
立川武蔵『ヒンドゥー神話の神々』せりか書房

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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