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4. 北方の侵略【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。

【登場人物】

愛神カーマ(悪魔マーラ):マーラは愛欲の力をもって釈迦族王子(後のブッダ)の解脱を妨げようとした。しかし王子の瞑想に跳ね返され、愛神カーマであった頃の記憶の世界に飛ばされる。シュカと共に東方の地を訪れ、クベーラからある宿命を告げられる。

シュカ:カーマのお供であり乗り物となる鸚鵡(オウム)。緑色の躯体をしており、お喋りが過ぎる。カーマを乗せて軍神インドラの守護する東方の地へと運んだ。

クベーラ:天界北方を守護する神。カーマに神託を下すためにこの東方の地にやってきた。インド神話の中ではシヴァ神と仲が良く、財富の神とされている。

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4. 北方の侵略


「お前が射るべきはターラカではない。デーヴァ神群の一柱、カイラーサ山に眠る魔神シヴァだ」

クベーラの口から告げられた名に、カーマは目を見開き慄いた。その神は世界の破壊と再生を司る、ただ畏怖するのみの存在。その至高神の一柱を、いっぱしの射手に射抜けと言うのか。クベーラも神とはいえ、シヴァ神から見れば取り巻きの1人に過ぎない。元々半神だったのを修行の成果を讃えられ神へと昇格させられた、いわば神界における成り上がり者だ。なんたる暴挙だろうか。

「そんな恐れ多いこと……」

カーマがクベーラを諌めようとしたその瞬間、轟く地鳴りと烈震が彼らを襲った。

「な、なんだ!?」

狼狽えるカーマにシュカが駆け寄り、その身で主人を護ろうとする。激しい揺れは数秒続いておさまったが、その後も不穏な目眩感が彼らを取り巻いていた。

「いかん、アスラ神群が天界の北方まで攻め入ってきたようだ」

クベーラは顔をしかめた。この東方の地にまで震動をもたらす北方の侵略。その激しさはカーマには想像もつかないものだった。

「残念だが今は時間がない。カーマ、愛の伝導を仰せつかった者よ。その弓に相応しい矢を探せ。それはお前の過去と未来にあるはず。ユガ*を越え、なおカルパ**を越えたところに必ず見出すことだろう」

そう告げると、クベーラの体が半透明となり次第に薄れていった。

「待て。話はまだ……」

「鸚鵡よ、主人を導くのだ」

カーマの制止を意にも介さず、北方の神は消える寸前に手をかざした。その掌から放たれた砂塵のような光がゆっくりとシュカの頭部に染み渡っていった。神託が下されるさまを見届け、振り返った先にはもうクベーラの姿は見当たらなかった。

地鳴りは既に収まっていた。風の音にまぎれて、ときおり弱い雷鳴が耳をつく。

「……なあシュカ、いったい俺はどうしたらいい?」

カーマは巨大な鸚鵡の喉元に顔を埋めた。自身を巻き込む闘争の規模にすっかり参ってしまったようだ。小さくなった主人を見下ろすシュカ。慰めるような顔を浮かべたものの、なんと声をかけたら良いか分からず

「わたくしは召使いゆえ、ご主人に意見するなどもっての他にございます」

と紋切り型の返答しかできなかった。

「さてはお前……役立たずの召使いだな?」

罵りながらもシュカの身から離れてあらわになったカーマの顔は微かに笑っていた。から元気のような、それでいて従者に信頼を寄せるような笑みだ。

「な、何を仰いますか、ご主人! 不肖このシュカ、鸚鵡族の誇りにかけて生涯ご主人のお役に立つべく……」

「分かった分かった」

適当にあしらうカーマ。しかしこのとき突然、鸚鵡の脳裏に一抹の記憶がよぎった。

「はっ! 役立たずの召使い……役立たず……以前もどこかで同じように言われた気がするのです」

シュカは考え込んだ。

「なんだお前。カルパを越えて、なおユガを越えて、ずっと役立たずだったのか? いい加減学習しろよ」

面白がる主人を他所に、鸚鵡は必死で記憶の糸をたぐった。すると混沌とした領域の或る一点に仄かな明かりが灯ったような感覚を得た。

「……ご主人のご友人ならば、何か良い助言を下さるかもしれません」

「友人? 俺に友がいたのか?」

「ええ、ご主人!」

鸚鵡は急にしたり顔となり翼を大きく広げた。

「早く背中にお乗りください。我々鸚鵡族、鳩族よりは優れるものの、記憶力に自信は全くございませぬ。たったいま浮かんだ光景を忘れてしまう前に、直ちに向かいましょう!」

「分かったシュカ。俺を連れて行ってくれ、友の元へと!」

カーマがその背に飛び乗るや否や、シュカは大地を蹴って威勢よく飛び立った。取り巻く紫煙を一気に突き抜け、そのまま再び時空の穴へと。


── to be continued──


〔簡単な解説とご注意〕

作中に登場した「ユガ」「カルパ」は古代インドで用いられていた時間概念です。
時間の最小単位メーシャ(2メーシャが瞬きに要する時間)、ムフールタ(48分)、パクシャ(半月)、リトゥ(6リトゥで1年)などに代表される日常的時間の他に、ユガやカルパのような神々の時間が想定されています。

ユガには4種類あり、クリタ・ユガ(4800年)、トレーター・ユガ(3600年)、ドヴァーパラ・ユガ(2400年)そしてカリ・ユガ(1200年)の順に進み、またクリタ・ユガに戻り循環します。
このユガをめぐる思想においては、長いユガ期ほど人間界の道徳が保たれており、人間自体も健康で長寿であるという宗教的世界観が展開されています。
道徳の退廃や老病死といった抗い難い不幸な宿命を、長い時間を想定し循環させることで、受容し乗り越えようとしたのだと想像できます。
ちなみにユガについて言及した思想書の多くは紀元前後から数世紀の間に書かれたものなので、この理論でいけば既にカリ・ユガは抜けているはず。となると、我々は素晴らしい道徳の元に生活し、寿命400歳まで生きられることになっているはずなのです。笑

4つのユガ期を合わせて(マハーユガ)さらに1000倍したものを1カルパといい、これがブラフマー神の1日に相当するとされています。このような途方もない時間を設定することは、おそらくは創造神の偉大さを思い知らせるための手法だったのでしょう。
ユガとカルパの細かい数値は文献によって若干異なります。しかしその中で世界の破壊と再生が繰り返される点は変わりありません。堕落した世間と人間の受容、宗教による救済の強調、これらが神の時間感覚となって顕れるのです。

お気づきのかたもいらっしゃると思いますが、仏教の末法思想、アブラハム宗教の最後の審判、なども同様の思想と考えられます。
現代においても、広大な海を眺め悠久の時間を感ることで、悩みごとがちっぽけに思えて慰められる経験をした人は少なくないはずです。
大きな大きな非実体を想定する思想は、悩みや苦しみを直接的に解決したり、今日明日にでも救済をもたらしてくれるようなものではありませんが、不幸を抱えつつも何とか生き抜いていくための知恵なのだと、私は思います。

参考文献)
・『マヌ法典』平凡社東洋文庫
・『ヒンドゥー神話の神々』せりか書房
・『ヒンドゥー教の事典』東京堂出版

なお本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。


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