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何者にもなれなかった私へ

 2023年12月31日 エピローグ。    社会人という、つまらない生き物になってはや半年と2か月。毎日同じように生き同じように時間を流す。私は良くも悪くも自分を殺した。    まず、昼夜逆転をしなくなった。毎朝5時30に起きては22時30に寝るという憎たらしくとも健康的と呼べる生活をしている。嫌なこととか逃げ出したいことひっくるめて真っ黒な夜に投げ出すことなんて出来なくなった。私にとって”そんな夜もある”という言葉はまるで「桃源郷」のような魔法の言葉へと移り変わってし

    • 別にそれが「救い」じゃない

      まだ何とかやってるよ社会人、生きづらいと思う時もあるけれどまだ呻きながら毎朝起きてる。 最近、本当に数人がいいね?をつけてくれてるみたいで本当嬉しいよありがとう。 まじで社会人なんだけど起きて、働いて、勉強して、寝る、なんだこれロボットみたいだよなぁ。日常の営みの中に喜怒哀楽はあるけれど、それはなんだか二の次の様な生活。 死にたいとか思わない、それほどの苦痛がないからね、でも同時に這いつくばって生きようとかも思わない、ロボットだから。 周りの人達は無茶苦茶いい人ばかり

      • 「一定の幸せを得るために」

        「一定の幸せを得るために」 生きるってこの一言に帰結するなぁーと最近考える。嫌なことを嫌でも行い続けるのはやっぱりそれって「一定の幸せ」の対価があるからだ。 何の対価もないのに嫌なことし続けるのはそれはもう一種の性癖じゃない?まじで 「一定の幸せ」は一定であり過度を得れることはない。幸せというのは感情というものであり定義付けすることが難しいけれど、まぁおおよそ自分の欲求を満たせている状態という解釈でいいんでなかろうか。 過度の幸せを得ようとするとそれは極端な例で言えば、ギャ

        • 夜に出逢ったあの人は

          近々、私が親しかった人の誕生日が来る。 彼女とは、私が当時19歳だった8月中旬の午前5時に出会った。それは決して偶然で、寝付けない人のアプリみたいな所謂、出会い系に近いアプリで意気投合した人だった。 身体が蒸発してしまいそうな夏の夜にきっと私は魅入られていた。魔法のように夜が全てを飲む現象は若者の特権であり、一種の現実からの逃避行に近いものだったのだと記憶している。 逃げられない朝に背を向けながら逃げ続け、太陽と対峙する事のなく夜を迎えられた時の安堵たるや。 彼女は5歳

        何者にもなれなかった私へ

          物語の終着点

          物語の終着点は大きく二つに分かれる、ハッピーエンドかバッドエンドか。 「あなたの物語の終着点はどちらでしたか??」 こんな問いかけは全く意味をなさない、解答率は0%だから。 では、質問を少し変えてみよう。 「あなたは、あなたの物語がどちらの終着点に辿り着くと思いますか??」 これは実に限定的すぎる質問だ。質問をするタイミングやその時の気分、様々な場面や状況によって解答が変わる。 人間っていうのは不思議で一つ良いことが起こると連続して良いことが起こるし、良いことが起こ

          物語の終着点

          詰まる所、それが恋

          ハロー、5月と皆さん。 おおよそ2か月ぶりくらいだと思う。早いよね時間経つの、年齢を重ねるにつれ加速度的に早くなっていくのを感じる。もう22だってこの人生、いつ 幕が閉じるのだろうなぁ。1年先をも見通せないからただ刻々と過ぎる時間を横目に、お酒を飲み、本を読み、ゲームをし、自分の趣味に没頭する。時間というのは若い時ほど使い方が不明瞭で、年を取るにつれ時間が惜しくなるというけれど、別に人生なんて時間の使い方の良し悪しで決まるもんじゃないんだから、好きにしていい。 そういえば社

          詰まる所、それが恋

          きっと、いつかは

          ハロー、今は特に不自由なく割かし普通に生きている。 引っ越しの準備をしたり、本を読んだり、ゲームをしたり、ジムに行ったり、それとなく充実している。 そういえば近頃、自分で物語を書くということを始めて見た。物語を書くというのは案外難しいもので、このnoteみたいに自分が感じている感情や思考をそのまま文字にコピー&ペーストすればいいというものではなかった。第三者に情景や心情、物語の主題を見失うことなく伝えることができるように四苦八苦している。 新しいことに挑戦するというのは、

          きっと、いつかは

          終わり、だとか

          吹き抜ける風まだ寒いこの二月、約四年間働いたアルバイト先とお別れをした。 この頃、終わりというものをとても近しく感じる。それは別に特別なものではなくただそれだけの意味であり純粋な終わりだ。 端的に言うと大学生活が終わりを迎えようとしている。四年間住んだ家、地域、お世話になった人たち、あとちょっとでさようならだ。 小、中、高といろんな人に会い、成功や失敗を繰り返してこれまでも終わりを迎えてきた。終わりというのはどこにでも潜んでおり必ず人間に襲い掛かってくる厄災みたいなものだ

          終わり、だとか

          「余命10年」見たり、よんだり。

          こんばんわ。最近マジでサボりにサボって自分の好きなことばっかりしてたから優先順位低くなってたけど久々にnote書こうと思うよ。 まずは兎にも角にも元気にやってます。中耳炎なった以外はめちゃめちゃ元気。 この大学4年間熱も出さず風邪も引かなかったのに最後の最後に中耳炎になってしまいました悲しみ。今は薬を飲みながら経過観察なうという状態。 話は変わるが最近、キリンジの「エイリアンズ」という曲にハマってる。冬の夜長にめちゃくちゃ合う曲で、ついついリピート再生してしまう。 こ

          「余命10年」見たり、よんだり。

          その日は特別でなくていい。

          誰かに響く文章を書きたい。 それは例えば読んだ人が打ち震えて涙して、好評するような文でなくていい。劇的に人生が変わるような文でなくていい。 たまたまこの文に触れて、読んだ人のほんの少し支えになれればいい、ほんとにそれで。 気がつけば8月も終盤、拭う汗の量も徐々に少なくなってきた。夜に開けた玄関から吹き抜ける風は涼しくて、もはやエアコンなんていらないのではないかと感じる。 私的な話ではあるけれど、先日に誕生日を迎えた。 22歳というまた身分不相応な年齢になったしまった。 お

          その日は特別でなくていい。

          夜に煩う季節

          最近、氷結の無糖レモンにハマっている。元々甘い系統のお酒は飲まない方だったし、なによりレモンというのが飲み欲をそそる。 夏というのは何でだろうか、レモンだとかオレンジだとか少し苦手な梅干しだとか、酸味や苦味を異様に体が欲する。苦くて酸っぱくて、でもどうしてだろうか身体が貪る様に求め続ける。 夏になると人間がバグるというのはよくあることだ。暑さで頭がおかしくなっている人、物凄く短気な人、そういった人を見かける割合が他の季節に比べ少し高い気がする。 体はおかしくなるし、人は

          夜に煩う季節

          忘れられたいと願うこと

          最近、高校の頃のクラスグループに再び招待された。どーでもよくなった20歳の時に抜けたグループだ。別に話すようなことも特段なかったし仲良いクラスメイトがいるわけではなかったから後悔はなかった。 忘れてくれてなかったのか。 招待された以上、無視という行動も相手をぞんざいに扱い過ぎだと感じグループには参加をした。恐らく近々クラス会か何かを行うためにクラスメイトを集めているんだろう。そこは推理の域を出ないため確定であるとは言えないがそれ以外の理由も何も思いつかなかった。 当時の

          忘れられたいと願うこと

          さよなら、とも

          こうやって私の言葉で、ちゃんとした文章にして君へ当てる文章は初めてです。少し不思議な気持ちながらも纏りのある文章にしなければいけないなとつくづく感じます。 さて、君はこの春とある国に旅立ちます。一年間という人生丸ごとで見たら短くても体感時間ではとても長い時間です。この一年間で何を学び何を得て帰ってくるのか、自分事では無いながらも何故か楽しみな自分がいます。 君は私からすれば憧れと共に嫉妬の対象でもあります。私は中学生の時から一方的に知ってはいましたが、高校が同じ尚且つ部活

          さよなら、とも

          嫌なこと

          嫌なことってきっと皆持ち合わせている。全てが順調で何も心配要らず、嫌なことなんて微塵もないとかいう人間はごく稀で、今生きている上で嫌なことって結構な数あるはずだ。 嫌なことがある人はそこから更に2種に分類される。 嫌な対象が周りか、自分かだ。 あの人が、上司が嫌だ。又は職場が嫌だといった、周りを対象とした嫌悪。 又は自分の性格や容姿を対象とした嫌悪。 周りに対する嫌悪もあったが、私の場合はあんまり長引かず解決することが多かった。 私は自分に対する嫌悪の方が強い。

          嫌なこと

          「才能」とか

          才能って何だろう。 勉強が出来たりある種のスポーツが得意だったり、例えばそうゆうことだ。 もっと細かくても良い。ゲームが上手い、気配りが上手、人の注目を浴びる、何となく周りと比較して自分が長けているなぁとか思えればそれは才能の一片なのだ。 努力できるというのもまた一種の才能なのだと思う。 きっと世界人口の8割くらいは何かしらの才能を持っており、それを自分の活かすべきステージでキラキラと輝かさせている。 残りの2割は、私と同じ何の才能も得なかったものだ。 私の周りには

          「才能」とか

          突発的苺食べたい症候群

          イチゴが食べたくなった。無性に、しかも突発的に。 久しぶりの二日酔いで、頭ガンガン状態の中で意識に芽生えたのはイチゴに対する食欲、その1点のみだった。何故そのような欲が露出したのかは分からないし、その欲に対して理解しようだとか考えてみようとはならなかった。とにかくイチゴが食べたかった。 ところで、皆さんはなんの果物が好きであろうか?世の中には5万とまではいかないが数百種類くらいは果物に分類される植物がある。多種多様な形、色、味、匂い。どれもほんとに人間よりも立派に個性を持

          突発的苺食べたい症候群