きっと、いつかは
ハロー、今は特に不自由なく割かし普通に生きている。
引っ越しの準備をしたり、本を読んだり、ゲームをしたり、ジムに行ったり、それとなく充実している。
そういえば近頃、自分で物語を書くということを始めて見た。物語を書くというのは案外難しいもので、このnoteみたいに自分が感じている感情や思考をそのまま文字にコピー&ペーストすればいいというものではなかった。第三者に情景や心情、物語の主題を見失うことなく伝えることができるように四苦八苦している。
新しいことに挑戦するというのは、それなりに骨が折れるもので、やはり第一歩を踏み出すというのは非常に辟易とする。それでもやはりやってみたいの好奇心が勝つのは、良くも悪くもまだ人生を楽しむ余裕があるのだろう。
メンバーがいません、とあるlineの友達の一人がこの名前に変わっていた。それは無論、友達がこの名前に変更したのではなく、アカウントを変更した結果の末に成った名前だ。彼は僕の中学校の時のテニスのペアだった。中学生にもかかわらず朝の四時から一緒にトレーニングしたり、真夜中まで語りあったりした。彼とはきっと一生友達でいれるだろう、若い私は何の確証もなくそう信じて疑わなかった。しかし、高校で道を違え、大学も知らず、いつかきっと会えるだろう、その慢心だけを胸にほんの数回しかlineでやり取りしなかった。
最近、過去の思い出に浸ることが多い。来月から就職することになるからか区切りとしてよく浸る。上記のlineもそれで気づいた。きっと人って出会って別れて、そして忘れはせずとも記憶が薄くなって今の人じゃくなく過去の人という認識になっていくのだろう。
いまこの時代の友人たちもきっと僕の中では過去の思い出になっていき、そしてまた同様に彼ら、彼女らの中でも私の記憶は過去のものへとなっていくだろう。
そんなもんだ人生なんて、きっと。
美しく飾らなくったっていい、見苦しくもがけばいい。そのほうがきっと自分にとっても周りにとっても今の自分になるから。
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