別にそれが「救い」じゃない


まだ何とかやってるよ社会人、生きづらいと思う時もあるけれどまだ呻きながら毎朝起きてる。

最近、本当に数人がいいね?をつけてくれてるみたいで本当嬉しいよありがとう。


まじで社会人なんだけど起きて、働いて、勉強して、寝る、なんだこれロボットみたいだよなぁ。日常の営みの中に喜怒哀楽はあるけれど、それはなんだか二の次の様な生活。

死にたいとか思わない、それほどの苦痛がないからね、でも同時に這いつくばって生きようとかも思わない、ロボットだから。

周りの人達は無茶苦茶いい人ばかりだと思う、友達も上司も。でもそんな健やかに生きている人達が押し付けてくる当たり前というのは私にとって当たり前じゃない、それはギシギシと締め付けてくる凶器染みたる言葉だ。

外に遊びに行きなさい、友達をいっぱい作りなさい、車を買いなさい、彼女を作りなさい、勉強しなさい、

そういう一般的な幸せの指標に則った事柄は、何もかも私にとって「救い」にはならない。

深夜まで起き、アルコールで脳を溶かし、好きな映画を見たり好きなゲームをしたり、本当に仲のいい数人と過ごす時間が私にとって「救い」だ。
本を読むのも、もちろんnoteを書くのも。


だからどうか、皆さんは簡単に救われないでください。勝手な見解で申し訳ないけれど、他人からの言葉で簡単に救われるほどの救いほど貧弱なものはないから。

自分にとって本当に幸せだと思っていることが幸せであり「救い」であってほしいなと思う。

今日はまあ短いけどだいぶ酔ったし、明日仕事だし、いいんじゃない。

おやすみ。



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