終わり、だとか
吹き抜ける風まだ寒いこの二月、約四年間働いたアルバイト先とお別れをした。
この頃、終わりというものをとても近しく感じる。それは別に特別なものではなくただそれだけの意味であり純粋な終わりだ。
端的に言うと大学生活が終わりを迎えようとしている。四年間住んだ家、地域、お世話になった人たち、あとちょっとでさようならだ。
小、中、高といろんな人に会い、成功や失敗を繰り返してこれまでも終わりを迎えてきた。終わりというのはどこにでも潜んでおり必ず人間に襲い掛かってくる厄災みたいなものだと思っている。幾度となくこの厄災に襲われたが学習せず、性懲りもなくまた虚無感に苛まれている。
今回、アルバイト先でお世話になった人たちにあいさつ回りをしているときガチで泣きそうになった。今まで特段、卒業式で泣いたりだとか人とのお別れで泣いたことはなかったが、なぜか今回ばかりはギリギリのラインであった。よく年を取ると涙もろくなるといわれている。これは一般的には感情のブレーキが緩んでしまっているからだといわれているが、私はこれに加え年を取ることで感性豊かになったからじゃないかと思う。そのほうが夢がある。機能が低下したとか感情が思うように制御できなくなったとか考えるより、きっと感性が豊かになったからの理由のほうが美しい。我儘でいい、この時期くらい。
私もきっとこの感性が豊かになったから涙もろくなった一員である。ある人に私の人生の大学生活を切り取って見せたら非常につまらないという人は五万といるだろう。実際そういう人は少なからずいた。テニス、お酒、筋トレ、ゲーム、読書、五単語で表すならというより五単語しか出てこなかった笑。
碌な恋愛経験もせず、アウトドア的趣味もない。「華の大学生活」とは程遠いようなものだろう。それでも様々な人に出会い、いろんな本を読んで感動し、沢山の運動やゲームをすることができたこの大学生活は本当に良いと思えるものだった。
いつか終わりが来る。人生においても何事においても。でも案外そんな終わりは近くならないと実感なんて湧かないし、想像すらつかない。きっと人間のバグの一つだ。チートでも使わないと攻略なんてできない、そんなもんだ。
「無駄な話をしよう 果てるまで呑もう 僕らは美しい」
マカロニえんぴつ『ヤングアダルト』の歌詞の一部である。
この歌詞ほど的確に刺さった歌詞はなかった。このnoteにおいてもこの歌詞がいいたかったことの全てをまとめてくれているといってもいいくらいだ。
まあとりあえず、私の人生の中で終わりが近づいてきて始まりも近づいている。それまでの猶予期間、自分なりにしっかりと楽しもうと思う。
今までありがとう、どうぞこれからもよろしく、
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