忘れられたいと願うこと

最近、高校の頃のクラスグループに再び招待された。どーでもよくなった20歳の時に抜けたグループだ。別に話すようなことも特段なかったし仲良いクラスメイトがいるわけではなかったから後悔はなかった。

忘れてくれてなかったのか。

招待された以上、無視という行動も相手をぞんざいに扱い過ぎだと感じグループには参加をした。恐らく近々クラス会か何かを行うためにクラスメイトを集めているんだろう。そこは推理の域を出ないため確定であるとは言えないがそれ以外の理由も何も思いつかなかった。

当時のクラスメイトは確か38人くらい。
しかしグループに参加している人数と招待されている人数含めても35人だった。
確かに数人忘れられていた、あるいは誰も連絡先を持っていないのかもしれない。悔しいことに私も欠けた人を思い出せなかった。

話しは一変するが私は高校の時、所謂キョロ充だった。
行動を共にするクラスメイトはいたがプライベートで遊んだことはない。周りの意見に流され半yesマンみたいな人間だった。当時はそれが自分を守る盾だったんだ。同じ中学校の友人はおらず見ず知らずの人ばかりで何の取り柄もなかったから。
誰かに認識されていること、クラスメイトと認められていることが自分が自分自身だと足らしめる唯一の証拠だった。

なんて愚かだったんだろうと、

一年前くらいに成人式が行われたんだ。コロナ禍における成人式ということでいくつかの制限はあったものの面白いほど楽しくなかった。所謂誰かについて回る金魚の糞みたいな存在で相手のインスタグラムの投稿を満たすだけの存在だった。

最近、全ての人に忘れられないかなと妄想する事が多い。親も友人も恩師も自分自身が関わった人全て。そしたらきっと生きやすくなるのに、みんなきっと過去の私という色眼鏡をかけずに21年欠けて作られた私として認識してくれるのに。

自分はただの見栄っ張りな寂しがり屋なのだと気づいてた。自分がしょうもない存在なのだと認めたくなくて忘れて欲しいとか勝手に願ってた。

お願いだからどうかいつかの友人達がクラスメイトになる日が来ますように。
もう、思い出すのも出されるのもうんざりだから。


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