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2007年の映画劇『秒速5センチメートル』の本と時間と宇宙

 空想と科学の融合の時代

 1977年(昭和52年)9月5日、アメリカ連合国の民界航空技術・宇宙空間局(National Aeronautics and Space Administration, NASA)の無人宇宙探査機「航海者1号(Voyager 1)」が打ち上げられました。

 1984年(昭和59年)7月5日、35歳の村上春樹(1949年1月12日~)『螢・納屋を焼く・その他の短編』(新潮社、800円)が刊行されました。
 装幀は41歳の安西水丸(1942年7月22日~2014年3月19日)です。

」(『中央公論』1983年(昭和58年)1月号)
納屋を焼く」(『新潮』1983年(昭和58年)1月号)
踊る小人」(『新潮』1984年(昭和59年)1月号)
めくらやなぎと眠る女」(『文學界』1983年(昭和58年)12月号)
三つのドイツ幻想」(『ブルータス』昭和1984年(昭和59年)4月15日号)

 1987年(昭和62年)7月17日、石原裕次郎(1934年12月28日~1987年7月17日)が52歳で亡くなりました。

村上春樹「蛍・納屋を焼く・その他の短編」「新潮文庫」

 1987年(昭和62年)9月25日、「新潮文庫」、村上春樹螢・納屋を焼く・その他の短編』(新潮社、280円)が刊行されました。 
 カヴァー裏表紙に「秋が終り冷たい風が吹くようになると、彼女は時々僕の腕に体を寄せた。ダッフル・コートの厚い布地をとおして、僕は彼女の息づかいを感じとることができた。でも、それだけだった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕[「誰かの腕」に傍点]だった。僕の温もりではなく。誰かの[「誰かの」に傍点]温もりだった……。もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語らい、想い、そして痛み。リリック七夏の短編。」とあります。
 引用は「螢」からです。

 1989年(平成元年)2月9日、手塚治虫(てづか・おさむ、1928年11月3日~1989年2月9日)が60歳で亡くなりました。

 1989年(平成元年)4月1日、日本で初めて税率3%消費税が導入されました。

 1989年(平成元年)7月末、東芝が世界初の片手で持ち運べるA4ファイルサイズ、3.5インチ・フロッピーディスク一基搭載のブック型パソコンダイナブック」J-3100SS(税別19万8,000円)を出荷しました。
 画面の日本語表示は横40字、縦25行でした。

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   1989年(平成元年)11月6日、ニュー・ヨークで、48歳のスティーヴン・ジェイ・グールドゥ(Stephen Jay Gould、1941年9月10日~- 2002年5月20日)『素晴らしい生バージェス頁岩(けつがん)と歴史の本性』Wonderful Life: The Burgess Shale and the Nature of History(W. W. Norton & Co.)が刊行されました。

    1990年(平成2年)3月9日、岩波書店から「同時代ライブラリー」が21冊同時に創刊されました。
 「同時代ライブラリー」は1998年(平成10年)7月15日まで刊行されました。

「SANTA FE」新聞広告

 1991年(平成3年)11月13日、50歳の篠山紀信(1940年12月3日~2024年1月4日)撮影の18歳の宮沢りえ(1973年4月6日~)の写真集『Santa Fe』(朝日出版社、4,500円)が刊行されました。
 撮影は6月にサンタ・フェでおこなわれました。

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 1992年(平成4年)3月16日、「同時代ライブラリー」100、ル=グウィン作、清水真砂子(1941年5月27日~)訳『影との戦い : ゲド戦記』(岩波書店、本体825円)が刊行されました。

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 1976年(昭和51年)9月24日、「岩波少年少女の本」34、ル=グウィン作、35歳の清水真砂子訳、ルース・ロビンズ絵『影との戦いゲド戦記Ⅰ』(岩波書店、1,400円)の改版です。

    原書は、1968年(昭和43年)11月にバークリ(Berkeley)で刊行された、39歳のアースラ・K・ル・グウィン(Ursula K. Le Guin、1929年10月21日~2018年1月22日)『地海の魔法使い』A Wizard of Earthsea(Parnassus Press)です。 
 挿絵はルース・ロビンス(Ruth Robbins、1910年~)です。

 1992年(平成4年)8月4日、松本清張(まつもと・せいちょう、1909年12月21日~1992年8月4日)が82歳で亡くなりました。

新潮文庫「草の竪琴」

 1993年(平成5年)3月25日、「新潮文庫」、トルーマン・カポーティ著、大澤薫訳『草の竪琴』(新潮社、税込400円)が刊行されました。         1951年(昭和26年)10月1日、ニュー・ヨークで刊行された、26歳のトゥルーマン・カポーティ(Truman Capote、1924年9月30日~1984年8月25日)の小説『草の竪琴』The Grass Harp(Random House)の邦訳です。

 1993年(平成5年)4月15日、スティーヴン・ジェイ・グールド著、渡辺正隆(1955年~)訳『ワンダフル・ライフバージェス頁岩(けつがん)と生物進化の物語』(早川書房、本体2,524円)が刊行されました。
 帯表紙に「奇妙きてれつ、妙ちくりん。化石動物と、その謎に取り組んだ研究者たち。進化生物学の旗手が進化の偶然と生命の驚異にせまる気宇壮大な物語。」「鬼才の代表作、ついに登場」とあります。

   1993年(平成5年)11月12日、42歳の 見城徹(けんじょう・とおる、1950年12月29日~)他5名が角川書店を退社し、幻冬舎を設立しました。

    1994年(平成6年)2月25日、「新潮文庫」、トルーマン・カポーティ著、49歳の川本三郎(1944年7月15日~)訳『夜の樹』(新潮社、税込480円)が刊行されました。  

ミリアム」 Miriam (『マドゥムワゼル(Mademoiselle)』1945年6月号)
夜の樹」 A Tree of Night(『ハーパーズ・バザール(Harper’s Bazaar)』1945年10月号)
夢を売る女」 Master Misery(『ハーパー雑誌(Harper's magazine)』1949年2月号)
最後の扉を閉めて」 Shut a Final Door(『大西洋月刊誌(The Atlantic Monthly)』1947年8月号)
無頭の鷹」 The Headless Hawk(『ハーパーズ・バザール』1946年11月号)
誕生日の子どもたち」 Children on Their Birthdays(『マドゥムワゼル』1949年1月号)
銀の壜」 Jug of Silver(『マドゥムワゼル』1945年12月号)
ぼくにだって言いぶんがある」 My Side of the Matter(『物語(The Story)』1945年5月号)
感謝祭のお客」 The Thanksgiving Visitor (『マッコールズ(McCall's)』1967年11月号) 

 1994年(平成6年)3月27日、幻冬舎が単行本の刊行を始めました。
 61歳の五木寛之(1932年9月30日~)のエッセイ集『みみずくの散歩』(1,200円)
 46歳の北方謙三(1947年10月26日~) の小説『約束』(1,400円)
 53歳の篠山紀信写真集『少女革命』(2,000円)(デビュー当時の18歳の神田うの、18歳の黒谷友香、中学1年生の13歳の小嶺麗奈らがモデルを務めました)
 42歳の村上龍(1952年2月19日~)の小説 『五分後の世界』(1,500円)
 35歳の山田詠美(1959年2月8日~)の短篇小説集『120% COOOL』(1,300円)
 29歳の吉本ばなな(1964年7月24日~)の小説+紀行『マリカの永い夜バリ夢日記』(1,300円)

  1994年(平成6年)11月22日、セガ・エンタープライゼスから32ビットマルチメディアの家庭用ゲーム機「セガサターン(SEGA SATURN)」(税別44,800円)が発売されました。

 1994年(平成6年)12月3日、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)から3Dゲームで最高の性能が発揮されるように作られた家庭用ゲーム機「プレイステーション(PlayStation, PS)」(税別39,800円)が発売されました。

 集英社の週刊少年マンガ誌『週刊少年ジャンプ』が1994年(平成6年)12月20日発売の1995年(平成7年)1月10日・16日特大号(3・4号)(210円)で653万部という日本国内における漫画雑誌の最高発行部数を記録しました。
 27歳の井上雄彦(いのうえ・たけひこ、1967年1月12日~)『SLAM DUNK(スラムダンク)』、38歳の鳥山明(1955年4月5日~)『ドラゴンボール(DRAGON BALL)』、24歳の和月伸宏(わつき・のぶひろ、1970年5月26日~)『るろうに剣心明治剣客浪漫譚』が連載中でした。 

 集英社は、『週刊少年ジャンプ』創刊50周年を記念し、2017年(平成29年)7月15日、『復刻版 週刊少年ジャンプ パック1』(1968年1号(創刊号)、1995年新年3・4合併号(最大発行部数号))(本体833円)を発売しました。

 1995年(平成7年)1月17日、火曜日、午前5時46分、明石海峡を震源とする直下型地震「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」が発生しました。

   1995年(平成7年)3月20日、月曜日、帝都高速度交通営団の丸ノ内線日比谷線で、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生し、13人が死亡、5,510人が重軽傷を負いました。

 1995年(平成7年)10月4日~1996年(平成8年)3月27日、テレビ東京系列ほかで、庵野秀明(1960年5月22日~)監督のテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』全26話が放映されました。

 1995年(平成7年)11月23日、アメリカ連合国のマイクロソフト(Microsoft)のオペレーティングシステム (OS) 「Windows 95」日本語版がCD-ROMとフロッピーディスク(DMFフォーマット)の2種類のメディアで発売されました。希望小売価格は新規インストール用の通常版が税別29,800円でした。

    1996年(平成8年)2月12日、司馬遼太郎(1923年8月7日~1996年2月12日)が72歳で亡くなりました。

   1996年(平成8年)7月17日、63歳の石原慎太郎(1932年9月30日~ 2022年2月1日)『』(幻冬舎、税込1,800円)が刊行されました。
 帯表紙に「兄の手ではじめて明かされた石原裕次郎の全貌」「人生をタッグマッチで生きた2人きりの兄弟。死にゆく者と、生き残る者の無言の交錯。かけがえのない弟の知られざる生涯を、死の瞬間まで凝視し、生と死の根源を問う25年ぶりの書き下ろし長編小説。」とあります。

  1999年(平成11年)4月23日~2012年(平成24年)10月31日、石原慎太郎東京都知事を務めました。

 映画『秒速5センチメートル』第一話「桜花抄」

  2007年(平成19年)3月3日、34歳の新海誠(1973年2月9日~)原作・脚本・監督のアニメ映画劇『秒速5センチメートル』(63分)が公開されました。
 この映画はなまじ視覚描写が細密で、とりわけ背景が写実的なだけに、細部が識別しやすく、描写の時代錯誤や現実に照らした場合の諸要素の組み合わせの不自然さ、設定上の矛盾がしばしば指摘されています。

 『秒速5センチメートル』第1話「桜花抄」は1991年(平成3年)4月9日、月曜日から1995年(平成7年)3月にかけての物語です。

 小学校3年生の遠野貴樹が長野から東京の小学校に転入するのは4月9日、月曜日、これは1991年(平成3年)のカレンダーに一致します。
 その1年後の1992年(平成4年)4月8日、月曜日に同じ4年3組に静岡から篠原明里が転入します。
 しかし、実際のカレンダーでは、1992年(平成4年)4月8日は水曜日です。

「秒速5センチ」アカリ・タカキ

 4年3組の黒板に、アカリ、タカキの相合傘、「おにあいカップル」にハートマークの落書きが書かれたのは5月15日、金曜日ですが、これは1992年(平成4年)のカレンダーと一致します。

 おそらく、1994年(平成6年)の冬の食卓の上に科学雑誌『ニュートン(Newton)』と、単行本『ダックスフントのワープ』が見えます。

「秒速5センチ」「ダックスフントのワープ」

 1987年(昭和62年)2月25日発行、39歳の藤原伊織(1948年2月17日~2007年5月17日)『ダックスフントのワープ』(集英社、980円)が刊行されました。

「秒速5センチ」「ニュートン」

 科学雑誌『ニュートン』の表紙の見出しには「SF」の文字が見えるので、2004年(平成16年)12月26日発売の『ニュートン』(ニュートンプレス)2005年(平成17年)2月号(1,000円)「SFではない! 驚異の近未来テクノロジー:人工視覚/マンモスが復活する/人工血液/テラバイトメモリ/水素社会」がモデルと思われます。

「ニュートン」2005年2月号

 『ニュートン』(教育社)1994年(平成6年)10月号(980円)の特集は「総力取材木星衝突!シューメーカー・レビー第9彗星」でした。

「ニュートン」1994年10月号

 2016年(平成28年)8月26日に公開された、43歳の新海誠原作・脚本・監督のアニメーション映画劇『君の名は。』(107分)のティアマト彗星(Comet Tiamat)の描写は、1994年(平成6年)7月16日から22日までの間のシューメイカー・レヴィ第9彗星(Comet Shoemaker–Levy 9)の木星大気への衝突を下敷きにしていると思われます。
 『ニュートン』の版元は1997年(平成9年)4月1日よりニュートンプレスに移りました。

 ところで、1995年(平成7年)3月4日は土曜日だったのに対し、映画『秒速5センチメートル』では時計の表示が「3:4:FRI」で、黒板に「3月4日(金)」と書かれ、「P28~P67 3/8(火)までに提出すること」の貼り紙があります。
 これは1994年(平成6年)のカレンダーに一致します。
 1995年(平成7年)3月4日、土曜日の東京の天気は晴れ、宇都宮の天気は雪のち雨でした。
 映画『秒速5センチメートル』では東京でも昼過ぎから雪が降ります。

「秒速5センチ」時計
「秒速5センチ」黒板

 『全国版コンパス時刻表1995 2』(600円)と同じ画面の石原由躬雄著『種子島の鉄砲とザビエル』のモデルは、2000年(平成12年)9月発行、医学博士・石原結實(いしはら・ゆうみ、1948年~)著『日本を変えた! 種子島の鉄砲とザビエルの十字架』(青萠堂、本体857円)です。 
 『秒速5センチメートル』第2話「コスモナウト」で明らかにされますが、種子島は貴樹が1995年(平成7年)、中学2年生の春に引っ越す場所です。

 「OHP文庫」、『英語力テスト1000』のモデルは、2005年(平成17年)9月1日発行、「PHP文庫」、小池直己(1951年~)、佐藤誠司(1956年10月15日~)著『英語力テスト1000』(PHP、本体667円)です。

「英語力テスト1000」
「秒速5センチ」時刻表
「日本を変えた!種子島の鉄砲とザビエルの十字架」

 石原由躬雄著『種子島の鉄砲とザビエル』の帯表紙には、石原祐太朗「日本という島国が鉄砲に象徴されるヨーロッパの異質な文明に接して、それをいかに工夫し努めながら取り込み自らの歴史を開いていったかを、筆者は医師らしく冷静な目で」とあります。
 一方、『日本を変えた! 種子島の鉄砲とザビエルの十字架』の帯表紙には、「日本の歴史の秘められた鍵」「石原慎太郎氏 推賞!」「日本という島国が鉄砲に象徴されるヨーロッパの異質な文明に接して、それをいかに工夫し努めながら取りこみ自らの歴史を開いていったかを、著者は医師らしく冷静な眼で見つめ描いている。通常の歴史書でがあずかり知ることの出来ぬ、興味深い労作。」とあります。

 2000年(平成12年)9月1日、「PHP文庫」、石原結實著『種子島の鉄砲とザビエル』(PHP、本体495円)が刊行されました。
 『種子島の鉄砲とザビエルの十字架』を改題した改版です。
 表紙には「日本史を塗り変えた“二つの衝撃”」とあります。
 石原由躬雄『種子島の鉄砲とザビエル』の表紙の「日本史を塗り変えた“二つの衝撃”」はこれをモデルにしています。

 静岡県伊東市にある、石原結實主宰の、ニンジンリンゴジュース断食・玄米食・温泉等で健康を増進するヒポクラティックサナトリウムに、石原慎太郎は1995年(平成7年)ごろから毎年通っているといいます。

 2008年(平成20年)6月10日、石原慎太郎石原結實著『生きる自信健康の秘密』(海竜社、本体1,500円)が刊行されました。
 
 『文藝春秋』2011年(平成23年)11月特別号(特別定価税込820円)、大型企画「100歳まで元気な人の秘密」に、石原慎太郎×石原結實の対談「断食療法で免疫力を上げる」が掲載されました。

 2012年(平成24年)6月1日、「PHP文庫」、石原慎太郎石原結實著『老いを生きる自信若さと健康の秘密』(PHP、本体571円)が刊行されました。
 『生きる自信』の改題・改版です。

 『秒速5センチメートル』第1話『桜花抄』に戻ります。
 1993年(平成5年)頃、おそらく小学6年生の明里が語り手の貴樹に「昨日一晩で40億年分読んじゃった」と言う本は、2003年(平成15年)3月10日発行、リチャード・フォーティ著、渡辺正隆訳『生命40億年全史』(草思社、本体2,400円)を思わせます。
 原書は、1998年(平成10年)4月6日発行、リチャードゥ・フォーティ(Richard Fortey、1946年2月15日~)『生命ある非公認の伝記』Life: An Unauthorized Biography(HarperCollins)です。

 しかし、「どのあたり?」「アノマロカリスが出て来るあたり」「カンブリア紀」「私、ハルキゲニアが好きだな、こんなの」(フライドポテトでハルキゲニを作る)「まあ、似てるかも」「貴樹くんは何のファン?」「オパビニアかな」「あー、眼が5つあるヒトだよね」などの台詞は、時代的には、1993年4月15日発行、スティーヴン・ジェイ・グールド著、渡辺正隆訳『ワンダフル・ライフバージェス頁岩(けつがん)と生物進化の物語』(早川書房、税込2,600)がモデルと思われます。

「秒速5センチ」ハルキゲニア
ハルキゲニア

 1992年(平成4年)、ル・グウィン影との戦い』を4年3組の貴樹が借りた直後に同じ4年3組の明里が借り、6月16日に貴樹が借りたジュディス・ワーシー空とぶ庭』を6月23日に明里が借り、9月18日に明里が借り、9月25日に返却したルイスカスピアン王子のつのぶえ』をその日のうちに貴樹が借りています。

「秒速5センチ」図書カード
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 1966年(昭和41年)7月1日、C・S・ルイス著、 50歳の瀬田貞二(せた・ていじ、1916年4月26日~1979年8月21日) 訳 、ポーリン・ベインズ 絵『カスピアン王子のつのぶえナルニア国ものがたり2』(岩波書店、550円)が刊行されました。

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 原書は、1951年(昭和26年)10月15日にランドゥンで刊行された、52歳のC・S・ルウィス(C. S. Lewis、1898年11月29日~1963年11月22日)『カスピアン公子ナルニアへの帰還』Prince Caspian: The Return to Narnia(Geoffrey Bles) です。
 『ナルニア年代記』The Chronicles of Narnia(1950~1956)の二冊目にあたります。
 挿絵は29歳のポーリン・ベインズ(Pauline Baynes、1922年9月9日~2008年8月1日)です。

 1986年(昭和61年)12月10日発行、「世界のよみもの」、ジュディス ・ワーシー著、55歳の神鳥統夫(かんどり・のぶお、1931年1月21日~2007年)訳、大社玲子(おおこそ・れいこ、1946年~)絵『空とぶ庭』(佑学社、1,200円)が刊行されました。 

    原書は、1980年(昭和55年)にスィドゥニで刊行された、ジュディス・ワースィ(Judith Worthy)著、マリー・フレドゥリック(Murray Frederick)絵『空の庭』Garden in the Sky(Angus & Robertson)です。

 小学校を卒業した明里が夜、泣きながら、電話ボックスから貴樹に電話する時、貴樹のランドセルの横に置かれている『週刊少年ジャンプ』(集英社)の表紙のモデルは、31歳のガモウひろし(1962年8月17日~)『ラッキーマン』が表紙の1994年(平成6年)3月21号(14号)(190円)です。

「秒速5センチ」少年ジャンプ
「少年ジャンプ」「ラッキーマン」

 第2話「コスモナウト」、第3話「秒速5センチメートル」

 
 1998年(平成10年)9月27日、ウェブ検索エンジンのGoogle Serchウェブ検索サービスを開始しました。

 1999年(平成11年)2月22日、NTTドコモの対応携帯電話でメール(iモードメール)の送受信やウェブページ閲覧などができる世界初の携帯電話IP接続サービス「iモード、i-mode(アイモード)」のサービスが始まりました。
 18歳の広末涼子(1980年7月18日~)がイメージキャラクターに起用されました。
 「iモード」は爆発的に普及しました。

「ドコモ・ムーブンメント」1999年3月

 『秒速5センチメートル』第2話「コスモナウト」は、中学2年生の春に遠野貴樹が引っ越した種子島を舞台に、1999年(平成11年)夏から10月半ばにかけて、貴樹が中学2年の春に転校してきた日からずっと貴樹に恋する同級生の高校3年生の澄田花苗と貴樹の微妙なすれ違いが描かれます。

「秒速5センチ」ロケット

  高校の廊下には、H-Ⅱロケット4号機H-Ⅱロケット6号機の打ち上げの写真が飾られています。

「秒速5センチ」アデオス
「秒速5センチ」コンビニ

 貴樹と花苗が帰り道によく寄る、九州や沖縄方面で展開するコンビニチェーン「アイSHOP」石堂大平店の表の窓ガラスに、地球観測プラットフォーム技術衛星(Advanced Earth Observing Satellite, ADEOS)のポスターが貼られています。
 実際には、日本の地球観測プラットフォーム技術衛星「みどり」は、1996年(平成8年)8月17日、10時53分に種子島宇宙センターよりH-IIロケット4号機で打ち上げられましたが、打ち上げ後約半年で太陽電池パドルの破断により機能を停止し、1997年(平成9年)6月30日に運用が終了しました。
 したがって、1999年(平成11年)にこのポスターが貼られているのは不自然です。 

「秒速5センチ」打ち上げ告知
「エリシュ」ポスター

   高校の廊下にすでにH-Ⅱロケット4号機H-Ⅱロケット6号機の打ち上げの写真が飾られているにもかかわらず、H-Ⅱロケット4号機、深太陽系観測衛衛星「Elish(エリシュ)」の打ち上げ告知ポスターの打ち上げ予定日は、1999年(平成11年)9月16日、金曜日です。
 実際のカレンダーでは1999年(平成11年)9月16日は木曜日です。

 貴樹と花苗は雨が降り始める直前の帰り道、宇宙開発事業団(National Space Development Agency of Japan, NASDA)のロケットを載せた大型車両が夜間に低速度で移動するのを見ます。

貴樹「すごい」
花苗「時速5キロなんだって。南種(みなみたね)の打ち上げ場まで」
貴樹「ああ」
花苗「今年は久しぶりに打ち上げるんだよね」
貴樹「ああ。太陽系のずっと奥まで行くんだって。何年もかけて」

「秒速5センチ」サイエンスマガジン

 貴樹が読む科学雑誌『サイエンス・マガジン(Science Magazine)』の巻頭特集は「Elish(エリシュ)」です。表紙に「国産探査衛星ミッション」の見出しも見えます。 

 『秒速5センチメートル』では、まだセミが鳴く1999年(平成11年)10月半ばに種子島宇宙センターから、宇宙開発事業団が深宇宙探査機「エリシュ」を載せたH-IIロケット4号機もしくは7号機か8号機?を打ち上げますが、実際には、1999年(平成11年)11月15日、種子島宇宙センターから、宇宙開発事業団が打上げたH-IIロケット8号機は打ち上げに失敗し、破壊されました。

 2000年(平成12年)8月3日、ウェブ検索エンジンのGoogle Serch日本語によるウェブ検索サービスを開始しました。

 2001年(平成13年)11月16日、マイクロソフトWindows XP日本語版が発売されました。Home Editionの標準価格は税別25,800円でした。

 2001年(平成13年)11月18日、東京圏424駅で、非接触式ICカード出改札システム「Suica(スイカ)」が一斉に導入されました。

 2003年(平成15年)5月9日、13時29分25秒、文部科学省宇宙科学研究所(Institute of Space and Astronautical Science,ISAS)が小惑星探査機「はやぶさ」を打ち上げました。

  2003年(平成15年)10月1日、日本の航空宇宙3機関、文部科学省宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)が統合されて国立研究開発法人「宇宙航空研究開発機構(Japan Aerospace Exploration Agency,  JAXA)」が発足しました。

  2005年(平成17年)4月23日、ウェブ無料動画配信サービスのYouTubeで、初の動画、25歳のジョードゥ・カリムJawed Karim、1979年10月28日~)を撮影した「動物園の私(Me at the Zoo)」(19秒)が公開されました。

 2006年(平成18年)10月10日、GoogleYouTubeを買収しました。

 2007年(平成19年)3月18日、鉄道23事業者・バス31事業者で、ICカード乗車券「PASMO(パスモ)」がサービスを開始しました。

 2007年(平成19年)6月19日、YouTubeのインターフェース等が日本語を含む10か国語に対応しました。

 『秒速5センチメートル』第3話「秒速5センチメートル」は、映画公開の1年後の2008年(平成20年)3月の28歳の貴樹が仕事場の窓辺でPCのキーボードを打つ場面で始まりますが、ホワイトボードに「3/2(月)」とあります。
 実際の2008年(平成20年)のカレンダーでは3月2日は日曜日で、3月2日が月曜日なのは、2009年(平成21年)です。

 第3話「秒速5センチメートル」で岩舟駅から両毛線の電車に乗った結婚寸前の28歳の明里が席に座って読む文庫本のモデルは、1952年(昭和27年)2月29日発行、1968年(昭和43年)6月15日、46刷改版、1984年(昭和59年)8月15日、98刷改版、「新潮文庫」、夏目漱石(なつめ・そうせき、1867年2月9日~ 1916年12月9日)『こころ』(新潮社)です。

「秒速5センチ」「こころ」末尾
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 私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。

 夏目漱石先生の遺書』は、『朝日新聞』1914年(大正3年)4月20日号から8月11日号まで連載されました。
 1914年(大正3年)9月20日発行、47歳の夏目漱石』(岩波書店、1円50銭)が刊行されました。
 岩波書店が出版社として発刊した最初の小説でした。

 『心』下「先生と遺書」の末尾を引用します(425~426頁)。

 私(わたくし)は私(わたくし)の過去(くわこ)を善惡(ぜんあく)とともに他(ひと)の参考(さんかう)に供(きよう)する積(つもり)です。然(しか)し妻(さい)だけはたつた一人(ひとり)の例外(れいぐわい)だと承知(しようち)して下(くだ)さい。私(わたくし)は妻(さい)には何(なん)にも知(し)らせたくないのです。妻(さい)が己(おの)れの過去(くわこ)に對(たい)してもつ記憶(きおく)を、成(な)るべく純白(じゆんぱく)に保存(ほぞん)して置(お)いて遣(や)りたいのが私(わたくし)の唯(ゆゐ)一の希望(きばう)なのですから、私(わたくし)が死(し)んだ後(あと)でも、妻(さい)が生(い)きてゐる以上(いじやう)は、あなた限(かぎ)りに打(う)ち明(あ)けられた私(わたくし)の祕密(ひみつ)として、凡(すべ)てを腹(はら)の中(なか)に仕舞(しま)つて置(お)いて下(くだ)さい』

「秒速5センチメートル」「こころ」新潮社

 2008年(平成20年)に東京の甲州街道のコンビニ「ampm」で貴樹が立ち読みする科学雑誌『サイエンス(Science)』の記事「国産深宇宙探査衛星エリシュついに太陽系外へ」で、エリシュが8年かけて太陽系外に出たことがわかります。 

「秒速5センチ」エリシュ記事
「秒速5センチ」「草の竪琴」

 第3話「秒速5センチメートル」の回想場面の高校生と思われる明里がホームで電車を待っている時、手にしている文庫本のモデルは、「新潮文庫」、トルーマンカポーティ草の竪琴』です。

「秒速5センチメートル」バス停
「秒速5センチ」「納屋を焼く」

 2000年代の冬と思われる回想場面の明里が大雪の日、バス停でバスを待っている時、手にしている文庫本のモデルは、「新潮文庫」、村上春樹螢・納屋を焼く・その他の短編』です。

 2010年(平成22年)6月13日、22時51分、はやぶさが大気圏に再突入しました。地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプルリターンに、世界で初めて成功しました。

 2011年(平成23年)3月11日、14時46分ごろ、東北地方太平洋沖地震が発生し、これに伴う津波の影響により、東京電力福島第一原子力発電所の事故も生じました。

 2012年(平成24年)8月25日、無人宇宙探査機「航海者1号」が太陽圏界面(Heliosphere)に到達しました。
 太陽系の外に出るのは3万年以上かかるだろうと考えられています。

 2023年(令和5年)11月14日、地球から240億キロメートル離れた宇宙空間を飛行中の「航海者1号」から送られてくるデータが解読不可能になった。

 2024年(令和6年)4月20日、「航海者1号」から送られてくるデータが解読可能になった。






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