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冬は東北自転車旅に限る!引きこもりが東京から北海道までゆるいチャリ旅してきた(往復編)【6,000字超え】


グルメ系スタートアップ企業で営業主任をしていたのですが、その仕事が9月末に終了。次にすることを考えるついでに「東京から北海道まで自転車で行けるのでは?」と思い、2020年10月2日に決行。これから寒くなる東北を選んだ理由は「東北を知りたい」という非常にアバウトなものでした。

決行までのスピードは早かったものの、自転車での遠出も今回が初。3年前まで引きこもりをしていたことを信じてもらえないのも頷けます。https://note.com/ryo11193/m/m599114c5ac6f

結果的に帰りも自転車だったことや寄り道を含め、約1,600キロほど自転車を漕いだことになりました。

YouTubeはこちらから

(インスタにも旅の投稿あげてるのでチェックしてみてください)


準備編

持ち物:自転車、カバン一つ、

食事:基本買い食い。ゲストハウスがあれば自炊。

宿:野宿・ネカフェ・ホテル・ゲストハウス・人の家に泊めてもらう

半年間海外を旅していた経験や最悪買えばいいの精神で生きてるので荷物は少なめです。寝袋などあればより節約できましたが、荷物が増えることを懸念して持っていかず。これから寒くなる東北に向かうのにも関わらず、服も半袖のみ、パンク修理キット・輪行袋無しという無防備さによって後々苦労することになります。

往路編(東京〜北海道)

・さっそく高速エリアに進む。

初日早々やらかします。とりあえず栃木方面に向かって進みます。

・泥棒と間違われる

疲労により公園のベンチで寝転がってると警察2人に囲まれ、「今この辺に泥棒がいると通報入ったんだけど、、荷物チェックしていい?」と言われたので荷物を渡した瞬間に「やっぱ大丈夫!泥棒はそんな派手なシャツ着ないや」と荷物チェックを拒否られました。泥棒のみなさんには派手なシャツの着用をオススメします。

この後車に惹かれかけるなどしながら、初日はネカフェで休みます。走行距離は40キロほどで埼玉県春日部市で今日は終了。

・初対面の人と車で山へ

茨城はさほど思い出もなく通過し(今度作りたい)、栃木の小山市へ約50キロ。前日の筋肉痛が酷い。2日小山市に滞在することに。夜に太平山へ。

夜の神社は雰囲気ありますね。

・宇都宮へ


Facebookで自転車旅の投稿をしたら、知り合いが「宇都宮にいるから部屋貸すよ」と行ってくれて、3泊泊めてもらうことに。裁判の傍聴に行くなどした。

栃木と東京でバスの乗り方が違うことに驚き。栃木では入り口でまず乗車券を取るらしい。あと、どこのバス停から乗車したかで料金が変わったり、パスモの対応もしておらずバスに手こずることになった。

宇都宮で日払い仕事があったので行ってみることに。働きながら旅をするライフスタイルが普及するのも時間の問題だなあと。

・ブルガリアぶりに再会

以前バックパッカーをしていたときにブルガリアのゲストハウスで出会った人と宇都宮で再会。海外で出会った人と日本で会うのは不思議な感覚。夜に温泉入って明日の移動に備えます。

・移動、大量のクリ発見

宇都宮を移動し、次の目的地の那須塩原へおよそ40キロ。途中で大量のクリを発見。クリでパンクすることだけは気をつけながらも、途中で雨が降り、ずぶ濡れになりながら宿に到着。宿では暇だったので外国人に日本語を教えるzoomの会合に参加するなどした。

・大阪で出会った旅人と再会

40キロほど漕いで福島の白河へ。

大阪のゲストハウスで出会った大学生。以前ぼくが東京から京都までヒッチハイクで行ったときに、同じく彼も東京からヒッチハイクで大阪まで来ているという共通点で交流が始まることに。

白河ではキリスト教の宣教師と交流することに。路面店のポスターかなにかを眺めてたら室内に入れてくれてお菓子を貰ったりした。興味深いのは、宣教師たちは1年間自腹かつボランティアで布教活動をするらしい。

そこで1年分の自分のお金を協会に預けて毎月生活費として一定額支給されるらしいが、「協会からお金を毎月頂いて」と言っていたのを覚えている。あと、宣教師は数人で共同生活してるらしくトイレと風呂以外は常にずっと一緒らしい。ストレスが凄そうだが非常にホスピタリティに溢れている。

ちなみにぼく自身特定の宗教に入信しているわけではない。

白河では色々あったが、中でも自分の会社でアプリ開発をしていた真っ只中に、メインのエンジニアが飛んでメンタルブレイクしていたのも思い出だ。

・長袖購入

50キロほど漕いで福島県の郡山へ。出発して10日後にやっと長袖購入。半袖で東北を自転車で駆け抜けるのは寒すぎた。2日後にも50キロ漕いで福島市へ。

・宮城県到着

福島市からおよそ50キロ漕いで宮城県の角田市へ。その途中にある丸森町にあるカフェで地域おこし協力隊の存在を聞いた数時間後、ゲストハウス先のスタッフさんがまさかの地域おこし協力隊だった。

・限界集落「筆甫」に到着

丸森町のカフェの店主に限界集落の話を聞いた。筆甫という地区で人口は572人。(注1)

2019年の台風19号で莫大な被害を受け、土砂崩れや道路の崩壊により陸の孤立状態になったそう。(注2)

ゲストハウスをチェックアウト後に早速行ってみることに。移動する度に新たな情報が入ってくるのが旅の良いところだ。

ゲストハウスのスタッフには1時間半くらい聞いていたが、実際に行ってみると道が封鎖されていたりで片道20キロに4時間を費やした。8割上り坂で自転車を押して歩いたのと、道中に蛇を3回見たり、狐をみたり、牛をみたりで非日常が目の前を駆け抜けた。

筆甫に到着したが、噂通り本当に何もなかった。畑仕事をしていたおばさんに話しかけてみるも、飲食店は存在しないらしく小さなコンビニのようなものが1つあったくらい。
そのまま筆甫から丸森町へ降りたが、下り坂ばかりで自転車の醍醐味を味わった。

夜についにアウターを購入。購入先のお店は1960年から営業しているらしく、オーナーに「やりたくてもできないから応援したい」と、サービスで洋服とライトをもらった。道中で自転車のライトを無くしていたので、とても嬉しかった。

そのオーナーにオススメされた洋食店に行ってみると、まさかの準備中。

ダメ元で入って「いけますか?」と聞いてみると「紹介だからどうぞ」と言われそこで夜飯。東京から自転車で来たと言ったら、下向いて話してた彼が「え、自転車できたの?」と上を向いて驚いていたが、オーナーは66歳で、過去に徒歩で日本一周半をしたらしい。

「若い人が旅する人が羨ましい、旅する人は仲間」と言ってもらい、袋いっぱいのお菓子をもらった。

・100キロ漕いで仙台へ。

ナンパして女の子の家に泊めてもらう夜8時から気分がよくなったので仙台まで30キロ漕いでみることに。初めて1日に100キロ自転車を漕いだ。

夜の畑は真っ暗で怖すぎた。やはり夜は出歩かないようにしようと思った。(この後何度も出る)

服屋のオーナーからもらったライトが道を照らしてくれて、なんとか日付が変わったころに仙台に到着。仙台駅周辺で托鉢僧(経文を唱えて金銭の施しを受ける人)をみれたのも感動。

・石巻で野宿

自転車旅を一時休止してバスで石巻へ。

道で声かけた人に薦められてショットバーに1人でいった。生まれてからずっと地元にいるらしく、震災後に他の地域に行かない理由を聞いたところ、「別の場所に行くとまた新しく人間関係を構築しなくてはいけない。それが億劫。若ければいいけど、、」などと言っていた。

夜は野宿するも寒すぎて電話ボックスの中に入って睡眠。

・9日ぶりに自転車旅

9日間ぶりに自転車旅再開。この日も昼過ぎに仙台を出発し、およそ50キロ漕いで大崎市まで。

・気仙沼ドライブ

翌日も50キロほど漕いで岩手県の一関へ。前日の夜に怖い思いをして後悔したため、朝の7時に出発した。午前中にやるべきことが終わってると1日が長く感じる。

一ノ関に到着すると自転車を止めて、電車で気仙沼へ。

夜に現地の人とドライブへ。食堂の店主から、気仙沼では街中にシカが歩いていると聞いた。東京都のギャップに驚いた。

(自分の目では見れなかったが、後日写真を送ってもらった。)

・奇跡の一本松

現地の人に気仙沼から陸前高田市まで連れていってもらった。ちなみに一本松はフェイクらしく、本物は今はないらしい。陸前高田市は街がとにかく綺麗だったが、その理由は震災の被害がすごく修繕したからだそう。

ハロウィンを盛岡で過ごしたいという気持ちが芽生え、その日のうちに一関に戻って約28キロ漕ぎ奥州へ。

・1度の盛岡で野宿

およろ70キロ漕いで午後に盛岡到着。ハロウィンといえど暇だったので軽く街を散歩して、22時近くに駅前に行くと、大量の荷物を脇に抱えてベンチで靴を脱いでくつろいでるおばあちゃんを発見。

そのまま野宿スポットや24h営業しているスーパーに連れてってもらい、スーパーでカップ麺をご馳走になった。2人でスーパーの前で段ボール広げて食べてると、21歳の福祉系専門生が「ハロウィンなのでどうぞ」とお菓子を手に話しかけてきた。なんでも話しかけるかどうか迷ってたらしいが、「ホームレスに自分ができる恵みを与えたい」とのこと、どうやらホームレスに見えてたらしい。。

そのままぼくとおばちゃんは2人野宿。この日の最低気温は1.3度だったが、そこまで寒くは感じなかった。

昨年死んだばあちゃんと子供の頃に寝てたのを思い出した。
おばちゃんはすぐにいびきを書いて寝たが「寒い」「布団を倉庫から取ってくる」と言って1時間待つも、二度と姿を見ることはなかった。。

(翌日、昨日のおばあさんの荷物だけが残っていた。まだ盛岡にいるのだろうか。。)

・秋田県到着

盛岡では友達もできて、車で仙台に行ったりずっと遊んでいた。5日ぶりに自転車を漕いで秋田県鹿角市へ約90キロ。

綺麗な道の駅だったので、今夜はここで寝ることに。

・青森に到着

翌日もおよそ87キロの移動をして青森県弘前市へ。金曜日の22時にも関わらず、コロナが流行っているらしく、飲み屋街には誰もいない。客数よりもキャッチのほうが多かった。

・青森市へ

翌日も50キロほど漕いで青森市へ。ここからはフェリーで北海道へ向かう。

なにか青森で思い出を作りたいが、夜の飲み屋にでても誰もいない。完全に東北に行く時期を間違えたと思った。仕方ないのでそのまま深夜2時にフェリーで北海道へ。

北海道

(やることなく絶望の写真)

11月8日、朝の6時半頃、ついに北海道函館へ到着。しかし、何もすることなくひたすらに暇だった。2年前、アルメニアという小国で1ヶ月半滞在していた時を思い出す。東京に帰りたい。。

・函館から札幌までヒッチハイク

函館にいても暇だったので、札幌までヒッチハイクでもしてみることに。

女性に乗せてもらったり、マリファナ好きのお兄さん、krumpダンス界で有名なtwiggzさんのお母さんに乗せてもらったりで、夜に札幌到着。

・函館までヒッチハイク

札幌ではかなり楽しめて満足したため、函館に戻ることに。本当は北海道も自転車でまわりたかったが、11月で山道が凍ってる可能性があるということでまたの機会にした。

北海道におよそ1週間ほど滞在して、フェリーで青森に戻った。

往路編(北海道〜東京)

・八戸へ。

1週間ぶりに自転車移動。およそ100キロ漕いで青森市から八戸へ。行きは太平洋側を沿って移動したので、帰りは日本海沿いに移動しようとしたが、地元の人に山道が危ないと言われたので帰りも太平洋側から帰ることに。

・山でチャリパンク、そして遭難

八戸から盛岡へ。

八戸から盛岡へ。山の上り坂が永遠に続いていてしんどい。おまけに11時20分には山道でチャリがパンク。3時間歩いて自転車屋さんに到着し、修理。気合でそのまま盛岡へ。

夕方に犬の散歩をしながら出刃包丁持ってるおじさん発見。恐怖。

国道4号に沿って走れば以外に夜道でもいけることを確認。車が通らないと、基本的には星と白線以外、漆黒の世界だ。

夜中の下り坂が寒すぎて、定期的にコンビニへ。冬の東北をなめていた。

もうひと踏ん張り、しかしここで国道4号線から反れてしまった。マップを確認すると全くどこかわからない山道に。迷子になって山道を彷徨った。

写真ではライトがちらほらあるが、車も通らず、星しか明かりがない。時折動物の鳴き声のようなものも聞こえる。本当に怖かった。。

なんとか1時に盛岡到着。出発から18時間経過していて、110キロ以上漕いだ。山道で自転車がパンクし、夜に山で迷子になったりと、この旅で一番過酷な1日だった。

・シーシャバーの店主が自殺

盛岡で現地の友達と合流し、車で秋田市に遊びに行ったりした。

以前、盛岡でシーシャバーに行ったときに「また来てね」と言っていた店主が自殺したらしい。この短い期間で人の死に直面することがあるとは想像もしていなかったのでかなり驚いた。

・盛岡から一関市へ

楽しかった盛岡を出発し、およそ96キロ漕いで一関市へ。虹が綺麗だ。

・一関から仙台へ

朝にネカフェを出発し仙台へ向かう。朝からネコの死体を見たり、鳥の大群、デカイヘビをみたりした。

約98キロ漕いで夕方に仙台到着。東京まで残り300キロ弱というのも、旅の終わりを感じる。

・山形から仙台野宿

バスで仙台から山形市へ。山形出身の知り合いが言う通り、自然以外何もなかったように思う。もう少し長めに滞在していれば良い思い出もできたかもしれない。

帰りはヒッチハイクで仙台まで帰ろうと思ったが、5分で面倒くさくなってバスで退散。

夜は仙台駅で野宿。東北で野宿している人は滅多に見かけることがなかったが、仙台に関しては駅内で眠りにつく人が何人かいた。それをみてずっと野宿したいと思っていたので念願が叶ってよかった。眠る前に話していたホームレスのおじさん、3時に寒い寒と駅をジョギングしていた。駅内でもさすがに寒かった。

・立ち入り禁止エリアへ

前日に朝の10時過ぎに仙台を出発し、87キロほど漕いで南相馬へ。そして本日は朝の10時過ぎに南相馬からいわきへ。
いわきに向かう途中に双葉町を発見。大震災のときから立ち入り禁止エリアらしく人が住んでいない。なのでコンビニすらやっていないし、食べ物を買える場所もない。自販機がチラホラあるだけ。人はいるが、基本的に工事業者だけ。歩いている人もいない。

途中で通行止めだとガードマンに言われた。全く双葉町についての情報を持たずに来てしまったため、さすがに焦った。今更、元の道に戻るために数時間も自転車を漕ぎたくない。電車かヒッチハイクをすすめられたが、電車は輪行袋を持っていなかったので必然的にヒッチハイク以外の選択肢しかなかった。

さっそくヒッチハイクをするもすぐに通報されて警察登場。工事業者しかいないしヒッチハイクは無理だと言われた。警察に「無人駅だし輪行袋なくても電車だったらいけるかも」と言われて、そのまま電車でいわきまで。

・最終日

前日にいわきから水戸へおよそ70キロ漕ぎ。翌日に朝7時半から移動。ひたすらチャリを漕いだ。

今日が旅の最終日。100キロ漕いで東京に到着。

まとめ

東京を出発からおよそ2ヶ月。かなりマイペースに旅をしてきました。冬の寒い東北を自転車で旅をしてきましたが、寒さよりも旅ならではの人の温もりに沢山触れることができました。

まだまだ他にも書いてない話が沢山ありますが、今回はこの辺で。ここには書けなかった面白い話はまたどこかで。

旅中にお世話になった人たちが、今度東京へ来るとき、自分が貰った以上のおもてなしができるように自分自身パワーアップしていきたいものです。

※海外旅の本を書きました。一読してもらえると光栄です。


参考

(注1)筆甫地区振興連絡協議会『秋田県地域コミュニティ創生シンポジウム「丸森町筆甫地区の取り組みについて」』

(注2)https://smout.jp/plans/1427


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