夏の終わりの詩

青春を支えてくれた人の一人に、森山直太朗さんがいる。

そのことを普段は忘れているけれど、この間の関ジャニ∞の音楽番組「関ジャム」が夏の終わり特集だったので、その瞬間テレビの前でフラッシュバックするかのように思い出した。

「さくら」「夏の終わり」、それから「生きとし生ける物へ」なんかはすごく有名な曲だったと思うけれど、当時わたしの周りで、アルバムまで借りて彼の曲を聴きこんでいる友達はいなかった。みんなaikoや、BUMP OF CHICKENなんかを聴いてた。わたしも、aikoも大塚愛も聴いていたけれど、その中で手放せずに、たった一人で聴き続けていたのが直太朗さんだった。(ちなみに、ここにスガシカオも入る)

当時、わたしが聴いたり歌ったりしているのを聴いていた母は「この人絶対変わってるね」と言った。そう言われるのも無理はないかな、と思う。
彼の最初のアルバムのタイトルは、『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』というヘンテコなもので、その中の1曲「トニー マイ・フレンド」なんて、中に

僕はもう塾にいかなくちゃならないんだ

という台詞が入っていたりする。ヘンテコだった。
でもそのあと、意味深な言葉が出てくる。

神様、あの日僕だってつまらない嘘をついたのに
なんであいつにだけ不公平とも言える罰をお与えになったのです

このフレーズは衝撃的で、わたしはずっと、彼とトニーの密かな共犯や、起こってしまったであろう何か恐ろしいことに思いを馳せた。トニー。罰のことを嘆いているのに、調子の変わらない歌声は、より切なくも、ひどく平坦にも聞こえた。

こういう変な歌は、森山直太朗さんのアルバム曲をいくつか聴けばすぐに見つけられる。……と、先に変な歌の話をしてしまったけれど、わたしが彼のことをとてもとても好きだったのは、その「詩」だなと思う。「詞」ではなく、彼の歌は「詩」なのだ。徹頭徹尾。脳みそのシワから足の爪まで。

『夏の終わり』の歌詞はこう始まる。

水芭蕉揺れる畦道

これだけで夏の青と緑が、目の前に強い彩度で広がる。ああ、ここにあるのは詩の世界だと、中学生ながらに思った。でも、難しく格好つけた言葉を並べて中二病っぽくなっているわけじゃない。美しい語り口でいながら、案外普通の言葉も多い。その過不足のなさ。

夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの

詩の世界でいながら、こうして歩み寄ってくれたと思ったら、最後はこう締めくくる。

夏の祈りは 妙なる蛍火の調べ
風が揺らした 風鈴の響き

この詩を見たときの衝撃を思い出して、ゲストとわいわい喋る関ジャムのにぎやかな画面を見ながら、一人でぼろぼろと泣いた。こんなに美しい言葉で唄う人を、他に知らない。
一瞬の美しさや、侘しさを切り取れるものが好きだ。それは写真であり、俳句や短歌であり、そこに並ぶのが直太朗さんの歌だった。この歌詞を支える透き通った声も。

一番好きだった『風唄』は、夏の終わりよりも少しだけ広い世界を描いている。

季節を運ぶ蟻の群れよ
その目に何を見る

世界は美しいんだと教えてくれるもの。

久々に、直太朗さんのあたらしい歌を聴きたい。

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