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知っているということが通用しない時代

堀部篤史さんと島田潤一郎さんの対談を聞きに行った。

堀部さんは誠光社という小さな書店を京都で営んでいる。以前は恵文社という書店に勤めていたが、恵文社自体が有名になり消費され始めたのに嫌気がさして(たぶん)、独立している。非常に硬派な趣味人だ。

島田さんは、夏葉社という小さな出版社を一人で営んでいる。これまた硬派な趣味人のツボを押さえた作品を次々と世に出している、しかし面持ちは非常に柔らかい人だ。

開催されたのは、私の家の近所にあるblackbirdbooks さんだ。店主とは、すっかり顔馴染みだけどあんまり話さない、寡黙な趣味人だ。

人物紹介はこれくらいで、イベントの内容について。堀部さんは『90年代のこと』という本を出している。

一応、これの刊行イベントなので、ちなんで90年代的な考え方について、堀部さんが音楽を紹介しながら話す、島田さんがときどきツッコミを入れる。そんなふうに対談は進んでいく。

90年代的。インターネットが発達してなかった頃、「検索」をしなかった頃。堀部さんが、どんなふうに好きな音楽や本を蒐集していったか、そうやって集めていった文化的な知識をどのように本棚に再現していったか。そういったことを語ってくれた。

昔、本屋さんは、お米屋さんみたいなものだった。ジャンプを買う、参考書を買う、漫画の続きを買う。そのためには、お米屋さんのような、同じ商品が同じように置いてあるお店が、インフラ的に必要だった。
ネットやコンビニで、それらが買えるようになってから、次々と本屋は無くなっていった。本屋さんは時代の使命を終えたのかもしれない。

いまの本屋さんは、セレクトショップ型に移行している。いくつかの本やそれにまつわる音楽・雑貨・プロダクトを組み合わせる。その組み合わせを見せて、楽しむ。雑誌やメディアのような存在。知識や情報を組み合わせて、文脈をつくり、それらをつなげる。
音楽で、「サンプリング」という手法があるが、それに近いものだ。ドラムのビートを採取して、全く別の音楽を作り上げる。ワンフレーズだけを切り取って、そこから独自の世界を作り上げる。ヘビーリスナーは、その元ネタの使い方を楽しむ。元ネタを探して聴く。そうやって知識を集めていく。”分かる人には分かる”、そんな世界。

そうした持っている知識を編集し、組み合わせるやり方に個性的な価値があった時代が「90年代的」なものだと解釈した。

そして、いまは知識の組み合わせすら、誰でもできるようになっている。検索すれば、すぐにわかる。関連する事柄も、次々と出てくる。
知っていること、そこからつながるいろいろな事柄、それらだけでは、通用しない時代になった。ただ知っているだけでは、インターネットにはかなわない。
編集することだって誰でも、そして機械的なレコメンドやビッグデータで自動化されるようになった。

本は、複製品だ。セレクトショップに置いてあっても、それはほかの小さな本屋さんにも大型書店にもおいてある。セレクトショップ型の本屋が増えれば、「どういうものが置いてあるか」だけでは差別化できなくなっている。それは「何を知っているか」が意味を持たなくなったことと重なる。
それが平成も終わるころの今のはなし。

では、本屋さんはどうすればいいのだろう?

この問いには、たぶん正解は無い。ただ、知っていること、並べていることだけでは通用しない、という事実があるだけだ。そこから、何をすべきかというスタンスを決めることで、その本屋さんの個性が現れる。
自分のお店なのだから、好きなように自分で考えて、そのストーリーを伝えていけばいい。その世界観を届けていけばいい。

わたしは、本が好きだ。

変に身構えなくても、べつにライトな付き合い方で構わない。なんとなく、本のある空間が好き、でいい。
本が「かわいい」「おしゃれ」「ライフスタイル」のなかに取り込まれていても、それで本が好きな人が増えるなら、それだけで嬉しい。
とても硬派とは程遠い。でも、本って本当は誰でも簡単に手が届く、開けば世界が広がる、そういうものだから。

子どもは、役に立ちそうにないものを集めるのが好きだ。
トイレットペーパーの芯、ペットボトルのふた、包装紙、お菓子の容器。それらは、いまは意味を持たないし、いずれ何かの役に立つかもしれないし、やっぱり何の役にも立たないかもしれない。

それらで散らかった部屋を見て、親であるわたしの意識はいらいらするのだけれど、役に立ちそうにないものをたくさん集めて身近に置いているのは、そんなに悪いことじゃない、と別の意識が親のわたしをなだめている。そうやって世界を作っていく、広げていくことは、とても原始的で面白いのだ。


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