他人の決めた基準に惑わされてはいけない
SNSでたまたまこんなような趣旨の投稿が流れてきました。
《修学旅行にこの服着て行きたいのですが、おかしいでしょうか?》
コメント欄を見ると「浮いてしまう」「せっかくのお洋服が、マイナスな発言によって嫌な想い出にならないように変えた方がいいんじゃないか」「普通のお洋服を着たらどうだろうか」「TPOがあるからね」と言うコメントが寄せられていました。
たしかに言ってる意味も分かるし、発言してる本人に悪意があるわけでもなく、投稿主様を気にした言葉なのだろうと見受けられるものもありました。
上記全てが悪いと思っているわけではありません。
その子の洋服を個人的にはすごく素敵ですし、可愛いな~と感じました。露出が高いわけでもなく、特別そのお洋服のせいで歩きにくいなんて事は無さそうなお洋服でした。
なので、TPOに関しては特段問題ないのではないかと感じました。ただ、学校の行事毎で派手な格好をしてはいけないと言う規定があるなどでしたらまた別問題ではありますが…(今回はそのような記載は投稿から見受けられなかったため省略します)
SNSにあげている時点で他者からの意見を求めているので、様々な意見が来たのは投稿主にとって本望であると思うのですが、私がこの投稿を見て感じたことを今回はお話ししようかと思います。
まず、他人に過干渉な人が多いのではないかと思います。もちろん道徳的、国の文化背景、常識的などの面からTPOに合わせた服を選ぶ事は最低限必要だと思います。公共の場で水着で隠されている部分をおっ広げにだしてもいいのかと言えばそうではなく、フォーマルな場所に短パン、短丈のトップスで伺うというのは如何なものかと思います。
ですが、そうでない部分にも干渉的な人は本当に多いなと感じます。
他者に迷惑をかけたり、不愉快な気持ちをさせない最低限度のラインを守れた格好をしている範囲内であるのにも関わらずその人の勝手な『普通』を押し付けてくる人がたまにいます。
「もっと普通の格好をしたら?」
普通とはなんでしょうか。なぜ、飛び出たものを平らにせずにはいられないのでしょうか。
もっとたくさん好きなものを身につけて良いと思います。
その子にとっての可愛いの基準が他人とは違うだけで間違っていることではありません。優れていると言う言い方もこの時代ではよくないのかもしれませんが、可愛いに磨きがかかっているだけなのです。
むしろ、自分の好きなモノを表現できている部分は素敵な事だと思います。
投稿主様には是非もっと人の意見に左右されず、自分の可愛いの基準を大切にしていただけたらと思います。
「歳だから、、、」「〇〇だから」「男だから」「女だから」「私のイメージに合わないし、、」
こんな意見をよく耳にしますが、そのお洋服を着て、その小物をつけて本人の気分が上がるものだったらどんなものを身につけても素敵な選択だと思います。は(上記に記した常識と道徳的な範囲内で)
代表的な例で挙げると、年齢が上がるにつれてピンクやリボン、ミニスカートを履くと白い目で見られがちですが、当人がそれで気分を上げて仕事をするモチベーションになる、それを着ていると気分が上がるなどなどの様々な自分の気持ちを高めてくれるのもを身につけられている事が1番ベストな選択だと思うのです。
好きなものを好きと言うのに年齢は関係ありません。
50代でもふりふりのお洋服が好きでテンションが上がるならそれが本人にとっての幸せなのです。
何もおかしい事ではありません。
また、たまにブランドにうるさい方がいますが
例))その年齢でまだそんなブランドを着ているの?
などと言う方がいらっしゃいますが、個人で思うのは自由ですが、それをそのブランドを愛用してる人を目の前にして言えてしまうのは単なる嫌がらせとしか捉える他ありません。
そのブランドの背景を知った上でそのブランドが好きなのかも知れない。その服は大切な人からのプレゼントかも知れない。その人が好きな人がアンバサダーをしているのかも知れない。などいろんな事情があるかと思います。
さらに言えばそこを干渉したところで、あなたにとって何かプラスに好転するのでしょうか?
好きなものを身につけるのに誰かが100%なんてことはなく、どの人も誰かにとっては50%であり、0%です。たくさんの好きな系統や好きなものがあるから個性が生まれるのだと思います。
なのでファッションにおいて誰かが正しいは個人的にはないと思っているので、他人に無駄に干渉した意見はただのお節介です。
どんな服を着ても誰かにとっては120%であり誰かにとってはマイナス10%なのです。
万人受けを狙うより自分の好きを狙って下さいね!
それが1番ファッションにおいて100%な考え方かなと私個人は思っています。
そこに見ず知らずの人が「おかしい」「あの歳なのに」
「もっと年齢に見合った服を着ればいいのに」と言うのは違うかなと思います。
なぜなら、誰かにその趣味が迷惑をかけている事なのでしょうか?自分の好きなものを好きと言うのに制限はありません。
自分の判断でしかない普通の基準を他人に押し付けるのは時にただの嫌がらせとなり得ます。
私も幼い頃から、変わった洋服を着るため、出る杭は打たれるという事でたくさん色んな人にご指摘、ご意見をいただきましたが、当初はこれはおかしいのか…と落ち込んだり、普通とはなんだろうってファッション雑誌を買ってみたり、みんなに馴染むことを念頭に置いてファッションを学びました。
ですが、その服は、私にはまったく似合わず、と言うよりも私が楽しいと思えませんでした。その洋服を着ていると自分が自分では無くなってしまう気がして私の意見としてはすごく不快でした。
洋服を着る意味は各々あると思います。
自己表現のため、身体を動かすのに1番楽な格好を求めている、利便性を求める、協調性を保つなどなど
私は、自己表現を目的として楽しんでいます。
その洋服を着ている自分を好きになれるから着ています。
お面のようなモノですね。私は自分を守るために自分を着飾ります。それが例え弱いと言われようが、無意味だと言われようが、私は私のやり方で楽しんでいて、それが自分を保てる方法だと自負しているので他人からどう言われようが私は私のやり方があります。
私は私のためにお洋服を着ます。
他人に媚びたくてお洋服を選んでいるわけではありません。(媚びるための服がダメという事ではないです。)
他人のよく言う普通に合わせた服選びよりも今の方がずっと気に入っています。
自分の基準をしっかり持っていて下さいね。
行き過ぎた自分らしさは自己中になりかねませんが、自己中と自分らしさの境目をしっかり見極められる範囲で自分らしさ全開で良いと思います。
むしろ、他人に押し付けられる他人の基準で惑わされないでください。
自分の好きなものを好きと言えるひとがたくさん増えますように🫶