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あきらめなければ失敗にはならない──「青果改革」で愚直に実践する叩き上げ本部長のチャレンジング・スピリッツ

2022年3月、ローソンストア100は「青果改革プロジェクト」を発動。その中心メンバーとして活躍したのが、現在関東の全店舗を統括している星飛馬さんです。星さんはどのような思いでこのプロジェクトに取り組み、何を得たのか。詳しく語っていただきました。

青果改革プロジェクトサポーター/ほし 飛馬ひゅうま
ローソンストア100 東日本運営本部 本部長
1976年、東京都生まれ。2001年、ローソンストア100の前身の前身である株式会社ベストに入社。以降、店長、SV、ゾーンマネジャー等を経て、2023年3月に東日本運営本部本部長に就任。ローソンストア100の関東店舗全店の統括と平行して「青果改革プロジェクト」にも所属し、産地開拓等に尽力している


人事に落とされるも社長に救われる

  星さんはローソンストア100の前身の前身であるベストの時に入社したそうですね。入社の経緯を教えてください。

実は学校を卒業して最初に入った会社は運送会社で、4年ほどトラックの運転手をしていたんですよ。その会社を退職して、次の就職先が決まるまでの繋ぎのつもりでアルバイトを始めたのがきっかけです。

  具体的にはどんな仕事をしていたのですか?

雑貨担当としてレジ打ちはもちろん、商品の発注や管理、売場作りなど何でもやっていました。アルバイトながらかなりの裁量権をもたせてくれて、いろいろ自由にやらせてくれたので正社員になりたいと思い、当時の店長にその旨を伝えました。すると「ぜひ正社員採用試験を受けろ」と快く人事を紹介してくれて面接を受けたのですが、会社の規約で不採用になってしまいました。

その結果を店長に報告して、アルバイトでいいので引き続き働かせてくださいとお願いしてそのまま勤務を継続。それから少し経って、創業社長が店に来た時に、店長が「正社員になりたがっているアルバイトがいます。やる気があって元気もいいから、よかったら話を聞いてやってくれませんか」と頼んでくれたんですよ。それで直接社長と話をしたら、その場で正社員採用が決まったんです。

──当時の店長、すごくいい人ですね。店長も星さんを高く評価していたということですね。その後は?

入社して半年後に五反田TOC店の店長になり、SHOP99、ローソンストア100にてその後スーパーバイザーやゾーンマネジャーなど一貫して店舗運営に携わってきました。

──現在の役職と仕事内容を教えてください。

2023年3月から東日本運営本部の本部長に就任し、ローソンストア100の直営・フランチャイズ店含め関東全420店舗を統括しています。具体的には、直営店は従業員の労務管理や店舗運営の指導、FC店に対しては収益を出すためのアドバイスが主な業務です。

それともう一つ、2022年3月から始まった「青果改革プロジェクト」にも関わっています。

青果改革プロジェクト

──そのプロジェクトの発足の経緯や目的は?

これまで青果のチームは商品部と運営部に分かれていました。どんな青果、生鮮食品を仕入れるかは商品部が決めており、僕たち運営部は商品部から提案された商品を発注して売るだけでした。商品部と運営部が密にコミュニケーションを取らずに仕事をしていたのですが、このままの状態ではローソンストア100の最大の強みであり生命線である生鮮食品の分野でお客様を満足させることが難しくなる。ですので、両部がしっかりとコミュニケーションを取って、お互いの思惑を理解して動くことで、よりスピーディーな仕入れと顧客満足度の高い売り場の実現を目指す。そのために、商品部と運営部のトップが合併して社長直轄のプロジェクトチームが発足しました。それが青果改革プロジェクトです。

──具体的にはどのようなことから始めたのですか?

まずは産地開拓です。これまでは市場流通品を買い付けて店に並べて売っていました。これでは他のスーパーと変わらないので、差別化を図るために、農家さんに飛び込みでコンタクトを取るところから始め、直接農作物を仕入れています。

──星さん自身もそのような作業をしているのですか?

もちろんです。今からちょうど3年前、新型コロナウイルスのパンデミックが始まる少し前、よく休日に千葉方面に遊びに行っていました。その時、地元の農家さんが育てた野菜を販売したり、食事もできる道の駅にも寄っていたので、そこで働く人たちと顔見知りになりました。コロナの中で感染に注意しつつちょくちょく行っていたのですが、道の駅の責任者と話をした時「コロナ禍でお客さんが激減。農家さんがもってきた野菜もなかなか売れないから苦しい」とつらそうに言っていました。

その責任者から私の仕事について聞かれたので、ローソンストア100で店舗運営の仕事をしていると答えると「よかったらうちの野菜を御社で扱っていただけませんか?」と。私としても興味があったので、まずは具体的な産地や野菜を育てている農家さんについてあれこれうかがい、紹介してもらって農家に視察に行きました。実際にコロナ禍の厳しい状況でも真摯に頑張っている農家さんの姿を自分の目で見て、こんな農家さんが作っているおいしい野菜をぜひローソンストア100で売りたいと思ったんです。

農家に通って作付けから出荷まで行う

──それから具体的にはどうしたんですか?

昨年6月から毎週1、2回、その千葉の農家さんの畑に通って、ピーマンの作付けから栽培、収穫などを行いました。

──所要時間は?

川崎の自宅から千葉の館山まで、車で片道1.5時間ほどですかね。

──けっこう遠いのにかなりの頻度ですね。

ピーマンって暑いと大きくなりすぎるし、雨が続くと全然育たないから、極力大きさにばらつきを出さないためにマメにケアをする必要があるんです。そもそも農家さんが1人で農作業をしていたので、しょっちゅう手伝いに行かなければならなかったわけです。最終的には出荷までやりました。

──出荷までとは?

レンタカー屋でトラックを借りて、自分で運転して千葉の館山まで行って、ピーマンを積んで都内の当社の物流センターまで届けました。

──作るところから運搬まで全部自分の手でやるってすごいですね。

トラックの運転手だった頃を思い出しておもしろかったですよ(笑)。

──なぜそこまでやるのですか?

原動力としてまずあったのは、地域の人たちの食を支えたいという気持ちです。それと、先ほども話した通り、コロナ禍で道の駅で働く人たちや農家さんたちが苦しい状況に追い込まれていることを知って、少しでも力になりたいという思いです。

どうせやるなら、農作物を育てるところから店頭で販売するところまでのすべてのプロセスを実際に体験したいと思いました。そのおかげで農家や物流に携わる人たちがどれだけ大変かがわかったし、その気持や商品の価格の根拠なども理解できたのでやってよかったです。

──このチャレンジで苦労した点、困難だった点は?

月曜から金曜までは会社で働いて、土日の休みにそんなことを1年間やったら体がボロボロになりました(笑)。

それと、農作物を育てるのは初めてだったので、思ったより量が作れなかったことですね。あとやっぱり大きさのばらつきが出ました。収穫できたのは数百トンだったのですが、その内売れるのは6~7割程度。余ったピーマンをどう扱うかで悩みました。

──規格外のピーマンたちはどうしたのですか?

道の駅で少し安めにして売りました。無駄にならなくてよかったです。

これまでの苦労がすべて報われた

──このプロジェクトの成果や挑戦してよかったと思う点は?

いろいろあります。まず、お手伝いした農家さんからすごく感謝されたことが素直にうれしかったですね。この農家さんに別の米農家さんを紹介してもらって、現在、ローソンストア100でそのお米を販売しています。農家さんとの繋がりがどんどん広がっているんです。

そして、私たちプロジェクトメンバーが産地開拓によって見出した農家さんが育てた作物が店頭に並んだ時、大きな達成感がありました。一番うれしかったのは、店頭でピーマンと一緒に、生産者の顔出しPOPを作って陳列したのですが、それを見た何人ものお客様から「このピーマン、この人が作ったの?」とか「おいしかったよ」という声をいただいたこと。この時は、すごく大変だったけどやってよかった、価格以上に取り組んだ価値はあった、これまでの苦労がすべて報われたという気持ちで感無量になりました。

星さんの発案で作った農家さんの顔出しPOP

社内的には、このプロジェクトで商品部と運営部の間の壁がなくなったことで、お互いの立場、思惑が理解でき、いろんなことがシームレスに、スピーディーに運ぶようになったことですね。

──チャレンジの成果は数字としても現れているんですか?

はい。このプロジェクトは2022年の3月から始まってようやく半年かかって10月に花開いたわけですが、この3年間、コロナ禍で青果の売り上げが低迷している中、4ヶ月連続で昨年の数字を大きく超えています。

売り上げの数字が目に見えて変わってきたタイミングで、社内の人から「これまでメンバーがやってきたことは間違ってなかったよね」と言われました。これもものすごくうれしかったです。

──今後の目標や取り組みたいことは?

より安定的に産地開拓した農家の農作物を仕入れる仕組みを作ることです。あとは、今までは生鮮品が中心でしたが、これからは肉、野菜以外の商品の開発に携わりたいと思っています。

あきらめなければ失敗にはならない

──これまでのお話から星さんは「まずは自ら動き、やってみる」というタイプのチャレンジャーだと感じるのですが、チャレンジをためらう人に伝えたいメッセージがあればお願いします。

仕事に限らず人生は、何もしないで立ち止まっていても何も変わりません。でも少しでも動けば変わる可能性が生まれます。ですので、部下には結果はどうあれ自分がやってみたいことをとりあえずやってみてほしいと常々伝えています。

それと、失敗って途中でやめてしまうから失敗なんですよね。1回やってみてうまくいかなかったから失敗だといって簡単にやめてしまうのではなく、挑戦し続ける。その先に初めて成功とまではいかなくても、納得できるものが得られる。それまで粘り強く何回でも挑戦し続けることが大事だと思います。

──やりたいことはあるんだけど、失敗を恐れてなかなか一歩が踏み出せない若手が多いと聞きます。

確かにそう感じています。しかし、若手がチャレンジしやすい環境を作ってあげられていない我々管理職にも責任があるんですよ。だから、我々がこれからの未来を担う若手のために、チャレンジして失敗しても褒められるくらいの会社風土を作らなければならない。そうなるといろいろなことがよりよく変わると思います。

──他に若手に伝えたいことは?

私、こう見えて人見知りなんですよ。だからまず人に興味をもって、この人はどんな人だろうとか、心の中で本当に求めているものは何だろうと常に想像しながら何度も話を聞くことを心掛けています。そうしなければその人の深いところまで入っていけず、理解することはできません。求めていることがわかったら、手を差し伸べることもできます。ですので、気になっていることを自分から話してもらえるように、聞く姿勢を大事にしてほしいですね。

──仕事のモチベーションや仕事の原動力は?

ローソングループには「“みんなと暮らすマチ”を幸せにします」という理念がありますが、ローソンストア100で働く人たちをいつもニコニコ笑顔で楽しく元気にしたい。例えば給料を少しでも上げてあげたいという気持ちも、仕事のモチベーションになっていますね。

──座右の銘があれば教えてください。

王貞治さんの「努力は必ず報われる。もし報われなければ、本当の努力ではない」という言葉です。「報われないのであれば努力が足りていないということだから、もっと努力しなさい」という考え方が私にはすごく響くんです。

──ストイックですね。ローソングループの一員として働いてみての印象は?

私が最初に入社したベストは昔ながらのスーパーで保守的だったのですが、ローソングループは新しいことに挑戦する社風なので、ローソンストア100になってからは私も新しいことにどんどんチャレンジできるようになりました。

人気の「だけ弁当」開発者とも仲良し

──以前、同じ企画でローソンストア100の「だけ弁当」開発者の林弘昭さんにインタビューしたことがあるんですが、仕事上で交流はあるんですか?

はい。公私共にあります。3年前まで、林は私の部下で、林からこれから開発する弁当についていろいろ聞かれた時、「もし自分が客だったらこういう価格でこういう弁当だったら買うかもね」という話は何度かしたことがあります。

その後部署を離れましたが、今年の3月1日からまた私の部下になったんです。実は昔からソフトボール仲間で、何でもざっくばらんに話せる仲なので、3月からもいい感じで一緒に仕事しています。

──そうなんですね。では休日はよくソフトボールをしているんですか?

はい。林含め、ローソンストア100の仲間と毎月やっています。

自分の名前が嫌だった

──休日も同僚と一緒に過ごすなんて社員同士、相当仲がいいんですね。野球といえば、星さんの名前は「飛馬」ですが、やはり野球が関係しているのですか?

はい。巨人好きの父親に名付けられました。たまたま姓が星だったこともあり、父は私を野球選手にしたかったみたいです。

──星飛馬という名前はかなりインパクトがありますが、ご自分ではいかがでしたか?

子どもの頃からみんなから名前でイジられたので、すごく嫌でした。一番嫌だったのが小中高の入学式と卒業式です。全校生徒や保護者の前で名前を呼ばれた時、やっぱり会場がザワつくわけですよ。だからすぐに壇上に向かわないで、ちょっと遅れて行ってました。

──実際に野球をやってたのですか?

はい。小学校から中学校までやっていました。だからなおさらイジられてて。

──お父さんから大リーグ矯正ギプスをつけられたりとかはしなかったですか?

さすがにそれはなかったです(笑)。

──無理矢理左利きに矯正されたりとかも?

それはされました。幼い頃、食事時に左手で茶碗をもって、右手で箸を使って食べていたら、父から「左手で箸を使って食べろ」と。当時はなんで左手で食べなきゃいけないのか全然わからなかったのですが、中学生になった時、「巨人の星」の存在を知ってその理由がよくわかりました。

──星一徹を地でいくようなお父さんだったんですね。

そうですね。野球も小さい頃から父親に無理矢理やらされて、なんで好きでもない野球をこんなにやらなきゃいけないんだろうと思っていました。

──では中学校の野球部も嫌々?

そうです。しょうがなくやってたという感じです。

──高校では野球部に入らなかったんですか?

はい。これ以上イジられるのは嫌だからもう野球は絶対にやりたくないと思ったので、バレーボール部に入りました。バレーボール部員だった友達から誘われて見学しに行ったら、顧問の先生から「体力がつくし、いろんな意味でいい経験になる。背が低いことを気にしているようだけど、全然問題ないから入りなさい」と言われたのでやってみようかなと。以降、卒業まで3年間バレーボールをやりました。当時身長が160cmなかったので、高校のバレーボール部員の中で一番小さかったと思います。

小さかったから高く跳ぶ努力を

──バレーボールは楽しかったですか?

楽しかったです。意外と野球よりもバレーボールの方が才能があるなと思いました(笑)。でも身長が156cmだったので思いっきりジャンプしてもネットの上まで手が届くか届かないかという感じでした。なので、入部以降、靴の中に5kgずつ重りを入れて毎日歩いていました。すると徐々にジャンプ力がついて、数ヶ月経つ頃には余裕でネットを超えられるようになったんです。

──その頃から努力家なんですね。

身長が低いからその分別のことを頑張るしかないじゃないですか。身長はすぐには伸びないから脚の筋肉を鍛えてジャンプ力を高めるしかないと思って。

夢は焼鳥屋のオヤジ

──ソフトボール以外に趣味はありますか?

魚釣りですね。釣り歴は5年ほどで、東京湾での船釣りが多いです。狙うのは大型魚よりアジやサバなど手軽においしく食べられる小型魚。帰宅後、釣った魚を自分でさばいて料理して、お酒を飲みつつ食べる。一番幸せを感じる瞬間ですね(笑)。

あとはドライブにもよく出かけます。どこかに仕事のヒントが落ちてないかなと常に考えながら知らない街をぶらついています。

──まさにそれで今回の青果改革プロジェクトで産地開拓ができたわけですよね。仕事とプライベートの垣根がないという感じですね。

そうですね。休みの日でも気がつけば仕事のことを考えていますが、それが全然苦じゃないんですよね。

──今後の夢は?

この先ローソンストア100である程度のところまで勤めて世代交代の目処がついたら退職して、屋台でもいいから焼鳥屋をやりたいと思っています。自分が楽しいからというよりも、人の喜ぶ顔が見たいという思いの方が強いのかもしれませんね。


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