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アニメじゃない方の『君の名は』とウクライナ侵攻のあり得なさ

映画「君の名は」といえば?

この質問を投げかければ、10人中9人は、新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』(2016年)を思い浮かべるように思う。

しかし、1953年~1954年に公開されたほぼ同タイトル(正確には句点の有り無しの違いがある)の『君の名は』三部作もまた、公開当時、大ヒットした作品である。1954年には『七人の侍』や『ゴジラ』も公開されているが、それらより遥かに大きな興行収入をあげている。

『君の名は』三部作は戦後作品の中で記録的大ヒットした作品であり、忘れ去られるべき映画ではない。個人的にも、好きな作品である。

『君の名は』はすれ違い男女の話

『君の名は』三部作は、あり得ないほどすれ違う男女を描いた作品となる。

戦時中、東京大空襲の日に出会った後宮春樹(佐田啓二)と真知子(岸惠子)が、今はもうない銀座数寄屋橋で、半年後また同じ数寄屋橋で会おうと約束して別れる。

まともに会話したのは二言三言だけで、それだけでお互いが運命の人と感じてしまうところからしてあり得ないのだが、すれ違いは、ここから始まっていく。

舞台を東京、佐渡、鳥羽と移しながら、会えそうで会えない二人、くっつきそうでくっつかない二人が描かれていく。第二部では佐渡と北海道、第三部では九州と舞台を変え、すれ違いが続いていく。

そのため『君の名は』は恋愛映画でありながら、主役の男女二人が一緒にいる時間が極めて少ない。三部作で計6時間程の作品となるが、この6時間のうち、主役の二人が一緒にいるのはほんの数シーンに過ぎず、時間にして数分しかないのである。

『君の名は』は主役の二人が何もしない

『君の名は』三部作は、主役の二人でなく、周辺人物たちによって物語が進んでいく。キャラクターにおいても、主役の二人は登場人物の中で最も個性的でない二人といえる。

真知子の夫は、嫉妬深く利己的で今であればサイコ野郎といわれそうな男であり、その母親、真知子の姑は真知子を虐め続ける。

また、真知子と後宮春樹両方にとっての友人・綾(淡島千景)は、所謂おせっかい焼きで、真知子と後宮春樹の間を取り持とうと余計な行動を度々起こす。

このように、脇役の人物が随分と個性的で、主役二人をどうにかしようとあれこれ物語を形作っていく。しかし、すんでの所ですれ違い続け、けれど主役二人は能動的に何かしようということもなく、後宮春樹はただ悲観にくれ、真知子は涙を流している

それが『君の名は』三部作である。

現実世界でもあり得ないことは起こる

『君の名は』三部作は、映画という虚構の世界において、男女がすれ違い続けるあり得ないストーリーが展開される。それが魅力となる。そして現実世界では、ロシアが大規模にウクライナ侵攻というあり得ないことが起きた。

国防についての主義主張は置いておいても、事実にだけ目を向ければ、ウクライナ侵攻によってはっきりとした事実は、国と国には利害があり、利害の不一致があれば、武力衝突も戦争も起こり得る、ということだろう。21世紀であっても、どんな大国であっても、戦争はあり得ないことではない。あり得る。

『君の名は』においては、あり得ない事態に遭遇しても、利己的な人々に苦しめられても、何もしない二人が主役となっていたが、現実世界において何もしないことは破滅へのリスクを高める

例えば、小さな八百屋の店主が、道路を挟んで向かい側に大きな格安スーパーが出来たのに、「これまで大丈夫だったから」「ウチの店の野菜は美味しいから」と何もしなければ、遅かれ早かれ格安スーパーに客を取られて潰れる。「格安スーパー反対!」と叫んでいても効果はない。

格安スーパーより低価格で勝負するか、格安スーパーにはない高品質野菜を取りそろえるか、業態変更するか、いずれにしても格安スーパーに対抗し生き残るには従来からのルール変更が必要となる。

あり得ないではなく、あり得ることを想定すれば、現実世界においては、何もしないことが主役でいられるはずがない。

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