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今の私とこれからの私①

昨夜、遅くまで私の授業映像を視聴しながら私の何に問題があり、直すべきところがあるのかを共に組んでいる先輩と話をした。

直すべきところは、本当に授業以前の問題ばかりであった。
加えて、教師としての私の本質的な問題もあった。

昨夜の話し合い、メモをもとに
“今の私”と“これからの私”を整理した。
整理した上で、「これからどうするのか」を最後に綴った。

①今の私
・理論や知識はあれども、それを自分に落とし込めていない。だから薄っぺらい。
・優れた技術や上手くいく先行実戦のみ追い求め、基礎的な規律・子どもの姿を見ようとしていない。
・褒め言葉や指示が単調、抑揚がない。心がない。誰かの真似をしているだけ。
・本気で子どもと接していない。
・昨年度、1年生のお手伝いに入った6年生全員が「足元先生は笑っていない」と言っていた。心からの笑いがない。笑顔ではない。作り笑顔。
・学んでいるからこそ、捨てられないプライドがある。
・人としての私を教室で出していない。薄っぺらい、表面的な“教師としての私”しか見せていない。いや、見せられていない。人としての私を見せることを恐れている。
・子どもとの関わり、授業を心から楽しめていない。楽しめるほどの実力がない。
・自分の実力を過信している。

②授業での私
・規律をおざなりにして、授業技術のみに焦点を当てている。その割には授業はガタガタ。学びがない授業もある。
・子どもの問題行動を見逃している。
 ・言っていいのかな…
 ・この子は仕方ない
 ・このくらいはいいだろう
 →本気で子どもを信じ、変えようとしていない
・授業始まりのザワザワ、落ち着きのなさが問題であると意識できていない。気づいてすらいない。
・子どもを待てていない→全体のできているできていないの確認がない。
→できている子への空白を恐れて次の指示を出すが、他の遅れている子への配慮・支援がない。
・指示をした後、終わったらどうするのかのルーティンがない。(早く終わった子はどのようにして待つのか)※静かにしたままの
・始めの“礼”から子どもたちを落ち着かせていない。休み時間気分のままだ。
・教室が子どもの声で埋め尽くされているのに、「褒めが子どもに入っている」「私は子どもを褒められている」と勘違いしている。
・事あるごとに全体を見渡す=止まる ができていない
・声に抑揚、ハリ、感情がない。
・スタートが大切だという意識がない。だからできている子がついてきて、遅れている子はどんどん抜かされていく。落ちていく。
・指示をした後、確認をするが「間」「待つ」がない。(原因はリズムテンポが大切だという意識から教師本位の進行になっている。子どもたちはできているとこちらが思い込んでいる。)
・授業の本時目標、単元目標が自己流。指導書を見ていないから明確な学びを授業で与えられない。
・子どもが教師を見る回数が少なすぎる
・教師としての惹きつけの前に“人としての惹きつけ”がない。
・話している人がいるのに、周りが話しすぎている。
・スタートから全員を同じ土台に乗せていない。
・指示は出すが、明確ではない。
・自分の持つ規律基準がないから子どもも自分も迷う。だから言葉につまる。声に力がなくなる。ま、いいか…と判断が甘くなる。

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